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「やぁ、チャンピオン」
華庵テリアはにこやかに笑いながら握手を求めてきた。サトーは仕方なく立ち止まり、右手を差し出した。
「優勝おめでとう。最後は見事にやられたよ。虎の子のミサイルを避けられるとはね。どうやったのか教えて欲しいな」
テリアの、負けてなお強者の誇りを持った態度に萎縮してしまう。
「む、無我夢中だったからよく覚えていないんです。すみません」
「構わないさ。見たことのない動きに僕が付いていけなかっただけだ。イカサマ師かと思ってしまったぐらいだ」
その時、通路の向こうからテリアを呼ぶ声が聞こえてきた。
「すまない。ではまた後で話そう」
屈託のない笑顔で去っていくテリアの背中を見送ると、サトーは踵を返して足を速めた。今度は間違わずに外に出ることができた。
陽はすでに落ちていて、海から吹いてくる風が冷たかった。
会場の東京有明ビッグサイトから駅へ続く道には、会場の熱狂にあてられたままの観客がまだ大勢いた。サトーは上着のフードを深く被り背中を丸めながら人の波に紛れ込んだ。
気配を消すのには慣れている。電車を乗り継いで地元の駅に辿り着くまで、誰にも声を掛けられなかった。
エスカレーターで地上階に降り、駅前の小さなロータリーを横切って駅前通りを歩く。
立ち並ぶ商店の中に小さなゲームセンターがある。数年前に閉店して、そのまま空き店舗になっていたのだが、昨年ストームネストが普及するのに合わせて再開された。
道路を挟んで反対側の歩道からゲームセンターを見る。「祝!ディープ・ギムレット優勝!」と勢い任せの筆跡で書かれた模造紙が店頭に貼られていた。
この店がディープ・ギムレットのホームであり、サトーが通っている店である。今日は店内で応援イベントが開催されていたはずだ。
この辺りでは有名な不良だったショウゴが賞金目当てにストームネストを始めると、意外な才能を発揮してメキメキと腕を上げ、店舗開催の大会で連勝を重ねていった。彼の作ったチームの素行は悪かったが、近隣のチームに殴り込みをかけては勝利してくる姿に、地元での人気は跳ね上がっていった。
サトーはそれまで家庭用ゲーム機や、スマホではゲームをしても、ゲームセンターでゲームをするタイプではなかった。この店が一度閉店する前も、グループで遊びに来てクレーンゲームをした記憶しかない。
ストームネストをプレイしたのは賞金に引かれたからではなく、皆が熱狂しているゲームがどんなものか試してみたくなっただけだった。
サトーはそれまで熱狂したことがなかった。遊びでも、ゲームでも、勉強でも、スポーツでも、やってみればそれなりに楽しんだりすることもあるが、はまって、のめりこみ、寝食を忘れて打ち込むようなことはなかった。
そんなサトーが生まれて初めてはまったのがストームネストだった。ボックス内に入るだけで、非日常の場に足を踏み入れた気分になった。シートに座った時、味わったことのない高揚感を覚えた。敵を撃破してスコアを重ねることに興奮した。ネットで情報を集め、上級者のプレイ動画を見た。ストームネストは体験型と名乗っているだけあり、家庭用ゲーム機のようにコントローラーを操作するだけではなく、実際の操縦席に座っているかのようにレバーやペダルを操作しなければならない、またプレイに合わせてシートがかなり振動するため、かなり体力を使うゲームだった。そのため、ジョギングや筋トレに打ち込んで体も鍛えた。
それでも、大会に出たりチームを組んだりはしていなかったので、ソロプレイランキングでは全国上位にいるものの、知られた存在ではなかった。有名になることや賞金が目的ではなく、ただこのゲームにはまっていただけだったので、日々上達していることを自分で確認して満足していた。
そんな頃、全国大会に進出していたディープ・ギムレットが問題を起こした。メンバーのユキマサが相手チームを脅していたことが大会運営にばれたのだ。世間の大方の予想を裏切ってチームは大会参加の継続を認められた。ユキマサだけが参加資格を抹消されることになった。
地元の人気チームの補充メンバーに立候補する者は多かったが、ショウゴが選んだのはソロプレイを続けていたサトーだった。
「おい、俺のチームに入れ」
いつものようにソロプレイを終えてボックスから出てきたサトーの前に立ちはだかったショウゴは一方的に言い放った。それまで話したことがない、意識されていると思ったこともない地元の有名人からの言葉に一瞬固まった。しかし、断るのはもちろん、質問するのも許さない雰囲気であることを敏感に察した。
「分かりました」
ギラギラと野望に燃える瞳から目を反らしながら答えてからまだ半月も経っていない。その短い間に、サトーは優勝チームの一員になり、―――首になった。
チームから追放された以上、もうこの店でプレイすることはできないだろう。ストームネストをプレイすることもなくなるかもしれない。
特別に哀しくなったりはしなかった。一年前の、何もなかったころに戻るだけだ。
ゲームセンターの明るいネオンサインから目を離し、家へと歩き出そうとして、歩道をふさぐように立っている少女に気が付いた。