第二十話(裏)
――黒鋼は、曖昧さを拒む
進軍は続いている。
だが、速度は揃っていなかった。
黒鋼は馬上で、前方と側面、そして後方を同時に見ていた。
焚き火の列は分断され、隊列の“流れ”が均一ではない。
「……遅れているな」
副官が即座に答える。
「はい。
敵影が散発的に確認され、
各部隊が進路確認を優先しています。
交戦はほぼありませんが──」
「進めていない」
黒鋼は静かに言った。
桜花は斬っていない。
補給も、決定的には断っていない。
だが、進めない。
「曖昧にされたな」
その言葉に、怒りはない。
ただ、明確な理解があった。
◇
黒鋼は馬を止め、地図を広げる。
敵影が現れた地点。
進路変更が起きた場所。
速度が落ちた区間。
それらを線で結ぶと、一つの輪郭が浮かび上がる。
「……進める場所が、残っていない」
副官が息を呑む。
「包囲……ではありません。
ですが、どこへ進んでも“敵がいるかもしれない”」
「それでいいのだ」
黒鋼は地図を畳んだ。
「桜花は、戦場を作らず、
“前進という行為”そのものを疑わせている」
戦えば勝てる。
退けば立て直せる。
だが、進むという選択だけが、重くなっている。
「……面白い」
黒鋼の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
◇
夕刻、黒鋼は決断した。
「全軍に通達」
低い声が、確実に伝えられる。
「散開をやめる。
進路を一本に束ねる」
副官の目が見開かれた。
「それでは……
桜花将の狙い通り、
戦場を“作る”ことになります」
「そうだ」
黒鋼は頷く。
「曖昧さは、受け入れられるが、
長く抱えるものではない」
進めない状態は、
敗北ではないが、
勝利にも繋がらない。
「ならば、形を与える」
◇
命令は、迅速に実行された。
分散していた部隊が、再び束ねられる。
進路は一つ。
速度も一つ。
敵影が現れても、無視する。
側面を突かれても、応じない。
前へ。
「桜花は、“形を作れば雷が落ちる”と言った」
黒鋼は前を見据える。
「ならば俺は、
雷が落ちると分かっている場所へ進む」
◇
夜。
先遣から報が入る。
「敵の散開部隊、後退を開始。
我が軍の集結を確認した模様です」
「当然だ」
桜花は、ここで“逃げる”はずがない。
だが、散開による揺さぶりは終わる。
「彼女は次に、
もっと明確な“落とし所”を用意する」
副官が、慎重に問う。
「それは……どこでしょうか」
黒鋼は、北嶺の地図上、ある一点を指した。
「ここだ」
指先の場所は、
狭隘で、退路が限られ、
正面衝突を避けられない地形。
「桜花は、
戦場を作らない女だ。
だが──」
低く、確かな声で続ける。
「どうしても作らねばならない瞬間を、
誰よりも正確に知っている」
◇
黒鋼は、外套を翻し、馬を進めた。
「いいだろう、桜花」
その声は、風に紛れて消える。
「曖昧さは終わりだ。
次は──
お前が、雷を落とす番だ」
夜空で、雷が一度だけ強く鳴った。
それは、形を持った戦場が、
間もなく生まれる合図だった。
第四部は、
ついに“衝突の予兆”へと踏み込んでいく。




