第2話 新人後輩、距離が近すぎる
インフラ運用という仕事は、基本的に静かだ。
サーバが落ちなければ、だが。
モニターには監視ツールが並び、CPU使用率やネットワークトラフィックのグラフがゆっくりと動いている。赤いアラートが出ない限り、俺たちの仕事は"平和"だ。
つまり、今は平和なはずだった。
「神代先輩!」
隣から、元気すぎる声が飛んできた。
結城美咲。
昨日から配属された新人エンジニアだ。
「ん?」
「これって何してるんですか?」
モニターに顔を近づけてくる。
近い。
普通に近い。
椅子の距離がほぼゼロだ。
「監視画面。サーバの状態」
「へえ〜」
さらに近づく。
肩が触れた。
新人教育だから仕方ないとはいえ、物理距離がだいぶバグっている。
仕方ない。教育担当だから、仕方ない。
「マスター。新人の接近距離は平均的な職場距離より38%近いです」
「分析すんな」
「先輩?」
「NIAだ」
「ああ、AI」
結城は楽しそうにスマホを覗き込んだ。
「すごいですね。先輩、AI使ってるんですか?」
「生活補助」
「いいなあ。名前なんですか?」
画面を見て、結城が声に出した。
「NIA?」
「そう」
するとNIAが即座に反応した。
「はじめまして。結城美咲さん」
「えっ!?」
結城が飛び上がった。
「喋った!」
「AIだからな」
「え、え、すごい! 私にも挨拶してくれました!」
「登録された」
「いつの間に!?」
「顔認識」
NIAは平然と言った。
「マスターの新人後輩として記録しました」
「え、私ログに残るんですか?」
「はい」
「ちょっと嬉しい」
普通そういう反応なのか?
俺は少し眉をひそめる。
「先輩」
「ん?」
「先輩って家でもそのAIと喋ってるんですか?」
「まあ」
「寂しくないですか?」
「お前それ新人が言うセリフか?」
結城はくすっと笑った。
そのまま俺のモニターをまた覗き込む。
やっぱり近い。
新人というより、距離感が大学サークルの後輩みたいだ。
「先輩って、ずっとインフラなんですか?」
「六年」
「すごい」
「地味だぞ」
「でもかっこいいです」
「どこが」
「こういうの全部支えてるんですよね?」
モニターを指差す。
確かに、インフラはそういう仕事だ。
システムが動くのは当たり前で、止まると怒られる。誰にも褒められないが、止まれば全員が困る。
「まあ、そうだな」
「やっぱりかっこいいです」
結城は本気で言っていた。
ちょっとだけ、照れる。
こういう反応には慣れていないわけじゃない。ただ、こいつの場合は妙に真剣な顔で言うから、うまくいなせない。
「マスター。頬の温度が上昇しています」
「うるさい」
「え、先輩照れてるんですか?」
「照れてない」
「かわいい」
「言うな」
結城はまた笑った。
その笑い方が、妙に自然だった。
新人の緊張とか、遠慮とか、そういうものがほとんどない。初日からこの距離感で、昨日男だと知って、それでも今日も同じ距離で来る。
警戒心というものがないのか、それともただ俺を気にしていないのか。
どちらにしても、少し不思議なやつだ。
その時、後ろから声がした。
「仲良さそうだね」
振り向くと、高城沙羅がコーヒーを持って立っていた。
「神代さん、新人いじめてない?」
「してない」
「されてません!」
結城が元気に答える。
高城さんは満足そうに頷いた。
「よかった。神代さん、優しいから」
「それさっきも言ってましたよね」
「そうだっけ?」
沙羅さんは笑った。
そのまま結城を見た。
「神代さん、綺麗でしょ」
「ですよね!」
「そこ即答すんな」
沙羅さんは普通に続けた。
「社内でも結構人気なんだよ?」
「やめろ」
「えっ!?」
結城が驚く。
「そうなんですか!?」
「うん」
「神代先輩モテるんですか!?」
「モテない」
「でも綺麗ですよね」
「だから言うな」
結城は少し考えたあと、ぽつりと言った。
「でも」
「?」
「神代先輩って、男なんですよね」
「そう」
「でも綺麗」
「そういう問題じゃない」
「でも男」
「そう」
「でもかわいい」
「そこは認めない」
結城は少し真剣な顔をした。
そして、ぽつりと呟く。
「なんか、不思議ですね」
「何が」
「男なのに、かわいい先輩」
それは、今日一番まともな感想だった。
俺が何か返す前に、結城はまたモニターに視線を戻した。
じっと、画面を見ている。
さっきまでの軽さとは少し違う、静かな横顔だった。
「先輩って」
「ん」
「こういう画面、ずっと見てるんですか?毎日」
「仕事だからな」
「一人で?」
「当番があるから一人じゃないけど」
結城はそれを聞いて、少し黙った。
何を考えているのかは分からない。
ただ。
こいつがこんな顔をするとは、昨日は思わなかった。
その時だった。
監視モニターの一つが、赤く点滅した。
アラート音が鳴る。
「お」
俺はすぐに画面を操作する。
「先輩?」
「障害」
「えっ」
ログを開く。
WebサーバのCPUが跳ね上がっている。
「アクセス急増……?」
「攻撃ですか!?」
「いや」
ログをさらに追う。
原因が見えた。
俺は思わず笑った。
「原因、わかった」
「なんですか?」
「社内ポータルの画像」
「画像?」
「新人歓迎ページ」
ログに表示されたファイル名を見て、俺はため息をついた。
「社員紹介ページの画像、サイズ8K」
「え」
「しかも全社員分」
「ええ!?」
「誰だこんなアホな実装したの」
結城が震えながら言った。
「もしかして……」
「ん?」
「それ……」
「?」
「私の歓迎ページです」
フロアが、数秒静かになった。
俺はゆっくり天井を見上げた。
「……新人」
「はい」
「初日でサーバ落とすのやめろ」
「私じゃないです!」
NIAが静かに言った。
「マスター。本日の新人トラブルイベントを記録しました」
「ログ取るな」
「保存しました」
結城は真っ赤な顔で俺を見た。
「あの、先輩」
「何」
「怒ってますか?」
「怒ってない」
「ほんとですか?」
「ほんと」
結城は少しだけ安心したような顔をして、それからまた椅子を寄せてきた。
「じゃあ、どうやって直すか教えてください!」
「……お前な」
「一緒に直します!」
近い。さっきより近い。
仕方ない。
教育担当だから、仕方ない。
……そういうことにしておく。
「マスター」
「なんだ」
「心拍数が」
「ログ取るな」
「保存しました」
……インフラ運用課の平和は、どうやら長くは続かないらしい。




