切り株のお爺さん
山をさまよっていると、木刀を手に佇むお爺さんが視界に入っていた。
「……」
お爺さんは森の虚空から近くの切り株に親し気な視線を落とした。
「お若いのが、随分な目を向けるじゃないか」
簡潔な着物を着ているお爺さんは、どうも素振りをしているようだ。
視線を森に戻し、ゆっくりと木刀の向きを変えていく。
上に、下に。上に、下に。上に、下に。
不思議だった。
振っているのに、振っていないのだ。
速いのに遅いのか、遅いのに速いのか。
揺らぎがあるのに揺れがなく。
立ち姿は樹木と区別が難しい。
その素振りは哲学的命題のようであった。
「どうすればその素振りのように生きられますか」
「言葉は所詮、頭の電気を表現した物だ」
「ゑ?」
「どんなに素晴らしく感じても、言葉にすればただの素振りでしかない」
「……」
「言葉を捨て、捨てた言葉にすらその本質を問え」
「……」
「山を下りて戻る日常にも本質を問え、己にもだ」
「すみません、おっしゃる意味が」
「ならば理解を捨て、理解を問え」
「……」
「生きる実感を求めているのだろ?」
「!」
「求めるなら求めを捨て、考えてみなさい」
「この素振りが遠くとも、目指すひと振りもまた実感よ」
山を下り、自分の作品を睨みつけた。色々な作品を目に焼き付けた。
時にはあの素振りを思い出し、三日坊主の本質を考えてまた睨む。
この浮世で何度挫折しても、いつの間にか樹木のようにそびえる実感は倒れない。
あの森のような迷いを切り開いて進んでいる。
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