第四幕 あなたのためだけに
「私、あなたのこと幸せにしたいと思っていたんだよ・・・」
一度目の人生。
マイアは本の内容にこだわりすぎて、ゲルディーナの思惑を阻止しきれなかった。
途中から、事件さえ起こらなくしてしまおうとさえした。
自暴自棄を起こしていたと思う。
焦って起こりうる事件を未然に防ぐために力を使いまくったが、まるでマイアの目をかいくぐるように、防いだと思っても、人や場所を変えてセオリー通りの事件が起きた。
なぜだかわからない。
神様にどんな悲劇も救うことのできる能力をもらったはずなのに。
マイアは混乱していた。
事件はゲルディーナの起こしたことであると、物語を知っている彼女は分かっているはずなのに、なぜか阻止したり止めることができなかった。
マイアが考えて動いたことは今まで全て良い方向へ向きを変えたというのに。
ゲルディーナの周辺だけは、変わらなかった。
思案を重ねて、道筋をつけても全くうまくいかない。
救おうと思っていた公爵家については手を付けることすらできず、ゲルディーナの生家はマイアが生まれて17年で消えた。
終盤に来て、ハッピーエンダーの能力をなんとかねじ込んで、王子様と側近たちは救うことができたのに・・・。
しかも最後の最後で、マイアの感知しなかったところから次々と証拠が露見し始めた。
ゲルディーナの悪事はあっという間に国中に広まっていく。
そして断罪シーンがやってきてしまった。
ゲルディーナの人生の終わりは免れない・・・。
彼女の涙を見たとき、マイアは走った。
*
<マイア・ラグドール>は<ゲルディーナ・ブラッドウェル>のことが実は大好きに違いない。
前の世で、<少女>はそう思った。
実際の作者がそう設定をしていたわけではない。
けれど、少女はそう想像して自分の心に大切に持っていたのである。
本の中のお話で。
自分が改変することは許されないけれど・・・。
思うだけならば、少女の中だけにあったこと。
しかし、それが自らを<主人公>とする現実の世界として現れたなら。
マイアは迷うことなく「改変」を選んだ。
物語の中でゲルディーナ・ブラッドウェルは別段虐げられたり、恵まれない人生を送っていたわけではない。
大切に大切に育てられた、悪名高い公爵家のお嬢様という設定だ。
清廉潔白なラグドール家のマイアとは正反対な敵役。
しかし、美しい姿・決して曲がらぬ婉曲した信念・とことん悪役。というところに少女は憧れを抱いたものだった。
悪役のはずなのに憎めない。
そんなキャラクターだったのだ。
この世界に来る前も、今も。
友達になりたい。
そう思うほどに。
もとからどんな悲劇の話もハッピーエンドへ脳内完結をするクセはついていたように思う。
けれど、マイアとゲルディーナの物語は<少女>の中では別格だったのだ。
とても好きな話だった。
だから、あのバッドエンドのラストシーンは嫌だし、ゲルディーナに幸せに不敵に微笑み続けてほしかった。
もっと、違う悪事のやり方があったのではないか。
いっそ国外逃亡とかいう手もあったかもしれない。
一人ではできなくても、マイアがいればきっとできる。
<少女>は一人きりで色々な方法を模索しては空想に浸った。
理想はゲルディーナが悪事の限りを思うがままに尽くし、マイアが全部ハッピーに変える。
結果どちらも満足がいけばなお良い。
しかもそう望んでいる自分は、<マイア・ラグドール>なのだ。
(マイア・ラグドールのはずなのに)
冷たい海の中、薄れゆく意識に抗いながらもマイアはゲルディーナを抱き続ける。
もう最後のシーンで。
二人の命の灯は消えてしまう寸前なのに。
(絶対に、絶対に幸せにする!)
マイアはまだ、あきらめていなかった。
けれど。
(ゲルディーナ・・・)
やがてその思いも途切れ、一拍の間があり・・・。
しかし、彼女のその最後の思いが奇跡を生んだ。
目覚めると、そこはまた、はじまりだった。
*
(結局2度目もうまくいかなかった)
目をすがめてマイアは鼻から息を吐いた。
99度目の始まり。
赤子に戻ったマイアは思い出す。
確かに、回を繰り返すごとに、ハッピーエンダーの能力は威力を増した。
しかし50回目を過ぎたあたりで、ふと思ったのだ。
ゲルディーナ・ブラッドウェルはハッピーエンドを望んでいないのではないか、と。
51回目だったか63回目だったかは忘れたが、マイアが思い描くいわゆるハッピーエンドを目指したことがあった。
波乱なく、学園生活もつつがなく終え、穏やかな結婚式。
この辺りから、小説と現実がかけはなれていったように思う。
ゲルディーナの結婚式。
花吹雪を撒きながら、マイアは見てしまった。
ゲルディーナの、死んだように濁った暗い目を。
ウソだと思った。
(こんな幸福なエンドでその目?)
そこからマイアは10回くらい、ゲルディーナの幸せの方向性について考えさせられる羽目になったのだ。
70回目くらいからは、ちょっとずつ改善していったと思う。
けれど98回目。
「ねえ」
マイアはゲルディーナの前に立っている。
「笑ってよ、ゲルディーナ」
彼女の起こした悪事を全て無効化して、この国の女王に仕立て上げた。
女王になればなんだってできる。
非道は時と場所を選んで使ってもらえばいいだろう。
マイアは臣下として彼女に仕える。
後はどうにでもできる。
そんな筋書きを考えたのだ。
登場人物のみんなはそれぞれ幸福を与えられているが、もう、マイアの好きな物語ではなくなっていた。
(それでも、私は)
不安な気持ちを振り払うように毅然と前を見れば・・・。
女王ゲルディーナが52回だか、58回目だかのあの時と同じような目をマイアに向けた。
「え・・・」
そして呟いたのだ。
「どうして」
絶望したゲルディーナの唇が微かに動いた。
「勝てないのかしら・・・」
この時確信したのだ。
ゲルディーナは、マイアと戦っている。
ゲルディーナはマイアの能力を知っている。
ゲルディーナは、マイアの知らない力を使っている?
そうでなければ、今までの悪事に説明がつかない。
聡明なはずのマイアは98回目にして、初めて絶望に近い感覚を味わった。
バッドエンド寄りのハッピーエンド、だったかもしれない。
*
(今度こそ)
99回目の人生。
柔らかな初夏の風が優しくマイアの頬をくすぐった。
眠っているマイアを起こさないように、人払いがなされているようだ。
名門ラグドール伯爵家のマイアの部屋は美しい。
清廉な薄いブルーの壁。
華美ではないが上品な家具。
これからの彼女に必要な価値ある書物。
マイアは決意を秘めた瞳で、己の小さな手を見つめた。
完全なるハッピーエンドを目指す。
ハッピーエンダー。
神様がくれた能力はきっと魔法。
思いを具現化させる手伝いをしてくれる素敵な力。
時が巻き戻ったのは、マイアの望みが叶わなかったからだろう。
ハッピーエンドにするだけではだめなのだ。
ゲルディーナの望みが叶わなければ、幸せにしなければ、マイアは真にハッピーにはなれない。
完全なるハッピーエンド。
それを迎えるまで、私は絶対にあきらめない。
あなたのためだけに、私の力は振るわれるの。
あなたを幸せにするためだけに、私はいるの。
そのためならば、物語の筋だって捻じ曲げて見せる。
ラストの先に貴女を必ず連れて行くから。
握っていた手をマイアはそっと開いて窓の方へのばす。
言葉はまだ話せない。
小さな彼女は思いをそっと、今出すことのできる音に乗せた。
「だ(待っていてね、ゲルディーナ)」




