20. 国会 元亀2年1月(1571年)
「ただ今より元亀2年第15回関東連合総会を開催いたします。まずはじめに総長よりご挨拶があります」
年が明けた。数えで4歳だ。1月生まれなので満年齢だとまもなく3歳になる。
三が日は忙しかった。巫女として神事に出席する。最近、私を拝みに来る者がいるので逃げられない。幼児なので休憩時間は多めにもらってはいるが。
4日にようやく実家に挨拶に行った。母上は新年からご機嫌斜めだ。正月に家を空けたのは初めてだからな。
ちょっと甘えてご機嫌を取った。膝の上に抱っこしてもらって胸に顔を埋めるのだ。母とはいえまだ若い娘にハグされると気持ちが良い。
ちらっと父上を見ると不機嫌そうだった。そりゃそうだ。ジジイが自分の妻に抱きついていると思ったら不愉快にもなるだろう。私としても息子の嫁に抱きついているのだ。背徳感はあるが、これもまた一興。
今日は5日だ。年末晦日、大晦日と正月三ヶ日は事務方は全員休みだ。この時代としては大型連休だな。防衛方は交代制で全体としては年中無休だ。まあ、そうだろう。正月休みを狙って近隣諸国から賊が入ってくることもあるしな。
4日が事務方の仕事始めで5日が総会。会場は里見の屋敷から遠くない議事堂だ。大きな寺の金堂のような作りだな。
突貫工事でまだ完成していないが、取りあえず総会に間に合わせた感じだ。
幹部達は床几に腰掛けている。名前は何と言うのだろうか? テーブルのような台が各自の前に置いてあって、資料が積んである。
昨日のうちに準備したのだそうだ。
それにしても寒い。私専用に湯たんぽと膝掛けを用意しておいてもらって正解だ。
しかし、組織名といい、役職名といい、昭和の暴走族を真面目にしたみたいだな。
「皆、あけましておめでとう。昨年は大きな戦もなく、無事に本部を武蔵府中に移すことができた。この地は奥州から九州まで、日の本を扇に例えれば要の地である。この地を発展させて関東連合をより大きく豊かにし、ひいては日の本を太平で豊かにしていく。皆も一層励んで欲しい」
「「「御意!」」」
父上の挨拶に連合幹部達が応じる。顔つきを見ているとここまでの政策に反対している人は居ないようだ。
「皆も知っての通り、一昨年の秋、私の娘のくうが天上春命からご神託を受けた。国を豊かにするものだ。そこで昨年より武蔵一之宮に巫女として上がり、神にお仕えしつつ我らに知恵を授けることとなった。
天上春命は知恵の神であるとともに、開拓の神だ。改めて国を拓く我らをお助けくださる。故に今年よりくうにもこの総会に出席し、我らの行いを命に奉じ、さらに知恵を授けて頂くこととした。皆、よしなに」
「「「御意!」」」
「まず、渉外方より諸国の情勢を説明して頂きます」
渉外方っていうのは外務省みたいなものだな。
「まず上方ですが、皆様ご承知の通り、昨年は4月に永禄から元亀へ改元されました。将軍足利義昭公のご意向によるものです。現在、幕府は織田家の庇護の元にありますが、公方様は織田家に対して強いご不満をお持ちのようです。幕府と織田家の関係には注意して参ります」
とくに疑問はないようだ。神輿が担ぎ手に不満を持つっていうのはよくあることだからな。
「次に隣国の武田家ですが、今のところ北条・織田・徳川とは事を構えておりません。越後から越中に向かっております。詳しい情報は入っておりませんが、信玄公の妻、三条の方様が本願寺顕如の妻と姉妹であることから、加賀一向宗との合流を目指していると考えられます。また、一方では加賀一向宗は本願寺の指示に従わないため、引き締めを依頼されたのではないか、との見方もあります。
家臣、国衆に不穏な動きはありません。信玄公は治水などの内政に力を入れていますが、農業生産力は上がっておりません。一方で、越後で得た青苧を販売しておりますが、高田の街も直江津の湊も略奪して焼き払ってしまったためにまったく機能しておらず、利は出ていないようです。
民の様子でございますが、我ら連合と接している上越と信濃の一部の国衆に不穏な動きがございます。我ら連合の民と比べ、暮らしに差がありすぎるためです。しかしながら当方への侵攻・略奪は自重しており、むしろ武田を離れて当連合に加わりたいと考えておるようでございます。当連合の国衆からも彼らから文をもらったり使者が来たとの報告がいくつか上がっております」
生々しい報告だ。幹部から意見が出る。
「ならば連合に加えてやれば良い。勢力が増えれば我らも潤う」
「そうなれば武田が黙っておらんだろう。大戦になるぞ」
「望む所じゃ。力の差は明らか。ひねり潰してやる」
単純な奴が多くて困るな。もっと考えてくれよ。
「今、武田とは事を構えたくない。我らに加わりたいというあちらの国衆には気の毒だが、すべて丁重に断ってくれ。
それと、武田を見れば分かるが、略奪ほど愚かな行為はない。せっかく富を生み出す仕組みがそこにあるというのに、獣のように食い散らかしては何の発展もない。いくら大きくなっても武田は貧しいままだ。決してまねすることのないように。若い者や足軽にも重々言い聞かせてくれ」
「「「御意」」」
父上がまとめた。こうやって実例を見せて教育することで兵や事務方の意識を高めているんだな。
基本方針は一昨年の秋に二人で固めた通りだ。まず、東日本の統一だ。武田は織田に任せる。
「南方ですが、北条家は小田原城と東駿河、伊豆に逼塞し、武田と我らに対抗しております。しかしながら、憎き北条氏康が死にました」
「北条ではなく伊勢だ!」
年老いた幹部がかすれた大声でいう。同感、っと言った雰囲気が広がる。やっぱり嫌われているな、北条は。
「報告に個人の感情を含めてはならん。事実だけを述べよ」
父上の指摘。さすが、解っていらっしゃる。
「は! 失礼いたしました。伊豆水軍が我らの通商船を妨害してきますが、三浦水軍の護衛によって大事にはなっておりません。南方はジリ貧です。
しかしながら、当連合を離れた安房里見家が伊豆と連携する動きを見せております。三浦水軍は両者に当たる必要があり、手が回らなくなる可能性があります。急ぎ手当てする必要があると上申いたします」
「了解した」
父上は思うところがあるようだ。相談されれば私も知恵を出すが、防衛は父上の専門分野だ。すべてお任せしている。
「常陸は佐竹、結城、小田、鹿島が当連合に対抗する同盟を結びました。まだこちらに仕掛けてくる様子はありませんが、予断を許さない状況です。
北方の越後下越の揚北衆と陸奥の蘆名、白川は特に動きがありません。相変わらず内輪でもめています。
一方、織田家ですが、改元と前後して越前に攻め込んだものの浅井家の裏切りにより京へ逃げ帰りました。ですが、わずか2ヶ月後には姉川にて織田・徳川連合が浅井・朝倉連合を打ち破りました。決着が付かずに、小競り合いが続いていたようですが、最新情報に寄りますと、先月、公方様の仲介で織田家と浅井・朝倉連合が和解したとのことでございます。
それとは別に、織田家は石山本願寺門徒と争いが生じております。11月には伊勢長島の一向門徒と大きな戦があり、織田家一門の武将が討ち取られているとのことでございます。
中国ではここ数年力を伸ばしていた毛利家の元就公が死去いたしました。家督は20年以上前の天文15年に長男の隆元に譲っておりますので混乱はないようです。
四国では三好、長宗我部、一条、河野、西園寺が小競り合いを続けております。九州は群雄割拠という状況で、やはり小競り合いが続いております。
以上で渉外方からの報告を終わります」
西日本は大体前世の歴史通りだな。しかし、謙信がいなくて武田家が盤石だと、織田家を圧迫して西日本の歴史も変わってしまうのではないだろうか?
足利義昭は当初義秋と名乗り、あとで改名したそうですが、面倒なので義昭で通します。




