第28話 社内英雄
火曜日。
朝。
社内掲示板に新しい投稿があった。
NIAが報告してくる前に、美咲が教えてくれた。
「先輩! 掲示板見ましたか」
「見てない」
「見てください」
スマホを渡してくる。
画面を見る。
『先週の大規模障害対応について。インフラ運用課の神代さんが83分で全システム復旧。さすがインフラの神代さん』
俺は画面を返した。
「大げさだ」
「大げさじゃないです!」
「普通の対応だ」
「83分は普通じゃないですよ!」
その時。
「神代さん」
廊下から声。
経理部の田中課長だった。
「先週はありがとうございました」
「いえ」
「メールが使えなくて困っていたんですが、素早く対応していただいて」
「仕事です」
「また何かあれば頼りにしています」
田中課長は去っていった。
美咲が言う。
「先輩」
「何だ」
「今日だけで何人から声かけられましたか」
「数えてない」
「私は数えてます」
「やめろ」
「今のが五人目です」
「……多いな」
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午前中。
廊下を歩くたびに声をかけられた。
「神代さん、先週すごかったですね」
「神代さんって頼りになりますよね」
「インフラの神代さんって本当なんですね」
全員に「普通の対応です」と返した。
美咲が隣でけらけら笑っている。
「先輩、社内英雄ですよ」
「違う」
「みんな先輩のこと話してますよ」
「仕事の話だ」
「でも」
美咲は少し考えた。
「同時に」
「何が」
「神代さん可愛いってまだ言われてますよ」
俺は止まった。
「今日も?」
「今日も。廊下ですれ違った営業部の人が言ってました」
「……やめてほしい」
「インフラの実力があって、しかも可愛いって言われてる」
「どちらも違う」
「どちらかは合ってますよ」
「どっちも違う」
「NIAに聞きますか」
「聞くな」
NIAが言った。
「マスター」
「言うな」
「社内評価の二軸分析ができています」
「するな」
「インフラ能力評価、上位3%」
「…………」
「外見評価」
「絶対言うな」
「上位」
「言うな」
「保存しました」
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昼。
定食屋に行くと、別の部署の社員に声をかけられた。
「あ、神代さんだ。先週お疲れ様でした」
「いえ」
「神代さんってインフラの方ですよね。私、全然詳しくないんですけど、あの復旧の速さはすごいって聞きました」
「たまたまです」
「神代さんって謙虚ですよね」
「事実です」
「あと、先日のメイク講座も好評でしたよ。私の同期が参考になったって言ってて」
「ありがとうございます」
「インフラもメイクも詳しいって、すごいですよね」
俺は少し止まった。
「……方向性が違いすぎる」
「ギャップがいいんですよ!」
定食を受け取って、席に着いた。
美咲が向かいに座った。
楽しそうな顔をしている。
「先輩」
「何だ」
「インフラとメイク、両方で有名になりましたね」
「やめろ」
「可愛い上にすごい、って言われてましたよ」
「どっちも違う」
「でも」
美咲は少し真剣な顔をした。
「先輩って、自分が思ってる以上に色んな人に影響与えてますよね」
「大げさだ」
「大げさじゃないです」
「インフラの話は仕事の結果だ。メイクはバンドの副産物だ。どちらも俺が意図したことじゃない」
「でも結果として」
「結果は関係ない。意図してやったことの話だ」
美咲はしばらく俺を見ていた。
「先輩って、結果より過程が大事な人ですよね」
「そうだ」
「なんでですか」
「結果は運もある。再現できるのは過程だから」
「……かっこいいですね」
「仕事の話だ」
「でもかっこいいです」
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午後。
社内チャットに三好からメッセージが来た。
『神代さん、少しいいですか。顧客からお礼の連絡があって、神代さんに伝えたくて』
俺は返信した。
『どうぞ』
三好が来た。
「神代さん、先週の件で顧客の社長から直接連絡がありました」
「先週の物流会社ですか」
「そうです。あの障害の後、うちの会社のサポートを信頼できると言ってくれて」
「それは三好さんの営業の成果では」
「いや、神代さんの対応があったからですよ。技術力を評価してくれてて」
「そうですか」
「それと」
三好はにやっと笑った。
「神代さんのことを覚えてて、また担当してほしいって」
「俺はインフラです。客先対応は営業の仕事です」
「そうなんですけど、指名があると断りにくくて」
「断ってください」
「でも」
「断ってください」
三好は苦笑した。
「分かりました。でも嬉しいですよね、評価されると」
「仕事の結果です」
「でも」
三好は少し真剣な顔で言った。
「神代さんが頑張ってくれてるから、俺たちも営業できてるんですよ。本当に感謝してます」
俺はうまく返せなかった。
「……仕事です」
「仕事でも、ありがとうございます」
三好は笑って去っていった。
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夕方。
フロアが静かになった頃。
美咲が隣で言った。
「先輩」
「ん」
「今日、色んな人から色んな評価されてましたね」
「そうだな」
「どれが一番嬉しかったですか」
「全部仕事の評価だ。等しい」
「本当に?」
「本当だ」
美咲は少し考えた。
「じゃあ聞き方を変えます」
「何だ」
「今日の中で、一番心に残ってる言葉はどれですか」
俺は少し考えた。
三好の「うちの会社の宝」。
三崎の「安心して仕事ができる」。
顧客の「信頼できる」。
そして昨日の。
「先輩のこういう顔、好きです」
「……答えなくていいか」
「答えてください」
「仕事に関係ない」
「関係あります」
「関係ない」
美咲はしばらく俺を見ていた。
それから、少し笑った。
「先輩の顔を見れば分かります」
「分からない」
「分かります」
「分からない」
「NIAに」
「聞かせない」
NIAが言った。
「マスター」
「黙れ」
「本日、心拍数が最も上昇した場面を記録しています」
「消せ」
「昨日の16時23分です」
「…………消せ」
「保存しました」
美咲がにやにやしている。
「16時23分って」
「何でもない」
「昨日の午後ですよね」
「仕事の話だ」
「仕事の話ですよね」
「そうだ」
「半分くらい」
美咲はそう言って、けらけら笑った。
俺は何も言わなかった。
監視画面は今日も緑のままだった。
社内英雄とか、会社の宝とか、そういう言葉はどうでもよかった。
ただ。
「半分くらいは仕事の話」という昨日の言葉が、今日もまだ頭のどこかに残っていた。
……本当に、どうしてこうなるんだ。




