第四話 分岐する運命
『シルバードラゴン』と分かれてからも何度か通路の分岐点はあった。
だが、アルフレッドとバーンが、絶対に別れない、と主張。
バーンはともかく、アルフレッドが本気で主張すれば、やつの仲間もそっちにつく。
ティナもエーテルもダルトンも。サーベルさえも。
アルフレッドのやつがいかに仲間に愛されてたかわかるってもんだろう?
『シルバードラゴン』と別れてから丸一日が経った。
その間、何度も『試練』があったよ。
そうりゃあもう、やばい敵ばっかだった。
俺もトライスも『太陽の剣』とは別行動をとろう、とは言わなくなっていた。
その代わり、トライスは何度も何度もアルフレッドに、『英雄』を賭けて勝負だ、とか、カーラッドの真の後継者の座を賭けて勝負だ、とか言いまくった。
おかげで、アルフレッドもその気になっていた。
一方、ポリーはポリーでその気になっていた。
「ねえ、アルフレッドのガキ、やっちゃおうよ」
夜、こそっと俺のとこにやってきて、ちょっと話があるって連れ出し、こんなことを言いやがった。
「あん? なに言ってんだ、お前」
寝てるところを起こされた俺は、わけもわからず不機嫌に言った。
「『英雄』になるのはトライスだってあんたも言ってたじゃん。それとも、あんなガキが『英雄』になってもいいの? 殺しちゃおうよ」
目がマジだ。
「あのな、トライスがアルフレッドに負けるわけないだろ。なんにもしなくても、大丈夫だよ。トライスを信じてやれよ」
「サーベルとか、エーテルとか、邪魔するに決まってるじゃない。やっちゃうのが一番いいんだ。カーラッドの息子ってだけで、チヤホヤされちゃってさ。あんなやつが『英雄』になったら、トライスの立場がないよ」
本当にトライスに惚れてるんだなあ。
なんとか、その想いが叶うといいだけどなあ。
俺はそんな風に思ったよ。
「デンバー、お願い。手を貸してよ」
上目遣いに懇願する。
あんときもそうだったな。
『太陽の剣』から『ハイデン』に斡旋屋を変えようと言ってきた時だ。
新しく入ってきたティナが、ポリーにとってどうしても受け入れられなかったのさ。
ティナはずいぶん年下で、本当のガキだったが、もう明らかに種族が違うんじゃないかっていう感じの美少女。
おまけに怪力と戦闘センスが跳び抜けてた。
ポリーが劣等感を抱いたのは当然さ。
異性の俺でさえ、ティナの強さには劣等感を抱いたくらいだからな。
だけど、たぶん、本質はそこじゃなかったんだ。
ポリーがティナを受け入れられなかったのは、容姿や戦闘力のせいだけじゃない。
きっとティナの方が自分よりもさらに酷い過去を持っていることをなんとなく察して、なおかつ明るく輝いていることが許せなかったんじゃないかな。
長い間、黙った後、俺はポリーに答えた。
「ごめんだね。俺はろくでもねえ人間だけどよ。それでも自分に恥じるような真似はしたくねえ。こんな俺にだって、プライドくらいあるんだ」
いつも傷ついたの舐められただの言ってるようなプライドもどきじゃない。
冒険者としての、いや人間としての矜持だ。
知ってるかい?
プライドを本当に傷つけることができるのは、自分自身なんだ。
自分自身の行動こそが、自分を深く傷つける。
自分を自分たらしめているものを裏切った時、人は深く傷つくんだ。
ポリーがじっと俺を見つめる。俺はもう一度、はっきりと断った。
「わかった。もう、あんたには頼まない。あんただけはずっと味方でいてくれるって思ってたんだけどね」
ポリーが震える声で言った。
俺の心は大きく揺れたが、それでもこれは譲れなかった。
ポリーはため息をつくと踵を返した。ホールへと戻っていく。
「おい、やめとけ。アルフレッドには手を出さない方がいい。あいつの仲間はヤバいぜ」
俺はポリーの背中に言った。
教導師のダルトンはともかく、ほかの3人はなんというか、まともじゃない。
敵に対しては虫を踏みつけるくらいの感覚で、殺しにきそうだ。
もし、ポリーがアルフレッドをやったら、必ず報復されるだろう。
ポリーは足を止めずに、ホールへと入った。
俺はもう一度念を押そうか、どうか迷って、結局、やめた。
しばらくすれば、頭も冷えるだろうよ。
次の日。
ポリーは朝から俺を完全に無視しやがった。こういうところが、本当に子供っぽいやつだ。
だが、俺はむしろホッとしたね。
こういう風に、怒ってみせるってことは、アルフレッド暗殺をやめたってことだからな。
この日も『試練』やらトラップやらで、厳しい行軍だった。
昼の休憩をとって、しばらく通路を進んでいくと、俺たちはそいつに行き当たった。
そいつは血だらけで、全身真っ赤だった。
上体を壁にもたれて両足を通路に投げ出していた。
アルフレッドが駆け寄った。
「デイビス。一体、なにが……」
俺は驚いて、そいつを見た。確かに『シルバードラゴン』の三男坊だ。
この二日の間に一体なにがってくらい、様変わりしてる。生気が抜けたって感じだ。
「……馬鹿だった……僕たちは、本当に……」
デイビスが消えそうな声で言った。
「怪我は? 大丈夫か? デイビス」
「どいておれ」
ダルトンがアルを押しのけ、デイビスの傍らにしゃがんだ。
「デイビス、聞こえているか? 教導師のダルトンだ」
ダルトンは呼びかけながら、顔を拭いたり、怪我を治したりした。そうしているうちに、デイビスが泣き出した。
「……みんな死んだ。ザックも、シアンも。ヴィズもエレーンも。みんな死んじゃった」
体の内側にぐっと衝撃がきた。
俺は必死にそれを表に出さないようにした。
冒険者をやってると、知り合いが死んだなんてことはざらにある。
今朝、楽しく話したやつが、夕方には死んでる、なんてことはさ。
新人パーティが全滅したなんてことも何度かあった。
そういうときは、体からなにかが、ふっと抜けていくような気分になるんだ。喪失感ってやつかな。
だけど、このときは違った。
いきなり内側に入り込んできた衝撃は、抑え込もうとすると刃みたいにとんがって、心を突き刺した。
記憶が、パッパッパっと連続で頭に浮かんできた。
シアンに投げつけた言葉。
安っぽい挑発。
俺のせいだ。
俺がくだらないことを言って、もめなけりゃあ、あいつらは死なずにすんだのに。
「……この先にいるやつに、みんなやられちゃったんだ。ザックは僕をかばって……。シアンは僕を逃がそうとして……」
言うと、デイビスは大声で泣いた。
デイビスが泣いている間、俺は必死に自分に言い続けた。
違う、俺のせいじゃない。俺は悪くない。
連中とは反りが合わなかっただけで、挑発する気はなかったんだ。
組ませたハルニアが悪い。
ザックだってもうちょっと、弟たちをしつけとくべきだったんだ。
俺は罪悪感から逃れるために、いろんなやつを心の中で攻撃したよ。
そして、怒るんだ。感情的になれば、自分の罪を忘れられるからな。
デイビスが落ち着いた頃、俺も落ち着いた。少なくとも表面上は。
デイビスがこの先にある『試練』で起こったことを話した。ゆっくりと、とぎれとぎれになりながら。
黒く顔のない翼を持った人型の怪物。
手には大鎌を持っていて、魔法を跳ね返す。
先制攻撃をかけた魔法使いのヴィズはそれで死んだ。
次に、高速で飛んできたそいつの大鎌でエレーンが割られた。
そのまま側のデイビスに向かってくる敵。
ザックがデイビスをかばって、鎌を剣で受け、叫んだ。
「逃げろ」
シアンがデイビスの腕をつかんで出口へ向かって走った。
振り返ったデイビスは、大鎌がザックの首をはねるのを見た。
シアンが腕を離した。
「早く、ここから出ろ」
デイビスは出口に向かって走った。
踏みとどまって二人で戦うなんてことは考えられなかった。敵が恐ろしくてたまらなかった。
夢中で走り、ホールを出る。
その瞬間、足を斬りつけられた。
そのまま床に転がって、なんとか体を起こす。
『黒翼人』はホールの玄関口に立っていた。
そこに見えない壁があるかのように、追いかけて通路へと出てこなかった。
『黒翼人』が背中を向け、ホールの中央へと飛んで行った。
床にシアンの首無し死体が転がっているのが見えた。
話し終わったデイビスはそのまま気を失った。
重い沈黙。
「かなり危険な相手だ。魔物だったら5星以上だな」
バーンが言った。
「正直に言って、私はもう引き返したくて仕方がない」
俺は唾を吐いた。
ビビりやがって、これだから冒険しない冒険者はよ、なんてバーンに怒りを向けていた。
「魔法が効かないというのはやっかいだ」
トライスが言った。
「魔法使いたちには待っていてもらう方がいいかな?」
お前はなんでそんなに平気そうなんだよ。お前が変な競争意識をださなけりゃあ……。
今度はトライスに怒りを向ける。
俺がどいつもこいつもクソッタレとか怒っているうちに話し合いは淡々と進んだ。
俺も平気な振りをして、それに交じった。
今から思えば、みんなそれぞれショックを受けていて、それを表に出さなかったんだろうな。
「彼はどうします?」
バズルガがデイビスを見て言った。
「このまま寝かせておいた方がよかろう。バズルガ、ついていてくれるか?」
ダルトンが言った。
「私は構いませんがねえ」
バズルガが俺たちを見る。
バズルガと目が合った。
なにか、責められている気がした。
デイビスに目を向ける。
こいつの愛する兄貴たちはもういない。
俺は爆発した。
心の内側にたまりにたまっていた怒りが、クソみたいな言葉になって体から出ていった。
「ダメに決まってるだろうが。うちの癒し手がいなくなるじゃねえか。そんなやつ、一人で寝かせとけよ。ガキじゃねえんだからよ」
目を背けていたデイビスに対する罪悪感が突き放すような言葉にさせたんだ。
ガキなのは誰だって話さ。
「酷いショックを受けている。1人にしておくのは危険だ」
ダルトンが俺を睨む。
「心配せずとも、お前らも私が合わせて面倒をみよう」
「そういう問題じゃねえだろう。教導師をこんなことで減らしたくねえって言ってんだ。だいたい、こいつらが勝手に行っちまったんじゃねえか。こっちは止めたのによ」
クソみたいな言葉が、さらなるクソみたいな言葉を連れ出してくる。
「ポリー、君がここに残れ」
トライスが言った。
「あたし? なんで?」
「戦力的に君が抜けるのが一番リスクが少ない。弓ならば絶対命中の使えるアルがいる」
「あたしは役立たずってこと?」
なぜだか、俺は笑えてきた。
ポリーのトライスへの想いとか、昨日のやりとりとか、そういうのがなんだか懐かしくてさ。
ポリーがそんな俺を睨む。
ついでにアルフレッドも睨む。
「攻撃の性質の問題だ。これまでの戦いでも矢の効いた相手は少ないからな」
「こんなやつ、放っとけばいいじゃない」
「それは冒険者の言葉じゃない。大人の言葉ですらない」
トライスとポリーのやりとり。
ポリーはしぶしぶデイビスについていることを承諾した。
「よし、行こう」
トライスが言った。
「トライス、『英雄』になってよ。絶対だよ」
ポリーの声が、ホールに向かう俺たちの背中に届いた。
このとき、俺に『試練』に対しての恐怖はなかった。
むしろ、俺がぶっ殺してやるぜ、なんて息巻いてた。
怒りや興奮から冷めたら、自分を責めるってわかってたんだ。
年をとるごとに自分を守る方法がうまくなる。それが成長って呼べるものなのかはわからない。
ホールの扉は開いたままだ。
『シルバードラゴン』の連中をやったやつは、まん中にいた。なにかに座ってる。
死体を重ねた山だった。
「クソッ」
俺が飛びだすのをエルディンが邪魔した。
「落ち着けとは言わない。よく見て動け」
たぶん、エルディンは、俺の心情を理解していたんだと思う。
罪悪感から目を背けるために、怒ったり、好戦的になってることを。
俺は目を見開いて、敵を見た。
人型。身長は3メートルくらいか。
全身真っ黒で金属のような光沢がある。
背中にはコウモリのような羽を生やし、顔はのっぺらぼう。
手には真っ赤な大鎌を持っている。
「やるぞ。みんな配置につけ」
トライスが叫んだ。
俺、トライス、ティナ、ダルトンが『黒翼人』に向かって走った。
『黒翼人』が飛んだ。
羽をばっさばっさとはためかせ、高く浮かび上がる。
そこに光の矢が飛んだ。
『黒翼人』はそれをかわして、矢を放ったサーベルに向かって滑空。
サーベルが次の矢を放つ。
今度は光の矢じゃなく、透けたような矢。
それもかわした、『黒翼人』。
だが、風の矢が巻き起こした突風に巻かれて、吹っ飛んだ。
『黒翼人』が宙で踏みとどまる。
そこへ二本の光の矢が同時に飛んで、やつのコウモリみたいな両の羽を貫いた。
『黒翼人』が地に落ちる。
よし、落ちてきたらこっちのもんだ。
俺たち近接4人組が墜落したところへ殺到。
俺は片膝をついたような態勢の『黒翼人』に剣を振り下ろした。
鎌の柄で弾かれる。
その強い衝撃に、俺は態勢を崩した。
トライスの斬撃。
『黒翼人』は片手を上げて受け止める。
絶妙なタイミングで両手の拳を光らせたダルトンが、『黒翼人』にラッシュをかける。
『黒翼人』の体のそこらかしこが拳の形にへこむ。
最後にダルトンは、見とれるような美しいモーションの拳を打ち込んだ。
『黒翼人』のでかい体が吹っ飛ぶ。
その先に待ち受けてたのは大剣を構えた赤毛のティナだ。
ぶん、と風を切って振られた大剣が、『黒翼人』を上下真っ二つに割った。
「なんでえ、大したことねえじゃねえか。『シルバードラゴン』の連中も口だけだったな」
言いながらも、俺は『黒翼人』の頭を蹴った。
仇はとてやったぜ、なんて偉そうに思いながらさ。
「まだ終わってない。止めをさすんだ」
トライスが言って『黒翼人』の胸に剣を突き立てる。
「倒せば粉々に崩れるはずだろう?」
そうだった。
俺は剣を振り上げた。
次の瞬間、体がふわっと浮き上がった。
なんだ、と思う間もなく、俺は勢いよく後ろに吹っ飛んで、壁に叩きつけられた。
衝撃で意識が飛んで、はっと気づいたら、床に転がってた。
『黒翼人』が歩いている。上半身と下半身はいつの間にかくっついてた。
『黒翼人』が向かってる先には二人がいる。
真っ赤な弓から次々と光の矢を放つサーベル。
サーベルの前で剣を構えるアルフレッド。
サーベルの弓なら『黒翼人』にも十分威力を発揮するってのは、事前の打ち合わせで言われたことだ。
やっぱり相当特別な弓らしい。
アルフレッドはサーベルの護衛として攻撃には加わらない作戦だった。
今まで、動かずに『黒翼人』を観察していたはずだ。
そのアルフレッドが動いた。
サーベルが速射する光の矢をかわしながら近づく『黒翼人』。
そいつとの間合いを一気につめて剣を振り下ろした。
『黒翼人』はアルフレッドの剣を鎌で弾いた。
アルフレッドが剣を戻すよりも先に、クルリと逆方向に動いた鎌が、反撃をする。
その鎌がアルフレッドを斬る前に、光の矢が『黒翼人』ののっぺらぼうの顔面を貫いた。
ぐらり、と大きな体が傾く。
だが、それでもやつは動いた。
鎌で自分の首をはねやがった。
胴体から離れた頭部が宙で粉々になる。
ほとんど同時に無くなった頭部が生えた。
こいつ、死なねえのか?
勝てないんじゃないか?
アルフレッドも同じ思いだったのかもしれない。動きが止まった。
『黒翼人』の大鎌はその隙を逃さない。
アルフレッドの命を刈り取るべく、高速で襲い掛かる。
死んだ。
俺はアルフレッドが真っ二つになった姿を想像した。
だが、そうはならなかった。アルフレッドの体が寸前で吹っ飛んだんだ。
「ぼうっとするな」
バーンだ。
バーンのおっさんは、続いて振るわれる大鎌を剣で押さえた。
死にそうな顔で。
「私は死ねんのだ」
叫びながら、鎌を受け流す。
大鎌がバーンの鼻先をかすめる。
バーンが遅れて大きくのけぞった。
光の糸が『黒翼人』の頭にくっついた。
アルフレッドが使う魔法もどきだ。光の糸の始点はアルフレッドの指先。
「止まれ」
アルフレッドが叫んだ。
ピタッと『黒翼人』の動きが不自然なかっこうで止まる。
だがそれは本当に一瞬だった。
『黒翼人』はすぐに大鎌を振った。
バーンの胴を薙ぐ。
真っ赤な血が宙に舞った。
バーンの腹が間一文字に裂けて、そこから腸がこぼれた。
倒れるバーン。
アルフレッドがおっさんに飛びついた。
馬鹿野郎、てめえも死ぬぞ。
『黒翼人』の大鎌が二人に振り下ろされる。
俺はつい目を閉じちまった。
冒険者が一番やっちゃいけないことだ。
すぐに目を開けた俺は、大鎌が宙で止まっているのを目にした。
大鎌の切っ先には青い半透明の板がくっついている。『魔法板』だ。
ちびっ子魔法使いの仕業か。
『黒翼人』が大鎌を諦めて手放す。
そこへティナが突っ込んだ。
大剣が半月を描いて振り下ろされる。
『黒翼人』がそれを両手で挟んで受け止めた。
ティナは剣にでっかいおまけがついていることなんざ、感じさせないように、ぶんっと剣を振った。
『黒翼人』が振りほどかれる。
そこにオレンジ色の矢が飛んできて、黒い胸に突き刺さった。
直後に爆発。
サーベルの爆発の矢だ。
『黒翼人』の体にポッカリと穴が空いた。
そこへ走ってきたダルトンがパンチを空振り。
パンチは届かなかったが、『黒翼人』の顔がへこんだ。
続いてトライスの斬撃。
ただでさえ大穴のあいた『黒翼人』の胴体が、斜めに裂けた。
それでも、やつは死なない。
『黒翼人』が手で宙を薙ぐ。
ダルトンとトライスが吹っ飛んだ。
『黒翼人』は後ろから攻撃をしかけたティナにも手を向ける。
ティナも吹っ飛んだ。
加勢しようと向かっていた俺は、足を止めた。
ビビッたわけじゃない。
仕掛けても吹っ飛ばされるだけだからな。
だが、『黒翼人』はひとっ飛びで俺の前に飛んできた。
悪い。今度はマジでビビッた。
『黒翼人』が俺の腕をつかむ。
俺は無様に悲鳴をあげた。
わけがわからないままに、ぶん投げられて、サーベルにぶつかった。
そのままゴロゴロと二人して転がる。
やっと止まったと思ったら、目の前にはサーベルの顔。
そんな場合じゃないのに、思わず見とれちまった。ホント、こいつ美形だな。
すぐに起き上がろうとする俺とサーベル。
『黒翼人』が近づいてくる。トライスの斬撃の裂傷なんかは綺麗に治ってるのに、サーベルの矢の空けた穴はそのままだ。
ホントにすげえ弓だな。
だからこそ、『黒翼人』もサーベルの野郎を狙ってるんだろう。
俺たちと『黒翼人』の間に、アルフレッドが立った。
『黒翼人』が両手を後ろに引く。
アルフレッドがそうはさせじ、と肩に突きを放つ。
『黒翼人』はそれをかわして、両手を前に突き出す。
やつの黒い両手腕が伸びきる前に、『黒翼人』の前に青いものが現れた。
次の瞬間、『黒翼人』の全身に大きな波が起こった。
そしてやつは砕け散った。
呆然と立つアルフレッド。
その目の前には凹型の青い半透明の板があった。
どうやら、あの変形『魔法板』が『黒翼人』の攻撃を跳ね返したらしい。
アルフレッドがその場にへたり込む。
俺の隣でサーベルが、ほうっと息を吐く音が聞こえた。
やった。倒した。
俺も床に尻餅をついて、大きく息を吐いた。
仇は打ったぜ、『シルバードラゴン』さんよ。
ホールが揺れた。
迷宮そのものが壊れちまうんじゃないかって、くらいのすごい揺れ。
俺は四つん這いになって、耐えた。
隣でサーベルが立ったままうまくバランスをとっている。
やつは上を見ていた。
なに見てんだろう、と俺も上を見る。
まん中の天井にポッカリと穴が空いていた。
そこからピカピカと黄金色に輝く階段が下りてくる。
俺はぼうっと見とれた。
まさに神々しいってやつだ。
「アル様。ご無事ですか?」
エーテルがアルフレッドに駆け寄ってきた。
「ありがとう。助かったよ。あんなこともできるんだね」
「うまくいって、よかったです」
あの『黒翼人』の攻撃を跳ね返した『魔法板』のことだろう。
あんなものをタイミングよく出せるなんて、確かに天才かもな。
そこへバズルガがやってきた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけねえだろ。いてえよ、体中が」
実際、どこもかしこも痛くて、おまけにめちゃくちゃ疲れてた。
「見たところ、大した怪我は負っていないようですがねえ。サーベルさんも大丈夫そうだ。念のため服を脱いでもらえますかね」
「いや、それには及びません」
サーベルはすげなく断った。
「俺は、足をやっちまったかもしれねえ。治してくれ」
吹っ飛ばされた時に、ひねったらしい。この程度ですんだんだから、運が良かった。
バズルガが舌打ちしやがった。
「傷薬でも塗っときなさいよ」とかブツブツ言いながら、それでも俺の足首に『治癒』の御力をかけてくれた。
その間に俺は、ほかの連中を見た。
ティナは鮮やかな赤毛を櫛でとかしてる。全く問題なさそうだ。
トライスはダルトンが治している。
アルフレッドは床に寝ているバーンの傍らに膝をついている。
それで俺はおっさんが『黒翼人』に斬られたことを思いだした。
宙にまき散らされる血。こぼれる臓物。
死んじまったのか?
心臓がギュッとつかまれたような心地。
おっさん、死んじまったのかよ。
「ダルトンさん。バーンが危ないんだ。仮死薬飲ませたんだけど、ダルトンさんに『復元』してもらわないと」
アルフレッドが叫んだ。
なんだよ、生きてるのかよ。驚かせるなよ。
「良かった」
俺は思わずつぶやいた。
だってよ、バーンのおっさんには妻子がいるんだ。バーンが死んじまったら残された家族はどうなる。
女手ひとつで子供を育てるのは本当に、大変なんだ。
俺は、そのことを身に染みてしっている。
母さんが、どれだけ苦労していたかを、ずっと見てたからな。
早く楽させてやりたくて、冒険者になった。だけど、ままならないよな。俺が、なんとか稼げるようになった頃に、ぽっくり、死んじまったんだから。
美味いもの喰わせてやりたかったなあ。
目元を拭った俺は、サーベルが見ていることに気づいて、慌てた。
やべえ、俺としたことがなんつう恥ずかしいところを。
やつがかすかに笑ったので、俺は真っ赤になってやつを睨んだ。
なんでも、やつが俺を見直したのはこのことがきっかけだったらしい。
そりゃあ、どうも。
ダルトンがバーンに『復元』の御力をかけているのを、俺は眺めていた。
『冒険しない冒険者』そんな風に呼ばれてるバーン。この迷宮に来るのだって、本当にしぶしぶって感じだった。
でも、そうだよな。
家族を残して死ぬことができないって、いつも思ってるから冒険しないんだ。どんなに馬鹿にされても。
この時になって、俺はようやく、バーンの慎重すぎるスタイルに好感を持った。
『不死身カーラッド』みたいに名を残すことは決してなくて。日々、家族のためにリスクを最小限にして戦い続ける。
おっさん、カッコいいな、そう思った。
ダルトンがバーンの治療にいったので、代わりにトライスをアルフレッドが治していた。
なにやら二人で話している。
俺はその内容よりも、『残された家族』であるアルフレッドについて考えていた。
アルタードラゴンと戦って死んだカーラッド。まだ幼いアルフレッドは父親が突然いなくなって、どんな思いをしたんだろうな。
俺たちは、ただカーラッドを偉大だ、と尊敬していればいい。
だけど、アルフレッドにとっては、ただ一人の父親だ。
なにか、そこがアルフレッドとトライスの大きな違いのように思えた。
バーンは助かった。だが、さすがに血の気がなかった。
「すまないが、私はここでリタイアさせてくれ。ポリーに代わって、私がデイビスについていよう」
この日はここで休むことにした。
天井から現れた階段の先には、たぶん最後の『試練』があるはずだ。
ゆっくりと休んで万全の状態で挑むことにしたのさ。
『シルバードラゴン』の連中の死体はいつのまにかなくなってた。『神々の試練』の自浄作用ってやつだ。
だからって、デイビスをここに呼ぶのは酷だろうってことで、ポリーがついてたんだが、それをバーンと代わることになった。
ポリーのやつは満面の笑顔で入ってきた。トライスに寂しかっただの、心配だっただの、なんやかんやと話しかける。
頑張るよな、こいつも。
「できれば、君には待っていてもらいたかった」とトライス。
この朴念仁が、と俺は思ったが、やつの次の言葉は予想外だった。
「最後の試練だ。全員無事というわけにはいかないだろう。君には死んで欲しくない」
「トライス、それってさ」
トライスがポリーを抱きしめた。
俺は口笛を吹いた。
トライスの腕の中で涙ぐんでるポリーを見て、あったかい気持ちになった。
良かったな。
その夜、俺はさっさと眠っちまったから、トライスとポリーがよろしくやったのかどうかは、知らない。
眠る前に、アルフレッドに抜け駆けするなよって、何度か念を押したな。
まあ、ただの冗談だよ。さすがにそういう連中じゃないことくらい、わかってたさ。
この本を手に取ったあんたは、どうやって『英雄』トライスが誕生したのか、そして、アルフレッドがなんで『負け犬』なんてことになったのか。そいつが知りたかったんだろう?
これまで、俺は自分が見てきたこと、感じたことを正直に書いてきたつもりだ。
トライスが思ってたようなやつじゃなかった?
もっとアルフレッドがトライスをライバル視してるかと思ってた?
まあ、実際は、こんな感じだったのさ。
そして、いよいよ最後の『試練』だ。
ここで、『英雄』と『負け犬』ふたつの道が大きく別れる。
だけど、俺は思うんだ。
『英雄』は果たして、それほど光り輝く道なのか?
『負け犬』は惨めな境遇なのかな?
さあ、いよいよ物語はクライマックスだ。
翌日、俺たちは光り輝く階段を上った。
俺の心臓はドクンドクンと激しく高鳴ってたよ。
だって、ついに、最後なんだぜ。
こいつを攻略できれば、俺たちは『神々の試練』を制覇したことになるんだ。
冒険者にとっては最高の名誉ってもんだ。
光の階段を上ると、『神々の試練』に入った時と同じような、六角形の部屋に出た。
壁の1つに黄金の扉がある。
先頭のトライスとアルフレッドが扉を開ける。
最後の『試練』が現れた。
一面ガラス張り。
透明な壁の先は、天井も壁も床も、星空。
夜空の中に浮かんでるような感じさ。
部屋の奥に光が見える。そいつが月みたいにこうこうと輝いている。
その『月』を背負うように部屋の中央に美女が立っていた。入り口で扉から生えていた『裁定者』だ。
「よくぞ、ここまできたと褒めてやろう。今から汝らに最後の試練を課す。その困難さは、道中の試練などおよびもつかぬ。我の見たところ、汝らの力では切り抜けられん。悪いことは言わぬ。引き返すがよい」
これがまた、淡々とした口調でさ。事実を言ってるってのがわかるんだ。
俺は『裁定者』の美しさもあいまって、ゾクッと寒気を感じた。
だが、そいつが、不吉な未来予測に代わる前に、トライスが前に出た。
「そう言われて素直に引き下がれるわけがないだろう」
腰の剣を抜く。
「さあ、我々が臆病風に吹かれる前にさっさと始めてくれないか?」
今までトライスの欠点ばかり書いちまったけど、やつにこういう勇敢さがある。
不安を押しのけて前に進もうって姿は、確かに『英雄』にピッタリだ。
『裁定者』が白く輝いた。壁が、光を跳ね返して、もう視界は真っ白。
ふいに、光が消えた。
『裁定者のいた場所に一人の騎士が立っていた。
黒い甲冑に身を包んだ大男。
頭部も黒い兜に覆われていて、顔も見えない。それから真っ黒いマント。
手にはこれまた真っ黒い槍を持ってる。
2千年以上前の『神々と英雄の時代』に、黒騎士って呼ばれる『英雄』がいた。
千人の騎士を一人で倒したり、天馬を駆って嵐を消したりとか、そういう伝説の残るまさに本物の『英雄』さ。
たぶん、その場にいた誰もが、ホールのまん中の黒甲冑を見て、思ったんじゃないかな。
こいつは、あの黒騎士だ、って。
「我は『黒騎士マウロメラン』本人ではない。彼の存在を再現した人形にすぎぬ。そんな我をも倒せぬようでは、非力に過ぎよう」
黒騎士が言った。
軽く槍を一振り。
マジかよ、と、うめく間もなく、俺たちは吹っ飛ばされた。
まるで見えない壁がものすごい勢いで迫ってきたみたいだった。
気づいた時には壁に押し付けられていた。
衝撃波みたいなものは通り過ぎ、すぐ体はすぐ動くようになった。
けど、動けない。それほど圧倒的な威圧感があった。
黒騎士が槍を投げ出した。槍が宙で粉々になった。
これを使うまでもない、とそんな感じだろうな。
ああ、ホント、その通り。できれば、もうちょっと手加減してくれよ。
なんて、みんな思ったんじゃないかな。
黒騎士は動かなかった。
相手をしてやるから、さっさとかかってこい、なんて言いたいんだろ。
俺はもちろん、あのトライスでさえも動けなかった。
真っ先に動いたのは『太陽の剣』のやつらだ。
サーベルが赤い弓を引き、光の矢を黒騎士に向けて放った。
ティナは大剣の切っ先で透明な床をこすりながら、一直線に黒騎士に向かっていく。
エーテルはなにやらものすごい早口で呪文を唱えている。
杖頭から青い光線がいくつも伸びて、空宙に魔法陣を描いていく。
アルとダルトンも動いた。
トライスもだ。
サーベルの光の矢を手で払う黒騎士。
まるで虫でも追い払うみたいに。
だが、サーベルのやつは、二本と見せかけて三本の矢を放っていた。その三本目の矢が黒騎士の兜を射抜いた。
……いや、射抜いていなかった。
黒騎士は首を軽くかしげて、光の矢をかわしやがった。
次々と飛んでくる矢を、かわし続ける黒騎士。
そこへティナが飛び込んでいって、大剣を一振り。
俺だったら、剣ごと真っ二つにされちまうような、すごい斬撃だ。
黒騎士はそれを片手で受け止めやがった。
ティナは連続で剣を浴びせる。
あんな馬鹿でっかい剣を、ぶんぶんと高速で振り回してる。
そばに寄っただけで、ミンチになっちまいそうだ。
だが、黒騎士にはまるで効いていない。全部、受け止められてる。体勢を崩すことすらできてない。
ティナが猛攻をかけているあいだにも、サーベルの光の矢は休まず飛んでいく。
ティナの肩を、脇を、頭をかすめるような際どい軌道。
それすら、黒騎士はかわしやがる。
そこにアルフレッドとトライスが加わった。
だけど、二人の剣は黒騎士にとって、防御する必要もなかったみたいだ。
アルフレッドとトライスの剣が甲冑に当たっても、びくともしない。むしろ、攻撃をした方が、ずり下がる。
俺も黒騎士のそばまでいったんだが、はっきりいってどうにもできなかった。
なにしろ、ティナの大剣が振り回され、ひっきりなしに光の矢が飛んでくるんだ。
そこにアルフレッドとトライスが動き回ってるもんだから、攻め手に加わることができない。
俺が踏み込んだら、邪魔になることは目に見えてた。
「みなさん、離れて」
エーテルの声。
「エーテマーサ」
俺たちは、同時に大きく後ろに跳んだ。
俺のすぐ真横を幾重にも連なった稲妻が走った。
水平に伸びた稲妻が黒騎士を撃つ。
やったか?
白煙の下から黒騎士が現れた。
ぜんぜん、効いてなさそう。
上げた片手の平の上で、稲妻がグルグルと回っている。
黒騎士が手の平を前に向けた。
飛んできた方に、稲妻が帰っていく。
もちろん、そっちにいるのはエーテルだ。
「主よ、御力を」
ダルトンの声。
振り返ると、ダルトンがエーテルの前で両膝をついていた。
白い煙が体から、もあもあ、と立ち昇ってる。
「ダルトン様」
「気にするな。続けろ。私はお前たちの壁だ」
ダルトンが怒鳴る。
クソ、かっこいいじゃねえか。
黒騎士を見ると、ティナ、トライス、アルフレッドの三人がまた攻撃をしかけていた。
もちろん、サーベルも矢を放ち続ける。
俺もなんとか一太刀くらいは浴びせてやる。かすり傷でも負わせてやるぜ。
と、いいたいところだけど、やっぱり近づけない。
ティナの攻撃はさっきよりも激しくなってるし、アルフレッドとトライスも動き回っている。
そのとき、トライスが大きく後ろに跳んだ。
腰を落とし、剣を後ろに引く。
あの構えは、トライスの必殺の突きだ。
トライスの剣を握る手が黄色く輝いた。
残像を残しながらトライスが踏み込む。
剣が消えた。
トライスの一撃は黒騎士の甲冑の胸部に突き刺さったように見えた。
だが、甲冑に触れる手前で、黒騎士が手で押さえこんでやがった。
粉々に砕け散ったのはトライスの剣の方だった。
それにトライスの闘志。
トライスが膝をついた。
黒騎士の体に異変が起こった。
なにか、輪郭があやふやになったんだ。
なんだ? と目を凝らす俺。
次の瞬間、俺は悲鳴をあげていた。
黒騎士が目の前に立っていた。
おかしいだろ。
10メートルは距離を空けてたぞ。それを一瞬でつめやがった。
俺は夢中で剣を振った。
黒騎士の肩に当たったが、折れたのは剣の方だった。
変な姿勢で剣を振ったせいで、態勢を崩し、そのまま前に倒れる。
見上げると、黒騎士と目が合った。
黒いフルフェイスの兜。その奥に本当に目があるのか、わからなかった。
漏らした。
いや、うん、情けないのはわかってる。
でも、相手はあの黒騎士だぜ。
小便、漏らしちゃうくらい勘弁してくれ。
俺の醜態を戦意喪失とみなしたのかな。
黒騎士の輪郭がまたあやふやになった。
そして消える。
後ろの方でサーベルの声がした。
やつが瞬間移動したのはサーベルのところみたいだ。
確かに、黒騎士にダメージを与えられそうなのは、あいつの弓だけだろうからな。
俺は固まった体を力づくで動かして、振り返った。
サーベルが黒騎士につかまれかけていた。
サーベルは逃げるどころか、その超至近距離で光の矢を放った。
光の矢は黒騎士の頭を貫通して、後ろに抜けていく。
やったのか。
サーベルがなにか言った。
それを最後に、やつは白い石に変わっちまった。
髪からつま先まで。服も黄金のマントも。ただひとつ握っている真っ赤な弓だけは、そのままの姿だった。
「ベル」
アルフレッドが叫んだ。
この時、俺は黒騎士に目が釘付けで、アルフレッドのことは見ていなかった。
後でサーベルに聞いた話だと、『太陽の剣』の連中は、こっそりと打ち合わせをしていたらしい。
最後の『試練』は倒さずに、奥へ抜けてもいいこと。
恐らく最大の攻撃力を誇るサーベルを狙ってくるだろうから、その時にアルフレッドは『神の間』へ続く奥の通路へ抜けること。
ほかの仲間たちは、敵を釘付けにすること。
「卑怯だと思うかい? だが、そうでもしないとアルはトライスに勝たない。勝てないんじゃなく、勝たないんだ」
なんて、サーベルは言ってたよ。
石像になったサーベルを離した黒騎士。やつが振り返るのをエーテルが阻止した。
杖からわっさわっさと触手を生やして、黒騎士の腕を絡めとったんだ。
エーテルの体が青く輝いた。
その光は腕から杖へ。
杖から触手を伝って黒騎士に流れる。
黒騎士が手刀で自分の腕をぶった切った。腕ごと触手を切り離したんだ。
その時、エーテルの後ろで床に魔法陣を描いていたエルディンが、立ち上がり、杖を立てた。
青い閃光。
そのあとには、黒いリングが浮かんでいた。
エルディンが黒騎士を杖頭で指す。黒いリングが、黒騎士の頭上に飛んでいった。
黒騎士の頭上でリングが大きく広がる。
黒騎士の体が不自然な形で反った。
頭の房飾りが、地面に引っ張られている。どうやら、敵を足止めする魔法らしい。
倒れそうなエーテルをダルトンが抱き上げる。
そのとき、白い光が爆発した。
世界が真っ白に溶けちまった。
視界はすぐに戻った。
みんな石になってた。
エーテルもダルトンもエルディンも。
やつらと距離をとっていたポリーも、入り口の側で様子見していたバズルガでさえも。
石になっていないのは、俺とティナ。
今だに膝をついているトライス。
それにずいぶん奥の方にいるアルフレッドだ。
黒騎士がゆっくりとアルフレッドに近づいていく。
「大きく跳んで3歩というところか」
黒騎士の声が響いた。
「それで汝はすべてを終える」
そう、アルフレッドは『神の間』へ向かう通路まで、あと数歩ってところまできていた。
あいつ、いつの間に、って、そう思ったよ。
「進みたくば進むがよい。だが、汝が一歩進むたびに、我は汝の仲間を砕く」
「そんなことさせるもんか」
ティナが黒騎士に斬りかかった。
黒騎士がそれを片手で防ぐ。
「アル、行って。こいつはあたしが……」
言いかけたティナも、石にされちまった。
「英雄に憧れし者よ。今一度問う。仲間を捨てて栄光を手につかむ覚悟はあるか?」
黒騎士がアルフレッドに近づく。
もう、十メートルも離れていない。
もっとも、黒騎士がその気なら、百メートル離れていても意味がなさそうだけどな。
行け、アルフレッド。
俺は立場も忘れて、そんな風に心の中で檄を飛ばした。
だってよ。もうあと数歩で『英雄』になれるんだぜ。
カーラッドと同じ『英雄』だ。誰もが、さすがカーラッドの息子だ、って思うんだ。
だけど、さ。
アルフレッドは進まなかったんだ。
冒険者として最高の高みへ。
偉大な父親と同じ場所へ。やつは進まなかった。
アルフレッドは黒騎士に向かっていったんだ。
もう何ヵ月も経っちまったが、今でもその時のことははっきりと思いだせる。
アルフレッドは上体を低くして、黒騎士に向かって走った。
走りながら、手裏剣(投げる専用の小型の短剣みたいなもんだ)を投げる。
手裏剣の先には光の糸みたいなものがついていて、それが黒騎士につながっていた。
吸い寄せられるみたいに、黒騎士に手裏剣が当たる。
黒騎士は余裕をかまして防ぎもしなかった。
アルフレッドの手裏剣は、首、腕、足の関節部分にうまく突き刺さった。
それでも黒騎士はピクリともしない。
アルフレッドは光の糸を伸ばして黒騎士の足をすくう。
もちろん、それが効くような相手じゃない。
だが、アルフレッドが光の糸を断ち切ると、黒騎士は、ほんのわずかだがバランスを崩した。
アルフレッドが跳んだ。
大きく高く。
そして、剣を振り下ろす。
黒騎士はそれを左手で防いだ。
アルフレッドは宙で体をひねりながら、光の糸を飛ばして、うまく着地した。
そのまま低い姿勢で黒騎士に斬りかかる。
狙ったのは足元だ。
だが、脛を打った斬撃はまるっきり効いた様子がない。
アルフレッドは後方にくるっとトンボ返りして離れた。
俺はアルフレッドの戦いに目が釘付けになっていた。
なんつうか、すげえな、あいつ。
変幻自在。トリッキー。
はっきりいって、俺じゃあ勝てない。
「未熟」
黒騎士が言った。
アルフレッドはそんな言葉、まるっきり気にしてなさそうだ。
だから、どうした、って顔さ。
剣を斜に構えて、黒騎士と向き合ってる。
「我に勝てると思い上がったか?」
「だったらいいけどね」
「ならば、なぜ戻った? 仲間の屍を越える覚悟のない者に英雄の資格はないぞ」
「そんな覚悟がいるんなら、英雄なんてなりたくない」
「仲間と死ぬために戻ったということか?」
「仲間と生きるためだ」
アルフレッドが叫んだ。
まるで自分の魂をぶつけるみたいに、黒騎士に向かって人差し指をつきつける。
アルフレッドの指先から光の糸が伸びる。
その光の糸につられるみたいに、床や黒騎士の体から、光の糸の切れはしが現れた。
そうだ。アルフレッドが何度も巻きつけたり、飛ばしたりしていた光の糸が復活したみたいな感じだった。
いくつもの光の糸の切れはしが、アルフレッドの指から伸びた光の糸に伸びていって、複雑に絡み合う。
まるで宙に文字を描いているみたいだ。
それも、ものすごい速さでさ。
その糸の先端が黒騎士の兜に入り込んだ。サーベルのやつが、矢でうがった穴。
アルフレッドが光った。
強烈な光だ。
その光が集まり、糸をたどって、黒騎士の兜に入り込む。
黒騎士の兜に亀裂が入った。
兜だけじゃない。体を覆う甲冑にも無数の亀裂が入っていく。
あいつ、やりがやった。
俺は、呆然と、ひび割れていく黒騎士を眺めていた。
だけど、俺よりもきっとアルフレッドの方が呆然としてたかもな。
アルフレッドは強烈な光を発したあと、よろり、と倒れて膝をついた。
それから、驚いた顔で黒騎士を見ている。
こんな結果をやつ自身も予想していなかったみたいだ。
「汝はあまりにも未熟だ」
黒騎士が言った。
さっきまでの低い男の声と、女の声が重なっていた。
「だが、未来の英雄となるべき素養は確かにある」
黒騎士がついに粉々になって崩れた。
その下から、スケスケの服を着た美女が現れる。
例の『裁定者』だ。
「少年よ、進むがよい。我の役目はこれで終わりだ」
『裁定者』の体がキラキラ光る金色の砂みたいになって崩れていった。
その砂も溶けるみたいに消えちまった。
終わった。
『最後の試練』が終わったんだ。
あの黒騎士を、アルフレッドのやつ倒しやがったんだ。
トライスがふらふらしながら、アルフレッドに近づいていった。
あまりにも静かだったせいかな。
それともなにか特別な力が作用したのか。
距離は離れていたが、二人の会話はなんとか聞き取れた。
「見事だ、アル。さすがあの人の息子だな」
「大まけにまけてって感じだよ」
「そんなことはない。大したものだったよ。さあ、『神の間』へ行ってこい。『英雄』の称号は目の前だぞ」
アルフレッドは首を横に振った。
「『神の間』へはトライスが行きなよ。俺にはやることがあるから」
「なにを言っているんだ。こんなときに、ほかにやることなんてあるものか」
声を荒げてトライス。
そりゃあ、そうだよな。
『英雄』の称号は目の前にあるんだ。
もちろん、それを得る権利も。
『英雄』になることよりも先にやることなんてあるわけがない。
「ここまで、何日かかったか覚えている?」
「なんだ、唐突に」
俺が計算しているうちに、トライスが答えた。
「試練の入り口からなら、5日間だな」
「最短で進んでも4日はかかると思う。間に合うと思うかい?」
トライスが振り返った。
俺の方をじゃないぜ。アルフレッドの視線の先、ちょうど広間のまん中らへん。
俺もそっちを見た。
石になったティナが横倒しになっていた。
「『復元』の期限か……」
トライスの言葉で俺もアルフレッドの言いたいことがわかった。
教導師が治療に使う御力には、『治癒』と『復元』の二つがある。
放っておいても自然に治るような傷は『治癒』で、治すのを早める。
体の欠損だとか、毒、石化なんかの場合は、体の状態を、ダメージを負う以前に戻す『復元』が使われる。
ただ、この『復元』には期限があって、3日が限界だって言われてる。
なんでも、教導師は御力を使う際、魂に触れて、肉体の情報を呼び起こすんだとか。
時間が経つと、魂が持つ肉体の情報が上書きされていくらしい。
「『神の間』に入ると3日間が経つんだってさ」
これは俺もこの攻略行中に聞いた。
この迷宮の一番奥にある『神の間』。
ここには一人しか入れない。そして、入ったやつは神様に会う。気が付いたときには、3日が経っていて、部屋の外へ出ているんだそうだ。
手には最高のアイテム『神器』を持っていて、体のどこかには興奮すると光る『英雄印』が刻まれているんだとか。
つまり、アルフレッドのやつは、冒険者の最高峰『英雄』になるよりも、仲間を取ったんだ。
それも、一切迷うことなくさ。
だって、あいつは黒騎士を倒してから、たったの一度だって、『神の間』の方を振り返ってないんだから。
「それなら、私とデンバー、それにバーンとデイビスで彼らを運ぼう。君は『神の間』へ行くといい。行くべきだ」
「4人で全員を運ぶことなんてできないよ」
「それなら君が残ろうと同じことだろう。いや、君よりも私の方が力がある」
「試してみたいことがあるんだ。うまくいけば、ダルトンさんを戻せるかもしれない」
確かにダルトンか、バズルガを石から戻せば、ほかの連中の石化を治せる。いや、ダルトンが御力に必要な聖丸
が残り少ないって言ってた。
全員は無理かもしれない。だけど、外に出れば、待機している連中がいる。そいつらの聖丸を使えば。
俺は入り口の方で石になっているポリーを見た。
いつも自分の生い立ちを恨んでいた小さいガキ。
幸せそうなやつを見ると、毒づいて妬んでいたな。
愛する旦那と結婚して、温かい家庭を作るって、夢見てたな。
トライスのことが好きだって、マジな顔で俺に言ってきたな。協力してってさ。
トライスがお前なんかを相手にするか、なんて俺は言っちまったけど、応援してたんだぜ。
俺はたまらずにポリーの元へと走った。
トライスの大声が耳に入った。
「馬鹿な。『英雄』だぞ。『英雄』の称号が目の前にあるんだぞ。君は自分がどれほど愚かな選択をしようとしているのかわかっていないんだ」
これに対して、アルフレッドがなんて答えたのか俺にはわからない。
なぜって、この本を俺に書かせたサーベルは、その時石になってたし、トライスとはあれ以来話していない。
アルフレッド本人に聞こうにも、みんなも知っての通り、あいつはもうクラングランにはいないから。
まあ、きっとあいつらしく、平凡だけど誠実な言葉だったんじゃないかな。




