第3話(裏) 『霧鋼平原の裏契約 ― 正義は、先に売られる』
――刃向 蓮 視点
霧鋼平原の戦闘が始まった、その同刻。
蓮は、港湾区に張られた《檻》の内側で、
遠くの地鳴りを“遅延音”として聞いていた。
ドゥン……ドゥン……と、
地の底から伝わってくる鈍い振動。
(……始まったな、朔夜)
英雄が、
“新時代の最初の一撃”として振るわれている。
それを、蓮はここから出られないまま、想像で見るしかない。
だが――
今日の本命は、戦場ではない。
背後の空間が、静かに歪んだ。
再び現れたのは、あの調停官だった。
「霧鋼平原、予定通り作戦開始を確認しました」
「……わざわざ報告に来たのか?」
「いいえ。
あなたの“処分保留”に関わる、
重要な契約が結ばれたので」
その言葉に、
蓮の視線が鋭くなる。
「誰と誰が、何を売った?」
調停官は、淡々と告げた。
「黒鋼再編派と、桜花保守派。
“新時代の安定”を条件に――」
「あなたの存在を、
“監視下の生きた抑止力”として共有する契約です」
蓮は、思わず笑った。
「……要するに、
俺を“見せしめの人質”にした、ってわけか」
「ええ。
あなたが自由に動かない限り、
英雄も、象徴も、余計な行動を取らない」
「合理的でしょう?」
(……合理的、ね)
蓮の胸の奥で、
冷たい怒りが、ゆっくりと回り始める。
(……誰よりも“合理”を嫌ったのが、
あの世界だったはずなのにな……)
その瞬間。
蓮の内側で、
また“あの光”が、かすかに揺れた。
微弱な脈動。
心臓の鼓動に重なるような、
不安定な共鳴。
調停官の視線が、
鋭く蓮に突き刺さる。
「……また、反応が出ていますね」
「さあな」
「あなたが呼んでいるのか、
それとも――」
調停官は、言葉を切った。
「あなたではない“誰か”が、
この檻の外側に、
すでに存在しているのか」
その言葉に、
蓮は、はっきりと理解した。
(……ああ……)
(……見つかったな……)
昨日の夜に感じた、
“支配されていない意志”。
それは偶然じゃない。
すでに、この監視網の“誤算”として浮上している。
「……あんたら、“完璧な管理”が売りだったんじゃないのか?」
「完璧は――」
調停官は、少しだけ目を細めた。
「最初から存在していません」
その頃。
霧鋼平原では、
すでに戦闘が“成功”として処理されつつあった。
映像は編集され、
敵の叫びは削られ、
英雄の一撃だけが、
“新時代の希望”として切り取られる。
そしてその裏で、
拘束された生存者の一部が、
秘密裏に黒鋼側へ引き渡されていた。
理由は一つ。
「新時代の“反証実験”に必要だから」
正義は、
戦場よりも先に、
会議室で取引される。
蓮は、フェンス越しに見える空を眺めながら、
低く呟いた。
「……英雄は、
見せしめで――」
「……俺は、
人質かよ」
調停官は、答えない。
答えなくても、
もう十分すぎるほど、答えだった。
だがそのとき――
港湾区のさらに外側、
視界の端で、“意図的に隠された光”が、一瞬だけ瞬いた。
通信も、信号も、ない。
ただ“見られることを拒んだ意志”だけが、
確かにそこにあった。
蓮の口元が、わずかに上がる。
「……なるほど」
「新時代ってのは、
思ったより――
“穴だらけ”らしい」
その夜。
調停官は、上層部へこう報告した。
「刃向蓮、
管理下に保持成功」
「霧鋼平原作戦、
新時代軍の“抑止力”として、
十分な実証効果を確認」
「なお――
檻内部に、
原因不明の共鳴現象を観測」
報告を受けた者たちは、
その最後の一文を、“誤差”として処理した。
だが、蓮だけは知っている。
それが――
新時代の支配構造に開いた、
最初の“ひび割れ”であるということを。




