藤のある庭 5
そこには、1人の女性がいた。
翠となんらかの関係があることは、庭にいる姿を見なくとも分かったことだ。
たとえ町ですれ違うだけだったとしても、たとえ気付かない者がいたとしても、翠をだれよりも近くで見ていた私なら分かる。
それほどの微妙さで、翠ととてもよく似た女性だった。
あいにくと女性のいたのは街角などではなく、翠の家の庭園でだったのだけれど。
その女性は、かすかに歌を口ずさみながら、蔓薔薇の垣根の前で舞っていた。
2分程度に咲いた、花も初めの藤の庭。
その色を補うように植えられたらしい蔓薔薇は満開している。そして、女性の手を痛めないようにという配慮からか、垣根の間を縫うように走っている小路は、絶妙に手入れが行き届いていた。
行き過ぎなのではないかと思えるくらいに。
家屋は西洋の造りで、屋敷と呼べるほどに大きく、巨圧感がした。
ただ、静謐という言葉ですらどうしてもごまかせない、寂しさのようなものがあるのがどこかひっかかる、そんな豪邸だった。
「あなた」
女性は真鍮の柵越しに見惚れていた私に気付くと、無邪気にそう言って近付いてきた。
「どうかしたの? この家に何かご用事?」
私はといえば、すっかり緊張していて、すぐに言葉を返せなかった。
今考えればあまりにも愚かで恥ずかしく。
だが実際、このときのこの女性の美しさは、翠にかなわないまでもあやしく、優艶であったのだ。
薄紅の夕焼けの空一面に広がる、軽く、結いまとめた髪。
すべての棘を取り払われている薔薇の花束を右手に、先まで摘んでいた薔薇の枝を左手に、その女性はさらに私へと顔を寄せた。
「……あの、僕、は……」
「ああ! あなた、翠惟のお友達ね? そうでしょう?
和明さん。そうね?
ね、そうでなくては許さないわよ。この屋敷しかない、こんな路地の奥まで来ては。
あなたが和明さんなのね。翠惟のお友達の」
早口にそうまくし立てると、きゃらきゃらと子どもっぽく笑った。
病的なほどに青白い肌の下で、紅をさしてあるふうでもない、整った唇で。
「……………そうです」
私は、あどけないとさえ言える女性の様子に調子を崩されながらも答えた。
「で、あの、翠は……」
「ええ、翠惟ね。あの子なら中よ。上着を取りに行ってくれたの。もう夕方の風だからって。
もうすぐ来ると思うわ。
それより。あらあら。どうかしたの? 制服など着て。やはり翠の言うとおり、和明さんって真面目でいらっしゃるのね。固そうには見えないけれど。
ああ、翠惟がいつも話してくれるのよ、学び舎でのこと。和明さんのことなんかも。
ええ、もちろんすべてだと思うわ。あの子は私に嘘などついたことは1度だってないんですもの。
ああ、和明さん。あなた自身がこうして正確に1つ、翠惟の正しさを証明してくれましたわ。
和明さんはとても真面目でいらっしゃるの。こんな、休みの日にまで制服を着てらっしゃるのだもの」
くすくすと笑う彼女の言葉に、私は当惑を感じた。
今日は休みなどではないからだ。
翠が嘘をついたに違いない。
そしてこの女性は、それを信じ切っているようだった。
やがて、彼女の物だろう、桃色の上着を腕にかけた翠が現われて、こちらへ駆け寄ってきた。
「華椰。さあこれを着て」
かやり。
それがこの女性の名前らしい。
翠の声に反応した女性が身を捩って振り返る。そうすることで、それまで彼女の身で隠されていた私の姿は、翠の目に触れるところになってしまった。




