第26話(裏)
――止まれない場所
黒鋼は、遠くに見える市の輪郭を眺めていた。
人の集まる場所。
水と道が交わる場所。
「……ここか」
声は低く、静かだった。
逃げ場のない地点。
切れば前へ進めるが、切った代償は隠しきれない。
副官が、地図を畳みながら言う。
「ここを押さえれば、
進軍は一気に楽になります。
兵站も、人の流れも――」
「分かっている」
黒鋼は遮らず、頷いた。
戦略としては、正しい。
だが、それだけでは足りない。
◇
黒鋼は、ゆっくりと馬を進めた。
急がない。
ここは、急いだ方が負ける場所だ。
「桜花は、必ず先に入る」
それは予測ではなく、確信に近かった。
守れない場所を切ったあと、
彼女は必ず“守らざるを得ない場所”へ立つ。
剣ではなく、
立ち位置で。
「……相変わらずだ」
黒鋼は、わずかに口元を緩めた。
◇
先遣から報が入る。
「桜花軍、展開を遅らせています。
将本人が前に出る動きあり」
「そうか」
想定通りだ。
桜花は、
戦場を作る前に、
“戦場にしない理由”を作る。
それは、
黒鋼にとって最も厄介な手だ。
◇
黒鋼は、馬を止めた。
「全軍、速度を落とせ」
副官が目を見開く。
「……止まるのですか」
「止まらない」
黒鋼は、はっきりと言った。
「止まれない場所だからこそ、
踏み込み方を間違えると、
戦そのものを失う」
ここで剣を抜けば、
桜花の土俵に乗る。
抜かなければ、
前に進めない。
どちらも重い。
◇
黒鋼は、桜花の姿を思い描いた。
剣を抜かず、
人の中に立ち、
先に“守る者”になろうとする女。
「……守る覚悟、か」
それは美しい。
だが同時に、脆い。
守る場所が多くなればなるほど、
選ばなければならない瞬間が増える。
「桜花は、
選ばされることを恐れない」
だからこそ、
黒鋼はその一点を突く。
◇
黒鋼は、副官へ視線を向けた。
「別働隊を出せ」
「どこへ?」
「ここではない場所だ」
副官が息を呑む。
「……市を避けるのですか」
「避けるのではない」
黒鋼は、淡々と続ける。
「市があるから、
他が空く」
守る覚悟は、
常に“他を薄くする”。
◇
命令が走る。
主力は睨み合いを保ったまま、
影のように部隊が動く。
桜花が立つ場所を、
戦場にしないために。
そして――
桜花が立てない場所を、
静かに切るために。
◇
黒鋼は、最後に市を見た。
「……桜花」
低く、名を呼ぶ。
「お前は、
守る場所に立った」
ならば自分は、
その“守りきれない隙間”を示す。
「次は、
お前が“選ばなかった場所”だ」
風が吹き、
市の旗が揺れた。
雷は、まだ落ちない。
だが――
次に落ちる場所は、
すでに動き始めていた。




