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「ちょっとディー!やめてよ!」
いつの間にか近くに来ていたジーナが悲鳴のような声を上げた。
「もう無理。やってられない。こんなことをして何の意味があるのよ。どうせすぐにばれるわ。時間の無駄だよ」
少女は長い耳の端を指でつまんでぶらぶらと揺らしながら答えた。耳が付いていた後には、普通の人間サイズの耳があるのが見えた。
「だからって、順序というものがあるでしょ。決めた手順は守りなさい」
「だって、あなたもエルフなんですか?って聞かれて、はいそうです、なんて答えられないもん」
「だったらなんでその役を引き受けたのよ」
ジーナは諦めたのか、呆れ顔だ。
「興味があったんだもの」
少女はセイに視線を向けて、ふんと軽く鼻で笑った。
「えーと。どういうことなんでしょうか?」
セイは恐る恐るこちらに視線を向けている二人に訊いた。
「んー……、簡単に言うとここは異世界じゃない。君は召喚されたんじゃなくて拉致られたんだ」
ジーナがそう言いながら頭を触ると金髪がごっそりと抜けた、ように見えたが、カツラを取っただけであった。カツラの下からは束ねられた濃い茶色の髪が現れた。ジーナはばっさばっさとそれを振りほどく。
「あー、この炎天下にカツラは暑かった」
ジーナの口調は少し乱暴なものに変わっていた。昨日、電話に対応していた時も似たような口調だった。こちらが素なのだろう。
「拉致……ですか」
現実味のない言葉だ。
「そう拉致ったんだ。悪いね」
ジーナは覚悟を決めたらしく、サバサバとした口調で答えた。拉致ったり騙したりしていたのに、罪悪感は全く感じていないようだ。
「じゃあ世界に危機が迫っているって言うのは……」
「それは本当だ。ロボットに乗って闘ったのは覚えているだろ」
セイは先ほどまで、死んで同じ時間に戻ってきた、ループしている、などという非常に非現実的なことを考えていたにも関わらず、ジーナの口から出てくる言葉は全てあり得ない、嘘っぱちなことのような気がした。
僕が、ロボットに乗って闘っただって?
その記憶はまだ鮮明に残っているが、ジーナから聞かされると、現実感が急速に失われていく。
「じゃあ作戦終了でーす。撤収よろしくお願いしまーす」
葛藤するセイを放置してジーナがパラソルの方に声をかけると、途端に静かだった周囲の空気がざわっと動いて大勢の人が姿を現した。人々はガヤガヤと話しながら、しかしテキパキと片づけを始めた。周囲には大きなスクリーンやスピーカー、照明設備などがひしめいていた。その後ろには堤防、さらにその向こうには住居が立ち並んでいるのが見える。
砂浜がずっと続いているように見えていたのに港湾設備があり、その先には先日の巨大建築物がそびえている。
現実感のある光景が逆に信じられなかった。
「全部嘘だったんですか?」
映画のセットのように、作られた風景だったのだ。
夢見た南の島でのスローライフは完全にまやかしだったのだ。
「全部ではないわ」
ジーナは悪びれずに言って、海に向かって両手を広げた。
「碧い海も、蒼い空も、白く輝く太陽も、熱い砂浜は本物だ。そしてこの美しい世界を守って欲しいというのも本当だ。それに闘ったことを覚えているんだろう?その記憶こそが本物だ」
セイはつられて海を見ながら目を細めた。
闘って、この世界を守ったことが本当。
「そして私が作戦に失敗したのも本当だ。よって私は撤退する。ディー、後は任せた」
「なんで私なのよ」
少女は整った顔を膨らませて抗議した。
「お前が私の作戦をぶち壊したからだ」
「エルフが異世界召喚だなんて、誰も信じないような荒唐無稽な作戦を立てるからじゃない」
「彼は信じていたぞ」
「信じるわけないでしょ」
水着の美女二人に鋭い視線を向けられたセイは、少しおびえながら親指と人差し指の間に小さな隙間を作って見せた。
「……少しだけ」
ジーナはガッツポーズを見せ、少女は頭を抱えて負けを認めた。
「任されますけど、具体的には何をすれば良いの?」
「この島を案内してやってくれ。生活に必要な店や施設を教えて、宿舎に連れて行け。部屋の準備はもうできている。彼も色々と知りたいことがあるだろうから、教えてやれ」
「色々って、機密事項があるでしょう」
「機密レベルはお前と同じだから何を教えても大丈夫だ」
「なんで同じなのよ」
少女は突っかかる。
「同じパイロットなんだから、機密レベルも同じで当たり前だろ。それじゃ、私は仕事が山積みだからもう行く。仲良くやってくれ」
軽くウインクをして去っていこうとするジーナを、セイは呼び止めた。
「あの……、どうして異世界だなんて騙したんですか」
世界の危機と言うのが具体的になんなのかはまだ分からない。しかし、危機が迫っているのが本当で、自分にできることがあるならば、騙すのではなく、普通に相談をして欲しかった。
ジーナはいたずらが見つかった子供のような顔で笑った。
「だって、日本の男の子ってこういうのが好きなんでしょう」
ひどい偏見だと思いながら、セイは日本男子を代表して正直に答えた。
「嫌いではないです」
「良かった」
満足そうに口角を上げたジーナは車に乗り込み、去っていった。
「では不本意ながら私がこの島を案内してあげるわ。改めまして、私はミューラー・ディートリンデ。ディーって呼んでちょうだい」
「僕は……」
「セイでしょう。資料で読んだわ」
ディーはにっこりと笑うと、先に立って歩き始めた。
その後をついていくセイは、初対面の相手が自分のことを知っているのは気持ちの悪いものだと知った。しかも資料にまとめられているという。胸の内がぞわぞわした。
ディーはスタッフから荷物を受け取ると、セイを待たせて着替えを始めた。とはいえ、水着の上から白いシャツを羽織って裾を胸の下で縛り、ショートパンツを履いただけなのですぐに終わった。
「お待たせ」と言って歩き始める。肩にかけたポーチが勢いよく揺れている。
周囲のスタッフは二人には構わずに黙々と作業を進めている。昨日の格納庫の中の作業員たちも同じだったが、二人に興味がないから構わないのではなく、ただひたすらに忙しそうだった。
南の島にはスローライフなど存在しないという現実を見せつけられている気がした。
砂浜を抜け、堤防の間の通路を通り、堤防沿いの広い道路に出る。ディーはその途中で左腕につけたブレスレットに「車を一台回して」と話しかけていたのだが、道路にはその言葉通りに小型車が一台止まっていた。
ディーが左側の前部座席のドアを開けたので、セイはここは左ハンドルの国なのかと思いながら右側のドアを開けた。しかしディーの前にもセイの前にもハンドルはなかった。ディーに倣って座席に座りシートベルトを締めると、ディーはブレスレットに向かって「レヴァレッアショッピングセンターへ」と言った。
『レヴァレッアショッピングセンターへ向かいます』という優しい女性の声の社内音声が聞こえた後、車はゆっくりと動き始めた。
「……自動運転なんですか?」
セイは驚きながら訊ねる。
「ええ。この島の車は基本的に全て自動運転よ」
「そうなんですか。凄いですね。でも、昨日イェンさんは車を運転していましたけど」
「何事にも特別扱いがあるってことよね。一部の人間には緊急時に限って運転することが許されているの。許可をもらっているのはイェンじゃなくてジーナだけどね」
「ジーナさんはえらい人なんですか?」
「えらいと言えばえらいでしょうね」
ディーはそう言いながらも不服そうに口を尖らせる。
「でも許可が与えられているのはえらいとかじゃなくて、緊急時に特別な行動を起こすことが必要だからよ。そういう意味ではパイロットだってそうでしょう?非常時には一刻も早く出撃しなくちゃいけないんだから。それなのにパイロットには許可が下りないの。不公平だって抗議しているんだけど全然ダメ。そうだ。ねぇ、あなたも一緒に抗議してよ」
ぐいっとキレイな顔を近づけられて、セイは少しどぎまぎした。
「でも、僕は運転免許を持ってないから許可をもらっても運転できないです」
「私だって持ってないわ。でも私たちはヴァウピリ―のパイロットよ。車の免許ぐらいすぐに取れるわよ」
ヴァウピリ―《ロボット》の操縦と車の運転は全然違うと思う。車をただ走らせるだけならできるだろうが、免許を取るにはS字クランクや車庫入れができなければいけないことぐらい、セイも知っていた。加えて学科試験もある。
「考えておきます」
しかしセイは反論するのではなく、無難にそう答えた。
「ああそうそう」
座席に座りなおしたディーは、すでに免許の話から興味をなくしたかのように話題を変えた。
「あなたの間違えを訂正するわ。あなたがイェンの車に乗ったのは昨日じゃない、三日前よ」
「三日……」
セイは呟いて隣の少女の顔を見る。
「あなたは三日間ずっと眠っていたの。訓練を受けていないのにいきなり宇宙に飛んで行って、戦闘をして、大気圏突入までしたんだから、それぐらい疲れたって仕方がないわ」
慰められているのか、褒められているのか分からない。
「あなたが寝ている間は大変だったのよ。今でも大変なんだけど」
ディーがぴっと前方を指さしたので、そちらに目を向けた。
ショッピングセンターらしき建物が見えた。その壁には大型のモニターが設置されており、ニュース番組が流れている。
そこに映っているのは、東京ビッグサイトを背にして戦っている人型ロボットの姿だった。
本作品での名前の表記は日本人も外人も異世界人も全て、姓・名となります。