22. 入学 元亀2年1月(1571年)
今回の話、めんどくさい、と思われた方は斜め読みしてください。
1月15日。学校の講堂で開学式と入学式を執り行った。来賓として父上、府中在住の連合幹部、大國魂神社や一之宮、二ノ宮などの宮司、高僧、近隣の国衆などが出席した。
学校名は関東学校。全寮制で学生は102名。半端な数字だが、入学試験を行っていないので切り捨てることができなかったのだ。
学生は全員、連合有力者の次男以下で数えで15歳から25歳だ。女子も庶民もいない。まあ、最初はこんなものだ。身分制の破壊はゆっくりやれば良い。ただし、将来への布石として身分など馬鹿馬鹿しいということは教えておく。
そうそう、下僕を連れてきた良いところのお坊ちゃんも多数いたが、身の回りのことはすべて自分でするように言われ、不承不承下僕を帰していた。
入学式の後はガイダンスだ。構内の配置、教師陣の紹介、6日学んで1日休むというこの時代にないサイクルの説明、椅子の座り方、机の使い方、教材の使い方、時間割という概念、挨拶の仕方などなど。
昨日は入寮式があって、学生服の着方、朝昼晩メシが出るから自炊しなくていい、酒・博打の禁止など、そっちのガイダンスでも目を白黒させていた。
時間割の説明も行われた。短時間だが毎朝体操と座禅がある。学業の前の座禅は効果的だ。禅宗のプロが指導してくれる。
私としてはラジオ体操を教えたかったのだが、担当の安中宮内はラジオ体操など知らないという。教えてやりたかったが、満3歳の体では手本を見せることができない。
宮内は父上が防衛方で普及させている体操を教えるという。見せてもらったらどうやら自衛隊体操だ。テレビの自衛隊紹介バラエティ番組でちらっと見たことがある。うーん、ま、良いか。
私が受け持つ授業は午前中だ。主に数学、理科などを教える。
昼食後、小休止を挟んで体育や歴史、作法の授業が行われる。その時間、幼児の私は昼寝をして、起きたら2年生用の教科書を執筆したり、学校以外の仕事をするのだ。
まだ時計が無いので線香の燃え方で時間を計り、鐘を鳴らして知らせるのだ。この時報係は専任だ。一人の人がこれだけをやる。ほかの仕事もやらせたらどうかと思ったが、どうやら知的障害をお持ちか、自閉症の方らしい。
この人選はスタッフに任せたのだが、この時代、軽度の知的障害者は粗忽者という呼び方--差別というか区別というか、微妙だが--で簡単な作業をさせて社会に参加させているという。
ある意味、令和よりも優しい社会だ。人手が足りないとか、タダ飯を食わせる余裕がないということもあるだろうが、できる範囲でよくやっていると褒めるなど、関係性も良好だ。私も毎日『ご苦労さん』とか『ありがとう』と声をかけることにした。
ところが給金が安かった。『線香を見張って鐘を鳴らすだけの仕事に高い給金は払えない』とか『安いから使っている』という意見だ。まあ、そういう見方もあるし、そう見るのが普通だ。
令和でも福祉作業所での時給が150円とか、とんでもない金額が当たり前だった。ぼったくっているわけではなく、仕事がないとか、コストがかかるとか、事情があってのことらしいが。
しかしな。障害があるからと言って生活費が普通の人より安いわけではないのだ。生きるために必要な金や物資は障害の有無に関係ないだろう。給金が安いとその分余計に仕事をせねば生きていけない。それもおかしいだろう。
福祉というものは心のゆとりから生まれるものだ。誰だって自分が食べていくことが優先だ。
緊急避難という言葉もある。生きるか死ぬかという状況で、他人のものを壊して逃げたとか、助けを求めている人を見殺しにしても罪には問われない。あとでバッシングは受けるが・・・
だが、危険が迫っていないとき、余裕があるときに人助けをしないというのはいかんだろう。現状、学校の財政は余裕がある。時報係にも他の用務員と同じ給金を払うように指示して、スタッフによくよく言い聞かせた。今から多様性を受け入れられる社会の下地を作っておかねばならん。
「起立、気をつけ、礼、着席」
「校長兼筆頭教授の里見くうである。見ての通り幼児であるが、恐れ多くも天上春命より命を受け--いつもごめんなさいーー、日の本を改めて開闢することとなった。諸君は伝統的学問とこれまでにない新しい学問の両方を修め、先陣となって新しい世を拓いていくのである」
「「「はい!」」」
翌16日。最初の授業だ。既に体操と座禅は終えている。初日だからまったくできていないがな。
学生が102人、聴講している教員が10名ほど。教員にも同時に教育する。人数が多すぎるがクラス分けしている余裕がないというか、何度も同じ講義をしたくないのでまとめてやる。
そのために前世の大学のように階段状の大教室にした。教授の私が一番下で、学生達がひな壇の上から見下ろしている。恐縮している者も多いが、すぐに慣れるよ。
白墨と黒板を作ることはできたが使えなかった。
授業の予行演習の時、黒板の前に立って気がついたのだ。身長が足りない・・・
周りの教員が『何がしたいの?』って顔で見てた。
仕方がないので、黒板は他の教員に使ってもらうことにして、私の授業では板書したい内容をあらかじめ大きな和紙複数枚に大きな字で墨書きした。それを授業の進行に合わせて用務員が黒板に掲示してくれる。
まだ大きな洋紙は作れないし、印刷以外では墨を使うので和紙なのだ。
しかし、ものすごくコストのかかるやり方だ。作るにも掲示、交換するにも。要改善。
「まずはじめに考え方を教える」
『考え方?・・・』
ぼそっと声が聞こえる。学生達、考えることぐらいできる、そう思っているのだろうな。
教室は静かだ。ガラスがなく、窓が開いているので風の音や鳥の声は聞こえるが、大教室は音がよく響く作りなので皆静かにしている。
そして教壇には木製の大型メガホンが据え付けられている。まだ大きな声を長時間出せないので用務に作ってもらった。
「教科書1枚目。『何かあるものについて、真または偽のどちらか一方に決まる判断や主張を述べる文を命題という。真とは常に正しいこと。偽とは常に誤っていることを言う。命題は平叙文を用いて記述する。命題が真であることを【その命題の真理値が真である】といい、命題が偽であることを【その命題の真理値が偽である】という』」
全員フリーズ。学生だけでなく、聴講している他の教員も目が点だ。予想はしていたが、今日は午前中全部使っても1ページ終わらないな。
前世の日本における教育の問題点は考え方を教えないことだと思う。
『考えろ』と先生は言うが、どうやって考えたら良いか、どういった考え方が正しくて、どういった考え方が間違っているのか、考え方の方法は教えない。持って生まれた考え方が偶然正しい人、正しい考え方に近かった人、良い教育を受けて考え方を身につけることができた人が優秀な人として学歴を手に入れる。そうでない人は・・・それが前世の日本だ。
かく言う私の前世は偶然正しい考え方に近かった人だ。正しくはない。まあまあ近かったから大学まで行けた。
学生運動のお陰で授業はあまり受けられなかったが、卒論だけは書いた。指導教官からは厳しく指導された。
『君は日本語がわかっていない』
指導教官にそう言われて論文の内容を題材に、論理的文章の書き方、遡って読み方まで厳しく指導された。
就職後、業務上必要なコンピュータの勉強をして気がついた。卒業論文で受けた指導は論理学の基礎だったのだ。
論理学は哲学と数学で別々に発生したが、中身は一緒だった。真理は一つだからな。
ヨーロッパは契約社会だ。神と人が契約する。人と人も契約する。契約違反は許されない。契約から曖昧さをなくし、明確にすることが必須であった。故に論理学が発達した。
必要は発明の母という。日本ではこういった必要性がなく、むしろ曖昧な表現を文学的に楽しむ風習と、それを教養として身につける必要性があったために論理学が発生しなかったと思う。
いや、必要性はあったはずだ。公事っていう訴訟だな。公平な裁定を行うためには論理が必要なはずだが、日本では曖昧に、穏便に、あるいは権力者に媚びた裁定をしたがる。三方一両の損なんて話が良い話として語り継がれていることは問題なのだ。
ん? ちょっと逸れたか。
近代日本には多くの外国人講師がやってきた。彼らは論理的思考ができたはずなのに日本人に特別な指導はしなかった。彼らにとっては論理的思考が当たり前すぎて教える必要性に気づかなかったのかもしれない。
あるいは、日本語の表現力の豊かさを理解できなかったから、注意して言葉を選ぶ必要があると指摘することができなかったのかもしれない。
日本語は極めて表現力の豊かな言語だ。曖昧な表現を楽しむだけでなく、論理的文章を扱うこともできる。
だから、今世では全員に数学から発生した数理論理学を日本語で教える。考え方を教え、論理的に正しい判断と、より確からしい予測ができるように育てて、少しでも多くの人を優秀な人材として登用したい。
もっと学生に優しい指導方法もあるがな、今は立ち上げだ。短期間で人材を育成する必要がある。数理論理学もそれほど厳密には教えない。対偶とか裏とかド・モルガン辺りまでで十分だ。ブール代数は進級・・・いや、上級学校を作ってからだな。
たたき込み、詰め込み教育をする。付いて来られない奴は別途フォローしてやろう。・・・たくさん居そうだが・・・
「命題の例
一つ、里見くうは里見家翔の子である
一つ、人は誰でも死ぬ
一つ、これは生き物であって生き物でない
一つ、風が強く吹いている
と言った所じゃ」
ちんぷんかんぷんという感じだな。無理もない。こんな考え方をしたことがないだろう。
「まず1番目じゃが、これは私と私の父について書かれている文であるならば真の命題である。同姓同名の別人のことであれば真か偽か確かめる必要があるが、どちらかに決まるはずであるので命題である。
2番目。これは経験上、真の命題である。
3番目。矛盾しており偽である。偽であると言えるので命題である。
4番目。いつ、どこでと言うことが明らかであり、強い・弱いの判断基準が決まっていれば命題である」
「・・・」
3番目の文章はウイルスの存在が明らかになることで命題かどうか微妙になるのだが、それも400年後だ。今は無視。
学生は黙っている。とんでもないところに来てしまったな、って顔に書いてあるぞ。あ、既に真っ白になってる奴がいる・・・
教員の中には学生でなくて良かった、って顔してる奴もいるな。後で指導しなければ・・・
「偽の文章も命題なのでございますか?」
聴講している教員の高僧が質問してきた。禅僧か。禅問答で慣れているのかも。良いね。きっかけを作って欲しい。
「そうじゃ。真か偽か、その場でなくとも、場を改めてでもハッキリ区別できる文は命題である」
「風が強いか弱いかは人によって、あるいはたき火や船など、場合によって変わるのではありませぬか?」
「良い質問じゃ。それ故に『強い・弱いの判断基準が決まっていれば』と申した。物事には言外の前提がある。話をするときに、互いの前提が同じかどうか確かめずにいきなり本題に入るからもめ事になるのじゃ。まず前提を決め、合意した上で命題を用いて話をするのじゃ」
「前提はどのように決めればよろしいので?」
「2番目の命題で『人』とか『死ぬ』という言葉が出てきたが、これに疑問を持った者はおるか? おらぬな。このようにごくごく基本的な言葉は人による解釈が異なることはない。このようなところから積み重ねていくのじゃ」
「・・・大変でございますな」
「ま、慣れじゃ。初めのうちは気を付けよ。すぐに慣れてすらすら話ができるようになる」
「すらすら?・・・」
もうワンプッシュ必要か。
「仏の御言葉は宗派によって異なる解釈がされているな?」
高僧に聞いてみる。
「はい、様々な解釈がございます」
「だがな、語った仏はお一人じゃ。お考えは一つであろう。解釈が複数あるということは誤った解釈がなされているということではないかな?」
「そ、そのようなことはございません。仏の御言葉は広く深く・・・」
「そうか、では仏が悪いのだな。真実を明確に伝えておらん。私はそこから改めよとご神託を受けておる」
「・・・」
学生の前で教員をやり込めてしまった。全員戸惑っているが、教員も含めて意識改革が必要だ。
まあ、そう簡単じゃないよな。だが大丈夫だ。学生はもちろん、教員も必ず優秀な人材に育ててやる!




