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トイレの名探偵

作者: 猫目 綾人

朝の歯磨きを朝食後にするか朝食前にするかなんて話は、おそらくは大多数の人間にとってどうでもいい話だが俺にとってはそうではない。歯磨きは朝食を食べる前にするのが正しく、歯を磨く前に朝食をとってしまうと睡眠中に口の中に溜まった菌を体内にそのまま飲み込んでしまうことになるのだ。

 俺がこのことに気づいたのは20歳になった時であり、俺は知らぬ間に20年間体内に菌を流し込んでいたのである。これに気づいた時の後悔度は人生でも3本の指に入る。じゃあ残りの2本はなんなのかというと、一つは高校生の時に好きだった田中さんに告白できなかったことであり、もう一つは探偵になってしまったことである。

 田中さんのことは置いておいて、なぜ俺が探偵なんて職業を選んでしまったのかというと、俺は探偵になればフィクション作品のように身の回りで事件が起こると本気で信じていたのだ。

 これだけ聞くと、なんて夢見がちな痛い奴なんだと思うかもしれないが、そうではない。逆に、俺の幼少時代は達観したマセガキそのものだったのだ。テレビでやるUFO特番は信じていなかったし、赤ちゃんはコウノドリが運んでくるわけではないことも知っていた。

 その時の俺はそうそう自分の周りで事件なんか起こるわけないと思っていたのだが、その認識を変える出来事が起こったのだ。

 それは中学時代に起こった財布泥棒の事件である。俺は見事に誰が犯人かを推理して一躍校内の有名人になった。それからというもの、高校を卒業して探偵になるまで、俺は自分の周りでまた事件が起こると信じ続けていた。しかし高校を卒業して6年。そうそう事件など起こるはずもなく、浮気相手や行方不明になったペットのケツを追いかける毎日である。

 そんなこんなでもう探偵をやめようかと思っていた矢先、その電話はかかってきた――、

 そう最悪のタイミングで。




                 ◇◇◇




■午前6時




「もしもし矢野さん!聞いてますか?もしもーし」




 早朝、助手である園田から電話がかかってきた。普段の俺なら、何か事件かと心を躍らせる場面だが、今はそれどころではない。




「ぐっ、聞いてるよ、どうしたんだ助手。ぐっはぁ!」




「なにさっきからぐはぐは言ってるんですか」




 別に好き好んでぐはぐは言っている訳ではない。俺には、ぐはぐは言わざるを得ない深刻な理由があるのだ。




「腹がっ、ぐっ」




「腹がどうしたんですか?今わたし大変なんですよ!早くこっちに来てください。今どこにいるんですか?」




 園田の声は慌てている様子だ。どうやら本当に大変なことがあったらしい。しかし、俺も大変なのだ。




「トイレ」




「えっ?」




「だから、腹を壊してトイレの中にいる」




「えぇぇ!?こんな一大事に何してるんですか!」




 園田が驚いた声を上げた。

 そっちがどれくらいの一大事なのかは知らないが、こっちはこっちで一大事なのだ。




「今朝飲んだ牛乳が腐っていたみたいでな」




「牛乳が腐ってたって、匂いでわからなかったんですか?」




「最近蓄膿症が酷くてな。匂いがわからないんだ」




「だから、病院に行った方がいいって言ったのに。他に悪いところはないんですか?」




 園田の声は呆れていて、声色からは、俺の体を気遣う様子は感じられない。これは助手として問題だな。




「視力の低下に腰痛、関節の痛み、歯痛(しつう)ぐらいだ」




「それ二十代の体の悪さじゃないですよ!」




 そんなことは自分でも、薄々どころか濃厚に感じていた。だが、世の中には分かっていても解決できない問題があるのだ。




「まぁ金が無くて最悪の食生活だからな。体も悪くなるさ。それより何があったんだ?こんな朝早くに電話してくるなんて」




「あっ、そーだった!大変なんですよ。殺人事件が起こったんです!」




「なにっ、殺人事件だと!?」




 マジの一大事であった。




「はい。昨日夜に、友達の真希から相談があるから会いたいって連絡があって、ファミレスで話していたんです。そしたら真希が今日はもう遅いから私の家に泊まりなよって言ってくれて泊まることになったんです。真希の住んでいる家は一軒家タイプのシェアハウスで、真希を含めて5人の住人が住んでいます。私たちが家についた時には、他の住人は出掛けていました。でも、私がお風呂に入ろうとお風呂場に入ったら、そこには首がない全裸の女性の死体があったんです」




「首無し死体だと!?(殺人というだけでなく首なし死体だとぉ!そそられる要素がてんこ盛りじゃないか!腹が痛くなければ今すぐに現場に直行するのに!)」




 俺は自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。そしてその鼓動の早さから生まれるドキドキは、先週競馬で3万円を注ぎ込んだ時を超えており、相当に興奮していると思われる。




「そのあとすぐに警察に通報して、少ししたら他の住人の人も帰ってきたんでけど、それからずっと事情聴取を受けていて、今やっとひと段落したところです」




「なにっ!?じゃあ、今も近くに刑事がいるのか?」




「はい。住人の人も全員揃っています」




「推理をするには、ぴったりな状況だな」




「じゃあ」




「あぁ。住人に事情聴取をするぞ。この事件、矢野 矢太郎が解決する」




「はい!じゃあ、さっそく話を聞きましょう」




 園田はそういうと、その場にいる人達に声を掛け始めた。




「みなさんすいませーん。ちょっといいですか」




 園田はそう言って声を掛けたが、俺はすいませんという言い方がどうにも気になってしまう。「すいません」という言い方は、老若男女を問わず広まって定着しているが、正確には「すみません」なのだ。しかし、東北、四国、九州、沖縄地方では「すみません」を使うことに抵抗感がある人も多いようだから注意するのもおかしい。




「なんだね」




「どうしたんですか?」




 園田の声に、まず二人の男が反応した。


 一人は、中年男性だと思われる野太い声で、もう一人は、若い男と思われる少し高めの声だった。




「私が働いている探偵事務所の探偵が、事件の事情聴取をしたいと言っているんですが?」




「探偵?だめだ。捜査の内情を素人なんかに話すことはできん」




 野太い声の男はそう答える。話の流れ的に、どうやらこの男達は刑事のようだ。




「あまり見くびらないでくださいよ。矢野さんは名探偵なんですから!」




「矢野?聞いたことないな。とにかくだめだ。捜査は警察側で行う」




「えー!いいじゃないですか岡本先輩。面白そうですよ」




 そう言って、若手の刑事が急に話に割って入ってきた。どうやら野太い声の男は、岡本という名前らしい。




「だまれ山田。その発言、刑事としてお前は7点だ」




「10点満点中ですか?」




「100点満点中だ」




「そんな~」




 急に漫才のようなことをやりだした。本当に刑事なのかこの2人は?




「おい、助手。誰だこの二人は?」




「刑事の岡本さんと山田さんです」




「刑事か。まぁいい。その二人は放っておいて調査を進めるぞ。まずは、被害者の名前と死体の状況だ」




「はい。被害者は桃井 春香さん。歌手を目指していたようです。死体はお風呂場で、お湯の入った湯船に首がない状態で、全裸で浸かっていました」




「なるほど、典型的な死亡推定時刻ずらしだな。だが―」




 俺が解説をしようとすると岡本さんが割って入ってきた。いいとこだっていうのに。




「困りますな、園田さん。そうペラペラと話されては」




「でも矢野さん。だがって。死体が湯船に入っていたのって他になんか意味があるんですか?」




「意味も何も、死体を暖めたりして、死亡推定時刻をずらすっていうのは無理なんですよ。死亡推定時刻は死後硬直なんかの他の要素を合わせて総合的に判断されますから。ね、岡本さん?」




 俺は内心ドヤ顔で岡本さんに話を振った。




「そのとおりです。我々が導き出した死亡推定時刻は23時頃。死後硬直以外にも体の粘膜の乾燥程度、胃の内容物の消化具合など色々な要素がありますから、これら全てを完全に誤認させるのはほぼ不可能といえるでしょう。この死亡推定時刻は確実です。まぁ犯人はそのことを知らずに安易な考えでこの工作を行ったんでしょう」




「へー」




「なにを感心しているんだ山田。まさかこんなことも知らなかったのか?」




「あはは」




「お前は刑事として42点だ」




「さっきより上がってる」




「1000点満点中な」




「だと思いました」




「しかし、矢野さん。中々博識ですな。どうやら私はあなたのことを少し見くびりすぎていたようだ」




 岡本さんは感心した声でそう言った。どうやら少しは認められたようだ。この調子でいけば、捜査に協力させてくれるかもしれない。




「私は幼少の頃からミステリーを読み漁っていましたからね。十戒も九命題も二十則もばっちりですよ」




「ん?なんですかそれ?」




「ノックスの十戒、チャンドラーの九つの命題、ヴァン・ダインの二十則。いずれもミステリーを書く際の心得を書き記したものだよ」




 これがスラスラと出るとは、どうやら岡本さんは相当な博識らしい。




「それなら自分も名探偵コ〇ンに金〇一少年の事件簿。ドラマならガリ〇オとミステリーの知識ばっちりですよ」




「…山田。いやもう何もいうまい」




「せめて点数をつけてくださいよ!」




「あのー。捜査が全然進まないんですが…」




 山田さんの天然具合に、岡本さんに園田、そして俺も呆れてしまう。




「まぁ、くだらない話はここまでとして、他に被害者の特徴は?」




「検視の結果。被害者は絞殺された後に包丁のようなもので首を切断されたようです。あとは服が脱がされていて、その服は犯人に持ち去られたものと思われます」




「服を盗んで全裸にするなんて犯人は変態ですよ。変態!」




「山田、お前の脳みそにはカニ味噌でも詰まっているのか?犯人が服を持ち去ったということは犯人に繋がるなにかが服に付着したと考えるのが妥当だろう。例えばもみ合った際に犯人の血液が服についたとかな」




「まぁ、その可能性が一番高いでしょうね。じゃあ、被害者についてはこれでいいとして、次は住人の人たちに話を聞くか」




「じゃあ、まず私の友人の真希を紹介します。真希は高校生の時からの私の友達で、お父さんが会社をリストラされたせいで自殺しちゃって、家庭が大変なのにもかかわらずバイトを掛け持ちして、家にお金を入れながら将来は歌手になるために頑張っているんです!すごく努力家でいい子なんです!」




 園田の発言から、物凄い熱意が伝わってくる。どうやらその真希という友人のことを相当大切に思っているらしい。




「ちょっと落ち着いて。自己紹介は自分でするから。」




 真希さんが助手の説明に割って入ってきた。おそらく、このまま自分のことを話されるのが恥ずかしいのだろう。




「私の名前は早田 真希です。今はアルバイトをしながら音楽活動をしています。23時頃は散歩をしていました。悩んでいるときはよく歩いたり、ランニングをしたりするんです。0時頃からはファミレスで園田さんと話していました」




 真希さんは電話口からでも清楚さが伺える声であった。この声ならば、おそらく美人なのだろう。俺にはわかる。




「その時間散歩していたのを証明できるものは?」




「ありません。誰ともすれ違いませんでしたし」




「なるほど。ではその利用していたファミレスはご自宅からどれくらいの距離にありますか」




「徒歩30分程です」




「ずいぶん遠いですね」




「散歩でそのあたりを歩いていたので」




「もし真希さんが犯人だった場合、タクシーや公共の乗り物など乗ったことが判明しやすいものを使うとは考えづらい、だとすれば桃井さんを殺害した後、約30分程で首を切断し、その首や脱がした服をどこかへ捨てに行ったことになる。これは現実的にどう考えても不可能だ。真希さんのアリバイは成立する」




「ちょっと矢野さん!なに真希のこと疑ってるんですか!真希は殺人なんてしませんよ!」




 マンガだったら擬音にぷんすかぷんと書かれそうな怒り具合である。




「探偵というのは、どんなものでもまずは疑ってかかるものなんだよ」




 そうして俺と園田が話していると、他の住人たちが会話に割って入ってきた。




「あの~、そろそろ僕たちも自己紹介してもいいですかね」




「あぁ、申し訳ない。どうぞ」




 俺がそう言うと、他の住人たちが自己紹介を始めた。




「俺の名前は太田 大地です。後ろにいる木山、内村と一緒にバンドやってます」




「木山 和彦です」




「内村 香です」




「先輩。見てくださいよ。あの内村さんって人、あんなに胸元をあらわにして。ハァ、ハァ」




「山田。騒いだ血液を海綿体に集めるんじゃない」




「あらはしたない。…静まれ…静まれ」




 山田さんは、そそり立つ自分のナニかを静めようとしていた。


よく刑事が務まっているな、この人……。




「おい、香。胸元を早く直せ。すみません。こいつ普段からズボラで」




「こちらこそ、警察の恥をみせて申し訳ない」




「というより、あの人は本当に刑事なのか?」




「確かに、私も怪しく思えてきました」




「僕のことはもういいから、本題に戻りましょうよ~」




 自分が刑事かどうか疑われているのに、能天気なものである。




「そうですね。それでは本題に戻りましょう。3人は23時頃何をされていたんですか」




「僕たちは、その時間3人でここから少し歩いたところの公園に行ってバンドの今後について話し合っていました」




「それを証明できるものは」




「ありませんが、僕たち3人は2時頃家に帰るまでずっと一緒にいました」




 3人がグルじゃない限り、犯行はできないな。




「アリバイは成立していると」




「我々警察も外部から侵入した強盗や犯人に恨みをもつものの犯行と考えています」




「なるほど。では住人のみなさん桃井さんに恨みを持つ人物に心当たりはありますか?」




「桃井の家は母子家庭で、早く母親に楽させたいって、最近は特に頑張っていました。そのためか先月レコード会社と300万の契約金を結んできて、絶好調だったので、周りからの妬みはあったかもしれません」




「300万!?もし矢野さんだったら、プロデューサーの革靴が溶けるまで舐めまわす金額ですね」




「いやいや、流石にそこまではしないでしょう」




「いやっ、するな」




「えっー、マジですか!?」




「矢野さんはそういう人間です」




 お金は大事。これ本当。




「いったい普段どんな生活をしているんだね」




 岡本さんにも呆れられてしまったらしい。




「まぁ、その話は置いておいて、妬みか…。うーん、これだけじゃ、犯人がまったく絞れませんね。岡本さん、他になにか気になることはありますか」




「気になることといえば、桃井さんの部屋のドアノブが壊されていたことと、部屋の床に失禁したあとがあったことですね」




「失禁してしまうほど怖かったのでしょうか?」




「私もそう思ったんですが、不可解な点があるんですよ。それだけ恐怖を感じていたなら叫び声をあげていてもおかしくないのですが、近隣の人たちは、悲鳴などは一切聞いていないと証言しているんです」




「じゃあ、絞殺されているときに失禁したんじゃ」




「それはないな。犯人がドアノブを壊して部屋に入ったなら、桃井さんは絞殺される前に犯人に気が付いたはずだ」




「わかってませんねー。本当に怖い時っていうのは声なんかでないんですよ」




 山田さんが、したり顔で(顔は見えないが絶対そう)そう言った。




 (本当にそれだけか?どこか違和感を感じる)




「それと最大の謎は、犯人はなぜ、首を切断したのかということです。それも殺害するときは包丁を使わずに首を切るときに始めて使用した。なんらかの目的があるはずです」




「犯人は猟奇殺人犯ですよ。理由なんかないですって」




「確かに、首を切断する理由なんて思いつかないです。矢野さんは何か思いつきましたか?」




 首、首か…。




「矢野さん?」




 首無し死体、回収された服、湯船、壊れたドアノブ、失禁した跡……まさかっ!?




「おーい、矢野さーん」




 だが、まだ確証はない。あと一押し。




「聞いてない…」




「まぁ、今日はこれ以上進展しなさそうですし、取り調べはいったん終了しましょう。なにかわかったらご連絡ください」




「わかりました」




「真希と内村さんたちは、この後どうするんですか」




「殺人事件が起きた家で過ごすわけにもいかないし、とりあえず安いホテルにでも泊まることにするよ」




「そうですか」




「じゃあ、僕たちはこれで」




「そのちゃん。大変なことに巻き込んでごめんなさい。今度またゆっくり話しましょう」




「うん。わかった。それじゃあね。…では矢野さん、みなさん帰るみたいですし、いったん電話を切りますね」




「あっ、ああ。(くっ、あともう一歩のところまできてるってのに!)」




「あれっ、内村さん。その靴、先週真希が履いていたやつじゃないですか?」




「ああ。これね。ついこの間、真希からもらったんだ」




「(靴っ!?)おい助手!確か昨日は雨が降っていたよな」




「えっ?はい。昼までですけど」




「よしっ、助手。その家の下駄箱はどういう風になっている?」




「えっと、住人の名前で下駄箱が分けられています」




「じゃあ、内村さんの下駄箱を見てくれ」




「わかりました。…あれっ?内村さんの下駄箱に靴が入っていません」




「…やはりそうか、わかったぞ!おい助手、すぐに全員を集めろ!」




「えっ、わかったってこの事件がですか?」




「あぁ、謎は全て解けた」




――――――――――――――、





「矢野君、犯人がわかったとはどういうことだね?犯人は外部から侵入して桃井さんを殺害した。君が聞いた情報だけで犯人を言い当てるのは不可能なはずだ」




「それがそうじゃないんです」




「じゃあ、犯人は誰なんですか?」




「犯人は…この家の住人全員です。桃井さんも含めたね」




「なんだって!?」




「全員!?それに桃井さんもって。彼女は被害者ですよ」




 全員が驚きの声を上げる。




「それがそうじゃないんですよ。壊れたドアノブ、失禁した跡、刺殺、これを聞いてなにか思い当たりませんか」




「まさか!?」




「そう、そのまさかです。桃井さんの死因はドアノブを使った首吊り自殺です」




「えええ!?」




「でも、桃井さんが自殺だったとして、自分で自分の首を切断するなんて無理です。いったい誰がやったんですか!?」




「犯人は住人全員だといっただろ。桃井さんの首を切断したのは他の住人の人たちだ」




 しかし、そこで住人の人たちが割って入ってくる。




「言いがかりはよしてください!?それに僕たちが桃井の首を切る理由がない!」




「それがあるんですよ。少なくとも真希さんには」




「!?」




「理由って、それは一体なんなんですか?」




「真希さんは父親が自殺していて、身内が自殺した時の苦しみを知っている。それに桃井さんは真希さんと同じ母子家庭、そのことから自分と重ね合わせる部分があったんだろう。だから桃井さんは桃井さんの母親が、娘が自殺したというショックを受けないために自殺を隠蔽し、殺人犯がいると思わせようとした。そして他の3人はその思いに賛同し協力した」




「仮にそう思う可能性があったとしても、それが僕たちがやったという根拠にはならないんじゃないんですか」




「確かにそうですね。では次にその根拠を指し示すため、この事件の不明瞭な点を一つ一つ解いていきましょうか。まずは、なぜ首を切断したのか。/これは言うまでもなく、首にある絞め跡を隠すため。犯人がドアノブをこじ開けて入ったとしたなら、桃井さんは犯人に気づいていたはず、なら殺害された際に首に抵抗した爪痕などが残っていないとおかしい。その不自然さを隠すために首を切断した。これが一つ目です。/二つ目は死体の服が脱がされていたことと、死体がお風呂場で見つかったことです。これについても自殺を隠蔽しようとしていたと考えれば合点がいきます。岡本さん、自殺した後に起こる現象として失禁以外になにかありますか?」




「それならおそらく脱糞だろう。自殺した遺体にはよく見られる」




「脱糞って、うっぷ」




「山田、お前は黙っていろ」




「もう、わかりましたよ」




「たくっ、すまん矢野君続けてくれ」




「おそらく、桃井さんの遺体も脱糞していたのでしょう。だから服を回収し、遺体をお風呂場で洗った。恐怖で失禁してしまったというのはまだ説明がつきますが、脱糞したというのはあまりにも不自然ですからね」




「なるほど、死亡推定時刻をずらすのが目的じゃなかったわけか」




「しかし、これは遺体がこの状態になったことに対しての説明だ。僕たちがやったという根拠にはならない。それに僕たちには、アリバイがあるんですよ!」




「確かにそうなのですが。しかしそのアリバイ、あなた達が全員グルだった場合、まったく意味をなさないんですよ」




「どういうことですか?」




「あなたたちのアリバイは真希さんに遺体を処理する時間がなかったことと、他の3人がずっと一緒にいたこと。しかしその3人がグルだった場合、このアリバイは成立しない。おそらく、桃井さんの遺体を発見したあなた方は、自殺を隠蔽することにした。そしてそれがばれないためにアリバイを作ろうと考えた。今後のバンド活動について公園で話していたというね。警察もまさか全員がグルだとは思いませんから、このアリバイは成立する。しかし、一つ問題があった。それは真希さんの存在です。バンドの今後について話していたというのに真希さんが話し合いに参加しているのは不自然です。それにアリバイを証明できるのが住人だけとなると警察にも懸念を与えかねない。そのため真希さんは、相談があると助手を呼び出し、自分自身のアリバイを作った。そしてその間に他の3人は、遺体を処理し、公園で話し合っていたということにして、家に戻ってきた。これが全容です」




「確かに筋は通っているようですが。証拠は!証拠はあるんですか!」




木山さんが、追い詰められた犯人が言う定番の言葉を言い始めた、そろそろチェックメイトだ。




「証拠ならありますよ」




「その証拠とは何かね?」




「靴ですよ」




「靴?」




「そう靴です。岡本さん、もしあなたが生首や服を処理するとして、いったいどこに捨てますか」




「ここから海は遠いからな。私なら近くの山に埋めに行く」




「そうです。山に捨てに行った。そして昨日は昼まで雨が降っていましたよね」




「そうか!あんな遅い時間に店は営業していない、山に行ってそのまま帰ってきたなら服や靴が泥で汚れているはずだ」




「でも先輩。皆さんは服も靴も汚れていませんよ」




「なにっ!?ではこの推理は間違っているのか」




「そう決めつけるのはまだ早いですよ。彼女たちは、事前に他の靴を持っていっていたんです。そして服の上にはランニングウェアでも着ていったのでしょう。真希さんは普段からランニングをすると言っていましたからね。複数着持っていてもおかしくない。そして決め手になったのは内村さんの靴です」




「私の靴?」




「ズボラな性格のあなたは、靴を一足しか持っておらず、替えの靴がなかった。そのため他の人から靴を借りる必要がありましたが、他の2人は男性のため、靴のサイズが合わないですし、死人である桃井さんの靴を拝借するのも忍びなかった。だから真希さんの靴を借りたんです。そのおかげで助手がその靴に気が付き、私も真実に辿り着くことが出来ました。いくらズボラなあなたでも先週まで真希さんが使用していた靴以外に一足も靴を持っていないなんて不自然だ。この理由しか考えられない」




「くっ」




「おそらく、ランニングウェアや靴はその山の付近に置いておいて、取り調べが終わったのち、回収しに行くつもりだったんでしょう。今すぐに付近の山の周辺を捜索すればその証拠品が出てくるはずです」




「山田。急いで捜索の手配をしろ」




「はい」




 山田さんが捜査へ行こうとした瞬間、真希さんが諦めたような声で呟いた。




「…もういいわ」




「おいっ!真希!」




「もうおしまいよ。すべてを話しましょう」




「では、やはりあなた方が真希さんの遺体を」




「はい。私たちが自殺の隠蔽をしました」




「そんなっ。真希どうして」




「理由は探偵さんが言った通りよ。桃井のお母さんに、娘が自殺した悲しみを味わわせたくなかった」




「詳しくお聞かせいただけますか」




「桃井の部屋に遺書があったんです。そこに書かれている内容から、真希は所属している事務所から枕営業を強要されていることがわかりました。契約が取れたのもそのおかげです。真希は、そのことを後悔していたようですが、お母さんを早く楽にさせるために致し方なく。しかし、それが続くにつれて精神が疲弊していきついには自殺を…」




「…」




 この業界では、そういう話を耳にするが、こんなに身近にあるとはな…。




「もしこんなことをお母さんが知ったらと思うと、私には耐えられませんでした。だから、桃井さんの自殺がバレないように、殺人事件にみせかけようと思ったんです」




 電話口に真希さんが、泣いているのがわかった。




「たとえ、どのような事情があろうとあなた方が行ったのは犯罪です。だから私たちには、あなた方を逮捕する義務がある」




「わかっています。でもこれを提案したのは私です。他の3人の罪は軽くしてください」




「いいや、俺たち4人は共犯だ。だから捕まった時の罪も一緒だ」




「そういうことだ」




「わかりました。おい山田、手錠はかけなくていい、連行しろ」




「わかりました」




「そのちゃん、ごめんなさい。あなたを利用してしまって」




「ううん。大丈夫。私、真希のこと待ってるから」




「ありがとう」




「ではお二人とも、私たちはこれで失礼します。矢野さん、今度会うときは、あなたと直接お会いしたいですな」




「はい。また会いましょう」




「では」




 そう言うと、刑事さんたちは現場を去っていった。




「…。助手、今回の事件の結果。事件を解決したのは俺だ。お前が責任を感じる必要はないぞ」




 助手があれだけ大切にしていた友人だ。このショックは大きいだろう。




「そういうわけにはいきません。私は、矢野さんだったらこの事件が解決できると思ったから電話したんです。だからそれがどんな結果になろうとも、その責任は私も負います」




「そうか…。それにしても探偵をやめようとした矢先にこんな事件が起こるとは因果なものだな」




「ええっ!?探偵をやめる!?一体どういうことですか?」




 そんなに驚くことか?腐った牛乳を飲んで腹を壊すような経済状況だぞ。




「どうもこうも金もないしな。そろそろ潮時だろ」




「潮時なんかじゃないですよ!絶対にやめちゃダメです」




「なんでそこまでして辞めさせたくないんだ?」




「矢野さんは、私にとって最高の探偵だからです。覚えていますか?中学生の時、財布泥棒を言い当てたの」




「なぜそのことを?」




 そのことは、俺と同じ中学の奴しか知らないはずだぞ。




「やっぱり、気づいていませんでしたか。あの時、財布を盗まれたのは私なんです」




「えっ、助手があの時の女の子?」




「はい。あの時、私は矢野さんを見て、現実に本当に名探偵がいるんだって衝撃を受けたんです。そして高校生の時に矢野さんが探偵事務所を始めたって聞いて絶対に助手になろうって決めたんです」




「そうだったのか」




 あの事件で人生が変わったやつが、俺以外にもいたとはな…。




「だから、これからどんなことがあっても私は矢野さんの助手で居続けます。どんな仕事だってやってみせます。だから、探偵をやめるなんてもう言わないでください」




「…そうだな。助手にそこまで言われてやめるわけにはいかないか」




「…っ///」




「では助手よ。お前に新たな仕事を与えよう」




「はい!なんなりと!」




「実は、トイレットペーパーが切れていてな。トイレから出られないんだ。だから急いでトイレットペーパーを買って届けてくれ」




「……。せっかくかっこよかったのに、台無しです」




「どんな仕事でもやるんじゃなかったのか?」




「その言葉って、撤回できないですかね・・・」




「それは無理な相談だな。これからもずっと俺の助手なんだろ」




「そんなぁ~」




――――――――――




 こうして俺の人生二度目の事件は、トイレの中で始まり、トイレの中で幕を下ろした。


 次の事件はいつ起こるのか、それとももう起こらないのか、それは誰にもわからない。


 だか、わからないから続けるのだ―――――。


 俺たちが探偵をやめるのは、まだまだ先だ。

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