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時代を売る人の話

瓦屋根の商店が立ち並ぶ七丁目の表通りを奥まで進んで、突き当たった丁字路を菫の花が咲いている方に曲がる。そうしたら右手に橋がふたつ見えるから、ふたつめの、そう、必ず奥の橋を渡りなさい。少し遠回りだけれど、橋を渡ればすぐに見える。なんも書かれとらん看板をかかげた変な店だが、きっとお前さんの力になってくれるさ。──。



「ほいだら、また来るでな」

「あいよ、まいどあり」


 枯草色の流し着物を纏った体格のいい男が、右腕をあげてひらりと振りながら軒先を出るのを見送る。カランコロン、と飴玉のような音を立ててすぐ手前の太鼓橋を闊歩しながら、もう腰の酒瓶に手を伸ばしている。先日は「晴れた日に呑む酒はいいもんでな」と酒をあおっていた気がするが、今日のような日は「曇天を見上げて頬濡らしながら呑む酒が美味いと思えたら一人前よ」とでも宣うのだろう。

 やれやれ、と空を仰ぐと、ぽつりと雨粒が頬を冷やした。土の色がまだらに湿っていくのを見とめて、灯篭看板でもたまには働かせるかねえと腰をたたいたところで、おや、と思う。淀んだ空からぽつんと浮いた、陰りのない白い傘が向こう岸でふらふらと泳いでいる。灯篭はまた今度でいいか、と少し考えて引き戸は少しだけ開けたままにして店に入った。


二人分の茶を淹れ終えて一息ついたころ、店の前でちょうど足音が止まった気配がした。疑るのも無理はないと思う。大通り外れのおんぼろ商店、店には何の役にも立たなさそうな男ひとり、おまけに店の表には店名らしきものが書かれたものはなく、店の正面上部に掲げたパラペット看板なんてただの建物装飾だ。それなりにいい木の一枚板だろうに、勿体ないとも思うが今更面倒臭い。

 いくら伺っても店の内情が読み取れず、観念したのか年季の入った引き戸がガラリと悲鳴をあげさせられた。美しい緻密なレースの傘は閉じられ、光るような白のワンピースが眩しい。わざとらしく開いていた本から顔を上げ、できるだけ友好的な笑みを浮かべた。

「いらっしゃい」


 白を纏った女は警戒心も纏ったまんま、こんにちは、と存外しっかりとした声で返してくれた。怯えや緊張は感じられない。店内を探るようにきょろきょろしているもんだから、「気になるもんがあれば説明しますけど、よかったら座って」と出番を待っていた茶を出した。熱湯で淹れたから程よく冷めてる頃だ。

 女は店内をぐるりと一瞥してから、頭だけで一礼して座った。傘のほかに手荷物はないらしく、行儀よく手を重ねている。

「誰かの紹介?」

「……ええ。門番さんの」

「ああ、あいつね。あの男、何かあってもなくてもすぐ俺のところ紹介するから」

 人はいいんだが人相が悪いので、話しかけても怯えられる。したがって俺の店までの道順を教えて、あとで俺さえ忘れたころにこっそりと、あの件は大丈夫だったか、と聞いてくるのだ。だからもし気が向いたら一言伝えてやってください、というと、女はほぐれたように笑みを浮かべた。


「ここはいったい何を売っているお店なんですか」

 店内には所狭しと棚棚が並んでおり、そこにはひしめき合うように大小さまざまな瓶が整列している。興味深そうにそれらを座ったまま眺めながら、女が呟くようにして尋ねた。

「……タイムマシン。時間遡行機ですかね」

「タイムマシン……?」

「そう。あんたがどの時代に生きていたんだか知らないが、あんたが生まれる前の過去にも、あんたが知らない未来にも、もちろんあんたのよく知る時代にも連れていくことができる」


 女の目の色が変わった。驚き、戸惑い、そののち怯え、加えて少しの期待の色。女の瞳の奥で揺らめいているものから目を逸らして、抽斗から瓶を取り出し手近な布で適当に拭く。勘はいいようで、「あの瓶の中身はなんでしょう」、と棚の瓶を白い指でさした。

「ご覧のとおり、あの瓶の中に入っているのは炎さ。あの炎が入った瓶は和暦における元号の数だけある。依頼者があの炎を見つめれば、俺と依頼者は依頼者の望んだ時代に飛ばされる。飛ばされた先では依頼者の行動に制限がかかるから、かわりに俺が行動する」

 よかったら近くで、というと小さく頷き、目は瓶の中身に釘付けられたまま、導かれるように一番近い棚までふらふらと歩いて行った。


 店内には電球やランプといった照明源はないが、棚の炎だけで充分な灯りを得ている。夏以外は程よく暖かいので快適でもある。夏だけはなかなか我慢ならず、窓も戸も開け放して、ついでに店もあけて目の前の川に飛び込むほどだ。多少のクレームは来るが、特に問題はない。

「そのあたりは南北朝統一らへんですね。このでかいのが応永」

「どうしてこれは大きいんでしょう……」

「時代の長さに比例して、炎も大きいんです」

 「応永」というタグが貼られた瓶と「正長」というタグが貼られた瓶を手に取る。応永は南北朝統一後に足利義満が将軍をつとめた時代でもあり、明治維新時に定められた一世一元の制以前では一番長く続いた年号だ。反して正長は、正長の土一揆や改元後すぐに天皇が崩御などで慌ただしく、1年ほどで改元された。


 ゆっくりとした足取りで、水槽の魚でも見るかのように瓶の中の炎を見つめる。炎の熱にあてられて、少し頬が朱に染まっている。耳をすませば静かに雨音が聞こえた。こりゃ長雨になるかね、とぼんやりしたところで、あの、と上ずった声に引き戻された。

「わたし、ここで探している本があるんです」

 女がさした瓶のラベルには「平成」と書かれている。

「いい時代ですね」

 瓶を棚から取り出し、また椅子へ促した。瓶の中で炎が揺らいだ。先ほどの「応永」よりもひとまわり小さい、けれども力強さのある赤い炎だ。


「いいですか。行きたい場所や季節を思い浮かべながら、行きたい年数につき1秒、この炎を見つめてください。たとえば平成元年なら1秒、平成10年なら10秒。2,3秒ならずれちまっても、頭の中にイメージしていた場面が優先されるから、なるべくしっかりと思い浮かべたほうがいい」

「わかりました。見つめた後は、どうすれば?」

「そしたら、頭の中に思い浮かべたまま目を閉じる。俺が肩をたたいたら目を開けてください、その時にはもう着いていると思うんで」

 かみ砕くように理解しているのか、言葉に合わせてうんうんと頷いている。

「それからもうひとつ。これは慈善事業じゃねえから対価が必要なんです」

「はい、私にできることならなんでも」

「そうかい。じゃあ、契約完了だな」

 まっすぐな眼差しには、もう迷いはないようだった。迷いがないことはいいことだ、ふらふらしていると稀に誰も望んでいない時代に飛ばされて終わる。




 平成30年の10月27日は、秋晴れの空が澄み渡る気持ちの良い日だった。無事に望み通りの場所にたどり着けたらしく、依頼人は目を開けた瞬間安堵の笑みを浮かべていた。駅前に連なる古書店が有名であるという街だけあって、時代の変化にゆるやかに対応しつつもところどころに少し前の時代の面影が残っている。何度か物好きな常連に連れられて別の時代にこの街に来たことがあるが、人の装いも風景も違う中に同じ店を見かけると少し嬉しいような、落ち着かないような心持になる。依頼人も馴染みのある街であるらしく、あちこちに目移りさせながら跳ねるように歩いていた。


「あの、あちらの本屋さんによってもいいですか」

 大通りの古書店街に入ってしばらく歩いたところで呼び止められた。立ち止まって仰ぐと、この時代に生きる人間であればだれもが知る大手書店の本店がのけぞるように大きくそびえたっている。

「え?ああ、かまわねえですけど、探している本って、」

 どういう本なんだ、と尋ねようとしたが、了承を得るや否や、水を得た魚のようにいきいきと人の流れに乗って建物に吸い込まれていった。これだけ本屋があっても、かなりの人がこの本屋に流れ込んでくるようだ。こんなでかいところで迷子は勘弁してほしい、と慌てて背中を追いかけた。


 行きなれているのか、目指す道は思いのほかまっすぐだった。すんなりと2階に上がり、だだっ広い文学コーナーを漁る。話題の新書、名作、著名な人物による表紙の刷新……いつの時代も、本のあり方はそこまで変わらない。本の材質や流行、読む人間は変われど、本の本質はいつの時代も同じものだ。真白な魚がひらひら動くのを横目に平積みされた本を物色していると、そう経たないうちに小さく声を上げた。透き通るような青色の表紙の前で、依頼主は悲しそうに眉を顰めている。


「……行動の制限って、こういうことなんですね」

「ああ、うん……気づいていたのかと思った」

 依頼者は、炎をとおして向かった先が自分のよく知る時代だろうとそうでなかろうと、依頼者自身がその存在を他から認識されることはない。他、というのは人間だけではなく、例えばこの本屋の自動ドアのセンサーには反応されないし、取っ手のついたドアも握ることはできない。すれ違った通行人に声をかけても相手には聞こえていないし、自分の存在は見えてさえいない。この本屋に入る際は、別の人間に反応して自動ドアが開いたから潜り込めただけだ。依頼者がなにか行動を起こしたいのであれば、俺自身が行うほかはない。

「俺が代わりにしてやることだって、俺の自己判断ではあるが制限はある。一応どんなに些細な行動でも、この時代にいてはならない存在が接触することだからな」

「それじゃあ、今回の依頼は」

「内容は聞いて俺が判断を下した。この世にはそれくらいの奇跡が必要だ」

 依頼者は何冊も平積みされている青いハードカバーをひと撫でし、名残惜しそうに睫毛を伏せた。行きましょう、と静かな声に促されて本屋を後にする。やけに瞼の裏に焼き付く青だった。


 気落ちしたようだったが、軒先に出ている本棚や籠にいちいち立ち止まっては心を揺さぶられている。ああこの方の本はこの時に出たんですね、だの、ああこれは絶版になってしまっていたのにこんな時に、だのと呟いてはかぶりを振っている。大通りを途中で右に曲がり、いくつかの路地を何本目かで左に曲がった角に目当ての店は存在した。

 少し埃臭くはあるが、本屋ならこれくらいの匂いのほうがそれらしい。よくある普通の二階建て一軒家の一階部分を本屋に改造した、大通りから外れている以外はそんな変哲もない本屋である。厚みのある扉を開けると、チリンチリンと季節外れの清涼感あふれる音が迎えてくれた。褐色したレジ周りには特に店員らしき人物が見当たらない。見た目よりは奥行きがあり、中には絶版本や少し高めの売値がつけられている珍本もある。

 依頼主は懐かしむように棚差しされた本たちの背中を眺めながら、入り口から入ってまっすぐ奥までゆき、すこし左手に歩いた壁際の本棚の前でゆっくりと立ち止まった。

「ここの奥……、そう、この階段を上るんです」

 導かれるかのようにまっすぐに進んでいくものだから、無論ついてはいくのだが、なにぶんこちらは姿が丸見えである。もう一度、店主がいないことを確認して、なるべく足音が立たないように気をつけながら頼りない木製の階段をぎしぎしとのぼった。


 階段を上った先は、割と手広な屋根裏の造りになっていた。換気は定期的に行われているようで、むしろ階下より空気が澄んでいるような気さえする。小さな机と、あとは壁側を埋めるように本棚がおいてあるだけの空間だ。迷いもなくすいすいと進み、一番窓際から離れた日のあたらない本棚の、一番上の棚の本の背中を見つめていた。


「探していたのは、この本です」

 示された本を手に取る。少し日焼けしてはいるが外箱も綺麗なままの状態で、装丁もよく凝られている。それなりに多くの本を読んできているつもりだったが、作者名には見覚えがない。こだわりぬいた自費出版か。

 ぱらぱらと捲ってみたが、どうやら自作の詩を編んだ個人詩歌集のようだ。何気ない日常が詩的に綴られているが、言葉の選び方に品がある。よく読みこまれているようで、ところどころの角が折れ、濡れて乾燥した跡の硬くなってしまったページも見受けられる。

「これを、どうしたらいんだ」

「この栞を挟んでください」

 ワンピースのポケットに入れていたらしい、白い大判の花びらを押し花とした栞を手渡される。花びらだけで判定できるほど花には明るくないことを告げると、「白のアネモネです」、と簡潔に教えてくれた。

「……すみません、これだけで大丈夫です。ありがとうございます。」

 顔を上げると、依頼者は慈しむような眼差しで本を見ていた。

 ページはどこでもいいというので、個人的な好みにあったタイトルがつけられた詩のページに挟んだ。

「依頼完了、でいいかな」

「……はい。ありがとうございます」

 本を手渡してやることはできないので、閉じた本を差し出してやると、「これは、わたしの旦那さんとなる人の書いた本なんです」、と、まるで恋人でも抱きしめるかのように手を添えて微笑んだ。


 カチコチと静かに時を刻んでいた壁掛け時計の音が次第に地面に滴る雨音にかわり、かすかに鼻を擽っていた古書の匂いは薄れゆく。埃臭さも抜け、棚に並んでいるのは本ではなく、もとのしがない商店の炎が閉じ込められた瓶たちだ。


 依頼者はゆっくりと目を開け、自分の手元を見た。傍には持ってきていた傘、ポケットに栞はないことを確認して大きく息を吐く。落ち着いたように俺を見て、しっかりとした声音で言った。

「……それで、対価ですが」

「もう貰った。……あんたはもとは生身の人間で、死んだ後に栞になったんだな」

「……変な話ですが、あんなに会いたいと思っていたのに、探し物があることしかこのお店に来たときは思い出せなかったんです。……不思議ですね、このお店は」

「いや、この店の客人はおおかたが所謂やおろずの神さんってやつでね、あんたみたいなのは珍しいよ。よほど愛が深くなければそんな希少なことは起きない。……この依頼の対価は俺が知らないことを教えることだ。こんなこともある、それを知っただけで十分すぎる」

 不思議そうに目じりを下げていたが、にこやかに笑った。

「栞は、私とあの人が出会うきっかけなんです。明日はあそこの本屋のあの場所に向かうはずだから、きっと気が付きます。栞という存在は電子書籍が席巻するあの先の時代には合わないけれど、あの人の読書人生を支えるのは、たくさんの本とひとつの栞ですから」



 女が戸口の引き戸を開けると、雨はすっかり上がって光を浴びた雫がきらきらと瞬いていた。川面もいつもよりも明るく澄んで見える。白い傘は雨晴れ兼用だったのか、ドーム型のレースをくるりと回して雨粒を飛ばし、くるりと振り返る。

「白いアネモネの花言葉って、ご存知ですか」

「……いやあ、知らんねえ」

「『真実』と『期待』です。あなたに幸多からんことを」

 女はにこりと笑って、白い裾をひらひらとはためかせながら、迷うことなく向こうの橋を渡っていった。






 『平成』と書かれた瓶を棚に戻し、炎の揺らめきを確認する。31年分の動乱を詰め込んだ炎は、叫ぶように強く燃えていた。

先代から引き継いだ店は、とうに手に馴染んでしまった。失せ物探し、思い出探し、あの頃にしか手に入らない品物もこちらでならば承ります。

時代は去りゆくもので、生まれるものもあれば時代とともに忘れ消えてしまうものもある。人々の記憶から完全になくなってしまう前に、ここで守っていくのが俺らの仕事だ。


さて、次はどんな時代が来るかね。年季の入った音を立てて戸を開ければ、変わらぬ川のせせらぎと、橋を渡る足音が聞こえた。

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