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『黒鋼ノ戦旗 ― 奪われた未来を取り戻すために』  (裏)  作者: 田舎のおっさん
第4部

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第二十一話(裏)

――黒鋼は、形を壊さない


 谷へ踏み込んだ瞬間、黒鋼は悟った。

 これは、避けられない場所だと。


 進路は一本。

 両側は切り立った岩壁。

 隊列は自然と伸び、速度は前後でずれる。


「……ここか」


 低く呟く。

 その声に、苛立ちはない。


 桜花は、戦場を作らない。

 だが――

 作らざるを得ない瞬間だけは、決して逃さない。


「前進を止めるな。

 だが、詰めるな」


 黒鋼の命令が、即座に伝わる。


「速度を落とせ。

 後方は押すな。

 中央を潰すな」


 矛盾した命令だ。

 だが、それを理解できる兵だけが、ここにいる。


     ◇


 次の瞬間、谷が鳴った。


 矢が降る。

 岩が落ちる。

 出口が塞がれる。


「……来たな」


 黒鋼は馬を進めない。

 前へも、後ろへも。


 隊列の“詰まり”が生まれる。

 だが、完全な混乱ではない。


「慌てるな!」


 黒鋼の声が、谷に響く。


「止まるな。

 だが、突っ込むな!」


 雷のような奇襲。

 それでも、黒鋼は“形”を保つことを選ぶ。


     ◇


 副官が駆け寄る。


「出口が封鎖されています!

 正面突破は――」


「しない」


 黒鋼は即答した。


「これは、突破戦ではない。

 耐える局面だ」


 桜花は、斬ってこない。

 突っ込んでもこない。


 ただ、崩れるのを待っている。


「……上手い」


 黒鋼は、はっきりと認めた。


「ここで前に出れば、

 彼女の雷が“正面”から落ちる」


 それは、勝てるかもしれない。

 だが、勝ったとしても、

 失うものが大きすぎる。


     ◇


 黒鋼は、外套を翻した。


「後方、五隊。

 左右の岩壁へ取り付け。

 登れるところだけ登れ」


「敵弓兵がいます!」


「承知の上だ」


 正面を押さず、

 側面を崩さず、

 “上”を使う。


 これは突破ではない。

 脱出でもない。


 戦場を、薄める行為だ。


     ◇


 時間が、ゆっくりと流れる。


 矢は尽き始め、

 落石も間隔が空く。


 桜花は、斬ってこない。

 黒鋼は、突っ込まない。


 雷は、まだ落ちない。


「……桜花」


 黒鋼は、谷の奥を見据える。


「お前は、

 俺が前に出るのを待っている」


 そしてそれは、

 彼女が“最も美しく勝つ瞬間”でもある。


     ◇


 黒鋼は、馬上で深く息を吸った。


「ならば──

 今日は、落ちない雷を選ぶ」


 命令は短い。


「全軍、ここで耐えろ。

 夜まで動くな」


 副官が息を呑む。


「……夜まで、ですか」


「そうだ」


 黒鋼は、静かに頷いた。


「雷は、焦れた方に落ちる。

 今日は──

 俺が、焦れない」


     ◇


 谷の中で、時間だけが積み重なっていく。

 戦っているのに、

 決着はつかない。


 桜花は待つ。

 黒鋼は崩さない。


 雷は、まだ空にある。


 だが――

 落ちる場所は、もう決まっている。


 それを、

 互いが理解していることだけが、

 この戦場の唯一の均衡だった。

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