婚約破棄ヒストリー ~婚約破棄モノが出来るまでと、凋落したざまぁ系との相違~
さて、婚約破棄モノが覇権を握ってから、かなりの時が経過したように思いますが、先日、婚約破棄モノに関する疑問を綴ったエッセイを拝読しまして、コメントに「回答するとエッセイ一本書けるネタ」としてエッセイにしてみたいと送ったところ、作者様からの返信が好感触だと感じましたので、書いて行きます。
婚約破棄モノはかつてなろうを席巻した追放ざまぁ系と同様の系統進化の果てに出来上がったジャンルだと思っております。
しかしながら、婚約破棄モノが長期に渡り覇権を握っているのにたいして、追放ざまぁ系はそのアンチ作品の展開を含めても、ブームが短命だったように思います。
今回は婚約破棄モノがどのように出来上がったジャンルなのか、そして、凋落した追放ざまぁ系との違いについて考察していきたいと思います。
まず、改めて簡単に婚約破棄モノについて纏めてみましょう。
冒頭、主人公の「悪役令嬢」とされる女性が婚約者から婚約破棄を宣言される。
ありもしないでっち上げの冤罪で婚約者とその浮気相手から断罪される。
主人公が揃えた証拠などを盾に、何故か現れるヒーローと婚約者とその浮気相手を逆に断罪し返す。
元婚約者と浮気相手が処罰され、主人公はヒーローと結ばれてハッピーエンド。
まぁ、ざっくりこんな流れでしょうか。
元々、婚約破棄モノの源流には貴族社会にある貴族子息子女の通う学園での恋愛を描いた「典型的なドアマットヒロインもの」があります。
ヒロインは身分の低さから虐げられるも、最終的にはヒーローによって助けられ、ヒーローは主人公を虐げた自身の婚約者を断罪して、ヒロインと結ばれるという、まさしくなシンデレラストーリーが根底にある訳ですね。
ここから、舞台を「恋愛ゲーム(乙女ゲーム)の中の出来事」であると仮定して、主人公が元々はゲームをプレイしていた現代人で、何らかの理由で断罪される「悪役令嬢」側に転生し、断罪回避のために奔走する「悪役令嬢もの」が産まれた訳ですね。
さて、悪役令嬢モノでは様々な変化を繰り返すうちに転生者が主人公ではなく、ヒロインの側の「転生ヒロイン」または「転生ヒドイン」というものが出来ていきます。
ゲームの世界のヒロインに転生したと、実際にその世界に生きている人間や社会を無視して、「自分の幸せのため」に周囲にゲーム通りのロールを強要し、世界を自分のための箱庭だと思い込む「酷いヒロイン」略して「ヒドイン」が誕生するわけです。
これが布石となり、現地主人公が特に悪役で無いにも拘わらず「悪役令嬢」であるとされるストーリーラインが形成されます。
そして、物語のクライマックスである婚約破棄パートを切り抜き、ダイジェスト方式でストーリーをはしょって、美味しいところだけをピックアップしてお手軽短時間でカタルシスを得られる「婚約破棄モノ」に繋がる訳ですね。
この流れは、実のところは「追放ざまぁ系」が先に辿った流れと言えます。
なろうの金字塔「無職転生」が産み出した「トラック転生(転移)」、そこからの異世界チーレムモノは長くなろうのスタンダードとして君臨しました。
そして、そんな異世界転生(転移)において「無能転移」「巻き込まれ転移」といったジャンルが生まれます。
主人公が転移するも、複数の転移者の一人で主人公は無能として虐げられ追放され、その後に艱難辛苦の果てに覚醒、復讐を果たすストーリーができましたが。
主人公が虐げられ、苦戦することが、控え目にいってもウケず、PVが減る傾向にあるなろうでは、転生ものや転移ものは如何にはやく無双チーレムにもっていくかが重要になりました。
結果、転生や転移前の描写は削られ、無職転生など初期作品にあった、転生することの必然性、転生者の過去の過ちや技能がストーリーに活かされる展開はなくなり、単純に「異世界でチーレムするための方便」でしかなくなっていき、無能転移ものも、追放されてから覚醒するまでが、どんどんと早くなっていきました。
そして、ついに現地主人公が冒頭で「無能」として追放され、直後にざまぁ展開という「追放ざまぁ系」が出来上がったんですね。
さて、そんな追放ざまぁ系はなぜ廃れたのでしょうか。
答えは半分以上は上で説明してしまっていますね。
詰まる所、一部読者の要望に応えて、内容を簡素化し続けた結果、チープ化に歯止めがかからなくなったからです。
異世界転生(転移)ものはそもそも、転生や転移する必然性がなくなり、最終的には「自分には前世があるらしいが、日本人だったことだけ」と、それもう前世覚えているって言えないよねってレベルになり、神様からチート貰うための前置きのためだけに付け加えられる「一文」に成り下がりました。
無職転生では主人公の過去はストーリー全体に絡むテーマと伏線に密接に関係し、ラストや後日談にいたるまで非常に重要な要素でしたが、異世界ブームで後ノリした人たちにはその重厚さが「長い」の一言で切り捨てられる結果となっていました。
だからこそ、如何に短く、そして手っ取り早くストーリーを展開し、カタルシスを与えるかに腐心したことで「追放ざまぁ系」は考えられたと思います。
しかし、奴隷が「ざまぁ過激派」と呼ぶ読者たちはコメント欄で「ざまぁが遅い」「ざまぁが手緩い」とひたすら高速化&苛烈化を叫びました。
結果、主人公が虐げられる描写は「ヘイトがたまる」とのコメントに応えて抑えられ、ざまぁ展開ばかりが早々に語られるように。
こうなると、ろくに酷い目にあっていない主人公がやたら苛烈な復讐と称した制裁を課す話になるため、一般的な読者からすれば、「たいして酷い目にあってないくせに主人公のほうが鬼畜じゃね」という疑問が出てしまいます。
そのために、ざまぁは専ら、主人公の取り巻きや周りの忖度、または相手の自滅に変化していきます。
こうなると、主人公は「追放からのざまぁ」のあいだ、ほぼ空気になります。
こんなほぼ空気な主人公が力を発揮して活躍し始めても、誰も興味ない訳ですね。
だからとざまぁを引き延ばしても「ヘイトがたまる」「さっさとざまぁしろ」と言われて、仕方ないのでざまぁ後に新たな「ざまぁ対象」を登場させて、ひたすらざまぁし続ける話にしても、いくらなんでも「そんなにポコポコ復讐対象が次々出てくるのは、単純に主人公もクズだからだろ」と興味を失われ、無双チーレムしても、主人公が空気なために切られてしまう。
短編でしか読まれない「追放ざまぁ系」はアンチ作品含めて短命なブームになってしまいました。
しかしながら、同じような流れを経て誕生した「婚約破棄モノ」「白い結婚モノ」は長いブームとなっています。
何が違うんでしょうか。
これは、追放ざまぁ系が「ざまぁ」に主眼をおいてスッキリに特化していることにたいして、婚約破棄モノはあくまでも虐げられた主人公が逆転ハッピーエンドで幸せになるという王道のラインを失っていなかったことがあると思います。
追放ざまぁ系は構成上、ダイジェストで面白いところを切り抜きした作品でしたが、その特性上、「ざまぁによるカタルシス」だけしか求められない状態になっていました。
婚約破棄モノも、構造としては似ていますが、あくまでも「悪役令嬢とされた本当はドアマットヒロイン」な主人公が状況をひっくり返して「幸せ」になることに需要がある作品群です。
この「幸せ」になるという部分が大切で、であれば「幸せ」になって欲しいと思えるキャラ作りや、逆断罪後のいちゃラブ展開など、「追放ざまぁ系」では求められなかった需要が「婚約破棄モノ」には潜在的にあったということですね。
これは、読者層の中心が「男性」だったか、「女性」だったかの違いだったように思います。
異世界チーレムから追放ざまぁにいたるまでの「過激派コメント」をしていた男性読者たちは「作品を自分の思う方向にしたい」という支配欲に満ちた「過激コメント」をあちこちに投下していました。
時に炎上に発展するそれは、作品傾向に大きく影響を及ぼし、様々な進化を促すとともに「歪み」を生じさせました。
悪役令嬢ものから発展していった「婚約破棄モノ」にも、歪みはありますが、それでも「ドアマットヒロインが自分の頑張りで幸せを手にいれる」というテーマは実は一貫しています。
それは多くの女性ファン、「乙女たち」が女性向け恋愛作品に求めている「少女の夢」だからでしょう。
婚約破棄モノは「恋愛要素がないから恋愛小説ではない」というジャンル違い論争がありますが、「そもそも、理想の白馬の王子様との結婚でハッピーエンド」という古典的なテーマにここまで忠実に現代ネット小説のダイジェスト形式にそって構成されているんですから「立派な恋愛小説」だと思っております。
まぁ、あまあまな恋愛描写や悲恋を見たい方には不満なのはわかりますけれど、実のところはそれは連載版で補える磐石な仕様だったりもするわけですよ。
だから、ブームが終わらない。だって、古典から続く王道展開ですからね。
という訳で、ざっくり解説、考察してみました。
ご意見など、感想欄に頂けたらと思いますのでお願いいたします。
感想お待ちしてますщ(´Д`щ)カモ-ン