第六幕 マイアのハッピーエンド
この国で一番の、格式高い教会がその偉業を誇示するかのようにそびえ立っている。
マイア・ラグドールはこだわっていた。
いかなるバッドも許さない、パーフェクトハッピーエンドに。
(もうすぐ鐘が鳴る)
時計の針が正午へと揃おうとしていた。
ゲルディーナ・ブラッドウェルの最高の未来を指し示すために。
マイア・ラグドールのパーフェクトハッピーエンドを祝うために。
(ついに来たわ。小説のラストシーン)
マイア対ゲルディーナ。
終章。
ゲルディーナの悪事を全て叶えた上で、マイアがハッピーエンドに変える。
99回目の正直。
そしてついに始まるのだ。
ラストシーンを超えた日常が。
THE END.には絶対させない。
99回に及ぶ巻き戻りで、マイアには分かっていた。
何の悪事も起こせないでハッピーにしても、それをゲルディーナ・ブラッドウェルは決して認めない。
時は必ず巻き戻ってしまう。
彼女は何よりも断罪を望んでいるようだったから、断崖で断罪は外してはいけないだろうと考えた。
小説の土台を変えることは、良くなかったとマイアは反省している。
今までの終わりから見えていることは三つ。
一つ、ゲルディーナが命を落とし、マイアが納得しないと断罪の日の真夜中に時が巻き戻る。
二つ、ゲルディーナとマイアが同時に命を落とすとその場で時が巻き戻る。
三つ、ゲルディーナが断罪に納得していないと、断罪の日の真夜中に時が巻き戻る。
(私たちが二人とも納得するというのが条件な気がする・・・)
どちらが勝っても負けても、その結果に文句が出なければクリア、なのだろうとマイアは考えた。
故に、ゲルディーナには自由に生き生きと悪逆非道をしてもらい、実は・・・という筋書きがベストだ。
悪事のち、断罪のち、最後は晴れ晴れしく王妃の席についてもらう、というのがマイアの導き出した答えなのであった。
(やっぱり、王子様と一緒がいいんじゃないかなって思う!・・・でも)
結局一度も友達になれなかった。
(ホントは、ゲルディーナと仲良くなりたかったな)
わずかに痛む心の声は無視する。
そして、第一王子殿下が舞踏会の場で冤罪を擦り付けられたとき、混乱に乗じて誰にも気づかれぬよう彼の身を隠し、悪事の中身を精査した。その後すぐに降りかかってきたラグドール家最大の危機、王家への謀反疑惑を解決しながらも表向きは没落のように見せかけ、絶対にゲルディーナ・ブラッドウェルに気づかれないように手をまわした。
最終局面で、自分がでっぷりと体格の良い極悪伯爵様に嫁がされそうになったときは、なぜ伯爵がそう言われるようになってしまったのか調べて、伯爵の歪んでしまった道筋を正した。
もともと悪い人でなかったのは幸いである。
今回は完璧だわ!!
表向きは一つもハッピーでない状態になっているが、裏ではみんな生きている。
マイアは勝利を確信した。
己の力を過信した。
彼女が封筒に”マイア・ラグドール”と書いたのは強がりではない。
ただの真実である。
実は伯爵令嬢のままという。
ブラッドウェル公爵家の人々も、誰も罰を受けてはいない。
すでにゲルディーナがこの国を救うために今までの事件を起こしていたのだと、秘密裏にマイアが説得工作を完了している。
王族から王国の民にいたるまで、宣伝済みだ。
最後のシーンを飾るため、皆はそろそろ教会に勢揃っているはずだった。
*
昨晩。
ゲルディーナが断罪する場へ招待する手紙を読んでいる時、マイアはその様子を直に見ていた。
手紙を置き、部屋の一角にある箪笥へ潜んでいたのである。
寂しそうに、静かな決意を浮かばせたゲルディーナは、月明かりに照らされてもうほとんど女神だった。
(誰も、悲しい結末を迎えないわ。ゲルディーナ)
心の中で声をかけた。
ゲルディーナも悪事はやり切ったのだろうから、マイアがやり切ってもきっと清々しい表情でこの結末を受け入れてくれるだろう。
*
マイアは自らが崖の突端に近い場所を陣取った。
最後の布石である。
ゲルディーナに崖下へのダイブはさせない腹積もりであった。
黒いドレスに身を包んだゲルディーナは、マイアの姿を認めると一瞬怪訝な表情を浮かべる。
「素敵な招待状をありがとう。マイア・キャリコ伯爵夫人」
が、とりあえず物語を進めることにしたようだった。
(その名前にはなっていないのよ、ゲルディーナ)
マイアはきりっとした表情のままゲルディーナを見つめる。
「いらしてくださって嬉しいわ。ゲルディーナ・ブラッドウェル公爵令嬢」
正面切って初めて彼女の名前を呼べたと、心の中だけで浮足立った。
「黒幕が分かったのかしら?賢い方ね」
小説の通りのセリフだった。
(私もそうするわ)
マイアはそれには答えずこう聞く。
「なぜ、あんなことを?」
「フフフ・・・。それは誰にも教えない」
ゲルディーナはまっすぐマイアへ向かって歩く。
強引に崖下ダイブに踏み込むつもりだとマイアには分かっていた。
「貴女にも、この謎は永遠に解けないわ」
証明するかのように、公爵令嬢はぐっとヒールに力を込める。
飛ぶ準備は万端のようだった。
「いいえ、教えていただきますわ」
マイアは片手をすっと挙げる。
意表を突かれたゲルディーナは、勢いを削がれて立ち止まった。
「?」
「この後、貴女自身にね」
「ゲルディーナ!!」
どこから現れたのか、第一王子クライド・キャストライトがゲルディーナの身体を抱きしめてダイブを阻止した。
「なっ!?」
「もう大丈夫だ」
宰相の息子に、伯爵の嫡男に、大商人の息子が万全の布陣で脇を固める。
「貴女は、本当の黒幕を装って民の元へ殿下を送ったのね」
マイアは悲痛な表情をたたえてゲルディーナを見つめた。
「帝国の侵略を阻止するために」
「ウソ!ウソよ!!!」
「公爵家を犠牲にしてまで、貴女はそれに気づかせようとしていた」
ゲルディーナ・ブラッドウェルは小さな子供がいやいやをするように、頭を激しく左右に振った。
「私じゃない!!」
それをしたのはゲルディーナではない。彼女自身が一番よく知っている。
帝国をそそのかしたのはゲルディーナだったから。
(私は悪事を働いて、断罪されたかっただけよ!!)
見開かれたその瞳には、彼女がこの世で最も恐れている<少女>の姿が映っていた。
「私はそんなこと、やっていない!!!」
(なんで?なんでこうなったの!?)
ゲルディーナ・ブラッドウェル公爵令嬢は恐怖した。
何か、手に負えぬ巨大な力が己を締め付けているかのような幻が見える。
彼女は確かに宰相を陥れたはずだった。
障壁になりそうな婚約者第一王子に不正を擦なすり付けたはずだった。
優秀な侯爵令息、勇気ある伯爵令息、賢い大商人の跡継ぎ。
自分でも恐ろしく感じるほどにど汚い手を使って、全部全部退けたはずだったのに!!!
彼らの愛するマイア・ラグドール伯爵令嬢すらも・・・。
(セオリー通りに、でっぷり肥えた伯爵の後妻へねじ込んだはずなのに!!!!!)
訳も分からず体が震えだす。
(どうして!?)
「ゲルディーナ・・・。君が国と民を思ってやっていたことは調べがついている」
<元>にしたはずの婚約者。
「キャストライト殿下・・・」
捨てた婚約者の印のブレスレットがカチャリと音をたてて再びはめられた。
なんで、婚約者に返り咲いているのか?
しかも、断罪されるはずのゲルディーナが、だ。
「再びクライドと」
熱を帯びた第一王子の目線がゲルディーナを捉えている。
「呼んでくれないか」
(ゼッタイ嫌よ!!)
「ゲルディーナ」
「ふっ・・・・、くっ」
こらえきれなくなった涙が頬を伝う。
彼女の中の感情は、敗北と恥辱。
それなのに。
周りから見ればそれはそれは幸せそうに、婚約者の腕の中に納まっているのだ。
断ることは、突き放すことは、できなかった。
二つの針が一つに重なる。
教会の、鐘が鳴る。
(また・・・)
敗北の鐘。
「愛しているよ」
クライドに、ゲルディーナの心は分からない。
まるで神からの託宣のように。
(また、マイアたんなの?)
「ゲルディーナ、教会で皆が待っているよ」
断崖で断罪からの教会で永遠の誓い。
「私の勝ちよ。ゲルディーナ」
マイアはまるで悪役のように言い放った。
「諦めて幸せになることね!!」
ゲルディーナはキャストライト王子に支えられながら、放心したように虚空を眺めている。
教会の鐘が鳴る。
今度は時を知らせる鐘ではない。
祝福の音だ。
*
純白の花嫁衣裳に身を包んだゲルディーナは、この世の者とは思えぬほどに美しかった。
パーフェクトハッピーエンドに酔いしれるように、マイアは笑う。
(ああ、これでゲルディーナはやっとハッピーエンドを迎えるの)
「私・・・」
喜びの頂点に達した時、絶望したゲルディーナの幽かな声が耳に届いた。
(ゲルディーナ?)
負けたのね。
マイアは現実に引き戻されたかのように、一枚の絵のような景色を眺めている。
ハッピーエンドと言いながら、まるですさまじいまでのバッドエンドを食らったような表情のゲルディーナ。
「え・・・」
これって・・・。
ぜんぜんハッピーじゃない。




