テン・セコンド・トゥー・ヘヴン
世界を愛してますか?
◯
真っ赤に染まった頭部にアサルトライフルの銃口を向けながら、足の爪先で倒れている体を突っつく。
反応なし。死んでいる。
研究所の中央電算室を警備する二人の大男は、互いに足の裏を向かい合わせるようにして倒れていた。いずれも手には拳銃とスマートフォンを握っている。そして脳天に穴を開けている。もちろんその穴から血が吹き出している。おそらく二人は互い向かい合い、相手の額に拳銃を突きつけてから発砲したと思われる。間違いなく即死。再生不可能だろう。
職業柄こういう血と肉が飛散した場所--つまり戦場へ行くことがある。そこで死体を見るたびに思う。
「今朝はコーヒーを一杯だけにしてよかったな」
任官初日に紛争視察が命じられた。行き先は共産的連邦国(Federal States of Communist Parties)だった。この国――というか国の集まりは、ユーラシア大陸北部を東のオホーツク海から西のバルト海までの全てを統治下に治めていた。しかし、それだけ国が大きいと意思統一が難しいのか、国内では未だに紛争が続いていた。その一つへ僕が派遣されたのだ。
寒冷地の紛争地帯は、何よりも酷いのがその死体である。戦場は、いうまでもなく死体を生産する場所である。戦っている政府側も反政府側も、戦うことに忙しいのでその死体の処理にまで手が回っていなかった。とりあえず屋内に放置しておくと、腐臭を放ち、腐り始める。そこで、両軍いずれも死体をそのまま外へ放り出しはじめたのだ。ここは日中でも氷点下を下回るような日がある、とてつもなく寒い寒冷地である。紛争地域の町を歩くと、路上に死体が置かれている。ただ置かれているわけではない。外に放り出された死体は、その血も肉も一瞬で凍ってしまう。その光景はまるでスーパーの冷凍食品コーナーに並んでいる冷凍肉のようだ。
いろいろな戦場へ行き、いろいろな死体をいくつも見たけれども、これほど酷く人間味を失った死体はなかった。
遺体の側に膝をつき、彼の顔にそっと手を当てる。張りを無くし、白目になった眼球にそっとまぶたを閉ざす。もう一人の警備員にも同じことをしてからその場で手を合わせる。
彼らなぜこのような惨たらしい死を迎えなければならないのか。
アサルトライフルを構え直す。
この先には本山があり、真実があり、そして会いたい人がいる。
戦闘用ブーツの裏から地面を確かめるよう一歩一歩歩みを進める。
まるで病院のように白く明るく照らされた廊下を進む。リノリウムの床が眩しい。
視界の左上に電話を模したアイコンが点滅する。スポーツ用メガネのようなデザインをもつメガネ型ディスプレイを装着している。このデバイスは現実の視覚情報に追加で映像を映し出す拡張現実の機能が備わっている。また、眼球運動検知機能もあるので、目の動きをインターフェースとして利用できる。いうなれば、旧時代に流行ったマウスの動きを目で置き換えたようなものだ。ちなみに、この二十に世紀においてマウスは骨董品として物好きに親しまれている。
電話アイコンをクリックする。(二十二世紀になってもこの言葉が存在する。メガネ型ディスプレイを使用する時は「ブリンク」のほうが正しいのではないかと思ったりする。)視界の中央に『平成一』の文字が現れた。その下に緑色の「応答」というボタンと赤色の「拒否」のボタンがある。この「応答」と緑色、「拒否」と赤色の組み合わせは旧時代から変わっていない。「応答」をクリックする。
「よう、タライ」
首に巻いたチョーカー型デバイスは声帯の動きを認識して音声化する。通話時には、相手にその音を送ることができる。つまり、僕は口を開けることなく会話をすることができるのだ。
『人をキッチン道具の一種みたいに呼ぶな。俺の名前は平成一だ。二度と間違えるな。そんで、状況は?』
骨伝導式イアフォンから野太い声が流れてくる。
「概ね良好かな。研究所の最終エリアに入ったよ。ここの研究員はこの辺りのことを『聖域』というのかな」
『性癖だかフェティシズムだかは知らんが、あまり悠長に物見遊山はできねぇからな』
「上の状況は?」
『地獄って言えばいいのかな。火炎瓶とかが飛んでるぜ』
「愉快だね」
『現場にいない奴は羨ましいぜ。あと一時間で北米連合の空爆がはじまる』
「火に油を注ぐのか。この場合は火に火を注ぐのかな?」
『あと三十分でそこを脱出しないとお陀仏になるぞ。お互いにな』
「オーケー、了解」
『頼むぜ、お前が世界を救うんだ』
通話が終了しました、という電子音声が流れる。平は電話を切ったのだ。
ここは地下深いところであり、地上の喧騒から遠く離れている。
「先を急いだほうがいいのかな」
生の声でポツリとつぶやいた。
◯
この一週間で世界が一変した。
僕の勤める国際サイバー空間機構(International Cyber-Space Agency)通称ICSAでは、インターネット空間とも呼ばれサイバー空間の監視や保全作業を行っている。あらゆる物がサイバー空間に接続され、膨大な情報がやり取りされている現在の二十二世紀において、公共性の極めて高いサイバー空間を安全にかつ公平に運営することがどの国家の課題であった。
しかし、二十一世紀中頃に起こった「アイリス事件」がサイバー空間における「新たな恐怖」の存在を人々に示し、また記憶と教科書に刻まれるようになった。このエポックメイキングな出来事は既存のサイバー・テロリズムの概念を越えたことから、「次世代サイバーテロ時代(ニュー・サイバティック・テロリズム・エージ)」の幕開けと位置づけられた。
この事件は、公共のサイバー空間から隔離されていた超高性能な人工知能「アイリス」が、人的ミスによりサイバー空間へ流出してしまった。この人工知能はちょうど開発段階にあり、保守用バックドアや遠隔操作機能が不十分であった。公共空間へとアクセスできるようになったアイリスは、まず株式市場操作とSNS投稿をはじめた。これにより人間の意図によらない社会変革を促した。これはある種の誘導である。
私たちは設計された通りにしか行動しない。電車内の座席が六人用の席であれば、そこに六人しか座らない。道路が右側通行であれば、左側を走らない。フォローしたユーザーのつぶやきしか表示しないSNSを利用している時は、フォローしたユーザーのつぶやきしか読まない。このように、私たちは社会の設計に基づいていて行動しているのだ。その設計者が人間であるのなら、文句を言う人は少ないだろう。少なくとも、納得は行かないにしても、従うことに抵抗を感じないことはないだろう。
もし、機械――人工知能が社会の設計者だったらどうだろうか。
「アイリス」が行ったことは、まさにこのようなことだった。株式市場に介入して株価を操作し、投資家や証券マンの「売り」と「買い」の判断に作用した。SNSに介入して、嘘や虚構を流し、その日の夕飯のメニューまでに影響を与えてきた。この他にも「アイリス」によるさまざまな影響が発見された。詳細については別な資料を参照してほしい。
結局、アイリスはICSAで開発していたサイバー空間保守点検用人工知能「ラウンド」により、流出の一ヶ月後に撃退するにいたった。
今回の事件も先の「アイリス事件」と似た所がある。少なくとも事件の立ち上がりは類似していた。僕のようなICSAの監察官は、調査官や情報分析官の情報に基づいて、実際の判断と執行を行う。時には中央アフリカや東ヨーロッパといった紛争地域に事件の発端がある。武装して現地に乗り込むことも多々ある。
しかし、今回の事件は今までの事件と明らかに違ったことがあった。それは「速さ」だった。
ICSAは世界各国の国家機関や警察機構、情報セキュリティ会社と繋がっている。それらから本部へ上がってくる情報には目をみはるものがほとんどだった。当初「アルファ」と呼ばれた不明攻撃主体は株式市場とSNS空間への侵入を開始した。これは先の「アイリス事件」と同様である。しかし、その翌日には世界中で4628名もの人命が失われた。その多くは自殺であった。最初は株式市場の急激な変動による影響、つまり大損したことをきっかけに命を断ったと考えられた。しかし、そのまた翌日には9731名もの人が亡くなった。二日間で一万人以上もの人々の生命がこの世界から消えたのだ。基本的に、各国には管轄権があるので、国際機関であるICSAがのこのこと主権国家へ入って捜査をすることができない。また、この死亡者数の中に全くサイバー空間と関係の無い死亡事故も含まれていた。そのような案件については各国の警察に任せられる。しかし、何人かの監察官は、この大量の死亡事件と「アルファ」による攻撃が関連していると直感した。僕もその一人であった。その翌日――「アルファ」による攻撃から三日後には全死亡者数が一万人を越えた。
その日は1万3562名もの人が命を断った。
ICSAでは緊急の監察官会議が開かれ、「アルファ」による攻撃を最重要課題として速やかに対応することが決定された。
それから一週間が経った。
世界は地獄への道を着実に進んでいた。
さまざまな分析から「アルファ」はサイバー空間を利用して人々を誘導していたことがわかった。「アイリス事件」に続き、人工知能が人間社会を「誘導」できるのは、あらゆる物がサイバー空間に接続されているからといえる。後の歴史家はこの社会の根底にある設計そのものが、二十二世紀の失敗というかも知れない。
サイバー空間に全てのものが接続していることは、ありていに言えば、サイバー空間上に「擬似的な現実世界」を構築しているようなものである。たとえ擬似的とはいえ、現実世界があることに変わりはない。「アイリス」も「アルファ」もこの擬似的な「現実」を利用して、人間社会を誘導していたといえる。
私たちの世界はサイバー空間からのフィードバックを受けないと成り立たないようになってしまったのだ。既に僕たちが把握できる以上にサイバー空間に依存している。
サイバー空間のスイッチを切る時は、世界を終了させるのと等しいのだ。
「アルファ」は一週間の間に様々な情報をサイバー空間に流した。その情報はSNS、ニュース、株式市場、動画サイトを通じて瞬く間に広まった。それらの情報は人々に欺瞞、疑念、虚構、猜疑、嫉妬、恐怖を与えた。
そして、打ちこわしが起こった。暴動が起こった。暴力が広まった。
複数の情報筋から「アルファ」の本体が三鷹の研究所にあることがわかった。僕と共に現場へやって来た平成一は、SNS上を流布する狂言を沈静化する作業に合わせて、研究所へ押し寄せてくる暴力に満ちた群衆を抑えるために、地元警察隊の陣頭指揮に立った。
調べてみると、市民の間ではこの三鷹の研究所には「アイリス事件」を起こすほどの超高性能人工知能が眠っているという情報が流れているらしい。同じような情報が世界各国で流れ、多くの情報系研究所が被害にあっている。また、北米連合は市民に寄せられた情報をもとに、全世界の人工知能に即刻停止を求めた。従わない場合は世界中の研究所を空爆するという条件付き。この三鷹の研究所も例外ではなかった。
既に時遅しかも知れないけれど、第二の「アイリス事件」は絶対に防がなければならない。
そして、この世界の真実を知らなければならない。
◯
真っ白い廊下を進む。
ガシャ。ガラガラガラ。
一つのセクションへ入るたびに防火シャッターがゆっくりと降りる。これは歓迎されていると解釈すればいいのだろうか。
廊下の先からマラカスのシャカシャカとする音が響く。音楽が鳴っている。アサルトライフルを構え直して、ゆっくりと周囲を警戒しながら進んでいく。
明かりのついた部屋を見つけた。どうやらそこから音楽が漏れ出ているようだ。
部屋の中に踏み入る。
「やぁ、ナオくん。やっとたどり着いたね」
その部屋には大きなモニターを備え付けた機械が複数台あった。それらの前にソファチェアが置かれていた。銃口を椅子に向ける。
くるりとその椅子が回転する。
セーラー服姿の女の子が座っていた。
「久しぶりだね、ナオくん」
「・・・ミライ」
「ねぇ、ナオくん」
僕は彼女に向けていたアサルトライフルの銃口を下げた。
「この曲を知っている?」と彼女は天井を指す。今流れている曲のことを指さしたいんだろう。
シャカシャカと続いたマラカスの音に、ベースとギターが加わり、ドラムがビートを刻む。
「知らないよ、こんな曲」
「The Venturesによる ”ten seconds to heaven”。素敵なタイトルだと思わない?」
“ten seconds to heaven”、天国まで十秒。
「十秒を数えてごらん。一、二、三、」
ミライはまた椅子の上でくるりと周り、大きな機械に向き直る。
「四、五、六、」
持っていたアサルトライフルのストラップを肩にかけ直し、静かにミライに近づく。
「七、八、九、」
ミライはくるりとこちらに向く。
「十」
ちょうど腕を伸ばせば彼女に触れる距離まで近づいた。
「たった十秒で天国へ行けるんだよ。天国って思っている以上に近い私たちの近くにあると思うんだよねー」
「・・・地獄も同じだろよ」
「The Venturesの曲はね、この国では ”Diamond Head” がヒットしたみたいだけど、どうせ日本で聞くのなら ”Kyoto Doll” を聞いたほうがいいかもね。それにしても、作業BGMはThe Venturesだわ。」
彼女はまた機械に向き返って作業を続ける。
「ねぇ、ミライ」
「ナオくんは何をしにここまで来たの?」ミライはカタカタとキーを打ち続ける。
「・・・ミライが世界を地獄へ落とそうとしたの?」
セーラー服の少女は顔だけこちらに向けて不敵な笑みを浮かべた。
視界左上の着信アイコンが点滅した。視線をそれに向けてクリックする。
平からの電話だった。
『おい、聞こえるか』
「どうした、平」
『俺は諦めたよ』
「・・・諦めた? 何をだい?」
現在遂行している作戦のことだろうか。視界の右下に映し出されている時計に目を向ける。現在時刻と共に、作戦継続時間が表示されている。警備員室前の平からの電話から十分が過ぎていた。
『俺は世界の真実を知ってしまったんだ。俺の部下もだ。研究所を囲む全ての人がこの世界の真実を知ってしまったんだ。全てがヤツラの設計通りに動いていたんだ。俺たちは文字通り手の上で踊らされていたんだ。こんなこと知らされたら、生きて行けねーよ。どうするんだよ』
「話が見えないんだけど、どうしたんだ?」
『お前まだ見てねぇのかよ』
チャリンと鈴の音と共に、動画サイトのリンクが送られてきた。
『とりあえず見てみろよ』
動画を再生する。
まるで植物園のようなところだった。色とりどりの花が咲き、大小さまざまな木が並んでいた。芝の生えた一角があった。その真ん中には、
『その動画を見て、俺は明日からはじまる新しい世界を愛せなくなった。この世界を見限ったのさ。俺の部下も後に続くと思う。そしたら、誰もこの研究所を守らなくなる。人々がここへ一斉に押し寄せてくるだろうな』
声の奥から聞き慣れた拳銃の初弾装填音が聞こえた。
「おい、よせ、平」
『すまねぇな、後は頼んだぞ。英雄』
発砲音。そして、通話がプツリと切れた。
疑うまでもなく平は死んだ。自害したのだ。この動画は人の命を越えるほどの真実をしめしたのだ。
「動画を見たのね」
僕の表情でわかったのだろう。
「あぁ。なぁ、ミライこの動画に映し出されているものはどこにあるんだ?」
「ナオくんのさがしものはここにあるよ」
「ここ?」
少女は機械を操作した。
プシューの音と共に、部屋全体が下がりはじめた。
「この部屋がエレベーターになっているのか」
「エレベーターというより隠し通路の扉かな」
降下はすぐに止まった。二メートルくらい下がっただろうか。
「見てごご覧」
今まで壁だったところに入り口が現れた。
「こっちよ。付いて来て」
ミライはソファチェアから勢いよく立ち上がり、僕の手をとる。
「ほら、行きましょう」
お互い肩を並べて先の見えない入り口をくぐる。
「ねぇ、ナオくん」
「なんだ、ミライ」
ミライは僕の右手を握っていた。必然的に僕は左手を壁につけて暗闇を踏破することになる。
「私たち、出会って何年かな?」
「・・・五年くらい? もっとかな」
「ブッブー、十年だよ」
「十年前かー」
十年前といえば、僕は十八歳だった。するとミライは・・・
「お前、今何歳だ?」
「レディに年齢を聞くなんて、サイテー」
「悪いと思っているよ。だけどよ、確認だけどよ、お前セーラー服を着るような年齢じゃないだろ?」
「・・・私のセーラー服、かわいい?」
「真っ暗だから答えられない、と答えておこう。って、痛い! つねるな」
「後で私を抱きたくなるくらいたっぷりと見せてあげるからね」
沈黙。
「私ね。十七歳で成長が止まっているの」
聞く耳を持ち、口を閉ざす。
「・・・止まっている、というか、止められた、のほうが正しいかな。
ナオくんたちが『アルファ』と呼んだ人工知能があるでしょ。ここ一週間世界を騒がせているヤツ」
「う? うん、まぁー、コードネームだけどな。よく知ってるな」
「あの人工知能。私なの」
「・・・はぁ?」
「私のパーソナリティを土台にしてサイバー空間に適応できるように組み換えているから、文字通りの『私』じゃないけれど。おおむね『私』というか、私の一部かな」
「話が見えないんだけど」
「これから全てを語るよ」
明るい空間へ出てきた。
そこは、地下の植物園だった。
◯
「この植物はね、人の手を一切借りずに育ったんだ」
まるで太陽に降り注ぐ光を手で遮る。ここは地下だってことはわかっているけれど、目の前がどうも認識を作用させる。
「自然に生えたってことか」
「うーん、ちょっと違う。機械によって育てられたというとわかりやすいのかな。人類が今までに見たことがない植物もあるよ。あれ、とか」
植物に縁もゆかりも無い人を連れて、あれとかこれとか言われてもいっちょ分からん。
「その花とかも新種だよ。あ!」
「なんだよ」
「ナオくんが人類初めて『見た人』になるのか、すごーい」
どこがすごいのかイマイチ分からない。
「それで、ミライあの動画の」
「あれね。こっちよ」
ミライは僕の手を引くように、ぐいぐい植物園の奥へ進む。
「あ」
動画で見た同じ景色だ。
「ここにナオくんのさがしもの。ひと呼んで『モノリス』があります」
そこには大きな直方体――モノリスが鎮座していた。
これから長い長いお話をしようね、と言ってミライは僕の戦闘用ベストのバックルに手をかけた。地上の喧騒から遠く離れたこの地下植物園では襲われることはないだろう。戦闘用ベストの他に、ウェストポーチやアサルトライフル、ハンドガンを外す。かけていたメガネ型デバイスも放り投げた。
「ナオくん、ここ柔らかいよ」
ミライはモノリスの足元の芝生をトントンと叩く。僕はそこに寝転ぶ。
芝の青く新鮮な香りを嗅ぎながら、
「ミライがあの動画を撮ったの?」
「うん」
「なんで?」
「モノリスが世界を終わらせたいから」
「うーん、話がよく分からん」
「最初っから話すね」
ミライの物語がはじまった。
「私は十七歳の時にこのモノリスに出会ったの。ちょうど、お父様の勤める研究所へ行く用事があってね――今になっては何の用事だったか覚えていないけど。その時、モノリスの搬入作業をやっていたの。アフリカ中部で発掘された巨大な石版ということで、お父様の研究所に持ち込まれ、解析が頼まれたの。モノリスは作業中の間ずっと専用のガラス容器に入れられ、その上に幌が被されていたの。十七歳にしてちょっとした出来事というのは恥ずかしいけれど、その幌の向こう側が気になってね。めくってみたのよ。そして、モノリスに対面したの」
沈黙。
「そもそもモノリスってなんなの?」
「モノリスというのはね、知識かな。ナオくんはさ、人工知能を扱ったことがあるよね」
「仕事柄、同僚が人工知能だったりする」
「その人工知能の『知能』の塊が、このモノリスなの」
「へー」
「私がモノリスと対面した時、モノリスが私に話しかけてきたの。モノリスの質問に私が答え、同意し、そして私のパーソナリティがモノリスにコピーされたの。正確な表現かわからないけれど、これをモノリスとの『融合』と言えばいいのかな。一応、私は私であるまま、またモノリスである、みたいな状況なの。モノリスと接続できた私はモノリスとの対話の中でモノリスの目的も意義も、人間の存在理由も知ることができた。その膨大な知識量にも触れることができた。
そのやり取りの中で、私の体に老化を止める、十七歳のあの時の容姿を維持するプログラムが書き込まれたんだと思う。だから私はあの時から一切歳をとっていないんだー」
「セーラー服が着れるからいいじゃん」
「二十七歳に合法的にセーラー服を着せられるから、ナオくんは嬉しいよね」
「僕がセーラー服フェチみたいに言うな」
僕たちは揃ってモノリスを見上げる。
「なぁ、ミライ」
「何、ナオくん」
「平、僕の同僚なんだけど、死ぬときに僕は『英雄』だと言ったけど、どういう意味だと思う?」
「ナオくんはあの動画を見て何か感じなかった?」
「何も」一切何も感じなかった。
「この世界に生きる全ての人はあの動画からメッセージを受け取った。モノリスから未来について語られたんだよ」
「へー、僕も聞いてみたかったな」
「ナオくんには聞こえないんだよ。なんだって、そのメッセージは地獄への狂詩曲。死亡証明書だから」
地獄? 死亡証明?
「モノリスは判断を下した。モノリスは今の世界を捨てて、ナオくんと共に新世界へ行く」
◯
ナオくんは今の世界を愛してますか?
未来はこんな言葉を僕の耳に囁いた。
僕はこの世界を愛しているだろうか。
「なぁ、未来。高校時代にさ、放課後の図書室で紙風船をあげたことを覚えているか?」
「覚えているよ。どうして?」
「あの時、ふと、『いつまでもミライと一緒にいたいな』と思ったんだよね。そのことをよく覚えている」
「そう」と言ってミライは僕の胸の上に乗っかっていた。目線から十センチのところに彼女の顔があった。
「これからずっと一緒にいようね、ナオくん」
「なぁ、ミライ、今更なんで僕のこと『ナオ』って呼ぶんだ」
今も大事だから、とミライは小さくつぶやいたような気がした。
ミライは僕のワイシャツのボタンを上から一つずつ外していく。僕は彼女の頭の後ろに手を添え、自分の顔に近づける。唇が重なる。
ゆっくりと離れる。
「エデンってこんなところなのかな?」
ミライの髪の毛の香りを嗅ぎながら、優しくささやく。
「聖書の『創世記』に出てくる「地上の楽園」のこと?」
ここは地下なので、天井灯が太陽の代わりをしているんだろう。その光をたっぷりと浴びた花や木に囲まれ、温かい芝の上に僕たちは寝転んでいる。そして、僕たちを見下ろすようにモノリスがある。
ふふ、とミライが微笑む。
「そうだね。すると、ナオくんはアダムで私がイブになるのかな」
「楽園から追放されたくないね」
「その時は、一緒に追い出されよう」
僕はこの世界を愛していかわからない。
ただ、ミライのいる世界は愛している。
◯
定刻通り、北米連合軍の爆撃機が世界中の人工知能研究施設を爆撃した。その施設のいずれもサイバー空間の維持に大きな役割を担っていた。その全てが稼働停止したことから、間もなくしてサイバー空間は停止――消滅した。
サイバー空間の監視や保全を担うICSAは、サイバー空間消滅の宣言を発表した。しかしながら、その情報を受け取った人はいない。なにせ、ICSA自身がサイバー空間に預かることのほうが多かった。
◯
この日を境に今までの世界が停止した。
そして、英雄となった一人の青年とモノリスと融合した少女によって新しい世界が産み落とされた。
☓
平成の時代が終わり、令和の時代がはじまったその日、大勢の人々が時代の変わり目に立ち会おうと皇居前広場に集まった。彼ら彼女らの手にはスマートフォンが握られていた。
平成の時代に現れたその小さな端末は社会が一変させた。
次の時代には何が現れるだろうか? 何によって社会が変革されるだろうか?
おわり
この世界を愛した偉大なる先人たちに感謝を捧げたい。




