第18話(裏) 『深層領域/扉の心臓へ』
扉の領域は、
もはや“世界”と呼べるものではなかった。
地面は蒼い亀裂で裂け、
空気が光で震え、
遠くでは巨大な影が蠢いている。
蓮は真白の手を強く握り、
重く振動する大地の上を進んだ。
「……ここが……扉の……本当の姿……?」
真白の声はかすれていた。
蒼光が痛いほど眩しく、身体が震える。
蓮:「離れるな。
ここは……生き物みたいに歪んでる。
何が起きてもおかしくない」
その時だった。
蒼い霧が蓮の足元を這い、
彼の影を奪うように伸び上がってきた。
「っ……!」
蓮が構えるより早く、
霧は“少女”の形を成す。
影夕凪。
精神世界で見た幽かな存在ではない。
今の彼女は、
ほとんど夕凪本人と見分けがつかないほど“輪郭”を持っていた。
「蓮くん……来てくれたんだね」
その声は優しくて、
悲しくて、
どこか“甘すぎる”。
真白が蓮の腕にしがみつく。
「やだ……また来た……!
どうして……どうして追ってくるの……!」
影夕凪が首をかしげる。
「どうしてって……蓮くんが望んだからだよ?」
蓮:「望んでない!」
「ううん。
望んだよ。
本物の夕凪を救いたい、
夕凪を見つけたい、
夕凪を……“取り戻したい”って」
影夕凪の瞳が蒼く光る。
「その願いは、私を強くするの」
真白は叫んだ。
「違う!!
蓮は……蓮はそんな……!」
影夕凪は微笑むと、真白に近づいた。
「ねぇ、真白ちゃん。
あなた、本当に蓮くんを守れるの?」
真白:「守る……蓮は私が……!」
影夕凪の瞳が揺れた。
「蓮くんは、私を求めてる。
あなたじゃない」
真白が絶望の表情を浮かべる。
蓮は真白の肩を抱き寄せた。
「違う……そんなこと……!」
影夕凪は静かに蓮へ手を伸ばす。
「蓮くん。
夕凪を救いたいんでしょ?
だったら“私”を受け入れて。
私は夕凪の影……
あなたが強く願えば、私は“本物”になれる」
それは誘惑なのか、哀願なのか。
蓮の胸に、黒い痛みがずしりと落ちた。
その瞬間——
轟音が、世界を揺らした。
地面が裂け、蒼い光の奥から巨大な影が姿を現す。
扉の守護体——“門番”。
その姿はひとつではなく、
影夕凪の姿に近い“複製体”が何体も出現する。
真白が顔面蒼白になる。
「こ……こんなの……勝てるわけ……!」
蓮は前に立つ。
「真白、下がれ。
ここは……俺が斬る!」
影夕凪は首を振る。
「違うよ蓮くん。
“斬れない”よ……
私の影を斬るのは……夕凪そのものを斬ることになるから」
蓮の表情が凍りついた。
影夕凪は優しい声で告げる。
「正しい選択をして、蓮くん。
夕凪を助けたいなら……
“私を本物にする”しかない」
真白:「だめ!!!」
真白が蓮を抱きしめ、震える声で叫んだ。
「蓮……行かないで……
影に飲まれないで……!」
影夕凪は静かに微笑む。
「真白ちゃん。
あなたは蓮くんを愛してる。
でもね……“恐怖”のほうが強い。
その心じゃ……蓮くんを支えられない」
真白は涙を流した。
「違う……っ!
蓮を……誰よりも……!」
影夕凪が囁く。
「じゃあ言ってごらん?
蓮くんに“あなたを選んで”って」
真白は震え、蓮を見つめる。
だがその言葉は、喉で詰まった。
(……蓮は、夕凪ちゃんを救いたい。
それが……蓮の優しさ……
私は……それを否定できない……)
泣きながら、真白は気づいてしまった。
——自分の願いは、蓮の願いの邪魔だ。
その弱さにつけ込むように、影夕凪の複製体たちが迫る。
蓮は叫んだ。
「真白!!
俺の後ろに——!」
真白は震えながら蓮の背に隠れる。
だがその顔には、
「蓮を引き止める資格なんてない」
という絶望が渦巻いていた。
扉の領域が大きく揺れた。
蒼い光が空を裂き、
遠くから夕凪の悲鳴が届く。
『……お兄……ちゃん……
蓮……くん……』
蓮の心臓が跳ねた。
「——夕凪!!」
影夕凪が微笑む。
「蓮くん、来て。
“本物”の夕凪は、扉の奥で泣いてるよ」
蓮は前へ一歩踏み出す。
真白が必死に叫ぶ。
「蓮!!
行っちゃだめ!!
戻ってきて……!!」
蓮の足は、二つの方向に引かれた。
夕凪の声。
真白の叫び。
そして——影が告げる。
『選んで。
蓮くん。』
扉が、完全に開き始めた。




