6話 谷を操る影 ― 蓮の読み、刃の上
影風谷の奥深く。
黒鋼迎撃部隊が、低く唸る魔導音とともに一斉に展開した。
霧が揺れ、装兵の眼が赤く灯る。
だが――蓮はその中心にいながら、ただ一つの目的しか見ていなかった。
(……迎撃なんて、させない)
敵を倒すのではなく、
“通すための迎撃”に変える。
蓮の手は術式石板の上を素早く滑り、
装兵たちの演算式に微弱なノイズを流し込んだ。
「起動遅延……指示経路をずらす……」
小声で呟きながら、影機関の監視に気付かれないギリギリの調整を続ける。
その結果――
黒鋼の装兵たちは“攻撃する素振り”だけを見せる歪な動きとなった。
突進は遅く、
剣はわざと空を切り、
銃口は狙いから数寸外れる。
蓮は小さく息を吐いた。
(これなら……殺さずに“誘導”だけできる)
しかし背後から、冷たい声が落ちてきた。
「蓮。少し動きが鈍いのではないか?」
宗六の側近、影機関の副長だ。
蓮は表情を変えずに答えた。
「霧が濃い。装兵の視野確保のため、調整を入れています」
「……なるほどな」
副長の目が鋭く蓮の手元を見た。
蓮はその視線に気付かないふりをした。
(危ない……
もう少しで怪しまれるところだった)
◆ 夕凪の悲鳴
その時だった。
谷の奥――黒鋼地下の方向から、蒼い閃光が走った。
ズンッ……
大地が低く震える。
蓮の心臓がきつく締め付けられた。
(……夕凪!)
通信が乱れ飛ぶ。
『巫女、魔導反応上昇!
移送工程第三段階へ移行!』
『結界が保たない!急げ!』
夕凪の声が、蓮の胸の奥にじかに響いたようだった。
『……蓮くん……こわい……』
蓮は無意識に走り出しそうになった。
「蓮や」
宗六の声が、蓮の背中を縫い止めた。
「行っても無駄じゃ。
巫女は今、扉の力と同調しておる。
わしらの手で“開ける”ためにな」
振り返った蓮の顔には、怒りが露骨に滲んでいた。
「……夕凪は“道具”じゃない。
彼女は――」
「黙れ」
宗六の瞳には冷たい光が宿っていた。
「巫女は鍵。
鍵は扉を開けるためにある。
……それだけじゃ」
蓮の拳が震えた。
(こんなやり方で……夕凪を壊させるものか)
◆ 限界の綱渡り
副長が蓮に報告する。
「天城朔夜たち、谷入口に侵入しました。
迎撃部隊、第一波を発動します」
蓮は息を呑んだ。
(来た……!)
霧の向こうで、桜花の影が動く。
朔夜の気配――
風の流れに乗って押し寄せる。
(朔夜……
やっぱり獣道から来てくれたか)
嬉しさと痛みが同時に胸を打つ。
宗六が問う。
「蓮。
お前の読みでは、天城はどこを通る?」
蓮は石板上の地形図を指し示す。
「このルートです。
風向きと地形の読みから、隊列の動きはここへ向かうはず」
宗六は満足げに笑った。
「よかろう。
ならばそこで“仕留めい”」
蓮の心臓が止まりかけた。
(仕留める……?
冗談じゃない)
だが表面上は冷静に答えた。
「迎撃隊に指示を出します」
蓮は影機関の通信端末を握り、
表情を変えないまま、裏で操作する。
――迎撃部隊、攻撃優先度を最低値へ
――誘導行動を最大値に補正
――部隊位置を微調整し、朔夜と“正面衝突しない”ように配置
副長はその指示に首をかしげた。
「……蓮、誘導値が高すぎるように見えるが?」
蓮は一瞬の間もなく答えた。
「霧で視界が悪い。
敵を手元に引き込み、“確実に仕留める”ための誘導です」
副長は納得したように頷いた。
(嘘だ。
これは“逃がす誘導”だ)
心臓が激しく脈打つ。
緊張は限界に近かった。
◆ そして――“彼”が来た
霧の中、風が揺れた。
ヒュウ……
蓮は息を止めた。
(……来た)
足音も声もない。
だが分かる。
朔夜の“読み”が、
風を切り裂いて迫ってくる。
蓮は谷の奥へ一歩踏み込む。
胸が熱い。
苦しい。
叫びたくなる。
(朔夜……
ここまで来てくれて……ありがとう)
だが、同時に理解した。
(次で……必ず“会う”)
宗六の命令、
黒鋼の迎撃網、
夕凪の移送。
すべてが交差する“その場所”で――
二人は再び、敵として対峙することになる。
影風谷の奥で、蓮は静かに剣を抜いた。
(朔夜。
俺は……お前を守るために、
今ここに立つ)
谷風が蒼く揺れた。
夜明けの気配が、
戦いの開始を告げようとしていた。




