1、スコリア着任と「聖母」への憧憬
コンプトニア城を攻略し、大公国の主防御線を突破したことで、帝国軍はリソスフェア地峡の内奥部へと進出する橋頭保を得た。大公国軍の最優先課題は、この突破口を封鎖するか、少なくとも帝国軍の戦線拡大の速度を鈍化させ、後方への戦略的撤退のための時間を稼ぐことであった。戦いの焦点は、コンプトニアに隣接するスコリア城周辺へと移った。
スコリア城は、大公国が増築した防御陣地で、フリーデリケラインの中でも特に重要で、かつ強固なエリアであった。しかし、帝国軍は突破口を通じてこの地域の防御体系を側面から、あるいは後方から脅かし始めていた。
少年少女らを率いてスコリアに着任したルイーズは、この方面を担当する複合騎士団の総長、エキノキマエラ子爵の副官に「キャンプの引率のお姉さん」と嫌味を言われた。子爵からには「ママから「娘には安全な保育園を任せてください」と手紙が来ているぞ」と嘲笑するように言われた。
司令の部屋の扉を閉めたあと、ルイーゼは綺麗に磨き上げられたブーツで壁を蹴とばしながら悪態をついた。少年少女たちはそんな教官をじっと見つめていた。
大公国第二の都市プシロフィトンで集められたヴァルターら少年少女たちは、スコリアで訓練を受けていた。コンプトニア城があるから、スコリアは比較的安全とされていた。
「腰を落とせ! 槍は腕で持つのではない、大地に根ざして支えるのだ!」
極寒のスコリア訓練場に、ルイーゼの鋭い声が響く。 少年兵ヴァルターは、泥にまみれた右手を震わせながら、凍てつく木槍を握り直した。
ヴァルターにとって、訓練場であったスコリアは、すぐに激戦の最前線と変わった。帝国軍との最前線は絶望以外の何物でもなかった。しかし、その地獄のような戦場において、彼を繋ぎ止めていたのは、部隊の指揮官であり教官でもあるルイーゼの存在だった。
ヴァルターにとってルイーゼは、窮地から自分を掬い上げてくれる絶対的な「聖母」だった。凛とした横顔、揺るぎない命令。ヴァルターは彼女に、母親に対するような絶対的な信頼を抱いていた。
だが、凍てつく塹壕の中で、ふとした瞬間に彼女が見せる女の翳……、夕暮れの中、母からの手紙を読まずに暖炉へ投げ入れる際の、孤独な横顔。 その「翳」に触れたいと願った瞬間、少年の敬愛は、身を焦がすような恋へと変質したのだ。
「綺麗な人だ」 ヴァルターは、戦火の中で何度もそう呟いた。彼女に相応しい男になりたいと背伸びをし、無理に声を太くして見せる。しかし、幾多の戦場を潜り抜けてきたルイーゼとの「経験値の差」は、埋めようのない断崖となって二人の間に横たわっていた。追いつきたい、けれど決して届かない。その渇望こそが、ヴァルターを死地へと駆り立てる唯一の熱源だった。




