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土壇場

 土を盛って築いた壇、処刑人が立つその場所を土壇場という。転じて絶体絶命の窮地や深刻な決断の場面をそう呼ぶが、いまの吉岡はどちらの意味でも土壇場にあった。

 目の前には抜き味の凶器を持った女がひとり。正気とも思えない笑顔で吉岡に迫っている。無様に床に腰を落として後ずさりをしても、背中は壁を押すばかり。


 さっきまで気持ちよく酒を呷っていたというのに、ふわふわとしたした心地のいい酔い気分も、冷水をぶっ掛けられたように覚めてしまった。

 なんでまたこんなことになったかねえと、吉岡は努めて他人事のように考えることで現実逃避を図ることにした。

 その思考に呼応するように、自然と記憶の蓋が開き、吉岡の思考は半日前に飛んだ。



 吉岡は自宅アパートのソファで酒を飲みながらテレビを眺めていた。土曜日の昼下がり、まだ日の高いうちから安酒を飲むのは最高に退廃的で素敵だ。この500ミリのストロング缶を美味いと思ったことは1度もないが、安さと甘ったるくないのと、何より手早く酔っぱらえるところが気に入っていた。じんわりと手足が痺れてきて、吉岡は税込125円の幸福感に浸っていた。

「……生前退位が……平成が終わり……」

 ぼんやりと眺めていたテレビからそんな言葉が聞こえた。

お笑い芸人が秘境駅を訪ねる番組を観ていたと思っていたのだけど、いつの間にやらニュースが始まっていたらしい。


 そうか、平成が終わるのか。


 そういえば、何ヶ月も前からそんな話が流れていた。天皇陛下も、とうに呆けきった俺のじいちゃんよりもおじいちゃんだからなあ。


 そうか、平成が終わるのか。


 大した感慨も無く、その言葉を反芻する。役所の紙に書く日付の頭が変わるくらいだ。そうそう、所詮はそんなもの。


 うん、待てよ。……平成が……終わる?


 思わず手に持っていたストロング缶を放り出して立ち上がっていた。缶に残っていた酒がフローリングを濡らしたが、そんなことに気を配る余裕は無かった。ジャケットを着て車の鍵を拾ったところで自分の状態に気が付き、代わりに定期券を手に取って家を出た。



「あらまあ、おかえりなさい」

 予告の無い帰省に驚きながらも嬉しそうな両親の出迎えを適当にやり過ごし、自室に入った。前にこの部屋に入ったのは何年前だったか。18年間過ごした部屋だというのに、自分とはまるで関係の無い子どもの部屋のようで、なんだか奇妙によそよそしい。

アパートから飛び出した時のテンションは、寒い外の空気に当たって、酔いとともにすっかり覚めていた。俺は一体何を焦っていたんだかと、しらけた気分で勉強机の椅子に座った。

 袖机の引き出しをひっくり返して中を漁る。引き出しの中は整理整頓という言葉の対極にあるような混沌だ。しわくちゃの紙の塊を掴んで拡げてみると、小学生時代の授業参観のプリントから高校の定期テストの解答用紙までが一緒くたになっている。

 我ながら嫌気がさす性根だ。ペーパーレスに進む時代に社会人になったことがありがたい。もうひと回り早く生まれていたら、大事な書類をこのザマにして炎上失職間違いなしだ。

 開き直って引き出しの中身を片っ端から床に放り出した。内容物をあらかた放り出したところで、引き出しの底の底にくたびれた青い便箋が現れた。

 便箋を開くと、中から葉書サイズのカードが滑り落ちた。


 吉岡はカードを手に取ってしげしげと眺めた。カードは段組の構成をしていて、上段には子どもの右手のひらの画像、下半分には性格傾向や運勢がリストアップされていて、最後に少し強調して「将来の貴方は」とあり、その下には


「平成が終わる頃に死にます」


 仰々しいフォントでそう書いてあった。



 あれは小学5年生の頃だったか。学校の隣に立つ文房具屋を兼ねた駄菓子屋で、占いが流行ったことがあった。占いと言っても八卦や手相占いのような本格的なものではなく、筐体に生年月日を入力して手のひらをスキャンすると、カードが印刷されるという、カードダスの手の込んだ版のようなものだ。ただし筐体から吐き出されるカードは、低学年のオコサマが喜ぶキンキラのトレーディングカードとは違って、シックな色合いと若干高級感のある紙質だし、手のひらをスキャンするライブ感が高学年の心を掴んだ。

 1回1000円という価格設定は小学生には厳しい。それでも駄菓子屋へのときめきが褪せた高学年の生徒達にとっては好奇心をくすぐられるコンテンツで、いつの間にやら小学生の間では、占いのカードを持っていることがひとつのステータスになっていた。

 吉岡と2人の遊び仲間は、1ヶ月小遣いを貯めて、揃ってカードを引いた。

 その結果がこれだ。


 吉岡は憤った。小学生の吉岡でも天皇が亡くなれば元号が変わることくらいは知っていた。当時でさえ天皇陛下は既におじいちゃんなのに、寿命が一緒だなんてそんな理不尽な話があるか。一緒に引いた2人は「大企業の社長になる」だの「借金3億円」だのといった夢に溢れていたり微笑ましいことが書かれていて楽しそうだったのに、自分だけこの仕打ちはなんだ。2人とも吉岡のカードを見てげらげらと笑い転げていた。


 吉岡もこんな占いを真に受けていたわけではないが、真っ向から「死ぬ」と言われてまえば言い知れない不安には包まれた。

 70歳近いおじいさんと一蓮托生というのは辛い立場だ。占いの日からというもの、以前はどうとも思わなかった皇族がらみのニュースを目で追うようになった。元気に外遊をしている姿を見ればほっとしたし、風邪を引いたなんてニュースでもあれば一日中気が休まることがなかった。こともあろうに同じ年に癌を患ったと聞いた時には絶望のピークだ。皇族贔屓の祖母と快復の報を聞くまで毎日御百度参りをして、

「偉い子ねえ……」

 と褒められてお小遣いを貰ったこともある。

 それでもそのうち怖いことから目を背けることを学んだ吉岡は、カードと一緒に記憶も勉強机の引き出しの奥に封印して、中学生になる頃にはすっかり忘れてしまっていた。

早いもので1度として思い出すことなくあれから16年が経つ。

「あほらし。よくもまあこんなもんにマジになってたなあ、俺」

 当時はあんなにかっこよく見えたのに、今見ればチープな作りのカードを鼻で笑った。


 そういえばと吉岡は思い付いた。

 俺と一緒にカードを引いた連中のその後は知らない。

 大企業の社長になると予言された松本。

 借金3億円と予言された中西。

 あいつらは一体どうしているのだろう。

 小学校卒業後もちょくちょく会ってはいたが、携帯を買う前に縁が切れた間柄だ。

 タイミングがいいことに、先ほど床の上にぶちまけた引き出しの中身に小学校の連絡網があった。いきなり実家に電話というのも緊張するが、小学生時代は毎日のように遊んでいたし、相手の親にも可愛がってもらった。久しぶりに会いたいので連中の様子を伺うというのは不自然でもなんでもない。うん。大丈夫だ。

 吉岡はスマートフォンを手に取った。



 空はとっぷりと暮れていた。

 吉岡は背中を丸めてアパートの前に立っていた。

自宅ではない。

 アパートのインターホンを鳴らすと、応答も無しにドアが開いた。現れた女は吉岡を見て目を丸くした。

「あれ、吉岡じゃん。しょぼくれた顔しちゃってどうしたの?」

「やあ、なに。近くに寄ったんでな。ていうか不用心なやつだな。確認くらいはしろよ」

 そう言って吉岡は右手に下げたビニール袋を掲げて見せた。


 葛西は飲み仲間である。正確にはそこから発展した恋人同士なのだが、彼ら二人はいわゆる呑んだくれというやつで、甘い関係を楽しむよりは、ひたすらだらだらと酒を飲みつつ益体のない話をするのが好きだった。色々あって飲みたい気分だった吉岡は、だいぶ奮発してマッカランを仕入れてきたのだった。

 だというのに、なぜだか今日の葛西は頬肘をついて、一人で酒を飲む吉岡を見たり、テレビに視線を移したりして烏龍茶をすすっていた。なんとなく居心地が悪いなあと思いながらも、杯を進めるうちにどうでもよくなって、ふわふわと気持ちのいい酔い心地を楽しむことにした。

 BGM替わりに電源を入れていたテレビがうるさい。


「そういえば、平成が終わるねえ」

 またぞろ例のニュースでも流れていたのか、葛西がそんなことを言い出した。

「またその話かよ」

 いかにもうんざりと吐き捨てるように言った。

「平成が終わるのが気に入らないの?」

「嫌だ、ああ、嫌だなあ」

 と呟きながら、吉岡はポケットからカードを引っ張り出して、テーブルの向こうの葛西に放った。葛西はカードを拾い上げて文字を目で追うと、笑いを噛み殺しながら言った。

「平成が終わる頃に死にますとありますが」

「そうだね。困ったことです」

 他人事のように言うと、葛西はからからと笑った。

「そんなに笑えることかよ」

 気分を害した吉岡は、立ち上がって冷蔵庫を勝手に開けて口直しのチェイサーを探した。葛西が飲んでいる烏龍茶と、吉岡が出張で持ち帰った台湾製の安ビールしかない。ビールを掴んで椅子に戻ってプルトップを開いて直接呷る。いつにも増して苦いビールに顔を顰めた。苦みばしったいい男なら結構だが、たぶん虫歯を我慢している男の顔だ。引き締まるというより引きつっているに違いない。

 一層ダウナーになった吉岡は、ぽつりぽつりと、そのカードをめぐる一連の思い出を語った。

 笑い上戸の気がある葛西は、天皇陛下のために祖母と御百度参りをしたあたりで噴き出して、遊び仲間のその後を語る頃には腹を捩らせていた。

「松本の『居酒屋大企業』はいいとして、中西は借金300万円だぞ」

 吉岡は渋い顔で苦言を呈したが、葛西の笑顔は鉄壁で欠片も揺らがない。

「そうね、でも3億円よりだいぶマシじゃない?」

「そりゃそうだけど、占い的中してるじゃんか」

「それで不安になってうちに来たの?」

 案外繊細だねと葛西はまた笑ってから言葉を継いだ。

「でも、的の中心から外れて、占い結果より微妙にランクが落ちてるし、そんなに気にすることでも無いんじゃない?」

 吉岡は頭を抱えた。

「死ぬのはどうなるんだよ。半殺しか?」

「そうだねえ……」

 と相槌を打ったところで、葛西は何を思いついたのか、今度は悪い顔で笑い始めた。吉岡は今日何度目か分からない苦いため息をついた。こういう顔をしている女と話してろくな目にあったことが無い。

「あらあら、杯が乾いてらっしゃいますわよ」

 葛西はからかい口調でウイスキーを注いだ。

 もちろん吉岡はイラついたのだが、酒のせいでだいぶIQが低下しているので気前よく注がれることにした。なんだかんだ言って葛西は顔がいいし、吉岡は顔がいい女に酒を注がれれば気分が良くなるお手軽な男だ。



 いつの間にか杯を重ねていて、マッカランの残りもあと僅か。そろそろ葛西の狭いベッドを占領しようかと考えていたところで

「ああ、そういえば、言い忘れてたけど」

 週末の予定を告げるような、なんてことのない調子で葛西は切り出した。重い頭をもたげて視線を投げると、深い霧のような酔いの向こう側で葛西の微笑む顔が見えた。

「私、妊娠してるの」



 回想は現実の時間に追いつき、吉岡は束の間の現実逃避から舞い戻った。

 持ち出された『それ』を見るなり動転して無様に椅子からひっくり返り、壁際まで追い詰められた吉岡の上に屈み込む葛西の顔はもう目と鼻の先。

 見栄えのいい切れ長の目が細まって、口元がにんまりと弧を描いた。


「墓場に叩き込んであげる」


 耳元で囁かれた殺し文句に降参して婚姻届に判を押したので、葛西はスカートをくしゃくしゃに握りしめて笑いこけた。

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