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〇〇姫

 秋の夜、廊下を挟んだ窓の向こうから聞こえる、控えめに鳴く虫たちの声が耳をくすぐる。

いつもならば、布団に入ってこの音を聞いていたら、いつの間にか宙に浮いたように眠りに落ちてしまうのだが、今日はどうしてか、目がさえてしまって眠れない。

寝る前に読んだ書物のせいか、飲み過ぎてしまったお茶のせいか。どちらにしろ、このままでは寝つきが悪いと、布団から上半身を起こした。

ふと、障子に誰かの影が動くのが写り、わたしは思わず膝を抱いて身を震わせた。でも、外からの月明かりのほか、提灯のあかりが見えてきて、ほっと胸を撫で下ろす。

外から誰かが屋敷に入ってきたかと思ったが、そうではないことが分かったからだ。

「失礼します。姫様。もうお休みになられておりますでしょうか」

 薄い障子越しでは聞き間違えることのない、良く知った声。少し低くて、いつも力が入っているようなそれに、わたしは安心する。

()(りゅう)。もう休んでいますが、なにかありましたか」

「それは大変失礼いたしました。こんな時間に申し訳ございませんが、少し、ご相談したいことがございます」

 彼の目的を聞いて、少し驚いてしまった。子劉はなによりわたしの意思を優先してくれるから、何か余程差し迫ったことがない限り、夜の寝所に現れることはないはずだ。

 わたしは彼を咎めることはしない。ちょうどいい。子劉の要件を聞いたら、わたしが眠るまでの話し相手になってもらおう。

「わかりました。一寸、お待ち下さい」

 わたしはそう言うと、布団から出、部屋の端にある行燈に火を点け、部屋に薄明かりを灯した。枕元に散らばっていた書物を文机の上に移動させ、同じく畳の上にお盆もなく置いてあった急須と湯呑もその横に移した。

 床に物が落ちていないことを確認すると、姿見に身体を映し、着衣の乱れや寝癖をなおす。長い付き合いで、そして相当な鈍感であることも知っているので、彼は気にしないかもしれないが、わたしが気にするのだ。

「お待たせしました。どうぞ」

 わたしがようやく障子を開けると、そこには脇に真っ黒な鞘に収められた刀を置き、板の上で三つ指をついて頭を下げる子劉の姿があった。細身だが手足が長い、長身の彼が身体を曲げている様子が、少し窮屈そうに見えて、笑ってはいけないのに可笑しい。昔はわたしよりも背が低かったのに、いつの間にこんなに大きくなったのか。はじめて、身長を追い越された日のことは覚えている。

 子劉を寝室に招き入れる。布団の前に座蒲団を引いてやると、刀を横に置いてその上に腰を下ろした。それにしても分厚い刀身の刀だと思う。子劉は、月輪熊(つきのわぐま)ぐらいならば、一刀で首を跳ね飛ばしてしまう。

 本当は、人に会う際はお隣の客間を使うのだけど、こんな遅い時間に用意をするのも億劫だし、最近はすっかり使っていないので掃除もしなくてはいけないし、相手は子劉だし構わないだろう。侍女がいれば何か文句を言われたかもしれないが、幸い彼女たちは屋敷にいない。

「それで、お話というのは、どのような事ですか」

 難しい顔をしたまま、押し黙る子劉に尋ねる。今日の彼は、どこか様子がおかしい。落ち着きなく視線が動き、手は座蒲団の端を摘まんでいて、わたしと顔を合わせてくれない。

 普段は、煮え切らない態度が嫌いな彼には珍しい様子だった。

「子劉。なにかあったのですか。今、この屋敷にはわたしとあなたしかいません。なんでも、仰って下さいな」

 わたしと子劉は、主人と従者の関係にある。彼はわたしの警護係。でも幼馴染で、歳の近い友達のいなかったわたしが唯一同じ視点で話が出来る人物なのだ。

 表向きは主従関係でも、壁を作ったことはない。悩みでもあるのであれば、わたしに話をして欲しい。

「わかりました。それでは、姫様」

 子劉の腰が座蒲団から離れた。そのまま膝立ちで、彼の大きな身体が前のめりになった体勢で近付いてくる。はじめて気が付いた。たとえ真夜中であろうとも、警護中は闇に溶ける墨色の胴着を身に着けている彼が、今夜は寝巻用の白い着物を着用していることに。

「今から、子どもをつくりましょう」

 反射的に手が出ていた。瞬間的に繰り出された平手は彼の頬を捉えた。

 大きな身体が畳に横倒しになった。急須を片付けておいて良かった。お茶がこぼれるところだった。


「姫、不躾な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした。しかし、それは少し警戒をし過ぎではないでしょうか」

「黙りなさい。誰のせいでこうなっていると思っているのですか」

 子劉は変わらず座蒲団の上にいる。頬は真っ赤に腫れているが、手は座蒲団の端を摘まんでいる。

 そしてわたしは、掛布団を足から首まで全身に巻き付け、部屋の端に退避していた。

「今から順を追って説明させていただきます。姫様にも、きっと分かってもられると思います」

「順を追っても、辿り着くところが……なら、絶対に分からないです」

 いつの間にか、子劉はお茶を入れ直していた。湯呑もふたつある。ひとつは彼の手が届く文机の上に、もうひとつは枕元の横に。湯気が立つお茶に惹かれてしまう。わたしは籠城を諦めて、敷布団の上に這って戻る。ただし、掛布団から出ても、これ見よがしに衿をきつく手で絞めて、子劉に見せつけてやる。

 子劉は文机に置かれた書物に目を向けて、その表紙を指先でなぞる。

「姫様は、書物を読むのがお好きですね」

「他にすることもありませんから」

 わたしの気持ちに注意を向けない子劉に意地を張って、棘のある言い方をしてしまった。書物を読むのは好きだ。でも、他にすることがないのも本当のこと。

わたしが知っているのは僅かの世界で、書物はそんなわたしに知識と経験を与えてくれる。

「それでは、昔話をしましょう。挿絵はないので、想像しながら聞いて下さい」

 そう言うと、子劉は静かに語り出した。


 むかしむかし、まだこのくにの境界が曖昧だった頃のお話です。

 その頃は、くにはたくさんのくにに分かれていました。

 みんなが領地と人民を賭けて喧嘩をしていました。

 そんなくにには、たくさんの火を噴く山がありました。

 その多くは活動を止めていましたが、ある日、一切に暴れ出しました。

 それは、一匹の「怪物」の仕業でした。

 大陸に存在すると言われる『龍』のような形状をしていました。

 腕を掻けば鋭い爪が大地に地割れを起こし、

 口からは炎を吐き出し、非力なヒトたちを何人も燃やし尽くしました。

 困ったヒトたちは、同族同士の喧嘩を止め、

 手を取り合い、「怪物」に対抗しました。

 それぞれのくにの一番の呪い師たちが協力し、「怪物」と戦いました。

 巨大な力を持つ「怪物」の動きを止め、その意思を弱めることに成功しました。

 しかし、あまりに厚みが違い、その命を滅することは出来ませんでした。

 そこで呪い師たちは、「怪物」の力を弱めたまま、

 選ばれた素質のあるヒトに、怪物を封印しました。

 人柱とされたヒトの一族は、その怪物を体内に飼い、

 自分の生命力が失われ死を意識した時、

 子を産むことの出来る女人に、儀式を執り行い、封印を受け渡していきました。

 やがて、くにはひとつに纏まりました。

 かつての「怪物」の力を恐れた為政者は、封印の一族を囲い、

 その一族が決して絶えることのないように、

 その力を利用されることがないように、

 「楽園」と呼ばれる庭、その屋敷に住まわせています


 ……現在も。


 子劉の話は、唐突に終わりを迎えた。ずっと書物に向かっていた視線が、ゆっくりとわたしに向けられた。

「これは、架空の話ではなく、現実の話です」

 呼吸が、止まるような気がした。

 思わず部屋の隅にある行燈を見た。油を吸い火が燃えている。その様子を見るのは好きだ。心が落ち着くのは事実だ。そして何より、火を見ると美しいと思ってしまう。

「姫様。元号をご存知ですか?」

「知っています。時を区切る、年につける称号のことでしょう」

 わたしはそう答えた。昔のことは知らないけれど、最近のことは知っている。

「元号は、大陸から我がくにに導入されたものです。大陸では皇帝の権力を表していたということです。我がくにでは、制定権こそ、おうがお持ちになられていますが、元号は皇のことを表しているわけではありません。当時、最も力を持ち、恐れられていたもの。この国を焦土に変えようとしていた『怪物』。当代の封印対象の人物に与えられる称号。それが時を刻む単位にされているのです」

「じゃあ、わたしのお母さんは」

「先代の名は、昭和と言いました」

 わたしは、その名前で、その人のことを読んだことはなかった。あんなに近くにいたのに。

 わたしたちには、生きている間には名前が与えられていない。ななしの姫君なのだ。

「教えて。わたしの、名前は」

 子劉は、なにも答えなかった。

 しばらくしてから、絞り出すようにして、言った。

「すでに、失われてしまいました」


 元号は、誰かに与えられてきた称号であった。

 でも、それだけじゃない。

 時を区切る、みんなの道標。

 それを意識しながら、積み上げてきた歴史、伝統、文化、

 すべてを含有した器の名称。


 その器が、割れてしまった。中身が零れてしまった。

 粉々に打ち砕かれ、もう二度と元には戻らない。


 わたしがまだお母さまと暮らしていた頃、この屋敷はもっと賑やかだったと思う。

 ひっきりなしに外からお客さまが来て、その人たちが外で列を作っていたりした。

 庭にシートを敷いて、満開の桜を見ながら、ご飯を食べたりした。

 でも、お母さまが亡くなられて、わたしが姫を継いでから、だんだんと屋敷から活気が失われてしまった。お客様の姿は見えなくなり、たくさんいたはずの侍女も、子劉と同じ警護係も、どんどん少なくなっていった。

 ちょうど一年前ぐらいだろう。わたしの周りからは、一切の人間が消えた。

 ただひとり、子劉を除いては。


 「くには滅びました」

 子劉の口から絞り出される無慈悲な現実を、わたしはまだ受け止められない。

「炎を操る『怪物』を畏れていたヒトは、それを克服するために得た知識の力で、自ら同じことをしたのです」

 心のなかで、炎のイメージがぶれるのを感じる。「怪物」が吐き出した炎が、地上を舐めるように燃え尽くし、すべてを灰燼に帰していく。

 その圧倒的な恐怖を、こんなちっぽけなヒトはやったのだ。

 それは、とても凄いことで、そしてなんと愚かなことなのだろう。

「すべての生き物は凍り付き、枯れ果てて、この世界で生きているのは、わたしと姫様だけなのです」

 そんなことを言わないで欲しい。侍女のことも、子劉以外の警備係のことも、みんなの肌の温かさを、わたしは覚えているのだから。

「だから姫様。子どもを作りましょう。次代にまで猶予を生み出し、もう一度やり直すんです」

 辿り着いた。自分の、しなくてはならない事に。

「わたしと、子劉しかいないのでしょう。ならば、二人で終わりにしませんか」

 わたしが死ねば、「怪物」が目覚める。世界は既に滅びているのだから、それでいいじゃないか。わたしには、子劉がいる。彼はきっと護ってくれる。

 でも、産まれてきた次の子は、誰に護られるのか。

「私は、世界で生きているのは、自分と姫様だけだと言いました。しかし、全部を確認したわけではありません。ずっと遠くにはもしかしたら、まだ生命の営みが残っていたり、新しい生活がはじまっているかもしれない。姫様亡き後に、もう一度世界を滅ぼすわけにはいかないのです」

 わたしの子。まだ生きている子。その子の未来を、可能性を断つことは、許されないのか。

「わかりました。でも、子劉。だめです」

「だめ、とは」

「わからないのですが。自分の使命を理解しました。でも、ひとつくらいわたしの意思を通させてくれてもいいでしょう。わたしは、忠義や使命ではなく、あなたの想いを聞きたいのです」

 いつの間にか、胸元できつく握られていた手は、膝の横に下がっていた。

しばらくの間を置いて、再び子劉の身体が、ゆっくりと近付いてくる。

彼から伸ばされた手は、わたしの肩と腰に回された。彼はそのまま、優しくゆっくりと、わたしの身体を敷布団に横たえた。

耳元で、囁かれる。

「姫様。私はあなたを、ずっと慕っておりました」


 子作りは当初上手くいかなかった。それでも、さすがに種を残すという生き物の本能がなせる業なのか、わたしと子劉は「そこそこ」出来るようになり、そして二年後に、待望の第一子を出産した。

 最初の子どもは男の子だった。子劉に似た、手足の長い、あまり泣かない強い子だった。

 とても愛らしい子だったけれど、封印を継承するためには、対象は女性でなければならない。

 長男が手がかからなくなった頃に、子作りを再開した。

 そして二年後に、今度は女の子が誕生した。


まだまだ身体が小さい娘が、揺籠の中で気持ち良さそうに目を閉じている。

今日は日差しも暖かで、肌を撫でるくらいの風が心地良い。絶好のお昼日和だ。

庭に目をやると、息子はまだ三歳だというのに、さっそく稽古をつけている。

息子の方が志願したのだった。新しく産まれる妹のために、自分もなにかしたいと。

今はまだ、刀を模した木の棒を使った素振りだっておぼつかないけれど、やがてお父さんのように強くなって、お兄ちゃんとして娘を護ってくれるかな。親馬鹿だけど、そんな未来を想像してしまう。

この平和な、でも当たり前な風景を、わたしは残したい。

そして、世界にこんな光景を……。


 封印継承の儀式というのは、大仰なものを想像していたが、彼我の頭の中に入っていて、ひとりで執り行えるということだった。娘が死亡率が高い乳児期を抜けたら、儀式を行う予定であったが、わたしは止めさせた。

「姫様。なぜですか。あなたにもしなにかあれば、世界がまた滅びてしまいます。そして、あなたは名前を手に入れることができます」

「そうしたら、この子は名前を無くしてしまうでしょう。わたしと同じように、何も知らないまま、屋敷でひとり命を続けなければならない。この子に、そんなことを継がせたくない」

「しかし、姫様」

「絶対に病気はしない。それに、わたしに危機が迫ったら、あなたが助けてくれるでしょう」

 子劉は困った顔をしたが、しかししっかりとした顔で頷いた。

 そしてわたしは彼にある事を提案した。

彼は四六時中、数日悩んで、わたしに言った。

「仰せの通り。姫を、そして妻を護ることが、わたしの使命なのですから」


 さらに五年が経って、わたしたちは屋敷を離れることになった。

 僅か四十五坪ほどの敷地。しかしそれが、わたしの知る世界のすべてだった。

 春になれば桜が咲き、夏になれば湖で涼をとり、

 秋には紅葉する広葉樹の中に鹿を見つけ、

 冬は雪が積もる中を、屋敷の寝室で丸くなって過ごす。

 訪れる鳥たちの鳴き声。

 屋敷の庭に、周りの広がる無限大に思えた豊かな自然。大地の実りたち。

 そして、たくさんの人が暮らした記憶。笑いあう声。お母さまとの思い出。

 小さな楽園には、わたしが欲しいものがなんでもあった。


「お兄ちゃん。わたしたち、どこに行くの?」

「遠く。ずっと遠くさ。『さがしもの』を探しにいくんだよ」

 (れい)と名を付けた息子が、妹の問いに答える。不安でいっぱいなのは彼も一緒だろうに、それをおくびにも出さない。

 やっぱりこの子は、子劉の子だ。

 この名前を付けたのは子劉だ。この音は、遠くの国の神話にあった、ヒトを導く「光」のことだという。


 わたしたちは屋敷を離れた。滅びた世界でまたヒトに出会うため。

 散らばった知識を収集するため。

 そして、わたしの中に眠る厄介者を取り除く手段を見つけるために。

 遥かなる、凍り付いた荒野に、一歩を踏み出した。


 わたしの代で終わらせるのだ。娘には、わたしの封印を継承させたりしない。

 その誓いの表れとして、わたしは娘に「和子(わこ)」という名前を授けた。

「子」は子劉から、そして「和」の文字は、お母さまから頂いた。


 やがて、最後の元号は幕を閉じた。

 そして名もなき永遠が訪れた。



 了

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