第1話 蒼光残響 ― 黒鋼、動き出す影
蒼い光の余韻は、まだ大陸の地下深くに残っていた。
黒鋼連邦・第七研究区。
厚い鋼鉄壁で覆われた扉の間は、本来なら常温で静かであるはずだった。
だが今は――まるで巨大な心臓の中にいるように、低い脈動音が響いていた。
――ドゥン……
――ドゥン……
――ドゥン……!
黒鋼の技術者や兵たちが慌ただしく走り回る中、
刃向蓮は、一人、結界室の前に立ち尽くしていた。
床に落ちる蒼光は、まだ淡く揺らめいている。
(夕凪……)
結界の中、夕凪は白い寝台に横たわっていた。
目を閉じているのに、呼吸に合わせて胸が淡く蒼く光る。
まるで彼女自身が《扉》の一部になってしまったように。
蓮は震える手で結界壁に触れた。
(……兄さんの声、聞こえてたんだよな?
あれは、お前の願いが……夕凪を動かしたんだ)
昨夜の蒼光。
夕凪が覚醒した瞬間、蓮は感じた。
遠く、桜花帝国の方向から――
たしかに朔夜の気配が、脈のように響いてきた。
懐かしくて、痛くて。
手を伸ばせば届きそうだった。
「蓮」
低く乾いた声が、背後から落ちた。
宗六だ。
背筋が自然と緊張する。
老人は、蒼光の揺らぎを受けながらも、薄く笑っていた。
「昨夜の光……見事じゃったろう。
ついに《扉》が“目を覚まし始めた”」
「……夕凪を、これ以上使うつもりですか」
蓮の声は震えていた。
だが怒りではない。
恐怖でもない。
それは、耐えても耐えきれない焦燥。
宗六は気にも留めないように答える。
「使う? 違う違う。
巫女は扉と共に在る。
扉が動けば、巫女も動く。
それが“正しい形”じゃよ」
蓮は歯を食いしばった。
「夕凪は、まだ耐えられない……!
昨夜の光で、体も精神も限界に近かった。
これ以上干渉を強めれば――」
宗六が手を振り、蓮の言葉を遮る。
「心配するな。
巫女は壊れんよ。
壊れるのは……
巫女を止めようとする者の方じゃ」
蓮は、一瞬呼吸を忘れた。
(……朔夜)
宗六の口ぶりは、まるで兄妹の心の結びつきを知っているかのようだ。
老人は続けた。
「今、桜花帝国は揺れ始めた。
蒼い光の意味を必死に探っている。
――揺れている“人間”が一人、おるからな」
蓮の心臓が跳ねた。
「……朔夜に……手を出すつもりですか」
「手を出す? 違う。
揺らすだけじゃ。
お前が前回やったように」
蓮の拳が音もなく震えた。
霧の戦場で朔夜に“姿だけ”見せたあの夜。
あれは蓮の意思ではなく、宗六の命令だった。
朔夜を殺すな、ただ揺らせ、と。
「蓮。
次はもっと深く揺らせ」
宗六の声は、どこまでも冷たかった。
「兄と妹、そしてお前。
三つの心が揺れれば揺れるほど……
扉は動く」
(宗六様……
あんたは……俺たち三人を……)
蓮の胸で、叫びが爆ぜた。
(道具としか……見てないのか……!)
老人は蓮の沈黙を愉しむように、背を向ける。
「黒鋼軍は、近日中に前線へ兵を動かす。
帝国の動きも必ず変わる。
その前に――夕凪を“移送”する」
「……どこへ」
宗六は振り向き、薄い笑みを浮かべた。
「扉のすぐ傍じゃよ」
蓮は叫びそうになる声を必死で押し殺した。
(そんなことをしたら……夕凪は……)
宗六は去っていく。
扉の間の扉が重い音を立てて閉じた。
残された蓮は、ゆっくりと夕凪の寝台に視線を戻した。
夕凪の胸の光は、まだ弱々しく脈を打っている。
(夕凪……
お前を、絶対に渡さない。
朔夜……
次に会うとき、俺は……
本当に“敵”でいられるか分からない)
蒼い残光が、結界の中で揺れた。
蓮の心は、もう決まっていた。
黒鋼を裏切る。
宗六を出し抜く。
夕凪と朔夜、二人のために。
だがその道が、どれほど危険か。
そして、それが新たな戦いの火種になることを。
蓮はまだ知らなかった。
影機関の暗い廊下で、
蒼風の前兆が、静かに吹き始めていた。




