ベトハウゲン家
「ほう、この距離で避けるか。」
ちょっと待て、投げ方は素人だがお互い手を伸ばせば当たりそうなくらい近いところで剣を投げてくるとは思わんだろ普通。
一歩後ろに下がろうと足を動かすと、何かに触れたような気がした。
気がしただけだが、先ほどの冒険者が腕を飛ばされたこともあってか、これ以上下がるのは危険だと本能が言ってる、気がする。
「決めた、お前にするぞ。ついてこい。」
そう言葉を吐き捨てて貴族は振り返ることもなくギルドを出ていった。まるで俺がついていくことが当然だとでも言わんばかりの行動に呆れて何も言えない、というか怖くて何も言えない。
どうするか悩んでいると、何やら背中を押された気がした。しかも糸のようなもので。
「そうか、糸みたいな細い何かで切ったのか。そして俺も有無を言わさずに付き従えと。へいへい分かった分かった。行けばいいんでしょう。行きますよ。」
誰に言っているのか自分でもよくわからないが、取り合えず貴族の男に合流すべく俺はギルドの一室に向かった。
―――――――
「座れ。」
でっぷりと太った貴族からそう言われ、俺は渋々腰を下ろした。
ここはギルドの一室だが、生憎と俺の味方はおらず、この男と二人っきりだ。いや、さっきの糸使いもいるだろうから、3人だろう。
「単刀直入に聞く。お前、自分が強いと思うか。」
ぶしつけな質問だが、この質問は難しい。
先ほどの馬鹿な冒険者の腕が飛ぶ姿を見ていなければ、堂々と強いと宣言できるが、如何せんあの糸使いの居場所を特定できないのは苦しい。
「その質問には答えられないです。誰と…」
比べれば、と言葉をつなげよとしたとき、目の前でありえないことが起きた。
貴族の男がおもむろに立ち上がると、何もない空間に向けて腕を振り下ろしたのだ。ゴツン、と鈍い音が響き、その音の後に空間が揺れた。
今までそこにいたのだろうその人物は、おもむろに頭を押さえ、蹲ってしまった。
「おいおい、どうなってんだこりゃ。」
「あぁ、お前には見えていなかったんだな、忘れていた。こいつは最近手に入れた儂の新しい奴隷だ。魔眼もちだというから奴隷商人から買ったはいいが、とんだ不良品を掴まされたものだ。」
蹲っていた人物が顔をあげ、何事もなかったかのように元の位置に戻った。
よく見ると女の子のようだ。白い髪に赤い瞳、フードで体まではよくわからないが汚れている。髪も洗っていないのか、適当な長さでぼさぼさだ。
「こいつは魔眼もちでもはずれもはずれ、大はずれだ。こんなガキもういらん。おい、こいつを報酬にしてやる。だから依頼を受けろ平民。」
いきなりの展開に思考が追いつかない。
「い、依頼内容と報酬が釣り合うかどうか確認したいです。依頼内容はなんですか。」
「平民風情が。依頼内容を聞いてからだと、随分生意気なことをぬかしやがる。俺は大貴族、ベトハウゲンの者だぞ。黙って依頼を遂行すればいいんだよ愚民が。」
ベトハウゲン家、聞いたことがある。確か現当主が戦争で活躍した功績を称えられ、現当主が死ぬまでの期限付きで男爵家に成り上がった家だったはずだ。
当主の名前までは憶えていないが、目の前にいる男はとても強そうには見えない。きっとこいつの親が当主とかそんな感じだろう。
この国では権力が全てだ。貴族は勝手気ままにふるまい、王もそれを止めない。こんな腐った国だ、貴族の称号をもらってすぐに俺は偉い、平民とは違う、選ばれた存在だ、などとのたまう一代貴族も少なくはない。
最悪、依頼を受けたふりをして逃げればいいだけだ。俺は自分の命が一番大切だからな。
ただ気がかりなことがある。先ほどの女の子だ。依頼の報酬は出来れば金のほうが良い。俺は金が欲しくて依頼を受けているのであって、奴隷の人間欲しさに依頼を受けるわけじゃない。
とりあえず、のっておこう。
「分かりました。お受けします。」
「当然だ、時間を無駄に使わせるな愚民。」
そこからは依頼内容についての話し合いだった。何度か平民、愚民、クズなどの言葉を浴びせられたが、貴族の依頼主だ、黙って聞くに徹した。
依頼内容以外に自分はいかにすごい人物なのか、神に選ばれし人間なのか、国にとって必要な人間なのかをだらだらと説明された。そっちの方がよほど時間を無駄にしているだろうとは口が避けても言えなかったので心の中で存分に悪口を言っておいた。
今回の依頼内容をまとめると、ベトハウゲン家の商売に口出しをする商人がいる、その商人の店舗が近場に1つ、王都に2つあるらしく、その店を営業できないくらいに潰してほしい、とのことだった。
方法問わず、死人が出ても構わないとはずいぶん大きく出たなこの貴族。よほど自分の力で人の死をもみ消すことができると自負しているらしい。
「依頼内容については問題ありません。ただ、ここから王都となりますと、少々お時間をいただきたいのですが。」
「ふっ、そんなことか。それならきにしない。その代わり、お前が失敗しても儂からの依頼だということは口が裂けても言う出ないぞ。もしばれでもしたらお前の故郷を火の海にしてくれる。」
俺の故郷、そこまで調べられるのかよ。
仕方がない、依頼を遂行するしか生き残る道はなし、か。なんで俺がこんな目に合うんだよ。
「分かりました。では、報酬の話をお願いします。」
ここまで命を削って働くんだ、相応の報酬でないと困る。そう思っていたら、予想外の言葉が飛び出してきた。
「聞いてなかったのか愚民、この奴隷が報酬だ。いくら出来損ないといっても魔眼もちだからな、売ればいい値はつくだろう。その金額を報酬とでも思え、なんなら前報酬としてこんな奴隷渡してやる。
だが、依頼をすっぽかして逃げたとわかれば、すぐに貴様を殺すように私兵に伝達する。そしてお前に関係した人物を一人ずつ殺してやる。よく考えて動けよ。」
だめだ、この依頼は依頼として成立しない。俺は何としても金が欲しい。そう思って依頼内容を聞いても黙っていたが、これでは真面目に依頼をする気にはなれない。
よし、依頼を受けるふりをして、故郷にいるやつらを逃がしてから、俺も雲隠れするとしよう。
そんなにうまく事が運べるとは思わないが。
次回更新をごゆっくりとお待ちしていただけると助かります。