藤のある庭 7
「翠!?」
「華椰を放ってはおけない。
学校へ通うことが、華椰と2人だけで暮らすことに対する叔父たちからの条件だったが……教室にいてもずっと華椰が心配で、もし僕のいない間に倒れていたらと思うと、教育というものがひどく憎く思えてくるんだ。教師も、校舎も、そこに通ううっとうしい者たちも。
華椰はまともに教育を受けたことがないんだ。あの病気では、大勢の人との生活は無理だから。
でも、何の支障もきたしてないだろう?
生きることに教育など必要としない。学校などわずらわしいだけだ。
これは華椰の頼みでもあったんだけれど……もう、限界だ」
そうして私に向け、その優美な面を寄せ、ささやいた。
「僕はもうじき死ぬのさ。前に言ったとおりにね」
「翠……」
「ただ、和明。きみと会えなくなるのは、少し残念だね。華椰も僕の話すきみを気に入ってたみたいだし、とても残念なんだけれど。
ああでも和明、僕も、きみをわりと気に入っていたよ」
ささやく。
かすかに。
そしてゆっくりと近付いた面は、わずかに傾き。
柵ごしに、その唇を私によせた。
唇同士が触れ合う。
不思議と、気持ち悪いという思いはなかった。
ほんの瞬間的なものだったし(少なくとも私にはそう感じられる短さだった)、この幻想的な庭では、それが異常な出来事とは到底思えなかったのだ。
ここは翠の庭。
翠の思いのみの……それは間違いなく私の属している世界とは全く異質の、隔絶した空間であるのだ。
そして、ひどく距離を感じながらもその実薄幕のみで遮られているような、そんな不安定さで胸の詰まる、もろい空間。
私は、そんな場所があるという事実に恐怖しながらも、惹かれる心をどうしても否定し切れず、食い入るように翠を見つめていた。
「じゃ、ね、和明。
華椰に僕の嘘だと言わなかったね。それだけは、礼を言うよ。
最後の最後で僕を失望させないでいてくれて、ありがとう」
翠は庭を真っ直に駆けて行き、開いた扉の影で待っていた華椰さんにほほ笑みかけると、そのまま彼女の肩を抱いて中へ入って見えなくなった。
そうして言葉どおり翠は退学し……私は、あの日以来、ずっと考え続けることとなったのだった。
翠はなぜ私にあんなことを言ったのか。
なぜ、翠は死ななければならないと思っているのか。
そしてそのことにより、翠は私に何を求めていたのか。
翠が華椰という姉をとても愛しているのは、一目見て分かった。
がしかし、ただ1人の姉とはいえ、あそこまで献身的に尽くして、翠への報いはあるのか?
華椰さんは、遠からず死ぬのだろう。
その時がきたら、はたしてこれまでずっと自身より姉を優先してきた翠は、自らのために生きることができるのだろうか。
『僕は死ぬよ』
翠はささやく。
嘆くように、私の耳元に。
そして口付ける。
私の唇に。
病的なまでに閉鎖された、まやかしの空間でしか生きられない出来事。
閉ざされた世界。
どこかが歪んだ……先のない、限られた……。
ああ、翠は一体何を思って、あの屋敷にいるのだろうか。
1日、1分、1秒、『その時』が近づいてくるのを感じながら、あの無邪気なひとの傍らで……。
私は、それ以上考え続けることがどうしてもできずに、それゆえのわずらわしさで、ついには翠自体を乱暴に投げやっていた。
到底私などに翠のことを慮かることなどできようか?
翠が目の前にいたときでさえ、その孤高さには閉口していたというのに。
かくして私は、翠をわざと蚊帳の外に置き、雨ざらしの日々でも拾うことなく、みすぼらしく見えない心の隅へと追いやって、無視し続けてきたのだった。
自分にとって考えあぐねる、手にあまることではないかという、劣等感からの腹立たしさで。




