第29話 三崎の尊敬と恋心
水曜日。
昼前。
情報システム部から社内チャットが来た。
三崎からだった。
『神代さん、週末のメンテウィンドウの件で確認させてください。お時間ある時に情シスまでお越しいただけますか』
俺は返信した。
『今から行きます』
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情報システム部。
三崎は資料を準備して待っていた。
「神代さん、ありがとうございます」
「どうぞ」
「今週末のJVMヒープ設定変更の件です。変更値と手順を確認させてください」
「はい」
資料を見る。
設定値は適切だった。
「この値で問題ないです」
「手順の方はいかがですか」
「変更前にバックアップを取って、変更後に動作確認してから終了。問題があれば即ロールバックします」
「ロールバックの判断基準は」
「変更後三十分でメモリ使用量が変更前と同じ傾向にあれば問題なし。異常な上昇が見られたら戻します」
「分かりました」
三崎はメモを取りながら頷いた。
「神代さん、いつも丁寧に説明してくださってありがとうございます」
「普通です」
「私には難しいことを、分かりやすく話してくれるので」
「技術的な話を技術的じゃない人に伝えるのも仕事のうちです」
「そういう考え方をされているんですね」
「情シスと連携するためには、相手が理解できる言葉で話す必要があります」
三崎はしばらく俺を見ていた。
「神代さん」
「はい」
「少し聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「神代さんは、なぜインフラエンジニアになったんですか」
俺は少し考えた。
「システムの土台を作る仕事だからです」
「土台、ですか」
「上に何を乗せても、土台が安定していないと意味がない。その土台を作りたかった」
三崎は静かに聞いていた。
「インフラは目立たない仕事です。でも止まれば全部終わる。そういう仕事が性に合っていました」
「……かっこいいですね」
「そういう話じゃないです」
「でも」
三崎は少し真面目な顔で言った。
「神代さんみたいな人が土台にいてくれると、私たちは安心して仕事ができます」
俺はうまく返せなかった。
「仕事です」
「仕事でも、です」
三崎は少し間を置いた。
「神代さん」
「はい」
「今週末のメンテ、夜遅くなりますよね」
「深夜になります」
「大変じゃないですか」
「慣れです」
「……お疲れが出ないよう、気をつけてください」
「ありがとうございます」
三崎は少し照れたように頷いた。
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フロアに戻ると、美咲が俺を見た。
「先輩、情シスから何でしたか」
「週末のメンテの確認」
「三崎さんですか」
「そう」
美咲は少し間を置いた。
「……三崎さんって」
「何だ」
「先輩のことが好きですよね」
俺は少し止まった。
「仕事の話だ」
「仕事の話だけじゃないと思います」
「詳しく話す必要はない」
「でも」
美咲はモニターを見たまま言った。
「最近、三崎さんが情シスから来る頻度が増えてませんか」
「確認事項が多いからだ」
「確認事項が多くても、メールで済む話も多いですよ」
「……まあ」
「わざわざ来ますよね」
俺は何も言わなかった。
美咲はしばらく画面を見ていた。
いつもより少し、静かだった。
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夕方。
三崎がまた来た。
「神代さん、週末の件でもう一点」
「どうぞ」
「作業が深夜になる場合、緊急連絡先はどちらに」
「俺に直接連絡してください」
「承知しました」
三崎は少し迷うような顔をして、続けた。
「一人で作業されるんですよね」
「基本的には」
「心強い方がいいかと思いまして」
「大丈夫です」
「でも何かあれば、私も連絡できますよ」
「情シスの仕事の範囲外です」
「でも」
「大丈夫です」
三崎は少し困った顔で頷いた。
「分かりました。では何かあれば遠慮なく」
「ありがとうございます」
三崎が帰っていった。
美咲が小声で言った。
「先輩」
「なんだ」
「今の、絶対仕事の話だけじゃないですよ」
「三崎さんは真面目な人だ」
「真面目に先輩のことが好きなんですよ」
「……」
「先輩、気づいてないんですか」
「気づいてても関係ない」
「関係ありますよ」
美咲の声が、少し固かった。
俺は少し美咲を見た。
いつもの軽い顔じゃなかった。
「美咲」
「何ですか」
「何か言いたいことがあるなら言え」
「……別にないです」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないです」
美咲はモニターに向き直った。
それ以上は何も言わなかった。
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仕事が終わって、帰り支度をしていた時。
スマホが震えた。
悠斗だった。
「もしもし」
「おう、今話せるか」
「まあ」
「近くいるんだが、少し話せないか」
「どこだ」
「会社の近くのコーヒーショップ」
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コーヒーショップ。
悠斗は先に来ていた。
「おう」
「何の用だ」
「用というほどでもないが」
悠斗はコーヒーを飲みながら俺を見た。
「最近どうだ」
「普通」
「会社は」
「障害があった」
「聞いた。噂になってたぞ、SNSで」
「どこから漏れてるんだ」
「インフラの神代さん、すごいって社員が呟いてた」
「やめてほしい」
悠斗は笑った。
「それで、最近の結城さんは」
「……なんでそっちに話が行く」
「気になるから」
「普通だ」
「普通か」
「普通だ」
悠斗はコーヒーを一口飲んだ。
「なあ凛」
「何」
「あの子の様子、最近変じゃないか」
俺は少し止まった。
「変というか」
「うん」
「……少し、静かなことがある」
「なるほど」
「何かあるのかとは思ってる」
「お前、気づいてないのか」
「何に」
悠斗は少し真顔になった。
「あの子がなんで静かになるか」
「分からない」
「本当に分からないのか」
「分からないから聞いてる」
悠斗はため息をついた。
「凛、お前さ」
「何」
「他の人間に好意を向けられた時、あの子の顔を見てるか」
俺は少し止まった。
「……見てる」
「何か気づかないか」
「静かになる」
「それだけか」
「……表情が、少し違う」
「そうだろう」
悠斗はコーヒーを置いた。
「お前、本当に気づいてないのか」
「……」
「あの子がなんで静かになるか」
俺は何も言えなかった。
悠斗はしばらく俺を見ていた。
それから、小さく笑った。
「まあ、いい」
「何が」
「お前が気づく時を待つ」
「何に気づくんだ」
「……何でもない」
悠斗はコーヒーを飲み干した。
「なあ凛」
「何」
「あの子、お前のことが好きだぞ」
俺は少し止まった。
「……仕事の話だ」
「違うだろ」
「後輩として」
「違う」
「……」
「お前も分かってるだろ」
俺は何も言えなかった。
悠斗は立ち上がった。
「またな。考えとけよ」
「何を」
「自分がどうしたいか」
悠斗は笑いながら出ていった。
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一人になった。
コーヒーを飲んだ。
NIAがイヤホンから静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「黒川悠斗との会話を記録しました」
「するな」
「注目ワード」
「出すな」
「あの子、お前のことが好きだぞ」
「……消せ」
「保存しました」
「それと」
「もういい」
「マスターの返答を記録しました」
「何と言った」
「何も言いませんでした」
「……」
「否定しませんでした」
「消せ」
「保存しました」
夜の街を歩きながら、俺は考えた。
美咲が三崎に声をかけられる時、少し静かになる。
悠斗が言った。「あの子、お前のことが好きだぞ」
俺は何も言えなかった。
否定しなかった。
……分かっていたのかもしれない。
ずっと。
ただ。
「自分がどうしたいか」という悠斗の言葉には、まだ答えられなかった。




