隣の柿はよく客食う柿だ。
男の家の隣にはとても大きな家があった。見るからに金持ってそうで庭にはご立派な柿の木が生えている。男はいつもその家の前を通りかかる度に家主を惨殺して家を乗っ取る想像をしていた。男が親から受け継いだ自分の家は見るからにみすぼらしく老朽化していて隙間風が抜けていった。不満ばかりが募った。隣家ほど立派でなくとも家を持てるほどに働いた親の苦労に対する敬意などは男には一切なかった。
ある日、なにげなく窓から外を見ると隣家の人間が家財をまとめて車に積み込み逃げ出していくのが見えた。夜逃げであった。なんだ、あんな立派な家に住んでいても内情はそんなものか、と男は溜飲を下げた。車を見送ってから、ではあの家にはいま誰も住んでやしないのか? と思い至った。ちょうどいいや。誰もいないうちにちょっと忍び込んで家主の気分を味わってやろう。金目のものが残っているかもしれない。騒ぎになったら言い訳すればいい。男は深く考えずに隣家に訪れ、ドアノブを握った。意外にも抵抗なくノブは開いた。中は暗かった。右手を壁伝いに伸ばし、スイッチに触れる。パチン。灯りがついた。
広い家だった。三和土からして男の家とは違う。靴を何足並べればここが埋まるのか想像がつかなかった。フローリングの廊下の壁には洒落た絵が飾ってある。はん、気取りやがって。男は玄関にカギをかけ、靴を脱いで上がり込んだ。
上質な家具。テレビ。冷蔵庫。車に積めない大きなものは残りっぱなしになっている。ばれないうちにリサイクルショップに運び込めるものはどれぐらいだろうか。リビングを見渡して考えたが、途中で面倒くさくなってきた。棚に残っていたウイスキーの瓶を開けた。冷蔵庫には炭酸水が冷えていて、氷が残っていた。ちくしょうめ。
自分を差し置いていい暮らしをしていたここの住民を罵りながら酒を飲んでいると、不意に声が聞こえてきた。
「客か?」
酔いが回ってきたせいで幻聴が聞こえたのだと男は思った。
客? そうじゃない。俺はいまやこの家を好き放題にすることができる。そうなれば俺はもはや客なんかじゃなくて。
「ちがうよ。おれはこの家の家主だ」
そう答えた。
「そうか」
幻聴はそれきり聞こえなくなった。
男はリビングのテーブルで眠りこけ、目を覚まし、金になりそうなものを少しだけ運び出して自分の家に戻った。
もしかすると隣家の住民が戻ってくるのではないかと男は気配を窺っていたが、どうもその様子はなかった。隣家には住民だけでなく不動産業者や親族等も来なかった。おかしなものだ。夜逃げするほど金に困っていたのならまずあの家を手放して金に換えるのが一番手っ取り早い手段だっただろうに。合理的な考えは浮かんでこなかったがこないならこないで儲けものじゃないか。男は度々隣家に上がり込んで家主のように振る舞った。
電気もガスも止まってやしなかった。あるいはそういうものが動いていた方が、家を手放さずに姿を晦ましたかった前の家主にとっては都合がよかったのかもしれなかった。
そうして数日が過ぎたころ、ついに隣家に尋ねてくるものがあった。しかしそれは前の家主の客ではなかった。
「よお。ぼろ屋にいないと思ったら、ずいぶんいいところに住んでるじゃねえか」
男が金を借りているヤクザであった。
薄ら笑いが顔に張り付いているのに目がまったく笑っていない。ボクシングかなにかの経験者だと前に聞いたことがある。背の高い、黒いスーツの妙に似合う男だった。
「ああいえ、ち、ちがうんです。この家は」
ヤクザは有無を言わさずに男を殴った。指輪がめり込んで頬骨が歪んだ。男はひっくり返った。
「俺は昨日家にいろつったよな? なあ」
ヤクザは後ろに引きつ入れている子分を振り返って言った。子分は頷いた。
「す、すみません」
「ふざけてんのかおまえ。おい、茶ぐらいだせよ」
「は、はい。もてなさせていただきます。大切な『お客さま』ですので」
男が這うようにしてリビングへ向かおうとしたとき、例の幻聴の声が聞こえてきた。
「客だな?」
そのとき。がしゃん。窓ガラスが割れる音がした。なにかがすさまじい勢いで庭に面した窓から入ってきて廊下に立っているヤクザに向かって伸びた。ヤクザと子分の全身に一瞬にして茶色い硬質のものが巻き付いた。それはところどころに緑の葉が生えていた。木の枝であった。「おおおお⁉」ヤクザと子分の姿は窓の外へと消えていった。ずしん。家が揺れた。男はおそるおそる窓の外を覗いた。柿の木の下にヤクザと子分が倒れていた。首がおかしな方向にねじ曲がっている。さきほどの木の枝によって地面に叩きつけられたのだ。死んでいる。柿の木が「口」を開けた。幹が開いてヤクザと子分のからだを飲み込んだ。ぼりぼり。ぐちゅぐちゅ。嫌な音がした。食ってやがる……。男は呆然として柿の木を見ていた。体が震えていた。
隣の柿はよく客食う柿であった。
客食う柿。
自分はなぜ食われていないのか? 家主を名乗ったからか? 柿はどうやって客とそうでない人間を区別するのか? ヤクザは「俺が客だと言った」から食われたのか?
男はしばらく考えていたが、可笑しくなって笑い出した。
こりゃいいや。都合の悪い人間は「客だ」と言い張れば食わせることができる。柿の木の周りには証拠らしい証拠は残っちゃいない。
このあたりは人通りが少なく、目撃者なんかめったなことには通らない。そもそものところもし誰かに見られたとしても木が突然動き出して人を襲ったなんざ誰も信じまい。
男は消費者金融を掛け持ちしてありったけ借金をして暮らしはじめた。
一銭も帰す気はなかった。そのうち督促状が届き借金取りがやってきたが全員「客」だと言って柿に食わせた。必要なものは通販で取り寄せた。街中でヤクザに襲われたら柿を使えない。食料や水を備蓄し一年は立てこもれるように準備をした。男は人生の中でかつてないほど楽しかった。男は学がなかった。運動も苦手だった。仕事が出来ない人間だった。なにひとつとして特技がなかった。男の人生は失敗と挫折の連続だった。
こんな簡単に何もかもがいくことがあるのかと思った。
デリヘルで呼んだ女を足元にひれ伏せさせながら男は全能感に酔った。
数か月をそうして過ごした、ある日のことだった。
宇宙人が地球に攻めてきた。
宇宙船から莫大な数の宇宙人を地球に降ろして片端から地球人を殺戮していった。
テレビニュースでその光景を見ながら男は絶句した。東京が、渋谷の街が、奇怪な声でけけけと哂う宇宙人によって焼き尽くされていた。
やがて男の家に女がやってきた。逃げ場所がなく惑ってまだ無事な家屋を求めて。男は最初泊めてやる代わりに女を手籠めにしてやろうと考えたが、久々の安全な家の中ですやすやと安らかに眠っている女の深い安堵を感じて、なんだかそれを脅かす気にはなれなかった。女は友人の男をここに呼んでいいかと男に尋ねた。男はしらけた気分でかまわないと言った。やがて二人、三人、五人。十人と、家に人々がやってきた。
備蓄を数えて、三か月程度ならば持つだろうなと男は思った。
むろん、やつらを放り出した方が長持ちする。
だがこんな世の中で生き残ってどうする? 当然通販は壊滅。金はまだあるがデリヘルも呼べやしない。携帯電話の通信も男の持ってるキャリアのものは通じなくなっている。
ここにもそのうちあのエイリアン共がやってくる。おれたちを皆殺しにする。
それまでのうたかたの夢としてあいつらがいた方がまだましなんじゃねえのか?
それに。
「あいつらは客か?」
柿の木が訊ねた。
男は答えた。
「いいや、あいつらは客じゃねえ。俺の家族だ」
男は最初に訪ねてきた女に惚れていた。
女の方には別な男がいてそいつとむつみ合っていることはわかっていたけれど。
エイリアンが男の家にやってきた。
柿の木が訊いた。
「あいつらは客か?」
男は答えた。
「ああ、あいつらは全員この地球の客だ。もてなしてやんな」
冗談のつもりだった。
ヤクザを食らい、職質の警察官を食らい、男に罵詈雑言を垂れたデリヘル嬢を食らった柿の木でも宇宙船と謎の兵器を所持する莫大な数のエイリアンの群れをどうこうできるだなんて思わなかった。
だがしかし柿の木はすさまじい勢いで枝を伸ばし、エイリアンを捉え、食った。仲間のエイリアンが銃に似た兵器で柿の木を撃った。急成長した柿の木の枝が無数に組み合わさり、防壁となって兵器を防いだ。地面がめくれ上がった。地中深くから莫大な根を展開した柿の木が、もはや街ひとつよりも巨大となりエイリアンを捉えていった。
呼応するように離れた山々にある柿の木が同じように根を晒して街々を覆い尽くすほどの巨体を持ってエイリアンと戦った。
天を貫くほど巨大な枝がついに宇宙船に届き、内部に枝先を侵入させばらばらに引き裂いた。柿の木は一切の客の存在を許さなかった。望まれざる客を駆逐していった。
柿の木も相応の攻撃を受けた。銃器型の兵器が柿に炎を放ち、氷を放ち、雷を放った。柿の木は傷つき、朽ちていった。あるものは成長が追い付かずに消滅した。超宇宙波動砲が放たれ柿の木ごと大地を割った。しかし彼らは柿の木。数多なれば。それらの兵器は柿の木のすべてを滅するには至らなかった。そして柿の木は実を地面に落とし、大地に根差して増えた。その増殖速度は消滅よりも早かった。
三か月が経過して、食料や水の備蓄が尽きたとき。
世界は焦土と化していた。
だがそこにエイリアンの姿はなく、彼らは損耗の限界を迎えて撤退していった。そして柿の木もまた戦う力を失っていた。そこにはただ甘くておいしい実を成らせる日本人のよく知るあの柿の木だけが立っていた。
男たちはおそるおそる外に出た。
人類社会の多くは滅び去り、男たちを含む僅かな人間だけが生き延びた。
それでも朝日は美しく、吹き抜ける風は心地よかった。どこかで鳥のさえずりが聞こえた。地球は未だ生命に満ち溢れていて、男は再生を予感した。
庭に出た男は柿の木の表を撫でた。
「おまえはほんとうによく客食う柿だったなぁ」
柿はもう何も言わなかった。
ぽとりと、大地に実が一つ落ちた。




