57. 関連 天正3年1月(1575年)
新しい学校建設が進んでいる。
上野中学校は厩橋城の三の丸を利用することになった。令和では群馬県庁の東側の市街地だろうな。
整地されているが、この時代は立派な建物が建っていない。文化財として保存する必要はないだろう。解体して建材を再利用しながら学校として再建築している。3月には完成すると聞いている。
初年度から300人ほど入学させる。上野、下野、越後の若者、そして伊達家からの留学生を受け入れる。
そして、教員と今年卒業予定の教員志望者のうち、主に連合北部出身者達が上野中学校に配属になる。
大学校も建設中だ。
前世でも防衛大学校とか気象大学校とか、省庁所管の高等教育機関は大学校なのに、文部科学省所管の高等教育機関は大学なんだよな。なぜだろう? ネットもAIもないからこっちで調べることもできん。
私はそういうバランスが気になるので、小学校、中学校に合わせて大学校にした。防衛大学校卒の父上はもちろん賛成。他に反対する人はいない。
ちなみに高等学校は作らない方向だ。名前のバランスが悪い。中学校を2階建てにして前期3年、後期3年とかにするのはアリだな。
ちなんでどうする? 誰が聞いてるわけでもないのに。
場所は谷保天満宮-「やほ」ではなく「やぼ」だそうだ-の北側、令和では国立という場所だ。一橋大学がある辺りだな。学問の神様のご加護を期待したいという意見が多かったのだ。
一之宮の宮司殿に教えて頂いたが、谷保天満宮というのは天神様を祀っている神社で、なんと建立したのは菅原道真公のご子息だそうだ。
道真公が九州に流罪になったとき、三男の道武殿が武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷に配流されたそうだ。武蔵って、流罪地にされるほど田舎だったのね。平安時代は。
その道武殿が父君の死を知って祀り始めたそうだ。その後、北野天満宮造営に合わせて、村上天皇の勅命でこちらも天満宮になったそうだ。実に由緒正しいのね。
府中からは少し離れていて閑静だ。勉学に勤しんでもらうためには街から離れている方が良い。ま、数十年後には府中の街が大きくなって飲み込まれてしまうと思うがな。まだ誰も都市の成長というものを意識していないのだ。
講堂、教室、体育館は中学校より少し大きくしてもらった。講堂の黒板は縦二重にして上下を入れ替えられるようにした。私も久しぶりに授業を受け持つ。身長が伸びたので今度は板書ができる。声も大きくなったからメガホンも要らない。ようやく普通に授業ができる。
さらに図書館も建設予定だ。今のところ縄張りだけで建設は後日になる。様々な書物を購入したり写本して保存する予定だ。
この時代で有名な図書館に金沢文庫がある。鎌倉時代に北条氏が設けた図書館だ。鎌倉幕府滅亡時にとなりの称名寺が管理を引き継いだものの衰退していた。
文部方で金沢文庫自体の保護を行っているが、今回大学図書館に写本を収蔵することになって多くの文官や僧侶などが金沢文庫に派遣されて写本している。
そして、金沢文庫衰退の原因のひとつである後北条氏にも原本の返還を命じ--結構略奪してたみたいだ--、かつ写本を大学に提供するように依頼した。
そのほか、領内に声をかけて重要そうな文書の写本を提供してもらっている。鎌倉、室町時代の歴史的資料が後世に伝えられると良いな。
学生寮、研究員・教職員宿舎、食堂も作っている。朝昼晩、3食無料だから独身者も勉学に打ち込みやすい。
最初から女子寮もある。一期生の入学予定女子はいないのだが、女子が来るという意識を全員に持たせておきたいのだ。
売店も作った。店舗は1つ。営業時間は昼休みと夕方だ。
複数の商人に交代で品を持ち込んでもらって販売してもらう。饅頭とか団子とかがメインになると思う。読み物なんかも販売されると思うが、春画とかは禁止だ。
商人はこれから入札で決める。
男女別の風呂も作った。灯油で湯を沸かすのだ。ただし、灯油の生産量がまだ少ないので、火曜と金曜--学校関係だけ曜日を制定した--だけだ。夏、風呂が沸かせない日は水風呂にする。
学生は寮を含め学内での飲酒は禁止だ。ホントは日曜日に風呂に入って月曜日はさっぱりして始めたいんだけど、多分土日は府中の良からぬ場所に行っちゃうと思うんだよね。風呂の時間までに帰ってこないと思うから灯油が勿体ない。門限は設けるんだけど。
それよりも、大学の目玉は研究室だ。広い敷地に十分距離をおいて各種研究室を建設している。特に、石油などの危険物を扱う研究室は完全に孤立している。万一の時に被害を最小限にするためだ。
ひどい話のようだが、その辺が逆に担当者のプライドを刺激するみたいで喜んでいる。こいつらも武士なのか・・・研究者とかエンジニアになってもらいたいのだが・・・
さらにある程度建設できたら庭師を入れて植栽を整備する予定だ。研究に疲れた心を癒やせるように。
外部からの見学者も予想されるから、立派だな、って思わせたいしね。
そして国土開発方によって天文台建設地が選定された。府中より東、多摩川が作った河岸段丘のもう1段上、国分寺崖線の上になるという。
今日は国土開発方の役人に案内してもらって、賀茂殿と一緒に現地の確認だ。例によって長安が供をしている。
なるほど、一段高くなっているだけあって西と南は開けている。北は若干高くなっているが、東も割と開けている。少し高い建物を建てれば地平線近くの観測が可能だ。
「観測施設を2、3階建てにすれば広範囲を観測できるのではありませんかな?」
「はい。とても良い場所だと思いますが、建物の中から観測すると真上の星が見えませんから外で観測することになるでしょう」
なるほど。未来の観測施設を知らないからな。
「いえ、屋根を開閉式にします。二つに割れて左右に開くようにするのです。さらに観測装置を置いた床から上をまるごと回転するようにします。これならば雨の日以外はどこでも好きな場所を観測できるようになるでしょう」
「そ、それは大がかりでございますね」
「はい。天文観測は極めて重要です。このくらいの投資はします」
っていうか、趣味でもあるしな。天文は。
昔、ライバル会社のエンジニアに『我が社の通信衛星は・・・』なんて自慢されて羨ましかったしな。
何もない。ただの野原だ。かつては雑木林があったのだろう。あちこちに朽ちた切り株痕がある。みんな燃料か資材にされてしまったようだ。わずかに形が悪くて建材にしづらいか、薪にするには大きすぎる大木が数本残っているだけだ。
伐採の必要がないのですぐに建設に着手できそうだが、何だかなぁ・・・ せめて残っている大木を手入れして後世まで残してやろう。
「用地は広く確保します。当面使用しないところは植林しましょう。風よけにもなるでしょうし、観測員達の憩いの場にもなるでしょう」
「それは良い考えです。ぜひお願いいたします」
天文台の建設地が決まった。近くに賀茂殿の屋敷も建てる。観測員の宿舎も建てるぞ。
そんなこんなしているとそろそろ日暮れだ。真冬だから日没が早い。寒いから早く帰ろう。
「もうしばらくしたら宵の明星が見えますな」
「ああ、金星ですね。他の星と動きが違うでしょう? 地球と太陽の間にあって地球同様に太陽の周りを回っているからです」
「え!」
「地球の外側には火星があって、やはり太陽の周りを回っています。地球から見ると金星とは違った動きになります」
「!!!」
「姫、また殿にど突かれますぞ」
長安に諫言されてしまった。
「大丈夫だ。賀茂殿には地動説を証明して頂く。火星と金星の動きは証拠になる。観測して頂けばすぐに正しいことが分かるであろう。
そう言えばガリレオは Saturn の観測をしていたよな? 望遠鏡を用意すれば Jupiter と Saturn も観測できるな」
後半、賀茂殿には通じていないが、また改めて説明しよう。
帰り道、河岸段丘を一段下ったところで気がついた。ああ、この辺りは調布飛行場とか東京スタジアムの辺りか。隣接する公園に孫を何度か連れてきたことがある。プロペラ機の離着陸を見に。
平地で建造物など目印になるものが何もないが、星明かりで浮かび上がる国分寺崖線の感じだけは見覚えがある。
すると、天文台を作るあの高台は国立天文台の三鷹キャンパスだな。別の世界とは言え、やはり関連があるのかな・・・
そうか。では、信州を領有したら野辺山にも観測施設を作ろう。
1人でニヤニヤしていると供の長安に何が嬉しいのかと尋ねられた。
「いや、天文観測装置というものは震動や温度変化や経年変化に強くなくてはならないのだろ? 材料の選定とか加工が大変だな、って思ったわけだ。よろしく頼むぞ」
はぐらかされたことが分かったようだが、長安も観測装置の難しさをよく分かっているようだ。考え込んでいるな。ホント、よろしく頼むね。
厩橋城:15世紀末築城。この当時は江戸時代と縄張りが違うと思いますが、三の丸があったようなのでそこを学校にしました。
谷保天満宮:東京都国立市谷保5209。903年創建。関東三大天神の一つ。東日本最古の天満宮。交通安全発祥の地。
調布飛行場:東京都営空港。伊豆諸島への定期便が就航している。元は陸軍の飛行場で戦時中は帝都防衛のため戦闘機が配備されてB-29を多数撃墜。公園には当時の戦闘機掩体壕が保管展示されている。
本稿執筆時点では東京スタジアムはネーミングライセンスで「味の素スタジアム」と称しています。
国立天文台三鷹キャンパス:東京都三鷹市大沢2-21-1
国立天文台野辺山:長野県南佐久郡南牧村野辺山462-2
天正3年1月の夕暮れに金星が見えるかどうか確認していません。突っ込まずに流してください(^^;




