15. 国語審議会 元亀元年6月(1570年)
「今日集まって頂いたのは他でもない。文字について相談したいのだ」
「「「文字?」」」
「文字が何か・・・?」
集まった僧侶や公家が素っ頓狂な顔をしている。
領内に布令を出して学識のある僧侶を招集した。そして、都から亡命し、流れ流れた貧乏公家も引っ張り出した。関東管領上杉家の遠縁など、元公家の武士もいる。皆古い学識を持っている。これを活用するのだ。
「今後、関東連合では政と殖産において学問を重視する。学問のできる者が政を行い、殖産を広めるのだ」
「それは良いことにございます」
落ちぶれた元公家の武士が言う。自分の地位が上がると踏んだな。良いよ、良いよ。仕事ができるならどんどん取り立ててあげるよ。
「それとな、いく先々には領民にも学問を教える」
全員顔色が変わった。
「姫様。領民に学問を教えることはよろしくありませぬ。知恵がつくと政にたてつく者が出て参りましょう」
「それが狙いじゃ」
「「「!?」」」
「政にたてつくということはな、政に改めるべき所があると言うことじゃ。故に民から意見を聞いて政を改めていくのじゃ。改められぬ時はその理由を領民に説くのじゃ。納得すれば我慢もしてくれよう」
「そう上手くいきますでしょうか?」
「領主が領民の話を聞いて行いを改めるとなればな、領民は一揆など起こさずに知恵を絞って意見を出すようになる。領内の政はずっと楽になるぞ」
「「「・・・」」」
「さらにな、賢い者は身分にかかわらず取り立てて政を手伝わせたい。人の数には限りがある。賢い者が多い国は強い国になる。領民の中から賢い者を探し出して取り立てれば、関東連合はますます強くなる」
時間をおくと反論されそうだな。その前に本題に入ろう。
「そこでな、まず文字を減らす」
「「「文字を減らす?」」」
話が飛躍したと思ったのだろうな。皆ビックリしている。
「うむ。日の本の文字は元々唐国から伝わったものだ。我が国の文字ではない。我が国の言葉を記すにはなかなかに無理がある」
「我が国にはカナがございます」
「そうじゃ。カナじゃ。今はカナはおなごの文字とされているがな、これをもっと広く使いたい」
「それと文字を減らすことに何の関係が・・・?」
「普段使う漢字を減らして大事なところにだけ使う。そして漢字の間をカナ文字でつなぐのじゃ。さすれば意味もわかりやすく、日の本の言葉としても無理がない」
事前に作った資料を渡す。例文が書かれている。皆食い入るように見ている。
「確かに読み易うございますが・・・」
「今、文字がどれほどあるか知っておるか? 一千か? 一万か?」
「「「・・・」」」
「誰も答えられまい。今はな、文字が多すぎるのじゃ。故に、皆も知らない文字を見かけることはよくあるであろう」
「「「・・・」」」
「知らぬ文字を見かけたときに、どうやってその読みと意味を知るのじゃ? そなたはどうしておる?」
隅に座っていた僧侶を血祭りあげた。答えられずに目を白黒させている。
「答えずとも良い。適当に当たりを付けて解ったような顔をしておるのだろ? 皆も同じであろう?」
一同を見回す。誰も目を合わせない。反論する者なし。
「政と学問に使う文字を減らす。領民を含めてすべての者が覚えきれる数にする。そうすることで曖昧さのない政と学問を行う」
「しかし、姫。この世には多くの書物があり、受け継いできた物語などもあります。文字を減らすことは・・・」
「文字を減らすことは新しい学問と政に限ったことじゃ。漢詩を詠んだり、経文を読み書きする分には今まで通りで良い。地名と人の名の文字も今まで通りそのまま使って良い。あくまでも新しい学問と政を行う上で、覚えられるように、間違いなく読み書きできるようにすることじゃ」
大事なことだから2回言いました。解ってくれたかな。
「そういうことであれば・・・」
「決まりじゃな。では諸兄には政と学問で使う文字の選別をお願いする。それらの文字は当用漢字と名付けよう。数はそうじゃな、2000文字程度を目標としよう。そのくらいの数ならばたいていの者は覚えられるじゃろう」
「「「はぁー」」」
「選んだ文字は読み方も明らかにしてくれ。唐国から伝わった音読みと、大和言葉を当てはめた訓読みすべてだ」
「「「・・・」」」
「それとな、難しい文字、字画の多い文字は略字を作ってくれ。書くのに時間がかかっていては能率が悪いからな」
「「「のうりつ?」」」
「手間がかかりすぎて時が無駄になることを能率が悪いというのじゃ。その逆が能率が良い、じゃな。では諸兄。頼んだぞ。当用漢字の選別作業も能率良くな。一月で案を持ってきてくれ」
崩し文字を禁止してすべて楷書にすることは当用漢字が決まってから発表しよう。また騒ぎ出すかな。
我々の世界では明治と米帝占領時の2回、大規模な国語の見直しが行われています。これによって学術や産業が発展したことは間違いありません。くうは一気に現代レベルまで簡略化しようとしています。
ヨーロッパでも近現代に似たような見直しが行われています。




