第五幕 矛と盾
もし。
もしも。
マイア・ラグドールがゲルディーナ・ブラッドウェルの能力を完全に知っていたら。
もし天国で、平等に神とゲルディーナの会話を聞かせていたなら。
こんなことにはならなかったかもしれない。
今更言ってもしょーもないのだけれども。
言っちゃえばよかったかなぁ・・・。
*
時間が巻き戻るのは、決まってゲルディーナ・ブラッドウェルが敗北を悟った時だ。
小説と同じように、マイア・ラグドールの勝利が決まったらそこで物語が終わったように。
まるでお話のように。
まあ、元は誰かの作り上げたお話だけれども。
ハッピーエンドに至り、初めに戻る。
この98回に及ぶ巻き戻りで、小説の最後の日にちを超えたことはない。
どんなに筋を違えても、必ず物語は同じ日に終わっているようだった。
小説ならいい。
一言一句が決まっていて、戻ったら全く同じ世界線が繰り返されるのだから、バッドエンドは変わらない。
ハッピーになど、なるはずがない。
登場人物の行動思考全ては、作者の指示した通りに遂行されるのだから。
98回の繰り返しを思い出しながら、16歳になったゲルディーナは重い溜息をついた。
(初回は良かったわ、まだ・・・)
結構な悪さはできていたんじゃないかと思う。
巻き戻り回数一桁台辺りはそこそこハッピーエンドでもあったが、まあまあバッドエンドだったようにも思う。
悪事がばれてすぐに、不慮の事故とか。
全然関係のない王家がらみの事件に絡まれたりして退場とか。
暴動が起きて、崩れた城壁に巻き込まれたりとか・・・。
どうかと思うが、悪事はうまいこと働けていたのだ。
メイドの弱みに付け込んで、悪事を働かせたり。
地下牢とか、物騒な武器とか鎖とか鞭とかなんだとか色々。
しかし、回を増すごとにゲルディーナ・ブラッドウェルの悪事の成功率は下がっていった。非道っぷりに至っては尻すぼみにすぼんでいった。別に情にほだされたわけではない。
「・・・・」
マイア・ラグドールのバッド耐性が飛躍的に伸びたからである。
(どんどんどんどん・・・・)
どんどんどんどんマイア・ラグドールはゲルディーナ・ブラッドウェルの悪行を善行に塗り替えていった。
ゲルディーナの能力はおそらくまるでバレていなかったのに、だ。
(記念すべき50回目はひどかったわよね・・・)
この辺りは特にひどかった。
はじめ、家を奪われ悪事を断罪されたゲルディーナはほくほくだった。
嫌悪のこもった瞳で貴族から国の人々から見られ、城から連れ出された。
宰相に連れられ、幽閉塔に連れていかれる。
その時、婚約者だった王子は隣国の姫を王妃に迎えることになっていた。
ゲルディーナは一人寂しく・・・。
「待っていたよ、ゲルディーナ」
宰相の息子が待っていた。
「・・・・・」
ずっとずっと好きだったのだと、彼は言った。
(嘘をおっしゃい・・・)
苦しい幽閉生活を満喫しようとやってきたのに、何不自由のない生活のはじまり。
途中の悪事があったのに、あまり追及されずこの男の愛は変わらなかったとかいうゲルディーナがそこそこ嫌なハッピーエンドになってしまった。
その次は伯爵家へ引き取られ、山間部の領地へ幽閉だったか。
労働とか、鉱山かと思いきや、城から年中帰ってくるからとゲルディーナに笑いかける騎士の青年。
先も幸せが続く。しかし我に先無しと分かってしまったゲルディーナの目は死んだ。
心も折れた。
商人の息子が国外追放されるときにさらいにきたこともあった。
豪華な商船に乗せられたときの船酔いといったら最悪だった。
あまりの酷さに、なぜか船に乗りあったマイアたんを、死んだ魚のような目で見たことは新しい方の記憶だ。
いずれもすぐに目の前が暗転し、赤子に戻っていたのは唯一の救いだったかもしれない。
ハッピーエンダーとバッドエンドメイカー。
まるで最強の矛と最強の盾だ。
どちらかというと、矛の方が強い気がした。
だから、盾の存在を知らせなかったのだろうか?
ゲルディーナはあの神様を思い出す。
あの方、ゲームでもしてるつもりなのかしら?
どちらが壊れるか、神の手の中で転がされる盾と矛。
どこまでいっても納得のいく終わりが来ない。
98回目、前回に至っては女王にされる有様。
何?女王って・・・。
ゲルディーナはマイアが何をしたいのか、分からなくなっていた。
ただ、このくだらないお遊びに終止符は打たねばならないだろう。
矛盾。
それを断ち切らねばならない。
最強の盾になって、この物語の繰り返しを終えるには、ゲルディーナ・ブラッドウェルの断罪あるのみ!
パーフェクト・バッドエンド。
完全なる敗北。
周りの人間をことごとく追い詰めて葬った。
完璧だった。
マイアたんもそう・・・
「でっぷりと肥えた極悪伯爵の後妻にねじこんだ・・・」
胸の奥が痛んだ気がした。
「・・・・・」
今回は今までで一番上手くいっている。
ゲルディーナは初心に戻り、物語の通り悪行を起こすことを決めた。
バッドエンドメイカーの能力を使い、皆への情は排除した。
マイア・ラグドールの能力が使われる先を予想して、すべてハッピーの芽を摘んだ。
(物語の通りに・・・)
あまりに上手くいきすぎて少しの不安がよぎるが、それは無視した。
どうせマイアはゲルディーナの能力に気づいていない。
「どうして」
あの時、婚約者を舞踏会において切り捨てたゲルディーナにマイアが放った言葉は本物。
(あの涙は嘘じゃないわ)
婚約者の王子の愕然とした表情ではなく、マイアたんの涙にぐっとこみあげてしまったのは秘密だ。
あともう少し。
ゲルディーナは明日17歳になる。
公爵家は人の気配すらなく、真っ暗だ。
全ての<家族たち>が捕らえられ、ゲルディーナ・ブラッドウェルが一人屋敷に戻るシーンまで来ていた。
その手には象牙色の美しい封筒が在る。
ゲルディーナがここへ戻ってくるのを彼女は知っているのだ。
親愛なる公爵令嬢ゲルディーナ・ブラッドウェル。
封筒には整った文字で、そう書かれていた。
差出人はマイア・ラグドール。
最後の戦い。
この国で一番格式高い教会裏にある・・・
断崖で断罪への招待状だった。




