第十話 蠢動する影 ― 《扉》の鼓動と、蓮へ下される決断
黒鋼連邦・蒸気塔第七管制区。
地下深く、黒い蒸気が脈動する区画で、
巨大な円形の装置が低く唸り始めていた。
古代兵器《扉》――
その“模造起動炉”が、初めて脈動を見せた。
円環の縁が淡く紫に光り、
蒸気よりも冷たい風が吹き抜けた。
「……始まったか」
宗六が暗闇の中で目を細めた。
その光は、彼にとって
“待ち望んだ未来の証”だった。
そしてその光は――
蓮の胸に重い緊張を落とす。
斜め後ろに立つ蓮は、
光に照らされながら唇を噛みしめる。
(これが……《扉》……
夕凪の力は……本当にこれを起動するために……?)
宗六がゆっくり振り返った。
「蓮よ。
《扉》の脈動は、夕凪の感応があってこそ」
蓮の胸が痛んだ。
「夕凪は……苦しんでいませんか?」
宗六は静かに微笑む。
「苦しんではおらぬ。
力が“呼応”し始めておるだけだ」
その言葉は一見穏やかに聞こえるが、
蓮には――
夕凪の命が削られているようにしか聞こえなかった。
(夕凪……
大丈夫なのか……)
宗六は続ける。
「さて、蓮よ。
次はお前の番だ」
蓮は息を呑む。
(……やっぱり来た)
宗六の声は穏やかだが、
その中に“絶対命令”の冷たさが潜んでいた。
「桜花は次の作戦を準備している。
天城朔夜は参謀として覚醒しつつある。
黒鋼にとって最大の脅威となる前に――
“揺らせ”」
蓮の拳が震えた。
「……どこまで、揺らすんですか」
宗六の目が細く光る。
「折れずともよい。
だが迷わせよ。
惹かせよ。
心を乱せよ。
ただし――
朔夜を死なせてはならん」
蓮は目を見開いた。
(死なせては……ならない?
それは……宗六様の本音なのか?
それとも……僕を縛るための鎖……?)
宗六の方から歩み寄り、
蓮の肩にそっと手を置く。
「蓮よ……
お前は、朔夜を憎んではおらぬのだろう?」
「……憎んでいません」
「夕凪を救いたいか?」
「はい……!」
「ならば、朔夜を“敵として迷わせる”のだ。
お前が彼を救える唯一の道じゃ」
蓮の胸がざわついた。
(僕が……朔夜を救う……?
迷わせることで……?
そんな……)
でも、夕凪のためなら――
朔夜のためなら――
それも“正義”なのかもしれない。
そう思おうとした。
だが心は叫んでいた。
(嘘だ……!
本当は……誰も夕凪を救おうとしていない!
朔夜も、夕凪も……
宗六様に利用されているだけだ……!)
それでも蓮は、
その叫びを押し殺した。
なぜなら――
夕凪のあの涙が、耳から離れなかったから。
(夕凪は……
兄さんに会いたがっていた……
兄さんは敵じゃない、と泣いていた……
僕が……何とかしないと……)
足元の床が揺れた。
《扉》の模造炉が脈動を増したのだ。
宗六はそれを“喜び”として見つめていた。
「起動は近い。
鍵は揃いつつある。
あとは“心の隙”が必要なのだ」
蓮の胸が凍りつく。
(……それが、僕の役目……
朔夜の心を……折る手前まで揺らす――
そんな役目が……本当に正しいのか……?)
背後から灰鴫が現れる。
「蓮。
次の戦場、お前に《影渡り班》の同行をつける。
朔夜を逃さぬためだ」
蓮は震える声で答えた。
「……了解しました」
(朔夜……
もう……逃げられないんだ……
僕も……)
その夜。
蓮は研究区の地下へ足を運んだ。
結界の中で、夕凪が小さく座っていた。
「夕凪……」
夕凪は顔を上げ、
涙の跡が残る目で蓮を見つめた。
「蓮……兄さん……本当に、生きてる……?」
「生きてるよ。
戦ってる。
強くなってる」
夕凪の瞳が光る。
「兄さん……会える……?
私……会いたい……!」
蓮は喉を詰まらせた。
(会わせてあげたい……!!
でも……朔夜を揺らすために
“会わせない”ことが黒鋼の作戦……
それを裏切れば……夕凪が危ない……)
唇を噛んだまま、蓮は言った。
「夕凪……
兄さんは必ず、君のところへ来る。
だから……もう少しだけ、耐えて……」
夕凪は震えながら頷いた。
「……うん……!」
蓮の胸が締め付けられる。
(夕凪……
君を救うために……
朔夜を揺らす――
そんな道しか、本当に残されていないのか……?)
蒸気塔の奥で、
《扉》の脈動がますます強まる。
蓮の迷いも、影も、痛みも、
すべてその脈動に吸い寄せられるように揺れていた。




