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「平成最後の夜、素敵な出会いにカンパーイ!」

掛け声とともに掲げられたいくつものグラスがきらめく。木材と石を組み合わせた壁は海外の酒場を思わせる雰囲気で、明度を抑えたランプが店内をあたたかく照らしている。乾杯の声はすぐに落ち着き、そこかしこから男女の話し声が耳に入ってきた。

僕は乾杯の音頭に軽く合わせただけで、掲げたグラスをそっとテーブルに置く。

「おいおい!研、口もつけないのかよ!」

向かいの席から目ざとく見つけて声をあげたのは、同じゼミに所属する上山先輩だ。大学でラクロスをやっている先輩は身体に比例して声もでかい。僕は別テーブルからの視線を気にしながら控えめに返す。

「よければ飲んでください。やっぱり僕はこういう場は落ち着かなくて」

「この酒よくわからんけど美味いぞ。来たからには楽しまないともったいないだろ!あはは」

ここは都内の一等地に建てられた、契約農家直送の野菜が自慢のレストラン、GOSLAR(ゴスラー)。普段は外食なんてしない僕からすると異次元の世界だ。乾杯は食前酒として自家製の薬草酒なるものが振る舞われた。それを一気に飲み干していた先輩は身を乗り出して僕のグラスに手を伸ばす。

「先輩はいつもと変わらないですね…」

テーブルには見たことのない野菜が盛り付けられた前菜が置かれている。僕と同じ生活水準の先輩もよくわかっていないはずだが、気にすることなくもしゃもしゃと口に含んでいる。

そんな様子を眺めていると向かいから声がかかった。

「存分に楽しんでね。最後の夜なんだから!」

「や!円華さん、いやまさにその通り!研も見習えー」

「見習え、見習えー!」

つい先ほど初対面の挨拶をしたところだと言うのに、先輩と見事な掛け合いを演じているのは円華さん。大手企業の営業として働いている円華さんの容姿は、大学で普段見かける子たちとは違って垢抜けている。茶色みがかったショートボブにくっきりとした目鼻立ち。僕が目も覚めるような美女と知り合ったきっかけは、色々と運命の悪戯があったのだがここでは割愛させてもらう。

「こんな楽しいイベントに参加できるなんて、いい後輩を持ちましたよ」

「私もまさか研が知り合いを連れてくるとは思ってなかったから驚いたわ」

「早く知ってれば、部の連中にも声かけたんすけど」

円華さんが残念そうな表情を見せる。

「このイベント、定期的に開いているんだけどねー。今回なかなか集まり悪くて。それでも、上山くんが来てくれただけよかった」

「自分はいつでも暇にしてますんで。是非またお願いします!」

先輩がわかりやすく照れて、残っていた酒を呷る。これまでの付き合いからして、円華さんが先輩のタイプであるのは間違いない。いつもより酒の進みも早そうだ。

数ヶ月前から平成最後と言う枕詞が何事にもついてまわっていたけれども、今宵はまさに平成31年4月30日の夜。プレミアムな夜に円華さん主導で催されたのが、平成生まれの若者同士の親睦を深める会。まあ、実際のところは規模の大きな合コンと思って来ている人もいるはずだ。

「でもこいつ、最初はこっそり一人で参加するつもりだったみたいなんですよ。ひどくないですか?」

上山先輩がテーブルの面々に不満を漏らす。

僕はお腹を満たすことだけを目的に、円華さんの会に毎回参加させてもらっている。今回も知り合いを呼ぶつもりはなかったのだが、円華さんからの連絡があった際、隣に先輩がいたのが運の尽きだった。電話口から漏れ聞こえる女性の声に気づいた先輩から、通話後に根掘り葉掘り聞かれ、詳細を知るや参加すると言って聞かなかったのだ。先輩も参加者の男性同様、大きな合コンと思っている口だろう。

「先輩が期待するような会じゃないですから」

「そりゃ、研と一緒じゃいつもの飲みと変わらんからなぁ。円華さん、席替えないんすかー?」

先輩はここぞとばかりに円華さんへ話を振る。

「まあまあ焦ることなく。まだ始まったばかりだし、もうちょっと上山くんの話を聞かせてよ」

円華さんは早くも上山先輩の扱い方をマスターしたようだ。赤ら顔の先輩は上機嫌でラクロス部あるあるネタを話はじめる。先輩と飲んだ際に何度聞かされたかわからない鉄板のネタだ。

そんなやりとりはあるものの、知らない人ばかりの場での会話が苦手な僕にとって、上山先輩が来てくれたのはありがたかった。今も物怖じすることなく、同じテーブルの人たちに会話を振っている。

僕たちが座っているテーブルには他に男性と女性が一人ずつ居た。僕とは逆側の端に座る男性は、お酒が苦手なのか乾杯のグラスをちびちび傾けながら相槌を打っている。銀縁眼鏡をかけ、細身のジャケットに身を包んだ風貌は理知的に見えるがやや神経質そうだ。その向かいに座る女性は、ゆるくウェーブのかかった髪で少しタレ目の可愛らしい子だ。先輩と円華さんのやりとりに弾けるような笑い声をあげている。

店内には同様に男女数人でつくられたテーブルがいくつかあった。どこも会話は徐々に落ち着いてきているようだ。円華さんの知り合いが中心のはずだが、毎回よくぞこれだけの人が集まるものだと思う。

突如テーブルが湧いた。上山先輩のネタが見事にハマったらしい。話が落ち着きさらに上機嫌な先輩は新たな料理を頬張る。

「んー、さっきから初めて食べるものばかりです。これも未知の味ですね」

上山先輩は斜め上を見ながら、味を探っている様子だ。

「口に合わなかったかな」

「や!そんなことないです!あれですね、デトックスって感じです」

よくわからない上山先輩のフォローに場が再び盛り上がる。

温度差を感じた僕は静かに席を立ち、外の空気を吸いに行くことにした。



会場から一歩出ただけで、そこには冷ややかな空気が満ちていた。玲瓏たる月が窓から覗き、青い光を投げかけている。

時折ドアから漏れてくる笑い声を聞きながら、僕は壁にもたれて一つ息をつく。

やはりこのような賑やかな場はあまり得意ではない。円華さんの頼みでなければ、こんなに毎回のごとく参加することはないだろう。

平成最後の夜。今夜はどのような人たちが集まっているのだろう。それぞれに思惑を持ってやって来た人たち。ただ食欲を満たせれば良いと思って参加している身には想像もつかないような思いが渦巻いているに違いない。

いや、僕も食欲だけではないかもしれない。曲がりなりにも定期的に円華さんと出会うことができているのだから。それを告げることは少なくとも今すぐにはないだろうけれども。

そろそろ戻ろうかと思っていると、会場に続くドアから何かが転がり出てきた。何事かと思ったが、よく見ると同じテーブルの眼鏡の男性である。

彼は慌てた様子であたりを見回していたが、すぐさま僕を目に止めた。

「に、逃げないと。…君も早く!」

男性の顔面は蒼白で、立ち上がろうとしているが足に力が入っていない。

「ちょっと、落ち着いてください」

明らかに尋常ではない様子だ。僕は男性の様子を見つつ、会場の方向へ意識を向ける。

先ほどまでドアから漏れ出していた賑やかな語らいはいつの間にか消えていた。



会場のドアを開けたところ、今度は会場に出ようとする女性とぶつかりそうになった。奇しくも今度は同じテーブルで会話に興じていたタレ目の女性である。

「おっと」

「ごめんなさい!ちょっと探し物をしていて…」

咄嗟に謝ったものの、焦った様子の女性は目の前に立つ僕には全く関心がなさそうだ。会場の外をしきりに気にしている。僕は彼女に届くよう、ゆっくり問いかける。

「探し物って、もしかして、これ?」

「えっ?」

僕は彼女の視線を下へ向ける。僕が後ろ手に引きづってきたものは震えながら何事か呟いている。それを認めると、彼女の顔が晴れやかになった。

「ありがとうございます!逃げられてしまったかと思って焦りました」

そこまで呟くと、彼女は自らの発言に気づき慌てて口を閉ざした。感情の変化が激しい人である。

「気にしないでください。僕は主催側なので」

そんな僕らの様子を目にとめたのか、奥から声が響いた。

「ちゃんと管理しないと駄目よー。大事な対価なんだから」

奥のテーブルには円華さんが足を組んで座わっている。周りには参加者の女性ばかりが虚ろな目をして座りこんでいる。一方、机に突っ伏して身じろぎひとつしない男性たちがあちらこちらにいる。傍目には酔いつぶれたようにも見えるが、そうではないことを僕は知っている。先程までの賑やかな空気は完全に失われていた。

タレ目の女性は慌てて円華さんの元へ向かう。僕も大事な彼女の対価を引き連れて後に続く。

「申し訳ありませんでした。改めて契約をしていただいてもよろしいでしょうか」

狼狽する女性に、円華さんは嫣然とした様で問いかける。

「そうね。貴女の望みは何かしら?」

女性は円華さんの耳元に口を寄せる。円華さんはふむふむと頷く仕草。

「オッケー。じゃ、対価はそちらの彼ということで契約成立」

言い終えると同時に、後ろから大きなため息とタイヤから空気の抜ける音を混ぜたような音がした。彼の身体からはぐんにゃりと力が抜け、引きづる僕の腕にかかる重みが増す。

円華さんは口の中で何かを転がし味わうそぶりを見せる。

「健やかで良質ね。少し臆病なところもいいアクセント」

そう言うなり、依頼者の女性に唇を寄せた。二人の唇が触れ合い、女性はピクリと身を強張らせる。一方の円華さんは強い目つきで女性の瞳を見つめている。

少しの後、離れることなく合わさる唇の間から一筋の血がゆっくりと流れ出してきた。流れ出た粘性のある血液はすぐには滴り落ちることなく顎で留まる。口元から流れ出る血は小さな雫を形成し、遂には溢れて落ちた。それは落ちる最中で、揮発するかのように赤く燃え上がり、小さな炎はそのまま女性の胸元へ。

「…っ!」

口を塞がれているため声にならず、息をのむ女性。血から生まれた炎が落ちた箇所は黒く焦げ付き、人肉の焦げる香りが鼻孔をくすぐった。

円華さんはそれを確認し、ゆっくりと彼女から顔を遠ざける。血で汚れた口元が艶めかしい。

「はい。おしまい」

契約の儀を終えた女性は、焦点の合わない目でへたり込む。身体の変化に精神が追いついていないのだ。自らの望みを叶えるために、これからは魔のモノを棲まわせることになる。

そう、これが今夜の会の真相。悪魔と魔女たちによる(サバト)

契約の対価となるのは昔と変わらず人の魂。ただし今では他人のもので代用可能だ。現代社会で自らの魂を危険にさらす契約を結ぶ人なんていなくなってしまったからだ。

依頼をする人間は、悪魔である円華さんへ何がしかの手段で一人分の魂を捧げる。そうすると、代わりに円華さんが望みを一つ聞き入れてくれる。魂の質と望みの大きさ、その対価が釣り合わなければ契約は成立しないらしいが、そのレートは不明だ。そして契約が交わされた場合、望みを叶えるための使い魔を身に宿すことになる。証明として依頼者の身には消えることのない刻印が残る。魔女の刻印だ。

人の欲望は尽きることがない。優良な魂を準備することができれば、円華さんによって何度も望みは叶えられる。先ほど契約した彼女も何度か見かけたことがあるリピーターだった。

この店も儀式を滞りなく行なうために設けられた場だ。対価とされる人たちは、提供される食事によって、会の中盤には身体の自由が効かなくなる。あとは蜘蛛の巣に絡め取られた羽虫のように、最後の時を待つだけ。

一通りの契約を終えた円華さんは僕に顔を向ける。

「今回は研も一人連れて来てくれたからキスしてあげようか」

先ほどまでの表情とは異なり、柔らかな笑みを湛えている円華さん。僕はそんな表情に惑わされないよう、全力で無表情をつくる。

「そろそろお腹が限界なので、食事をしてもいいですか」

その言葉に円華さんは呆れた表情を見せる。

「もーほんとに、あなたはもっと違う欲を知った方がいいわ」

「兎にも角にも、生きるにはまず食欲です」

僕は強い意志を持って言葉を返す。音の絶えた会場内を見渡すと、求める食事は僕が座っていたテーブルにそのまま残されていた。空っぽの胃が縮み、きゅるると音を立てる。

円華さんが好むのは良質な魂だが、僕が好むのは良質な肉だ。

「まだ食べて欲しいお肉はいくつもあるんだから、食べ過ぎないようにしてよ」

背後から円華さんの声がかかるが、そんなことは気にしてられない。久しぶりの新鮮な肉なのだから。やはり根源的な欲望には逆らえない。

どこから食べるのが良いだろう。やはり鮮度を考えると、柔らかくつややかな内臓からだろうか。腹を裂いた際に整然と並べられた臓物のフルコースが目に浮かぶ。それとも、普段から鍛えられ締まった脚か。太ももから臀部にかけては程よい柔らかさで、弾けるような食感が楽しませてくれるだろう。あるいは肩から首にかけていただくのも良い。迸る血潮を流し込みながら嚥み下す様を想像する。ああ、お腹が空いた。

考えを巡らしていると、僕のディナーが身じろぎをした。

「ちょっと酔いが回りすぎていて味が落ちるかもよ。食欲は一旦置いておいたら?」

いつの間にか真後ろまで来ていた円華さんが、撫でるように僕の腕に触れる。

「もうあと少ししかない平成最後の夜、空腹では越せません。今夜は宴の夜なんですから」

円華さんは少し頬を膨らませたが、またいつもの調子を取り戻す。

「わかった。彼の体から悪いものが飛んでっちゃうほど、地獄の炎で美味しくこんがりと焼いてあげる!」

円華さんがキュッと目を細めると、途端にディナーは業火に包まれた。獣のような声とともに跳ね起きたそれは、高速で盆踊りしているかのようだ。

「あら、まだ元気じゃない」

「これだけ動いてくれれば、肉もいい状態に仕上がりそうですね」

店内の柱時計が古めかしい音とともに時間を刻んだ。残念ながら平成のディナーは叶わなかったようだ。

令和元年5月1日。

その到来を歓迎するように踊り狂う姿と、過ぎ行く時に思いを馳せるようにぼんやりと座りこむ姿。

それらを楽しそうに見つめる円華さんを、僕は横目でこっそり見ている。

今度会えるのは半年後だ。それまでの時を思うと空腹とは異なる、空虚なものが身体をしめていく。

そんな思いを払うように、どこからともなく春の暖かな風が吹き抜けていった。

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