第26話 凛の本気
翌日。
金曜日。
午前中。
昨日の大規模障害の後処理が続いていた。
開発からの報告書。
三崎との設定見直し。
経営層への報告書の確認。
沙羅が書いてくれているが、技術的な内容は俺が確認する必要があった。
美咲は隣で黙々と作業していた。
昨日から、少し大人しい。
疲れているのか、考えているのか。
その時。
「神代さん」
三崎が来た。
「昨日の障害の件で、一点確認させてください」
「どうぞ」
「認証サーバの設定で、JVMのヒープサイズが適切でなかった可能性があります」
「そうですね。デフォルト値のままでした」
「推奨値に変更する場合、どの程度の値が適切ですか」
俺は少し考えた。
「サーバのメモリが16GBなので、ヒープは最大8GB程度が目安です。ただしアプリの特性によるので開発に確認してから設定します」
「分かりました。設定変更のタイミングはいつが良いですか」
「週末のメンテウィンドウが安全です。土曜の深夜に。影響範囲が最小になる」
「土曜の深夜ですか」
「俺が対応します」
「神代さんが?」
「週末当番です」
「大変ですね」
「仕事です」
三崎はメモを取った。
「それと、昨日の復旧後にアプリの自動再起動スクリプトを入れた方がいいかもしれないという話が開発から出ていまして」
「場合によりますね」
「どういう場合ですか」
「自動再起動は確かに速いですが、根本原因を特定する前に再起動すると原因が消えることがある。ログを保存してから再起動するフローを入れた方がいい」
「ログを保存してから、ですか」
「原因不明のまま再起動を繰り返すのが一番まずい。なぜ落ちたか分からない状態が続く」
三崎は頷いた。
「なるほど。開発にそう伝えます」
「ありがとうございます」
三崎が戻っていった。
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昼前。
開発の担当者がフロアに来た。
石川さんという、三十代くらいの男性だった。
「神代さん、昨日はありがとうございました」
「いえ」
「根本原因の共有をさせてください」
「どうぞ」
石川さんはノートPCを開いた。
「ヒープメモリのリークの原因が分かりました」
「何でしたか」
「キャッシュの解放処理に不具合がありました。特定の条件下でキャッシュが無制限に積み上がっていく状態になっていました」
「いつから?」
「先週のデプロイ以降です。条件が揃うまで時間がかかったので、昨日まで顕在化しませんでした」
「なるほど。修正は」
「今朝パッチを出しました。次のデプロイで適用します」
「デプロイのタイミングは」
「今夜を予定しています」
「分かりました。デプロイ中は監視を強化します。何かあればすぐ連絡ください」
「お願いします」
石川さんが帰ろうとして、ふと振り返った。
「神代さん」
「はい」
「昨日の復旧、早かったですね」
「普通の対応です」
「83分で全サービス復旧は早いですよ。しかも根本原因を正確に特定して」
「ログが読めれば分かります」
「ログを読んで即座に判断するのが難しいんですよ」
俺は少し困った。
「慣れです」
「インフラの神代さんって、昔から有名なんですよね、社内で」
「そうですか」
「私、他社から来て一年ですけど、噂は聞いてました」
「噂は大げさです」
「でも昨日見て、本物だと思いました」
石川さんは笑って帰っていった。
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昼休み。
美咲がおにぎりを食べながら、俺を見ていた。
「何だ」
「先輩」
「ん」
「さっきの石川さんとの話、聞いてました」
「そうか」
「先輩って、自分が有名だって知らなかったんですか」
「知らなかった」
「本当に?」
「興味ない」
美咲は少し笑った。
「NIAは記録してますよ、たぶん」
「してる」
「NIAから聞かないんですか」
「聞きたくない」
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午後。
今夜のデプロイに向けて、監視設定を強化していた。
デプロイ前後のメトリクスを細かく取れるように閾値を調整する。
ヒープメモリの監視を追加する。
アラートの通知先を増やす。
一つ一つ、丁寧に設定する。
美咲が隣で見ていた。
「先輩」
「ん」
「今やってるのって、何ですか」
「監視強化」
「何で強化するんですか」
「今夜デプロイがある。デプロイ後に問題が起きた時、すぐ気づけるようにしておく」
「問題が起きることを前提にしてるんですか」
「前提にしておく方が安全だ」
「楽観しないんですね」
「インフラは楽観しない」
美咲はメモした。
「先輩って、最悪の場合を常に考えてるんですか」
「最悪を想定して、最悪にならないようにする。それがインフラだ」
「……かっこいいですね」
「仕事だ」
「でもかっこいいです」
俺は設定を続けた。
しばらく無言で作業した。
コマンドを打つ。
設定ファイルを編集する。
テストアラートを飛ばして確認する。
集中していた。
その時。
「先輩」
美咲の声が、少し違う温度だった。
「何だ」
「先輩のこういう顔、好きです」
俺は手が止まった。
画面を見たまま、言った。
「……それどういう意味だ」
少し間があった。
「仕事の話です!」
美咲が慌てて言った。
「仕事してる時の先輩の顔が好きっていう、仕事の話です!」
「仕事の話に好き嫌いは関係ない」
「あります! 先輩の仕事の顔が好きっていうのは、先輩のインフラへの姿勢が好きっていうことで、それは仕事の評価です!」
「評価なら別の言い方がある」
「同じことです!」
俺はコーヒーを飲んだ。
何も言わなかった。
NIAがイヤホンから静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「心拍数が」
「言うな」
「過去最高値を更新しました」
「消せ」
「保存しました」
「それと」
「もういい」
「結城美咲の発言を記録しました」
「するな」
「好きです、と言いました」
「仕事の話だ」
「文脈を分析しました」
「するな」
「仕事の話ではない可能性が」
「絶対するな」
「72%です」
「…………消せ」
「保存しました」
美咲はまだ少し赤い顔で画面を見ていた。
「先輩」
「なんだ」
「変な空気にしてすみません」
「変じゃない」
「でも」
「仕事に戻れ」
「……はい」
しばらく静かになった。
コマンドを打つ音だけが聞こえた。
五分後。
「先輩」
「何」
「監視設定、終わりましたか」
「あとひとつ」
「手伝えることはありますか」
「このファイルのバックアップを取っておいてくれ」
「どこに保存しますか」
「/backup/config/の下に今日の日付のディレクトリを作ってその中に」
「分かりました」
美咲はすぐにコマンドを打った。
```
mkdir -p /backup/config/20240118
cp /etc/monitoring/alert.conf /backup/config/20240118/
```
「できました」
俺は確認した。
「合ってる」
「よかったです」
また、静かに作業が続いた。
夕方。
沙羅が声をかけてきた。
「二人とも、今日もお疲れ様。明日の対応、無理しないでね」
「大丈夫です」
「神代さんって本当に頼りになるね」
「仕事です」
沙羅が帰っていった。
美咲がぽつりと言った。
「先輩」
「ん」
「さっきのこと」
「何」
「仕事の話です、って言いましたけど」
「うん」
美咲は少し間を置いた。
「……半分くらいは仕事の話です」
「半分か」
「はい」
「残り半分は」
「……また今度」
また今度だった。
俺は何も言わなかった。
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「また今度、今回で四回目です」
「記録するな」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「半分、と言いました」
「消せ」
「保存しました」
監視画面は緑のままだった。
今夜のデプロイを待ちながら、俺はコーヒーを飲んだ。
「半分くらいは仕事の話です」
じゃあ残り半分は何なんだ。
……考えないことにした。
考え始めると、今夜のデプロイ対応に集中できなくなる。
それだけの理由だった。
たぶん。




