第15話 男社員攻略事件
朝。
会社。
パソコンを起動する。
監視画面。
アラートなし。
平和だった。
インフラの仕事は基本的にこうだ。
何も起きない。
それが一番いい。
イヤホンから声。
「マスター」
NIAだ。
「なんだ」
「昨日の営業案件、顧客満足度推定92%です」
「分析するな」
「OLモード営業成功」
「違う」
「結城美咲からのメッセージ記録」
「やめろ」
「お帰り待ってます」
「消せ」
「保存しました」
ため息。
その時だった。
「神代さん」
振り向く。
営業部の男社員だった。
田中。
昨日の話を聞いたのだろう。
三好だ。絶対広めた。
「はい」
「昨日の案件、聞きました」
「普通の障害です」
「いやいや」
田中は笑う。
「社長めちゃくちゃ喜んでたらしいですよ」
「そうですか」
「説明わかりやすいって」
「普通です」
田中は少し不思議そうな顔をした。
「神代さんって」
「?」
「エンジニアっぽくないですよね」
「どういう意味です」
「いや、いい意味で」
田中は言う。
「インフラって」
一拍。
「地味な仕事ですよね」
横から声。
「それ言うと怒られますよ」
椅子が滑ってきた。
美咲。
「先輩」
「なんだ」
「インフラの悪口」
「悪口じゃないです」
田中が慌てる。
「ただ、目立たないというか」
俺は少し考えた。
「まあ」
「地味です」
二人が止まる。
「え?」
「そうなんですか?」
「地味です」
俺は監視画面を指す。
「インフラって」
「何も起きないのが仕事なんで」
美咲が首を傾げる。
「何も起きない?」
「そう」
俺は続ける。
「システムが普通に動く」
「ネットが普通に繋がる」
「ログインできる」
「メール送れる」
一拍。
「それが全部インフラ」
田中が言う。
「でもそれって、当たり前ですよね」
「そう」
俺は頷いた。
「当たり前なんです」
「でも」
「止まると全部終わる」
二人が黙る。
「ネット止まる」
「サーバ落ちる」
「VPN切れる」
「認証死ぬ」
「業務全部止まる」
俺は肩をすくめた。
「だから」
一拍。
「何も起きないのが一番いい」
美咲がぽつりと言った。
「かっこいいこと言いました」
「普通」
美咲は少し違う顔をしていた。
さっきまでの笑っている顔じゃなく、じっと俺を見ている顔だった。
何かを考えているような顔だった。
---
その時。
監視画面が赤く光った。
アラート。
VPN監視。
接続断。
俺は画面を見る。
「ああ」
「来た」
美咲が言う。
「来た?」
「インフラの日常」
ログ確認。
VPNサーバ。
応答なし。
SSH。
タイムアウト。
「神代さん」
田中が言う。
「これ大丈夫なんですか?」
「大丈夫」
コンソール接続。
ログ確認。
すぐ原因が分かった。
証明書更新失敗。
期限切れ。
「これですね」
美咲が言う。
「もう分かったんですか?」
「よくある」
証明書再生成。
サービス再起動。
VPN再接続。
監視緑。
復旧。
作業時間、三分。
美咲がぽかんとしている。
田中も同じだった。
「終わり」
二人同時。
「え?」
「もう繋がってます」
田中が言う。
「早すぎません?」
「普通」
美咲が言う。
「先輩」
「なんだ」
「普通じゃないです」
「普通」
田中は少し黙っていた。
そして言った。
「神代さん、かっこいいですね」
「どこが」
「さっき言ってたじゃないですか」
一拍。
「何も起きないのが仕事」
「事実です」
田中は笑った。
「なんか、プロって感じします」
美咲が机を叩いて笑う。
「ほら!」
「違う」
「先輩強い」
「普通」
NIAが言う。
「マスター。男性社員好感度、上昇。推定理由、仕事姿勢。尊敬度78%です」
「分析するな」
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田中が戻っていくと、フロアが少し静かになった。
美咲は椅子を回しながら、俺をじっと見ていた。
「なんだ」
「先輩」
「何」
「さっきの話」
「どれ」
「何も起きないのが一番いい、って言ったやつ」
「うん」
美咲は少し間を置いた。
「先輩って、それ寂しくないですか」
俺は少し止まった。
「何が」
「誰にも気づかれないじゃないですか」
「仕事だからな」
「でも」
美咲は言葉を選ぶように続けた。
「先輩が頑張ってても、何も起きてないように見えるってことですよね」
「そういう仕事だ」
「……それって」
美咲はモニターを見た。
「普通に、すごく大変じゃないですか」
俺はうまく返せなかった。
大変かどうかなんて、考えたことがなかった。
仕事だから、やっている。
当番だから、夜も監視する。
障害が出たら、直す。
それだけのことだ。
「別に」
「先輩はすぐ別にって言いますよね」
「事実だからな」
「でも」
美咲は俺を見た。
「私は気づいてますよ」
一拍。
「先輩が毎日ちゃんとやってること」
フロアの空気が、少し静かになった気がした。
俺はコーヒーを一口飲んだ。
それしかできなかった。
「……余計なお世話だ」
「そうかもしれないですけど」
美咲は少し笑った。
「でも言いたかったので」
また、それで終わりだった。
こいつはいつもそうだ。
言いたいことを言って、あとはけろっとしている。
受け取る側だけが、少し動揺している。
「マスター」
NIAが静かに言った。
「なんだ」
「新規ログを記録します」
「やめろ」
「タイトル」
「出すな」
「結城美咲、気づいていると言いました」
「……消せ」
「保存しました」
「それと」
「もういい」
「心拍数が」
「言うな」
「過去三番目の数値です」
「黙れ」
美咲は椅子を回しながら言った。
「先輩」
「なんだ」
「完全攻略しました」
「してない」
「男社員も、先輩のこと好きですよ」
「違う」
「かっこいいからです」
「普通だ」
美咲はにこっと笑った。
「インフラだから、ですよね」
「そうだ」
俺は言う。
「インフラだ」
美咲はそれを聞いて、また少し違う顔をした。
何かを、嬉しそうに思っているような顔だった。
理由は聞かなかった。
たぶん、聞いたら余計に困るから。




