第31話(裏)
――抜かせた、その先
黒鋼は、桜花の鞘走りを見ていた。
音は短く、迷いがない。
「……抜いたか」
それは勝利の合図ではなかった。
まして、計画通りでもない。
ここまで積み上げられた結果だ。
◇
副官が、声を潜める。
「将。
桜花将、剣を抜きました。
これで、戦場は――」
「完成した、か?」
黒鋼は、問い返すように言った。
確かに剣は抜かれた。
だが、それは恐怖でも、圧でもない。
守るために抜かれた剣。
黒鋼が望んだ形とは、わずかに違う。
◇
黒鋼は、ゆっくりと息を吸った。
桜花は、ここまで剣を抜かなかった。
抜かなかった理由を、
人の前で示し続けた。
だからこそ――
今、抜いた剣は重い。
「……抜かせた、というより」
黒鋼は、静かに続ける。
「抜かざるを得ない場所を、共に選んだ」
◇
黒鋼は、馬を進めなかった。
だが、退きもしない。
「全軍、構え」
命令は短い。
しかし、その中身は明確だった。
「押し込むな。
引くな。
――受けろ」
副官が、目を見開く。
「……受ける、のですか」
「そうだ」
黒鋼は、桜花を見据えた。
「ここは、
踏み潰す戦じゃない」
◇
黒鋼は、剣に手をかけた。
だが、抜かない。
桜花は抜いた。
自分は、まだだ。
「……順番がある」
それは、優劣ではない。
役割の違いだ。
桜花の剣は、
守るために抜かれた。
ならば――
黒鋼の剣は。
◇
副官が、低く言う。
「このままでは、
民が――」
「分かっている」
黒鋼は、即答した。
ここは、
桜花が背負った場所。
そして、
自分が背負わされる場所。
「桜花は、
ここで剣を抜いた責任を負う」
黒鋼は、視線を逸らさない。
「ならば俺は、
剣を抜かない責任を負う」
◇
黒鋼は、声を張った。
「この先、
一歩も踏み出すな」
その命令は、
自軍に向けたものだ。
ざわめきが走る。
だが、誰も逆らわない。
「桜花」
名を呼ぶ。
距離はあるが、声は届く。
「お前は、
守るために剣を抜いた」
その事実を、
黒鋼は否定しない。
「ならば俺は、
守るために剣を抜かせない」
◇
風が、再び止まった。
雷鳴は、まだ遠い。
剣は抜かれた。
だが、戦は始まっていない。
この一瞬の均衡は、
どちらかが崩すまで続く。
黒鋼は、静かに思う。
――ここから先は、
勝つための戦ではない。
壊さずに通すための戦だ。
◇
黒鋼は、最後に剣の柄から手を離した。
「……桜花」
声は低く、確かだった。
「お前が抜いた剣の重さ、
俺は、受け取った」
ならば次は、
この戦をどう終わらせるか。
雷は、
もう落ちるかどうかではない。
どこで、誰が、受け止めるか。
それが問われる段階へ、
戦は確実に進んでいた。
《雷哭ノ桜花戦記 ― 表裏双章 ―》は、
同じ話数を「表」と「裏」の二話で構成する戦記です。
表では桜花の視点から戦を描き、
裏では敵将・黒鋼の視点から、
同じ戦の別の意味と判断を描いています。
どちらが正しいかではなく、
それぞれが何を選び、何を背負ったのか。
戦を一方向ではなく、立体的に描くことを目的としています。




