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「ごめん。邪魔だ」
意図していなかったとはいえ半裸のジーナに抱き着いてしまったセイであったが、ジーナは全く気にしていない様子で簡単にセイを振りほどいた。
突然のトラブルを無事に切り抜けられたことに安堵したセイであったが、額の汗を拭おうとして、右腕に何かが引っかかっているものに気が付いた。よく確認するまでもなく、ジーナのビキニのブラトップだと分かった。
「あ、あの」とジーナの方を見ると、当然ながらトップレス状態の肢体が目に飛び込んでくる。
「どうしたら良い?どうしたら良い?」
完全にパニック状態に陥ったセイは、ブラトップを引っかけたまま右腕をジーナの方に差し出し、視線は海に固定して直立不動した。
ジーナが電話をしていたのは二、三分ほどであったが、セイには一時間ぐらいに感じられた。
「ありがとう」
電話を切ったジーナはブラトップを受け取ると「ねぇ」とセイを呼ぶ。
「紐を結んでちょうだい」
「はい」と勢いで返事をしたものの、ビキニの紐なんて、どう結べば良いのか分からない。さっきほどいたのは自分だが、どんな結び目だったかなんて覚えていない。
「適当で良いわよ。迎えが来るから急いでね」
「迎えですか」
「来たわ」
促されて海岸線を見ると、砂煙をあげながら何かが猛スピードで接近してきていた。
急いでビキニの紐を蝶々結びすると、砂を盛大に巻き上げながらそれは急停車した。セイの目にはオープントップの大型SUVに見える。
巻き上げられた巻き上げられた砂が降ってきて、隣のパラソルがぺしゃんこに潰れた。
「乗って」
ジーナに押されて車の後部座席に乗り込んだ。ジーナもその後についてきて、ドアを閉めると同時に車は急発進した。
「急いで!」
「やってる」
運転席でハンドルを握っている女性は、平坦な声で返事をした。体は小柄で髪は黒のストレートロングだ。眼鏡を掛けている顔は良く見えないが、東南アジア系のように見える。
一番の特徴は彼女も耳が長いことだった。
疑問は色々あったが、そこが一番質問しやすいと思えた。
「彼女もエルフなんですか?」
「うんそう。エルフエルフ」
余裕がない感じでジーナは応える。
「イェンです。よろしく」
運転手は右手でピースサインを作りながら平坦な声で挨拶してきた。
「この世界では、エルフも車を運転するんですね」
「うんそう。魔法の車だから」
ジーナが答えた時、また電話の呼び出し音が鳴った。
「そしてこれは魔法のスマホ」と言って、電話にでる。
「駿馬のごとく向かっているところです。五分もかかりません。副指令はなんて言っているんですか?出すの?本当に?まじで?はいはいはーい了解です。格納庫に向かいます」
ジーナが電話をしている間に外の景色は一変していた。右手にはずっと青い海と青い空が広がっていたが、道は砂浜からアスファルトで舗装されたものに変わり、両脇には照明灯が並んでいる。左手には住居やビルが並ぶ。そして正面には巨大な建造物が見えてきた。
あれは魔法都市とでも言うべきものなのだろうか。
ぼんやり考えていると、ジーナに現実に引き戻された。
「セイ、あなたに謝らなくてはならないわ。敵がやってきたの。ゆっくりしている時間はなくなったわ」
ジーナの青い瞳がセイの顔を正面から捕らえる。
「出撃して、敵を倒してちょうだい」
周囲が急に暗くなった。正面に見えていた巨大建造物の中に入ったのだ。ここに至るまでに幾つかのゲートを通り、何台もの車がこの車に進路を譲ったのを、セイは目の端で見ていた。
何かが起こり、自分たちが急行しているのは間違いない。
しかし僕が出撃して敵を倒すだって!?
質問をしている時間はなかった。長い通路を凄まじい速さで駆け抜けて、車はまた急停車した。
「降りるわよ」
ジーナに引きずられるようにして車から降りると、そこは大きな空間になっており大勢の人が忙しく働いていた。
「どこ?」
「右の部屋です」
ジーナの質問に待ち構えていたらしい男の人が答えた。ちなみに彼の耳は短い。
「ありがとう」
ジーナに手を引っ張られて壁に空いた通路に入ると、右手にあったドアを開け、中に入った。
ガランとした部屋の真ん中に簡易テーブルが置かれており、隅には折りたたまれたパイプ椅子が並べられている。
「服を脱いでちょうだい」
ジーナに命じられたのは思いもかけないことだったが、慌ててTシャツを脱ぐ。
「下もよ」
そう言われても、海パンの下には何も履いていない。
「恥ずかしがってないで早く脱いで!私の裸も見たんでしょう」
「すみません。でもあれは……」
「は・や・く」
「はいっ」
ジーナの迫力に、セイは一気に海パンを脱いだ。
「そこのスーツを着て」
「スーツ?」
簡易テーブルの上には長方形の箱があり、セイはその中に入っていたものを持ち上げた。ゴムでできたつなぎのような服だった。
「早くしなさい」
急かされてスーツを着る。ゴムのように見えたが内側はサラサラした素材でできており、簡単に着ることができた。ジーナがスーツの前面につけられたファスナーを上げてくれる。そして首の後ろにつけられていたボタンを押した。キュンっと軽い音がしてスーツの形状が変わり、体に密着した。
「着心地はどうかしら?」
「悪くないです」
青いスーツは体のラインを露わにしていて、それを見られるのは恥ずかしかったが、体には馴染んだ。
「それは良かった。行くわよ」
通路へ戻ると、目の前には座席が用意されていた。セイはどこかでそれを見たことがあるような気がした。
「座ってちょうだい」
座るとすぐに、作業員たちがシートベルトを締めてくれた。
その座り心地で、そのシートが何に似ているのかに気が付いた。ストームネストのシートだ。ボックスの中は薄暗くてあまり見えないし、シートの形状をまじまじと見たことはなかったが、この一年間座り続けてきたシートの感触に間違いはなかった。
近づいてきたジーナがヘッドセットを渡してくれる。それもまたストームネストのものに酷似している。
「一つだけ言っておくわ」
質問する間を全く与えずにジーナは言った。
「あなたならできる」
その言葉を合図に、シートはそれ単体で宙に浮いた。
「うわああああああ。これも魔法なんですかあああぁぁぁぁぁぁ」
悲鳴を響かせながらシートは飛んでいく。作業員たちはそれを見届けると、急いで周囲を片付け始めた。
「あいつはできるの?」
いつの間にか隣に立っていたイェンが長い耳をぴょこぴょこさせながらジーナに訊ねた。
「やってくれるだろ」
ジーナは口角を上げながら答えて、背中を向けた。
飛んで行ったシートが、黒い影に飲み込まれていくところだった。