第九話 影の中の真実 ― 刺客の刃と、揺らぐ未来
黒鋼連邦・前線基地。
蒸気の白煙が夜空に溶け、
蒼い魔導灯だけが静かに脈打っていた。
蓮は見張り塔の外に立ち、
遠くの霧を見つめていた。
(朔夜……
本当に……あの刺客に狙われたのか?)
影機関の任務が実行されたと聞いたのは、
たった今のことだった。
“天城朔夜・参謀暗殺任務――完了ならず。”
蓮は、胸を掴まれるような苦痛を覚えた。
(無事だった……
それだけで……良かった……)
だが、安堵の後に来るのは、もっと重い現実だ。
(どうして……殺されなかった?
影機関が本気を出せば、絶対に外さないはずなのに……)
その答えを知っているのは、
影機関の隊長・灰鴫だけだ。
足音がして、背後から低い声が聞こえた。
「……ここにいたか、蓮」
蓮が振り返ると、
灰鴫が静かに立っていた。
黒い面頬の奥から視線を向け、
淡々と告げる。
「天城朔夜は生存している。
影機関の任務は“試し”だ」
「やっぱり……わざと外したんですね」
「そうだ」
灰鴫は感情のない声で続ける。
「朔夜の反応速度、判断力、護衛の動き……
桜花参謀本部の“価値”を測るためだ」
蓮の喉が締め付けられた。
(朔夜は……ただの標的じゃない。
黒鋼にとって“危険な存在”だ……)
灰鴫は続ける。
「そしてもうひとつ。
朔夜の心を揺らす――これが最大の目的だった」
「……僕のせい、ですか」
「その通りだ」
灰鴫は淡々と言い切る。
「奴はお前の“読み”に反応した。
潜在意識のどこかで、
“刃向蓮が生きている”と気づき始めている」
蓮は拳を強く握った。
(朔夜……気づいたんだ……
僕が生きていることに……)
胸の奥が熱い。
けれど、その熱は痛みでもあった。
灰鴫が淡々と告げる。
「次の作戦で、お前は“朔夜の心を揺らす”任務に入る。
奴の判断力を乱し、戦術精度を落とす。
殺す必要はない――ただ迷わせればいい」
「……それが、本当に夕凪のためになるんですか」
灰鴫は首を少し傾ける。
「黒鋼に従わぬ限り、夕凪の未来は開けぬ。
我らは《扉》を開き、世界を変える。
巫女の力は、そのために必要だ」
(夕凪がまた“利用”される……
桜花でも、黒鋼でも……
誰も夕凪を本当に守れていない――)
その瞬間、蓮の中で何かがきしむ音がした。
その頃――
黒鋼第七研究区の地下。
夕凪は、
監視官が置いていった記事を震える手で握っていた。
『桜花帝国 参謀・天城朔夜、桜雷作戦を勝利へ導く』
兄の名。
兄の活躍。
兄の無事。
「兄さん……生きてる……!」
熱い涙が次々とこぼれる。
しかしすぐ、
監視官の冷たい声が脳裏によみがえった。
『兄は、黒鋼の敵だ』
「違う……そんなはず……ない……」
夕凪は両手で耳を塞いだ。
震える肩。
こぼれる嗚咽。
(兄さん……
私……どうすれば……)
結界の中で、
小さな光だけが彼女を照らしていた。
蓮が研究区に戻った時、
宗六が待っていた。
老人は穏やかな笑みを浮かべ、
蓮の肩に手を置く。
「蓮よ。
お前は夕凪を救いたいと願っておるな?」
「……はい。でも……
黒鋼は……夕凪を……」
「利用するだけだ、と言いたいか?」
蓮は黙った。
宗六は静かに言葉を重ねる。
「世界を変えるには力がいる。
その力を持つのが《扉》、
そして夕凪は“鍵”じゃ」
「でも……夕凪は人間です。
道具じゃない……!」
宗六は蓮の手を包みこむように握った。
「だからこそ、お前が救うのだ。
朔夜も、夕凪も。
そのためには黒鋼に力がなければならん」
蓮の胸にまた痛みが走る。
(朔夜を救うために……夕凪を守るために……
僕は……何を選べばいい?)
宗六は囁くように言う。
「次の戦場で、朔夜の心を揺らせ。
迷わせ、立ち止まらせよ。
その“隙”が、夕凪を救う一歩になる」
蓮は震える拳を握りしめ――
覚悟を決めた。
「……僕に、任せてください」
宗六は満足げに笑った。
「良い。
では、夕凪に会っておけ」
蓮の心臓が跳ねた。
「――え?」
「お前の顔を見れば、
あの子も少しは落ち着くじゃろう」
蓮は息を呑んだまま、研究区の奥へ向かった。
胸が苦しい。
足が重い。
そして結界の前に立った時――
「……蓮、なの……?」
夕凪が震える声で呼んだ。
蓮の胸が張り裂けた。
「夕凪……」
その瞳は涙で濡れ、
真っ赤に腫れていた。
「兄さん……生きてるの……?
本当に……?」
蓮は小さく頷いた。
「生きてるよ。
強くなってる。
でも……今は敵同士なんだ」
夕凪の表情が崩れる。
「そんなの……いや……
兄さんは敵じゃない……!!」
蓮は結界越しに拳を握った。
(夕凪……
君を救うには……
朔夜の心を揺らすしか……)
蓮は言えなかった。
ただ涙をこぼす夕凪のそばで、
ひたすら立ち尽くした。
蒸気塔の低い響きが、
蓮の迷いを嘲笑うように地下室に響き渡った。




