勇者パーティーの筋肉担当戦士が育てる黒毛短角牛は大変美味
かなり久しぶりの投稿になりました。
短編のつもりが、想定よりも長くなりました。
楽しんで頂けたら幸いです。
肉と言う単語がたくさん出てきます。
ガリレイ地方産の黒毛短角牛は、国内外問わず屈指の品質と知名度を誇る。
しつこくない脂身、柔らかな赤身。脂は常温におくだけで溶け出す程融点が低く、しっかりと肉の旨味を感じ、かつ牧草の爽やかな風味を感じる赤身は極上の逸品。
黒毛短角牛自体が希少種で生産者も少ない為、希少価値は他のブランド牛の三倍もする。
しかしその圧倒的旨さから、東西南北求めるファンは多い。
生きる国宝とも称され、幻の牛肉は全ての人々を魅了した。
俺の名前はディーター・アルタモノフ。
今世では勇者一行の前衛担当の戦士、前世は日本で男子高校生をしていた。いわゆる異世界転生者だ。
死因は覚えてないし思い出したくもないが、前世の日本で嗜んでいた、異世界転生だかトリップだかドリップだかの二次元知識のおかげで、前世の記憶があっても、俺は混乱する事無くこの運命を受け入れた。
成長するにしたがって、この世界が魔王と魔族が人類に仇を成す、王道ファンタジーゲームのようだと理解する。
テンション上がった。俺も前世の知識を活かして、異世界チートで活躍できると。
しかし残念ながら、俺は生まれながらに魔法適性が低かった。か〇は〇波とか、いかにも少年心を擽る魔法は使えない。
だがかろうじて、魔力を身体能力強化に変換する『魔動神聖強化法』と言う、身体強化最上位の魔力操作の才能はあった。
逆に言うならそれしかできない。
それなら極めるのみと、俺は頑張った。
前世でモヤシだったのがコンプレックスだった為、鍛えれば鍛える程逞しくなるこの体は素晴らしい。
二歳で大木を正拳突きで木っ端微塵にし、五歳で巨岩を山向うの湖に投げ入れ、十歳で大地を割って新しい島を作った。
やり過ぎた。
十五歳で、危険人物として捕まった。
しかし、「彼には無限の可能性がある、僕がしっかり見ているから解放してほしい」と、魔王を斃す為に仲間を探していた勇者ケントの目に留まる。
俺は賄賂が横行し、腐敗した役人に売られた裏社会の闇賭博決闘場から解放された。
実は解放されるまでも無く、戦闘で設備を破壊し過ぎて組織の経営を圧迫し、破産寸前まで追い込んでいて、頭抱えて絶望するヤツらの隙をついて逃げ出す算段だったのだが。
ちょっと思ってたのとは違う形で、異世界で魔王を斃す勇者の一人となったのだ。
戦うしか取り柄が無い、筋肉担当として。
「ちょっとディーター!あんたまた肉を一人占めにしたわね!」
紫のツインテールを揺らして、ミニスカツンデレ弓使いの美少女セラがビシリと指差して言う。
「またですか。ケント様の分まで横取りして、それ以上筋肉を付けてどうするんです?」
銀髪巨乳眼鏡美女、演算魔導士ツィケルが腕に巨乳を乗せつつ、くいっと眼鏡を上げて続いて言う。
「きゃはは!マジで筋肉馬鹿手におえないんですケドー!草越えて森!」
緑のもこもこのロングヘアーが全身を包み、奇抜でド派手な格好の人形遣いソービーが嘲笑った。
「ディーター、だめ、食べちゃ…。禁止」
金髪を幾つも長い三つ編みにした幼女で、豚の様な猫の様な生き物を撫でる、魔獣使いデーナが呟いた。
それぞれ違う美貌を持つ女性達に囲まれて、俺は肩を窄める。
「俺じゃねえって。デーナの魔獣か、ケントが召喚獣へ報酬として渡したんじゃね?」
「仲間のせいにするの⁈さいってー!」
「ケント様に罪を着せるとは、万死に値します」
「きゃはははは!今すく死ねばー?」
「ディーター…。処刑」
言い訳しただけでこれだ。つーか本当に俺じゃない。
俺の図体は二メートル越えの筋肉むっきむきの巨漢だ。まだまだ伸びるかもしれない。見合ったメシも喰らうが、仕方ないだろ。その分働いているし、必要に応じた対価と栄養補給だ。
大喰らいのイメージがついた俺は、食料が足りなくなったり無くなったりすると、直ぐ疑いをかけられる。
ケントが腹を空かせた旅人や、弱っている獣に勝手に与えている場合が殆どなのに。俺は腹が減れば見境なくメシを喰らう野獣扱い。
で、ケントの仕業だと分かると「もうケントったら、仕方ないわね」で許すのだ。
理不尽だ。
魔法も碌に使えない俺は戦闘では真っ先に敵に突っ込んで、滅茶苦茶に暴れて場を混乱させて隙を作り、後衛の仲間が魔法で仕留める、と言うアホみたいな戦い方をしているせいで、脳足りんの称号まであるので猶更だ。
つうかこれも、パーティーメンバーの指示だけどな!
食う・寝る・戦う、しか考えていない筋肉馬鹿、それが俺だ。
(そりゃ、賢者の称号を持つケントと比べたら馬鹿だろうよ。でもそんなのお前らだってそうだろ。それに…)
「あれ、みんなどうしたの?」
噂をすれば何とやら。ケント・ルナが現れた。
燃えるような赤い髪に金色の瞳を持つ、爽やか系イケメン。
弱きを助け悪を挫き、困っている人を見れば放って置けない超お人好し。
『幸運』と言う、万事が自分の都合のいい様に進むチートスキル持ち。やる事なす事思いのままである。
十五歳になるまで魔法が一切使えず、男爵家の三男坊と言う事もあり家を追い出され、魔物に襲われている時に、「実はあなたは五千年前の勇者の生まれ変わりで、命の危機で魂が覚醒し前世の力が復活…」的な声が脳内で響き、勇者として覚醒したそうだ。
なんてベタな。
でも力は本物だ。
なんやかんやで国王の公認も得て、ケントは人類の希望、勇者様として魔王討伐の旅に立ち、今に至る。
「ケント!この筋肉馬鹿、また食料を食い荒らしたのよ!べっ別に、あんたを心配して言ってるんじゃないからね!勘違いしないでよね!」
「ケント様、この筋肉馬鹿に口輪を付ける事をお勧めいたします」
「きゃははは!あたしがケントっち専用の人形に改造してあげようか?」
「ケントお兄ちゃん。魔獣の餌、ディーターする?」
四人の美女はわっとケント群がって、俺の冤罪をでっち上げ訴えた。
ハーレムかよ。それぞれケントに大恩があるそうだが、あれは絶対に惚れている。全員もれなくケントに惚れている。
男性向け異世界ファンタジーの主人公かよ。
出会うキャラは美女ばっかで、最初は警戒されても結局は好意を持たれ、でも当の本人はモテに無自覚。恋愛方面には宇宙規模で鈍感なタイプの主人公かよ。
俺が加入した時点でこれだった。
今でも鮮明に思い出せる。闇の組織から解放されて、仲間と初顔合わせとなった時の表情。
この薄汚い、筋肉だけの脳みそ空っぽ大男を仲間に?絶対嫌だ。汗臭でベタベタしそう。ビジュアルの時点で受けつけない。無理、キモイ。でもケントに嫌われたくないから仕方ない…、って渋々承諾した顔を。
そして無駄に露出が多い衣装の、女共の胸元に徐に目がいったら、「この野獣が…!私はケントのものなのよ!性欲の捌け口にしようとしてるわね!あんたの様な野蛮人に私が屈する事はないわ!」と、ケントのいない所で散々貶されえ罵倒された。
女だって、いい男がいたらチラ見するくらいするだろ⁈
ケントをソウイウ目で見た事無いとは言わせない。つか、秋波は随時全開だ。
そんでケントに同じ様にチラ見されても、なんも言わねえんだろ?
むしろ見せに行くんだろ?!
ケントの目が無ければ、いつだってあいつらは、俺を下劣な野郎だと見下すのだ。まあケントがいてもたいして変わらないが。
こうして俺は、ヤツらに異性として何か感じる事は一切無くなった。
「ディーターもわざとじゃないんだから、みんな許してあげてよ」
おい、冤罪を肯定するな。
それは優しさじゃないぞ。
何で俺を信じないんだよ勇者様⁈
はあいと、女共はケントに甘えている。俺へ馬鹿にした視線を送って来るが、別に悔しくも羨ましくもない。
もういつもの事だ。慣れてしまって何も感じない。
こいつらにとって俺は、唯一の前衛で、馬鹿で使い勝手がいい肉壁だ。
ディーターはケント達から離れて一人重く溜息を吐いた。
異世界転生を自覚した時の、期待に充ち溢れた瞳の輝きは失われ、ただ駒として利用される日々。
ディーターは、何故自分がここにいるのか解らなくなっていた。
エルフの里にやって来た。
エルフの長の姫で、千年振りに産まれた聖女で、エルフの秘術を受け継ぐ唯一の巫女で、ケントが実家を追い出されて直後に、魔物から助けたのが出会いで、語り口からしてケントの本命な娘から、政略結婚から助けてほしいとケントに念話が来たからだ。
多い。設定が多いよ。情報の整理がつかないよ。
ヒロインなんだね?ヒロインの登場なんだね?だからって設定盛り過ぎだよ。巫女と聖女って同じじゃね⁇
今俺達は、エルフのお姫様の結婚を祝う野外宴会場にいる。
「勇者様を招けるとは我が一族の誉れだ!」
「何て神々しいんだ。神のご加護が篤い証拠だ」
エルフ達が代わる代わるケントに給仕をし、称賛の言葉を掛けてくるが、その勇者様に、あんたらのお姫様は今から攫われるのである。
ひと言くらい罵っておいたら?名誉棄損とか気にするな。
あと神々しく見えるのは、スキル『崇拝』のせいだ。
女達も、それぞれちやほやされている。
俺?俺は一人だ。
森の麗人と称されるエルフから見たら、俺は美的感覚の逆をいく不細工だ。見れたもんじゃねえと、俺の周りだけぽっかりと空間が開いている。
魔法と言う至高の芸術を使えぬ、暴力で全てを解決する虫以下の野蛮生物なんだと。
一生懸命生きている俺と虫さんに謝れ。
直接言われてねえけど、身体強化してるから聞こえてっから。こそこそしてても意味ねえから!
でも、俺が子供の頃やらかした件も影響してるみてぇだから言い返せないんだけどな!
大地割ったらそりゃ野蛮だよな!
ケントが俺にウインクをよこした。
うへぇ気持ち悪い…じゃねえ合図だ。
持っていたジョッキをダンッ!と乱暴に置くと、おおいと声を張り上げる。
「肉が足りねえぞ!肉が!草ばっかりじゃ力が出ねえんだよ!エルフは勇者に草しか食わさねえのか?俺は牛じゃねえんだぞ!肉持ってこい肉!」
お祝いムードで盛り上がっていた場が凍り付く。野蛮人が何をと、エルフ達が固唾を飲んだ。
「ディーター殿、何か不足がございましたかな?」
エルフの長自らのお出ましだ。愛する同胞を野蛮人から守る為、自らが犠牲になると。
美しい同胞愛だねえ。狙い通りだよ。
「おいおい、長様よお。今日はめでたい結婚式じゃねえのか?このシケたメシはなんだ?エルフの里はもてなしも満足に出来ないのか?」
「エルフは元々あまり肉食を好まないので、それ程肉料理は用意していなかったのです。…想定外のお客様がいらっしゃって、それも尽きてしまいましたが」
「なんだ?俺が悪いのか?お前らの不手際を俺様のせいにしてんじゃねえよ!俺は勇者だぞ!」
エルフ達の氷の視線が突き刺さる。
何が勇者だ。真の勇者であるケント様につき纏う腰巾着の癖にと。
「ご酒を用意させましょう。今日の為に用意させました一級品です」
「酒で誤魔化そうってか?酔わせればそれでいいと?馬鹿にすんじゃねえ!」
テーブルを思いっきり蹴る。けたたましく食器が割れる音と、怯える悲鳴が上がった。
酒なんて飲めねえよ。前世が未成年で死んだせいか、十八で成人した今でも、飲酒に抵抗があるんだよ。
果実水で頑張ってるんだよ。
むしろ酔いたいぜ。
良心の呵責に苛まれてしょうがねえからな!
「…ケント殿のお連れだからと下手に出ていれば…。やはり『夜狗』か…」
夜狗とは、俺の様な黒髪で紺の瞳の者を言う。
その昔、魔族と人間の境が曖昧な時代に、その間に出来た子供の子孫だ。
でもそれは太古の昔の事。
魔族と人が争う様になると、忌み子として殆どが産まれて直ぐ殺され、または見つかり次第殺されて、絶滅した筈だった。
俺は先祖返りでも、現代の禁忌の子供でも無く、息を潜めて奇跡的に生き残った、夜狗の両親から産まれた生粋の夜狗だ。
俺が虫だの筋肉呼ばわりされ、馬鹿力であるのも夜狗である事が根底にある。
両親はって?俺が割って出来た新しい島でのんびり暮らしてる。
別に、人間からも魔族からも迫害され、憎しみと絶望を糧に恨みを晴らすべく、血で血を洗う戦いの中で生きて来た…とか悲しい過去なんてないから。
両親は俺ほど逸脱した容姿では無かったので、上手い事ことひたすら回避と逃避で穏便に過ごして来た。
現在は島でリゾートを楽しむが如く、息子がうっかり作ってしまった島の開拓を楽しんでいる。身内が勇者の仲間になり、隠れる必要も無くなりめちゃくちゃ楽しんでいる。
「族長大変です!姫が消えました!」
「何⁈」
睨み合う俺達に、花嫁の姿が見えないと報告が入る。高砂席にいる新郎は、オロオロとしながら早く探せと怒鳴り声を上げていた。
優秀なエルフを残す為の、繁殖牝馬のごとき結婚。逃げたくなるのも分かる。
だが、出来れば他の奴を頼って欲しかったなと、ディーターは腰を上げた。
混乱に次ぐ混乱の中にいるエルフ達の中で更に暴れる。ケント達がお姫様を攫って逃げる間、時間稼ぎをするのが俺の役目だ。
俺の評判は無視。脱出方法は教えられていない。細かい作戦は馬鹿に言っても理解出来なからと、最初から説明をされなかったのだ。
そしてケントは、『崇拝』の効果で恨まれる事は無い。今は怒りを買っていても、後々「勇者様のお陰で自分達の愚かさを知りました」と、感謝される事になるのだ。
前例があり過ぎて、想像が容易すぎる。
エルフの里を半壊させた頃、演算魔導士ツィケルの術が発動して俺は里を脱出した。
「里を破壊尽くすなんて、本当に考え無しの野蛮人ね!エルフの人達が可哀相だとは思わないの?バカバカ!さいってー!」
「彼らは間違った結婚を姫に強いましたが、一族を思う気持ちは本物でした。その彼らを襲うなんて。人の心がないのですか?ああ、人じゃなかったですね…」
「きゃははは!何処まで演技だったか分かったもんじゃないし、全部本心?マジ屑だし。里を乗っ取って女を襲おうとしたんじゃね?」
「下劣、汚物、能無し、貪婪、淫魔…」
合流すると早速、罵倒の雨あられが降って来た。いつもより割増なのは、勇者ハーレムに新人が入って気が立っているからだろう。
しかもケントの本命らしい、エルフのお姫様。でもケントに不満はぶつけられない。嫉妬深い、面倒な女と思われたくないからだ。
だから捌け口に俺を使う。俺はサンドバッグか。
「アラーサ、もう大丈夫だからね」
「ありがとうございます、ケント殿」
俺が四人の殺気立った美女に攻められている時、ケントとエルフの姫アラーサは、手を取り合って見つめ合っていた。
アラーサは月の粉を塗したような、キラキラと輝く白い髪の美女だった。
純白の花嫁衣裳に、地面に扇状に広がる絹の長髪。瞳まで白に近い銀色。まるで白い女神だ。
「我が主、永遠の忠誠をあなたに」
その二人の側で、片膝を突いて首を垂れている忍みたいな女がいる。
花婿がアラーサを取り戻す為に寄越して来た、ダークエルフの刺客ハァンだ。例に洩れず、無駄に露出が多くて色っぽい美女だ。
ダークと言うだけに、肌は褐色、短い髪も黒いが、俺とはまた違う色合いだ。瞳は真っ赤。
その昔、魔族と密通したエルフの裏切り者が、罪の証として魔の象徴たる黒を背負わされ、それが子孫にまで受け継がれているそう。
そしてダークエルフは、純潔のエルフの奴隷として、表立っては出来ない汚い仕事をやらされている。今回みたいな。
でもここは、男性向け異世界ファンタジーっぽい世界。
ダークエルフの刺客は、身の上の不幸を嘆き、ケントに同情され諭させ、なんやかんやでケントに骨抜きにされて陥落して、速攻ハーレムに加わった。
今日だけで二人、総勢美女六人である。
勇者ハーレムの進捗が良すぎる。
しかしあのお姫様。俺が宴会前に厠を探してうろついていた時に、偶然鉢合わせた女だよな?侍女らしき集団に囲まれていた所にさ。
今考えてみると、自力でも脱出しようとして、侍女に阻まれてしまった現場だったのだろう。
質素な服姿で、髪も布で覆っていたので印象は違うが、その美貌までは変えられない。
揉めていたアラーサ達は、バツが悪そうにそ知らぬふりで俺をやり過ごそうとしていたが、俺はこいつらよりもひとつふたつも目線が高い。故に彼女の上に糸を垂らして下りてくる、そこそこデカイ蜘蛛がいる事に気付いた。
ぬっと出されたデカイ手に、何かされると思ったのか侍女達が怯えて身を引く。
アラーサは驚き過ぎて身動きが取れなかったのか、自分の頭上に下りて来た蜘蛛をそっと手に乗せて、その辺に離すまで俺の姿を唖然と見上げていた。
「見て、毒蜘蛛を平気で触っているわ…」
「夜狗は毒蜘蛛だろうと関係ないのね」
「もしかして喰らう為に…?」
えっ毒蜘蛛?早く言ってよ!超怖いじゃん!
それに喰うわけねえだろ!俺は体張る系の芸人か!
蔑みの視線を無視して、今度こそ厠を探しに行く。
別にお前らの為じゃない、蜘蛛だからと追い払われたり、殺されたりしまっては可哀想だと思って、蜘蛛を助けたのだ。
「ありがとうございます」
鈴を転がしたような美声が耳に届いた。
俺も侍女達も、信じられないと言う顔でアラーサを凝視した。
俺は感謝なんて普段されないし、侍女達は夜狗に礼をするなんてと。
「おっおう…」
どうしたらいいか分からずに、適当に返事をして、そそくさとその場を立ち去る。
背後から、夜狗は礼儀を知らないだの、夜狗と関わると、貴女様の名誉に関わると無礼な言葉が聞こえたが、何年かぶりの温かい言葉に、俺の胸はほんのりと熱を持っていて、そんなの気にならなかった。
その直後のあれやこれやで、すっかり冷え切るが。
「で、そんな子もケントのハーム入りか…。根は意地悪な感じじゃなさそうだけど。あいつらみたいになんなきゃいいな…」
罵られ疲れで座り込み、美女達とそれに囲まれるケントを見やって、俺は嘆息を吐いた。
次の目的地は人魚の里だった。
魔王を斃す為に、人魚族の秘宝『灾神の海綿』なるものが必要だそうだ。
海底火山に納められていると言う伝説と、それは人魚に選ばれし戦士にしか取り出せないとか…、つまり、次のハーレム加入者は人魚ね、はいはい。
それはいいとして、俺は窮地に陥っていた。
女共からの蔑みがすごいとか、そんなんじゃない。
ダークエルフのハァンが、バリバリ前衛戦闘員だったのだ。
単身で刺客に送り込まれるくらいなので、実力は折り紙付き。しかも近接魔法・隠形魔法・縮地法などの魔法を使い熟し、気付いた時には敵を殲滅しているのだ。
つまり、俺の必要性が亡くなった。いや無くなった。まだ死んでいない。
でもそうなるのも時間の問題かもしれない。
筋肉戦闘狂いキャラの辿る運命なんて、散々な結果になると相場が決まってる。
自分の利益の為に仲間を裏切って敵に寝返えって死ぬ。騙されて利用され犬死する。「俺の事は気にするな!先に進め!」的なフラグを立てて死ぬ。
じゃあさっさと抜けろと言う話だが、俺はケントが見張っている前提で解放された身だ。ケントが許さない限り離脱は不可能だ。
仲間を抜ける事で、両親の立場が悪くなるのも困る。せっかく楽しく島開拓してるのに。水路作ってるとか風の噂で聞いたのに。
そして古今東西勇者様は、お人好しで乙女心に鈍いと決まっている。
あの役立たずのキモいメシ喰らいを早く追い出したい、と思惑を持つハーレムになど気付かず、「お前の出番が無くなっても、俺達はお前を見捨てないからな!」と、励ましている様で、役立たず烙印を押して来た。
ケントが納得する理由でなければ、このハーレムを抜ける事は出来ない。
人魚の里の事を教えてくれた森の隠者(美男)が、ケントに絆されていく姿を見て、俺ももしかしたら…と危機感を抱き、焦りは募るばかりだ。
でも焦るばかりで解決策は浮かばない。
「ディーター様、お茶をどうぞ」
「ん?ああ、ありがとう」
野営の寝ずの番は決まって俺一人だ。
焚き木の炎の揺らめきで、永遠に感じる闇夜を誤魔化す。
体力が有り余ってるだろうと、女共———女性陣だ、この間うっかり口に出したら、何様だと散々罵られた———に押し付けられている。ケントは、俺が快く引き受けていると思っている。
しかしその中で、アラーサだけが何かにつけて気を配ってきた。
今みたいにお茶を淹れたり、夜食を差し入れたり、様子を見に来てそのまま居座ったり。
これがヒロインか。正妻の格の違いか。
デキる女は夫の腰巾着にも心を砕けるか。
圧倒的ヒロイン力と、無自覚でもケントが恋している事が丸分かりな様子から、他の女性陣が暗黙の了解で正妻と認めたアラーサ。
この人に「肉の壁になってこい」と言われたら心が壊れるかもしれない。
お茶を差し出した後、ちゃっかり隣に腰を下ろすアラーサ。筋肉達磨の隣なんて、エルフの彼女からすれば生理的に無理だろうに、夫の為に頑張るね。
「ディーター様、お腹が空いていませんか?お肉を用意いたしましょうか?」
「勝手に喰ったら他の連中にドヤされるし、肉は好きだけど、そんなやたらめったら要らねえよ」
相変わらず、肉さえ与えていれば良いと思われている。
「申し訳ございません。では他に何がお好きですか?甘いものや辛いもの、ご酒はお好きではないですよね?実は里で一滴も飲んでいないですよね?旅の間もご所望されませんし。他にわたくしにご用意できるものなら何なりと!」
にこにことアラーサは笑う。本当に嬉しそうに。
危ない危ない。ケントの嫁じゃなかったら惚れていた。ケントのハーレム要員と言うだけで全てが萎える。
「別にいいし。もうあんたは寝ろよ。俺に構ってるとちょっかい出されるって、セラ達に言われてるんだろ?」
くいっと顎で指した方は、個人用テントが並んでいる。
正確に言うと、ケントのテントを中心に、女性陣のテントが取り囲んでいる。
「まあ、ディーター様はそんな事なさる方ではありませんわ。わたくしを毒蜘蛛から助けて、その毒蜘蛛も生かして助けたお優しい方ですもの」
「俺は夜狗だぜ?エルフからしたら蛇蝎の如く赦せない存在だろ」
エルフは精霊魔法を得意とする。それは創世の神より与えられた人類を守る神聖な力だ。
人類の敵、魔族の血を受け継ぐ夜狗は宿敵だ。
「そんな事を言っていたらキリがありません。自分の仇を屠り、その仇の家族も憎いからと排除し、その者が大切にしていたものも破壊して。区切りを付けなければ、最終的に何も残りません」
「言いたい事は分かるけど、俺は仇の張本人みたいなもんだろ?俺を倒してそこで手討ちにしようとか思わんの?」
「どうしてディーター様を?仲間のディーター様を手にかける何て、絶対にありえません!」
こちらに身を乗り出して、力強く訴える。
近い近い。分かったよ。気持ちは分かったから離れてくれ。
肩を押し返そうと手を伸ばすが、薄い夜着越しに触れるのも躊躇われ、不自然な格好で固まる。
「何してんのよ!」
叫び声と共に、視界が反転した。
セラが弓を構え、ツィケルが魔法陣を構築し、ソービーが巨大化させた人形で俺を押さえ付け、デーナの魔獣がアラーサを俺から守る様に立ち塞がる。
「今、アラーサの胸に触れようとしていたわね!いつかやると思ってたのよ!」
セラが何か言っているのは分かるのだが、押し付けられて呼吸が出来ず、意識が遠退いてうまく聞き取れない。
無理やり引き剥がしてもいいが、人形とソービーは繋がっているらしく、人形が傷付くとソービーも傷付く。腹でも破ったら冗談では済まない。
「一体なんの騒ぎだい?」
ハァンに呼ばれて、慌ててケントが駆け付けた。
口々にディーターがアラーサに乱暴をしようとした事、このままでは仲間の安全に関わる、このまま処分しようと騒ぎ立てる。
「本当なのか、ディーター?」
険しい眼でディーターを見下ろすケント。
しかしその言葉はディーターには届いていなかった。
気を失う寸前、自分を取り囲むセラ達の輪の隙間から、ケントに肩を抱かれてテントに戻るアラーサが、こちらを振り返って見ている姿が映った。
どんな表情をしているのかは分からなかった。
そして俺達は肉を食っている。
え?訳わからんて?
俺もわからない。
あの流れなら、俺は血祭りにあげられてジ・エンドだ。
しかしあいつらの中で、どういう話し合いがあったかは分からないが、俺はツィケルの魔法と、デーナの小型魔獣の監視を付けられて情状酌量となった。
そして人魚の里に向かう道中、魔物に襲われていた老人を助け、そのお礼にと家に招かれ、牛の畜産農家だった老夫婦に肉をご馳走されていた。
気まずいし、いつ処刑宣告されるのかとひやひやしているが、老夫婦の手前、俺達は仲の良い勇者一行を演じている。
しかし、この肉は旨い。
甘い脂身、噛めば噛むほど旨味が迸る赤身。
俺と一緒に食卓を囲むなんて嫌な筈の女性陣も、肉の旨さに俺の事など忘れて齧り付いている。
「おかわりはいかがですか?」
老夫人が言うや、みんな揃って頷く。
肉食を好まないエルフの二人でさえそうなのだから、この旨さは神っている。
「こんなに美味しいお肉は初めて食べました。ご夫婦が愛情を持って育てている証ですね」
ケントが称賛の言葉と同時に空の皿を差し出した。
老夫人が肉を皿に置きながら、少し寂しそうに言う。
「勇者様にお褒め頂いて光栄です。ですが、私ども夫婦はこの歳です。跡取りもおりませんし、近いうちに離農しようと思っております」
肉を頬張る各々に衝撃が走った。
「そんな、こんなに美味しいのに…」
「うそ、嫌よ。ちっ違うからね!私じゃなくて、皆の気持ちを言ったんだからね!勘違いしないでよね!」
「このような最高の美食を失うなんて、人類の大きな損失です」
「きゃははは!まっじー?ありえないんですけどー!まじ最悪ぅ!」
「…失望…悲しい…」
「我が主が悲しんでらっしゃいます。お考えなおして頂けませんか?」
「もぐもぐもぐもぐもぐ…」
ケントも女性陣も残念がってる。
いや一人ひたすら喰ってる。
最後なら今のうちに喰っとけと、食い溜めしてる。
隣で肉を頬張るアラーサを、呆気にとられながらディーターも肉を頬張る。
旨い、旨すぎる。
奴らに同意するのは癪だが、本当にこの肉をもう食べられなくなると思うと、惜しくて美味しくて、肉を口に運ぶ手が止まらない。
その時、肉汁がお口の中で弾けると同時に、ディーター中で天啓が下りた。
(これがエウレカ…!)
ディーターは肉を飲み込むと、突然立ち上がった。
不審な目を向ける一同を無視して、ディーターは老夫人と、奥の調理場で肉を焼き続ける老主人に向けて宣誓した。
「ご夫婦よ!後継者がいないなら俺がなろう!あなた方が育て上げたこの素晴らしい肉が、ここで絶えてしまうのはあまりにも美味しい、じゃない、惜しい。だがら俺が跡を継いでこの肉を世界に届けよう!」
ジュウウゥゥゥゥ…と、肉が焼ける音だけが響く。
こいつらは、筋肉がなにとち狂ってるんだと思っているだろう。
普通、勇者一行からの離脱なんて展開、よっぽどの理由が無いかぎりならない。
その理由が、まさかの肉惜しさ。
例に漏れず、大切な仲間との別れなどの一大イベントは、主人公と仲間との絆の深さの再確認、この後の展開として重要なものだ。
それによって主人公が大きく成長したりする。
それが死別でも裏切りでも、痛みと悲しみを知り、絶望とそこから這い上がる力を得る。
勇者パーティーとの別れのハードルが高く、シリアス展開で悲劇的な離脱コースがベタでも、俺は張られたレッテルを思う存分利用して、それを上回るギャグ展開でおさらばするのだ!
どうだケント。散々惜しんでいた肉の後継者が名乗り出たぞ。
悲観的な別れでは無く、前向きで老夫婦の想いを受け継ぐと言う、ヒーローなら応援したくなるシチュエーション。
戸惑う老夫婦だが、ディーターが勇者一行の一員である為、無理ですとも言いにくいのだろう。
ケント達は今悩んでいる。
夜狗の俺を野放しにしてもいいのか。非力な老人の下に残していいのか。
しかし、この肉がもう食べられないなんて嫌だ。
何より、今こいつを離脱させれば、邪魔ものが居なくなり理想の楽園が始まる。
そんな打算と欲望の瞳を交差させる一行を、老夫婦はとりあえず本日は皆様お泊りになって…、と微妙な空気を誤魔化す様に寝室に案内していった。
よし、どうやって説得させようかと、俺は腕まくりして勢いこむ。
その様子を、肉を頬張ったままアラーサがキラキラした瞳で見上げていた。
「ビックリするぐらい、説得が上手くいったな」
まさか俺が、夜狗である事が功を奏するとは想像だにしなかった。
老夫婦が新婚だった時代。夫婦は親族から土地を譲られてそこで新婚生活をおくる筈だった。しかしその親族が土地を別の人物に売り飛ばし、夫婦から受け取った頭金を持ち逃げして音信不通になった。
しかも親族は、自分の不正の濡れ衣を夫婦に着せる。地元に居られなくなった夫婦は、未開拓の土地に追いやられる。
そこには、野生の獰猛な牛が生息していた。
農業をするには土地は痩せ、油断すれば獰猛な牛に襲われる。二人が絶望に頭を抱えるさなか、その横で肉を焼く謎の男女が突然現れた。
あ、食います?と差し出される肉。
いや、あんたら何者やねん⁇と、ツッコむ夫婦。
それはなんと、浮浪生活中の俺の両親だったのだ。
浮浪の身とは言え、夜狗の両親は牛程度の生物はお話にならなかった。ささ身の筋取りのが難しいと言ったそう。
牛は両親に恐れをなし、すっかり獰猛性を失う。
夫婦はその肉の旨さに感動し、是非この牛を飼育したいので許可が欲しいと両親に懇願した。
いや野生の牛だし許可も何もと、腹が満たされると両親は、再び浮浪生活の旅路へ戻って行った。
夜狗の圧倒的強さに完全服従した牛は、それ以降夫婦に家畜として飼育される事になる。
知る人ぞ知る、黒毛短角牛の誕生の瞬間であった。
で、生きる糧を与えてくれた恩人の息子である俺が、後継者に名乗りを上げたと知り、老夫婦は手を叩き涙を浮かべ大歓迎した。
「親父たち、なーにやらかしてんだよ。まあ今回は、むしろラッキーだったんだけどさ」
野生の牛の生態変えてるけど。
動物の家畜化って、もっと時間かかったりするもんじゃないの?そんな力尽くで勝手にやっていい事なの?保護団体的な所から怒られない?あ、だから逃げた…。
島開拓を楽しんでいるだろう二人を思い浮かべる。
浮浪中ほかにやらかしてないか問い質せねばなるまい。
畜産農家生活よりも気になる事が多すぎるな…と、ケント達が休む部屋の前を通りかかった時だ。
「アラーサ………やっと……君と結ばれ………」
「………お慕いしています。これは本当の気持ちです………」
ケントの部屋の中から、ケントとアラーサの会話が聞こえて、思わず足が止まった。
無意識に聴覚を研ぎ澄ませていて、クリアに聞こえたアラーサの言葉に、慌てて音をシャットアウトする。
夜遅く、男女が一つの部屋でするコトなんて決まっているじゃないか。
ケントは勇者で、アラーサは本命ヒロイン。
邪魔ものが退散すると確定し、障害が無くなった二人は、気持ちが盛り上がって…。
抱きしめ合う二人を想像して、漏れ聞こえて来た家具の軋む音を合図に、俺は急いで自分の部屋に戻って、荒々しく扉を閉めた。
俺がまだいる事を忘れてんじゃねえよ。ここは人様の家だぞ、盛り上がるのは他所でやれ!
ベットに潜り込むと、布団を頭から被り、全てを閉ざす様に固く瞳を閉じた。
今日までだと、何度も心の中で繰り返し自分に言い聞かせる。
瞼の裏に浮かんだ、真っ直ぐにこちらを見上げる、偏見も差別も無い美しい笑顔。
裏切られたと思ってしまっている自分がいて苦笑が漏れた。
勝手に期待して、勝手に裏切られたと思ってんじゃねえ。
これだから、筋肉担当は。
翌朝。
ケント達の見送りに出た俺の前には、にっこにこの笑顔で、俺が知る限り一番機嫌のよい女性陣の姿があった。
少しは、死線を共にした仲間との別れを惜しむ気はないのか。
肝心のケントとアラーサの姿が見えない……あっ出て来た。ケントは険しい顔をしている、昨日の晩の疲れが……野暮な想像はよそう。
「じゃあ、ケント。今までありがとうな。俺の身元保証人はご夫婦がなってくれるってよ。俺が安全な事はお前が良く知っているだろ?俺が暴れたら粛清する様に、王様と約束してるんだろ?一応勇者一行として功績もある訳だし、今更処分も何もねえよな?」
夜狗を野放しにする懸念だろうかと思ったが、なんか感じが違う。
女性陣が腕に絡んでさっさと行こうと促しても、ケントは動こうとしない。
さすがの俺も何かおかしいと思い始める。
やけに近くに立つ、アラーサとか。
「えっと…アラーサさん?ほら、ケント達行っちまうぜ?」
「あら、まだいらっしゃいましたの。ケント殿に他の皆様、今後のご活躍ほどご期待しておりますわ」
にっこり笑って小首を傾げ、ヒラヒラと手を振ってアラーサはまた俺に身を寄せた。
え?あんたは?
え?行かない?
俺が混乱していると、ケントが一歩踏み出して、アラーサと呼ぶ。
「考えなおしてくれ。ここに残るだなんて。窮屈で閉鎖的なエルフの里から出られたのに、また一つの土地に縛られるのかい?君はもう自由の身なんだ、自由に世界を周って、自由に生きていいんだよ」
両手を広げて、その胸に飛び込んで来るのを待っているかのようだ。
―――ん?ちょっと待てよ。てゆー事は…。
「ケント殿。わたくしを里から救い出してくれた事、本当に感謝していますわ。そのお礼に昨晩差し上げたでしょう。わたくしの全てを」
ぎょっと、俺も、女性陣も眼を剥いた。ここで今話す事かと。しかし女性陣はまあケントの正妻だしと、冷静さを直ぐに取り戻す。
「わたくしの全魔力を注ぎ込んだその聖剣。抜刀するだけで大抵の魔物は塵になり、掲げればあらゆる病を癒します。まだ不十分だと仰るのなら、わたくしの個人資産を、王国銀行から引き落として構いませんわ。それなりの金額がある筈です。だからどうぞ、わたくし達の事はお気になさらず、人魚の里に灾神の海綿だか海パンを取りに行って下さいな。わたくしはここで、ディーター様と美味しいお肉を育てます」
ごくりと、生唾を飲む音がした気がする。アラーサから?まさかこのお姫様から???
一堂はまた眼を剥いた。
女性陣は呆気に取られ固まり、ハァンなどうちの姫が乱心したと、褐色の肌を真っ青に染めている。
「ちょっとアラーサ。あんた何い言ってるのよ!その言い方だと…、そこの野蛮人と一緒に居るって聞こえるわよ!」
セラがツインテールを激しく揺らし、
「アラーサさん。そこのクズに弱みでも握られましたか?」
ツィケルが眼鏡をくいっと上げながら、静かに魔法を練り、
「きゃはは!夜狗菌がエルフに悪さでもしたんじゃないの?きっしょ!」
ソービーが鼻を摘まみながら、うえっと顔を背け、
「理解不能、意味不明、解せない…」
デーナはブツブツと、目を暗くさせ呟き、
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」
ハァンは暗器を構え、物騒な事しか言わない。
え…?ドユコト?
さっぱり状況が理解できない。
おいアラーサさん。あんたの発言で、みんな大混乱だよ。
いつの間に、俺の腕に寄りかかってるんだよ。なに幸せそうに微笑んでるんだよ、見つめてくるなよ、美人だなおい!
女性陣の殺伐とした空気で絞殺されそうだ。
「アラーサ、どうしてそんな寂しい事を言うんだい?僕達は仲間だろう、何があっても僕が君を守るし、僕は君を裏切らない。ありのままの君を受け入れるし…何より僕が君と離れたくない」
ケントがすっとアラーサへ手を差し伸べる。優しい、全てを包み込む笑みを浮かべて。
まるで宗教画の様な神秘性と煌々さだ。スキル発動してないか?
女性陣は殺伐さも無くし、うっとりと魅入っている。
「ディーター、君がここに残りたい意思は尊重する。君はもう罪人ではない。信頼して任せられる。…でも、アラーサを惑わすのは見逃せない」
きりっと、今度はディーターを見やる。
なんだよ、それは、俺だって何にも分かんねえのに、また俺が悪者か?
「黙って聞いていれば…」
諦めの境地で心を閉ざそうとした時、下の方からドスの効いた声が、その扉をがっと掴んで押し留めた。
「申し訳ございませんディーター様。わたくし驕っておりました。自惚れておりました。恵まれた容姿に産まれ、好きなお方と昼も夜も共にして、これからの生涯も共にできる機会に恵まれて、しっかりと想いを伝える事を失念していて。とっくに両想いだとばかり、お恥ずかしいですわ」
「え?」
ドスの効いた声が幻だったように。鈴を転がした様な声と共に、すっと身を引いたアラーサは、ディーターの顔をしっかりと見上げた。
「ディーター様、わたくしを妻としてあなた様のお側に置いて下さいませんか。あなた様にもここのお肉にも、すっかり魅了されてしまいましたの」
一瞬の静寂が場を支配し、女性陣の悲鳴がそれを切り裂いた。
聞き取れない程の叫びと怒号と混乱。呆然としていたケントは、はっと我に返るとアラーサに詰め寄った。
「何を言ってるんだアラーサ。君は疲れてるんだ。だから…」
アラーサはちらっとケントを振り返る。
「何を言ってる?ディーター様への愛の告白ですわ。昨晩膝を付き合わせて散々説明いたしましたでしょう。それに、前々から思っていたのですけど、ケント殿達が、わたくしがケント殿をお慕いしていると思っているそれ、何なんですの?」
んん?とケントが顔を顰める。
「助けられた人間が全員、助けた人に惚れるとも?感謝こそすれ惚れるとも?窮地に陥り、勇者として名を馳せていたケント殿に助けを求めた事がそうなら、謝罪いたします。そうやって勘違いさせてしまったと」
「勘違い」
「わたくし、思わせ振りな態度をとっていましたでしょうか。ご恩があり勇者に礼は欠いてはならないと、誠実な態度でお仕えしていたつもりですが。さっさと力を譲渡して、お礼を返して、ディーター様と愛の逃避行を早々にしていれば良かったですね」
「愛」
「しかしそれだと、このお肉と出会えませんでしたし、やはりこの機会が最善でしたわ。愛欲と食欲を同時に満たす。神様ありがとうございます。産まれてきて良かった!」
「食欲」
アラーサが言葉を重ねてゆくにつれ、単語しか繰り返さないケントの瞳から、光が失われていく。
良かったのくだりで、俺の腕に思いっ切り抱き着いてきて、柔らかい諸々の感触やら、いい匂いやらがして、俺の魂は大気圏の向こうへ吹っ飛んだ。
どうする俺。
どういう事だ俺。
聖女だか巫女だかの力が無くとも、アラーサの女子力は最強である。それが俺を好きだと、妻にしてくれと言っている。
ケントを好きでは無いと全否定している。
………肉喰い過ぎて脳が筋肉になったか?
「どうしてディーターなんかを」
女性陣から当然の疑問が上がった。
魔法は碌に使えない。故郷の里を滅茶苦茶にし、エルフが蛇蝎の如く嫌悪する、筋肉だけが取り柄の夜狗。自分ですらどうしてと、大気圏の向こうから疑問符を浮かべた。
ギロリと、聖女とは思えない視線でそれを黙らせ、アラーサはうっとりとディーターを見上げる。
「一目惚れです。毒蜘蛛からわたくしを守り、わたくしを里から逃がす為孤軍奮闘する勇ましさ。ひとつ好ましい点が見つかれば、後は次々と見つかります。わたくしと話す時は、視線を合わせて屈んでくれるところ。わたくしを『綺麗』よりも先に、『強い』と言ってくれたところ」
『あんた、自分で逃げ出そうと考えるだけあって、強いな。魔物が一瞬で消え去ったぜ。聖女様なのに相当鍛錬積んだだろ。ああ、聖女だからか、その名に恥じない努力をってか。そのあんたを蔑ろに扱おうとしたんだから、アイツらそうとうだったな。え?自分は責任を放棄した?じゃあほとぼりが冷めたら帰ってさ、ほら聖女様が返って来てやったぞ。責任取ってやるよ。でもまずはお前らを粛清してからだ、って言ってやれよ』
んな事言った記憶はあるが、それで?本当に?ケントの方が散々、歯の浮く優しいセリフ宣ってじゃないかよ。甘くて蕩ける様なあのツラでさ。
自分で言うのもあれだが、内容が筋肉すぎないか?
「そんなディーター様を蔑み貶し、いいように利用し、感謝もせず、都合の悪い事は全てディーター様に押し付けるあなた方を、どう好ましく思えと?」
魔法なんて発動していない筈なのに、周囲の温度がぐっと下がった。
目が座ったアラーサは淡々と続ける。
「救っていただいたご恩。そして自分から懐に入って責任を果たすまでは、ご一緒するつもりでした」
まで?と思ったディーターの心を読んだかのように、アラーサはうって変わって目元を和らげ、極上の美女スマイルで見つめ返す。
「潮時がきたら連れ去ってしまおうかなと。古来には誘拐婚なる蛮行があったそうですが、この場合はむしろ善行だと、虎視眈々と機会を窺って…」
窺ってなんだよ。薄幸の美女感丸出しなのに、中身が筋肉なんだよ。
「でも、ディーター様も同じ気持ちだと思っておりましたが、違ったようですね。ケント殿達とわたくしも変わりませんね…」
「いや…あんた、あなたは、違うから…」
「そうですか!ではとりあえず婚約者から始めましょう!同棲から始めましょう!ちょびっとでいいので!先っちょだけでいいので!先っちょだけで!」
グイグイくるな聖女様!段階を色々飛び越えてるな!
……あれ、これ、そう言うコトになる流れ?
「いや待ってくれ!アラーサは僕達と人魚の里へ行くんだろ!」
ケントが再起動した。見た事も無い焦り様でアラーサへと詰め寄る。
「何度言わせますの。昨晩わたくしはディーター様をお慕いしているのでここに残ると申しましたでしょう。先程ご夫婦に、夫と共に家業を継ぎますとご挨拶を済ませましたし」
ああ、遅れて出て来たのってそれで揉めてたの。そして着実に外堀を埋めてたの。
「だからそれは…!何度も言っているだろう、君がディーターと一緒になんてあり得ないって!」
「ご恩返しが足りませんか?ではわたくし達が育てたお肉を、季節季節のご挨拶で郵送でもしましょうか?」
ケントは、アラーサの気持ちを気の迷い、旅の疲れのせいだと必死に説得する。
自分の気持ちに素直になれとか、それとも強引に連れ去られるのを望んでいるのかと、本格的にヤバくて不穏だ。
纏う空気が闇の色を帯びて来た時。
「…ねえケント。アラーサが残りたいって言うんなら、それでいいんじゃないかしら?べっ別にアラーサの為とか、そんなんじゃないんだからね!」
セラがツインテールを揺らして言った。
既に取り乱した様子は無く、落ち着きはらっている。
「ディーターは安全だと自分でも仰っていたでしょう。彼女の意思を尊重しましょう」
クイクイと眼鏡を上げ下げして、ツィケルが移動の魔法陣をせっせと構築している。
「きゃはは!アラーサっちばいばーい。そのキモイ筋肉と仲良くね~!」
ソービーが人形に手を振らせ、にまにまといやらしく笑っている。
「決別、安寧、安穏、邪魔もの消えろ」
デーナが例の謎の生き物を撫でながら、不気味にこちらを見やり、最後は吐き捨てて言った。
「アラーサ様…お側を離れる事は、とても苦しい、断腸の思いです…。しかし私は絶対の主、ケント様のもの!だからごめんなさい!」
ハァンが腹でも切りそうな勢いで土下座したが、ささっと起き上がって、そそくさと荷物を纏めだした。
ああ、気付いたか。
ケントの本命だと諦め、絶対の立ち位置だと思っていたアラーサが実は同じ土俵に乗ってさえおらず、まるっきし場外であったと発覚し、自分こそケントの正妻になれるのではないかと。
そうと決まれば、ケントの未練が絡みついて離れなくなる前に、さっさとずらかって、キモイ筋肉がキレイさっぱり居なくなったパーティーで、みなさんで仲良しして、ケントの正妻の座を健全に争おうではないかと。
「え?みんなどうしたの?アラーサを置いてなんて…」
女性陣の様子が変わり、戸惑うケントが言い終える前に、ソービーの巨大化した人形が、ひょいっとその体を持ち上げてぎゅっと抱き込む。その下にデーナの魔獣が潜り込んで背中に乗せる。
セラじゃあそう言う事でと、ぴっと額を弾くように掌向けて爽やかな挨拶をした時には、ツィケルの魔法陣は完成していた。
「待ってみんな!アラーサ!僕達にはまだ話し合いが…」
音も無くケントの前に降り立ったハァンが、どうやったのか一瞬のうちに意識を奪い、豊満な胸に顔面がダイブした。
「ちょっとケントは私が支えるわ。かっ勘違いしないでよね!ケントの事なんか心配なんてしてないんだからね!」
「演算魔法が乱れるといけませんから、ケント様は私のお側に、私の胸の中に」
「きゃはは!ケントっちはうちのお人形さんがいるからへーきだしい?魔法に自信ないなら引っ込んでればぁ?」
「ケントお兄ちゃん、守る、私の魔獣が、私が…」
「我が主我が主我が主我が主我が主我が主我が主…!」
既にディーターとアラーサの事は頭から抜け落ちたのか、一行ケントの周囲に群がりわあわあ言い合い、やがて魔法の残滓を残して消えて行った。
「あれ?勇者様ご一行はもう出立なさったのですかね」
老夫婦が見送りに出て来た時には、ディーターの腕に絡みついてうっとりとするアラーサと、残された現実に大気圏突破して宇宙で、あ流れ星だぁ~としてるディーターが残されていた。
その後、アラーサの熱烈で白熱したプレゼンのもと、ディーターはアラーサとお友達から始めましょう状態になった。
老夫婦には私室を同じにされたり、卸業者には夫婦と認識されていたり、もう既成事実が積み重なれている気がするが、お友達ったらお友達である。
老夫婦は分かるが、会う人会う人が、俺達を夫婦と言うのは何故だろう。
アラーサのイイ笑顔は何だろう。
そして牛の扱いに慣れて来た頃に、「今僕達は大地の神を祀る神殿で、聖剣を鍛えるべく儀式を…」うんらたかんたら書いてある手紙がケントから送られてきた。
要約すると、僕の事まだ好きだよね?目が覚めたよね?いつでも迎えに行くし来てもいいからね、と言うラブレターだった。
アラーサは読み終えるや、それを丸めて魔力を込めてイチ〇ーもビックリな投擲で、遥か彼方までキランとさせた。
その手の手紙は何通か送られてきて、回数を重ねるごとに、粘着質さと思い込みの深さが増していったので、さすがの俺も気持ち悪さでうんざりとした。
そこに両親から、島の開発が完了したと知らせがくる。水路や田畑、自宅までは理解できるが、反射炉やら発魔施設やら魔力式貨物輸送機やらを開発したと。お前らはT●KI●か。
だが思った、そこに移住したらよくね?と。
俺ならこの大地ごと抉って、牛やら家やらも纏めて持ち運べる。あそこはなんやかんやあって、国が自治を認めたのでケントも手が出せないだろう。外に出なけりゃ自由に何やってもいいし、面積だけなら数万人が生活できる規模だ。
その提案をアラーサにしたら、ぽかんとしたあと、満面の笑みを浮かべ、がばりと抱きつき激しく賛同した。
「わたくしの魔法があれば、抉った大地を保護して更に安全に運べますし、隠遁や認識阻害の魔法を使えば人々を騒がせる事もありませんわ!」
「え?力は全てケントに渡したんじゃ?」
「それは聖女や巫女の力です。わたくし個人の魔力は健在なので問題ありません!」
エルフのお姫様何でもありかよ。
「ご両親の島は需要がある都への便がいいですな。川を使えば今よりも早く運搬できます」
しかも島開拓終了で、暇を持て余している筋肉の親もついてくる。
老夫婦もうんうんと頷く。恩人との再会も楽しみそうだ。
一同の了解を得ると俺はさっと大地を抉って、ひょいっと持ち上げて、いっちらおっちらと運ぶ。
アラーサの魔法で、牛にも人にも影響はない。抉ってから思ったが、大地に巨大な穴が開いてしまったがコレどうしよう。
---その土地が湖となり、痩せていた大地が潤い、肥沃な土地に変わっていくのはまた別の物語だ---
アラーサの「惚れなおしましたディーター様!いえ、もともと惚れてましたけど、もっと好きになりました!」などの声援と、「山神さまじゃ~!神話の再臨じゃあ~!」と崇め奉るイベントにも遭遇したが、無事に島に辿り着いた。
「ディーター様。お義父様とお義母様が牛小屋を完成させ、飼料の畑も開拓終了したそうです!あと、食肉の新規販売ルートも確保して、お爺様とお婆様が余裕が出来たら乳牛も飼育してみたいと。あと、お肉の評判を聞きつけて、是非働きたいという申し出が。人選は妻の裁量に任せて頂いても宜しいでしょうか?」
「ああ、いつもありがとう。でもまだ結婚してないからね?」
ますます巨大化した体で牛を世話しながらディーターは額の汗を拭う。
老夫婦の指導の下、ディーターは立派な食肉畜産農家へと成長していた。
勇者ご一行が魔王城へ到着し、魔王(女)を陥落させたとか、神族の三人姉妹を娶ったとか、それでもエルフの姫を一途に愛しているとか、そんな噂が流れてくる以外は、平和な日々がつづいていく。
そのうち、巨人が育てた肉は絶品だと国を席巻する。
もともと評判は良かったが、流通量が少なかった為、一部の者にしか知られてなかった老夫婦のお肉は、ディーター達の力により広く知られる様になったのだ。
いつの間にか巨人は、忌まわしき夜狗から、美味しいお肉を育てる筋肉さんと慕われるようになる。
その側には常に美しいエルフの妻がいたが、巨人の夫は照れているのか「いや、友達です。本当に友達です。本当にいや、うん……」と長い間言っていたが、いつの頃からか、「愛される自分を愛してやる事にしました」と、やっと素直にエルフを妻だと紹介するようになった。
こうして、ガリレイ地方産の黒毛短角牛は、国内屈指の品質と知名度を誇り、国境を越え、食肉業界最大手の企業へと成長して、それを育てる巨人とエルフの夫婦は末永く幸せに、美味しいお肉と共にあったとさ。
めでたしめでたし。
ここまで肉々しい文章を読んで下さり、ありがとうございました。