第七話
「いるなら、出てきて下さいよ」
郵便屋さんは、半ば憮然としながら言った。
「こういうの、保管期限が過ぎたら送り主の方のところに戻すんですけど、これって全部あなたが送り主でしょう。受けとってもらわないと困ります」
むっとした。
だってわたしは、送り主じゃないもん。
「これ、わたしが出したんじゃありません」
「冗談はやめて下さい。じゃあ、誰が出したっていうんですか」
郵便屋さんも、一歩も引く気はないらしい。目に力を入れて、わたしを睨む。
「さあ。開けてみましょうか? こんな手紙、自分に出すわけありませんから」
わたしはクロックスのサンダルを素早く履いて廊下へ。ダンボールの塊を一つ持ち上げ、その梱包を殴るように開けた。
もちろん、出てくるのは一通の手紙。
郵便屋さんの方を向けて封を切る――と。
『こんな手紙に騙されて、バカじゃない?』
血の気が引いた。
なに……これ?
わたしは次のダンボールを破る。
次も、次も、次も。
だけど全ての手紙の内容は、これまでとは完全に質を異にしていた。
『自分の行動を監視されて、変だと思わなかったの?』
『美紗子ちゃんは単純だね。だから男に遊ばれるんだよ』
眼球の血管が脈動した。ふらりと後方へ移動し、玄関マットに腰を落とす。すぐさま郵便屋さんが寄ってきて「大丈夫ですか!?」と訊いてきたけど、その声はサランラップ一枚を隔てたようにくぐもっていた。
「わかりました。わかりましたよ。これは、あなたが出したんじゃない」
そう。
そうだよ。
わたしが出したんじゃない。
誰かがわたしのことを見張っていて、逐一手紙で報告してきたんだ。
「誰なんです。警察に言った方がいいんじゃないですか」
そうだ、そういう可能性も考えた。あるいは、差出人が病院や大学関係の人だっていう選択肢も。
だけど情報がタイムリーすぎる。
肺炎も治り、前期試験も終わり、なおかつ、あの合コンの翌日には先日の内容がしたためられていたんだ。こんなの、わたしの後ろをついて歩いている人が書いたとしか思えない。
だけど、そこで。
思い当たった。
わたしと、ずっと接してきた人が、一人だけいる。
「……あなたでしょ」
わたしは、幽霊のように緩慢な仕草で人差し指を向けた。
「郵便屋さんしか考えられない。これ、全部あなたがつくって送ったんでしょ」
「僕がですか?」
「ああ、そっか。そうだったの。いつもあなたが担当の時だけ届くっていうのは、そういうわけだったのね……」
「違いますよ」
郵便屋さんは、わたしを諭すように言った。
そして、腰のポーチから電卓みたいな機械を取り出す。
「この番号の当日受付時刻がここ。僕の配送記録が、ここから始まってここまで。これは証明にも使うから自動印字です。この小包はたしかに受付を通っていますし、僕は今日、こんな小包をつくる時間はありませんでした。だいいちこれだけ仕事をしていて、あなたを見張る時間がどこにあるというんですか」
最後の可能性すらも、容易く否定された。
呆気にとられるわたしを尻目に、郵便屋さんは一つの小包を探して持ってくる。
「これ、今日のぶんですよね」
わたしは黙ったまま、ダンボールを開ける機械のように封を切る。
その手紙には、励ましでもなく、悪口でもなく、たったの五文字が書かれていた。
『ありがとう』
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
差出人のわからない手紙が届き。
その手紙はわたしをタイムリーに観察していて。
励まし、それでいて注意はしてくれず。
馬鹿にした挙げ句、最後には短いお礼を述べる。
「なんなのよ、これ……」
ボールの跳ねる音がした。どこかの家の子供がマンションの壁にボールをぶつけて遊んでいるらしい。わたしにもあんな頃があった。だけど、迷って迷ってここまでたどり着き。全てが明瞭になると思った大人の一歩手前で、今もわたしは見えない水を必死にかき分けている。
「これ、差し上げます」
そう言って、郵便屋さんがポケットから取り出したのは、丹色の球だった。球同士は紐で繋がり、一つの円環を形成している。
「本物じゃないんですけど、紅玉髄を模したブレスレットです」
「紅玉髄……」
「横文字でいえば、カーネリアン。ゲームセンターの景品で失礼ですが、どうぞ」
郵便屋さんはわたしにブレスレットを握らせた。
それから照れくさそうに手を離し、そのまま鼻の下を軽くこする。
「カーネリアンの石言葉は『友情』です。その手紙はあなたのことをよく見てた。あなたのことが嫌いだったら、こんなに送りはしませんよ。だから、差出人はあなたに友情を感じていた。そう考えたら、ちょっと素敵だと思いませんか?」
うーん、とわたしは首をひねった。
友情……なのかな、これは?
でも、それでいいのかも。
世の中にある全てのことを良いふうに解釈するなんて、ちょっと粋かもしれない。
両肩に乗っかっていた重りがポロンととれたように感じた。
「じゃあ」
わたしは、頭を小さく揺らし、息を整える。
「郵便屋さんとも、友達になっちゃうかもですね」
途端、郵便屋さんの頬に小さな紅がかかった。
「そういうことです」
彼の笑みには、秋風が似合った。
匂いの粒をたっぷりと詰めこんで、遠い昔を思い出させてくれる風。
わたしは、大人になるのは、もうちょっとゆっくりでもいいんじゃないかと思う。
その日以降。
わたしに、小包が届くことはなかった。
クリスマスが近づく街には、赤色と電飾が目立ち始めている。




