100. 吾唯足知 天正12年4月(1584年)
北海道は爽やかだ。太陽暦なら5月。自生の梅と桜が同時に咲いている・・・と思ったが、桜しか咲いていない。聞けば桜は北海道固有の野生種があるようだが、梅の木はないそうだ。ふうーん。
前世では梅もたくさん咲いていたから、いずれ誰かが持ち込むのだろう。
残念なことに広々としているという感じはない。辺り一面原生林だ。密林だ。切り開いて畑や牧場になっている前世とは大違いだ。
船旅は酷かった・・・
前世では出張は鉄道か飛行機、プライベートではどこへ行くにもバイクか車での自走主義だったが、敢えてフェリーに乗ることもあった。
北海道に行くときは大洗から苫小牧へ『さんふらわあ』に、帰りは小樽からに新潟まで新日本海フェリーに乗ったから慣れていると思ったが・・・
船のサイズが全然違う。揺れがハンパない。
エンジンがないから細かい振動とか音とかは無いのだが、波風がもろに影響する。乗組員の話では比較的穏やかだったらしいのだが・・・
おまけに岩手県辺りに前線があったみたいで風雨が強く、甲板に出ることもできずに薄暗い部屋の中で20時間ぐらいシェイクされていた。メシも食えないし、飲み物もちょっと喉を湿らせる程度しか飲めなかった。
これで比較的穏やかって・・・ 海って怖いな。
あんな辛い思いはもう嫌だ。帰りは松前から津軽に渡って陸路を帰ろう。短距離なら船も耐えられるだろう。
そうだ! 鉄道の東北本線建設を提案しておこう! 夜行列車とか良いよな・・・ 建設に何年かかる? 北海道に何年居るつもりだ?
すぐに建設できたとしても、やっぱり揺れが酷くて眠れないかも知れない。サスペンションとか車体の剛性とかが令和の高級寝台特急レベルになるまで、地味に100年は掛かるだろうな。
移動は昼間だけにして、夜は宿を取って寝る方が無難だな・・・ 何日かかるんだ?
それはさておき。
途中寄り道して視察した釜石の高炉と港は良いできだった。公害レベルも予想よりはだいぶ良い。
しかし、既に喘息患者が発生していた。救済を検討しなければならん。
地球温暖化はあまり気にしなくて良いと思う。あれって、ホントに100%人間のせいなのか? 地球そのものの気候変動サイクル見てると、20世紀の終わり頃が温暖化の始まりでも違和感なかった。
前世でよく異常気象なんて言ってたが、あれは異常でも何でも無かったぞ。『気象観測が始まってから初めて見る』ていうだけだよな。大体、19世紀の終わり頃からの100年間は地球的に異常に気候が安定していた時期なんだ。地球にとってはあっちが異常で令和は普通に戻ろうとしてる過渡期なんじゃ無いのか?
私が気にしている環境とは、公害と動植物の分布なのだ。公害はいかん。結局人間に帰ってくる。喘息患者はその典型だ。救済と改善が必要だ。
プラスチックも化学繊維も問題だ。マイクロプラスチックは食物連鎖やPMなんとかになって人間に帰ってくる。あれはなるべく使わない方が良い。
幸い、父上も長安も高分子化学までは知らないので手を出さずに済んでいるが、300年後にヨーロッパが着手したとき、日本は手を出すなとか、難癖付けてヨーロッパを止めろとか、なんか遺言しておかなきゃいかんな。
化学繊維で衣類が安くなったとかいう主張は知っているが、天然素材を大事に着続ける方が良いぞ。色があせたとか、形が崩れたぐらいで捨てるな!
吾唯足知だ。
だが、欲望に突き動かされたヨーロッパ人が世界に進出している。それを止めるためには同等以上の力が必要だ。
弓矢刀槍で対抗できるわけがないし、そもそもタタラ製鉄も結構な環境破壊だ。
国の防衛だけなら島国の特性を活かして軍備を少な目にもできるが、アジア・オセアニア・太平洋地域の防衛まで考えるとな。この時代、専守防衛はリスクが高過ぎる。
それに、プラスチックやビニールが無いと衛生用品とか医療器具とか精密機器を造るのが難しい。
要はバランスだ。やっぱり吾唯足知だ。どこらへんで足りたのか、ってのが難しいところだがな。
釜石では去年試作したディーゼルエンジン搭載の鉄船を見た。乗るかと聞かれたが断った。湾内だけとは言え、ちょっと酔いが・・・
護衛艦は神奈川でも1隻建造している。釜石は2番艦だ。
まだドックの整備とか、大型クレーンとかの準備中で建造は始まっていなかった。少し離れた空き地に大きな鉄板やら鉄骨やらが並べられていたな。
レールの敷設もしていた。トロッコで資材を運ぶのだろう。
細かい指示は出していないが、皆知恵を出し合って進めているようだった。
『安全第一』の標語はここにも掲げられていた。
釜石には仕事がある。人が大勢集まって街ができていたが、街の整備が追いついていないな。区画整備とか全然できてないし、バラックみたいなのがごちゃごちゃしていて火が出たらイチコロだ。井戸とか下水とかゴミ処理とか、問題も噴出しているようだ。
急ぎすぎたな。
喘息患者救済と合わせて、プロジェクトチームを作って現状調査と対策立案するように釜石奉行に命じた。
諮問委員と違って命じられるところが良いよね。副総長は。
命じたのは立案まで。実行には連合本部の承認が必要だということにした。私が独断で勝手なことをしているわけでは無いという体裁作りと、自治法が成立したがまだ施行されていないし県長も任命されていないからな。実行は本部お墨付きで新たにできる県にやってもらうことにしたのだ。
釜石を出て3日目の朝、小樽沖を通過。物流と北方探査の拠点として整備されている。沖合からでも活気がありそうに見える。
視察は後日にして、行政上の拠点として開発中の札幌に向かうのだ。
石狩川の河口に入ったところで停泊。迎えの小舟に乗り換え・・・ 汽水域とは言え波が荒いわ! 少林拳で鍛えておいて良かった。落ちるところだったぞ。
そのまま小舟で川を遡って支流に入ってから上陸。昼をだいぶ過ぎてやっと地に足が付いた。まだクラクラするな。昼飯を食べる気力がない。
そう言えばこの旅でだいぶ痩せた気がする・・・
だが、そうも言っていられない。気を取り直して背筋を伸ばし、まっすぐ前を見れば目の前が札幌の街だ。建設中。活気がある。
昼飯時はだいぶ過ぎたのに屋台がたくさん出ていて労働者達の食欲を満たしている。聞けば、店が足りないから同じ時間に休憩を取ると混雑して収拾がつかないらしい。だから作業の区切りが良いところで適宜休憩を取って食事にするそうだ。臨機応変、上手くやっているみたいだ。
北方開拓奉行所札幌支局--県役所になる予定--は8割方完成していて既に業務に使われている。
官舎も取りあえず寝ることが可能なレベルで役人達が住んでいる。私もしばらくここに住むことになる。
街は道路工事、井戸掘り、商人の屋敷造りなどが進んでいるが・・・ 本土と同じ作りじゃダメだろう! 冬になったら凍え死ぬぞ。もう一冬超した人も大勢居るよね? 気が付ついてほしいもんだが・・・
「はて? これは小屋か? 人が住んでいるのか?」
「サクシコトニコタンです。蝦夷の集落です」
開発区域に隣接して竪穴式住居みたいな・・・ そのものか! が、建っていた。ざっと見て5,6軒。
いや、関東にもあるのだ。先年、上野の里見に旅したとき、山間で見かけた。山の民ではなかったが、狩猟採集で生計を立てているそうだ。少数だが未だにそういう人や家が残っているのだ。
「そうか。通訳はおるか? おるな。では、挨拶していくか」
「えぇ! 副総長ともあろうお方が! あとで奉行所に召し出せば良いではありませぬか?」
案の情だ。
「私はそなたらのそういう考え方を改めるために来たのだ! バカなことを言っとらんで、長の家はどれだ?」
少し大きめの家の入り口で声を掛ける。
「御免!」
通訳が家の中にアイヌ語で声を掛けるとゆっくりと老人が出てきた。通訳が事情を説明する。
「先代の長です。今の長は他の男達と一緒に工事現場で働いているそうです」
「左様か。
私は東日本連合の副総長をしている里見くうです。この度、この土地の開発状況の監督に参りました。まずはご挨拶に立ち寄らせて頂きました。
蝦夷の皆様には大変お世話になっております。今後もよろしくお願い致します。
長がおられるときにまた出直して参ります。よしなにお伝えください」
先代の長は通訳の言葉を聞いて面食らっている様子だ。立位でお辞儀をして今日はおしまいだ。
日暮れまで街を一回り。夕焼けの頃に奉行所に入った。
コタン:アイヌの集落
サクシコトニコタン:現在の偕楽園緑地から北海道大学キャンパス付近にあった集落です。
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