表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/14

そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,08 / Chapter 05 〉

 七月二十三日、午前十一時。

 午前八時台に発生した人身事故の影響は、三時間近く経過した今なお続いていた。総武線は上下線とも運転見合わせ。その他鉄道各線もダイヤが乱れ、運行本数が大幅に減っている。乗り換え、乗り継ぎに使われる主要駅構内は人であふれ、混雑による事故や乗客同士の揉め事も多発しているらしい。

 帰宅した愛花は、スマホの画面を眺めて溜息を吐いた。

 始鶴がサイト・ベイカーとの話し合いに臨むと決めた以上、今の自分はどこへ行く理由も、何をする必要もない。かといって、気晴らしにテレビや漫画を見る気にもなれない。

 ベッドの上でゴロゴロしながら、スマホの画面を覗き込む。

 SNSを見れば、飛び込み自殺した二人への非難の嵐が吹き荒れている。今朝の気温は二十六度。現在はそれより上がって、既に都内各所で三十度を超えている。昨日の雨の影響から湿度も高い。そんな不快な気象条件の中、駅やバス停で何十分も何時間も待たされたのだ。公然と罵らずとも、誰もが愚痴の一つも溢したくなるというものだ。


〈マジ迷惑。死ぬなら他所でやってくれよ。〉

〈社会的弱者がどうのこうのって言ったって、同じ条件でちゃんと生きてる人なんかいくらでもいるじゃない?〉

〈自殺した動機って何なの? イジメとかだったらさ、加害者宅の玄関先で死んでやれば最高にロックじゃん。切腹とかでさ。〉

〈鉄道会社だけが損害賠償請求できるのおかしくない? うちらだってお金と時間潰されてるんですけど? 遺族に金払わせたいわ。〉

〈死体の片づけ大変そうだよねー。現場の写真見た? 本当にミンチみたいになっちゃうんだねー。駅員さんたち可哀想……。〉

〈今日バイトの子誰も来れないって! 俺一人でどうやって店回せっての⁉〉

〈電車止まると、関係ない路線の人にまで迷惑掛かる。二次被害とか三次被害も補償してもらいたい。〉

〈イベント間に合いませんでした。半年前から楽しみにしてたのに……。〉

〈マジ死んでほしい。いや、もう死んでるか。一生呪う。ガチで地獄に落ちてほしい。〉


 愛花は溜息を吐きながらスマホを置いた。

 死んでまで世の中から嫌われるとは、なかなかひどい死にざまだ。確かに、死ぬほどつらい目に遭って死を決意したのだろうということは分かる。だが、その『個人的な都合』に赤の他人を何万人も、二次的影響や三次的影響を含めたら何十万人も巻き込むのは違うと思った。

 死ぬ前に誰かに相談すればよかったのに。

 そんな感想を抱いた愛花は、自分が自殺する可能性など考えたことがない。

 両親は結婚直後にこの家を購入し、愛花を妊娠中に転居してきた。この区画の約六十軒の住宅はどれもほぼ同じ設計の建売住宅。購入者の世帯収入、職種、家族構成などは非常に似通っており、『同じコミュニティの仲間』として交流を持つことは容易と言えた。

 この区画には同い年の幼馴染が三人いる。彼らとは赤ん坊のころからいつでも一緒。同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校に通った、何でも話せる親友たちだ。中でも始鶴は同じ高校に進学したほどの大親友。どんな悩みを相談しても、まるで自分のことのように、一緒になって解決策を考えてくれる。

 愛花にとっての『世界』とは、そんな両親や友達、近所の人たち、学校の先生や部活の仲間に囲まれた、『最高に楽しい場所』なのだ。その楽しい場所から自ら進んで離脱するなんて、まったくもって意味が分からない。誰にも何も打ち明けられないまま一人孤独に死ぬ様など、想像しようにも、それらしい情景がひとつも思い浮かばなかった。

「……なんでわざわざ、こんな痛そうな死に方するの……?」

 ネット上に出回る現場写真を見て、率直な思いを口にする。

 想像力は常人並みにある。だからこそ、余計に分からない。

 孤独な人間に『温かい家庭』が無いように、愛花のような人間にもまた、『孤独な人生』というものは存在しない。

 これは優劣の問題ではない。ただ、生まれ育った環境が違うだけ。

 たったそれだけの違いで、双方の心の形は大きく異なってしまう。同じ国に生まれ、同じ言葉を話していても、互いの考えていることはまるで理解できない。共有できない価値観に気付かないまま、うわべだけは成立する会話にうっかり心を寄せてしまえば、それが悲劇の始まりだ。

 ある日どこかで、「あなたのその考えは、私には分かりません」と言われたとする。異なる価値観の人間がいると知っていれば、その言葉を額面通りに受け取り、互いに分かり合えるのはどの範囲までか、どのような話題であれば互いに心地よくコミュニケーションが取れるのか、双方の意見をすり合わせて歩み寄っていくことが出来る。

 しかし異なる価値観に触れたことが無ければ、「分かりません」という言葉を過剰に解釈し、『自分という存在そのものを否定された』と考えてしまう。

 友達からの一言で学校に行けなくなったという子供が、よく言う言葉がある。


〈○○ちゃん変だよ。〉

〈他の子はそんなことしない。〉

〈それは君んち限定ルールだろ?〉

〈君が何言ってるのか分からない〉

〈このくらい常識だよね?〉


 いずれも言った子供たちに悪意はないし、対象者をいじめるつもりもない。それぞれの成長過程で学んできた『世間一般の常識』に照らし合わせて判断し、その常識に納まらない言動について、当人に説明を求めているのだ。

 だが聞かれたほうも子供なら、問い質すほうも子供である。彼らにとっての『世間』とは、家庭や学校、塾、スポーツクラブなどのごく狭い範囲に限られる。たとえそこが『世界的に見ればとても変わった風習を持つ人々の集団』であったとしても、それ以外の世界を知らなければ、自分の常識こそ世界標準と、安易に信じ込んでしまうものなのだ。

 愛花は無知ではない。同じ高校に通う生徒の中にも、どうしても意見の合わない人間や、まったく違う価値観で生きている人間がいる。それは知っているし、実際に言葉を交わして、あまりの違いにショックを受けたこともある。

 それでも愛花には、『孤独な人間』が理解できない。

 愛花はいつでも明るく楽しく、周囲に笑顔を振りまく女の子だ。常に友達に囲まれ、運動神経も抜群で、モデルやアイドルにスカウトされるほどのとびきり愛らしい容姿も持っている。彼女の存在を一言で表すなら『光』である。存在自体が眩しすぎて、心に闇を抱えた人間は近付くことすらできない。そして彼女のような『光』の周りには、同じ『光』を抱いた人間ばかりが集まるようになる。彼らは互いに刺激し合い、相乗効果によって、より一層『眩しい存在』になっていく。

 いわゆるスクールカーストはそうして構築されていくのだが、残念なことに、最下位に位置する『闇』を抱えた者たちは、素直にその事実を受け入れることが出来ない。互いに何の悪意もなく、ただ、自分にとって一番居心地の良い『棲み処』に落ち着いた結果。それ以上でも以下でもないのだが――。

「あれ? 鬼怒川君からメッセ来てる……?」

 鬼怒川は同じクラスの男子である。誰もが振り向く美男子と言うわけでも、秀才でもスポーツマンでもない。少々背が高いこと以外特筆すべき点の無い、ごく普通の男子生徒だ。なんとなくいつも同じグループで遊びに行くが、彼と二人きりで会話した記憶はない。

 鬼怒川からのメッセージは非常に事務的で簡潔だった。


〈飛び込み自殺した一人目の氏名が特定されました。

 瀬田川美麻、十七歳、無職。

 妙な噂を真に受けて何か言ってくるやつがいたら、俺たちにも相談してください。

 可能な限り協力します。〉


 愛花はすぐに返信した。

「『ありがとう! もしものときは、絶対皆に相談するね!』……と。鬼怒川君、あんまり目立たないけど、実はすっごくいい人だよなぁ……」

 ちょっと気になるかも、と思いかけて、慌てて頭を振る。鬼怒川は駄目だ。ダンス部の仲間、結衣が本気で狙っているという噂がある。結衣の恋路を邪魔するような真似だけは、絶対にしてはならない。

「うん! 友達の恋は、全力で応援しないとね!」

 恋も、夢も、勉強も、ほんの小さな挑戦も。愛花は友達の行動を、常に全力で応援する。どんな『おバカ動画』の撮影であろうと、法的に許されるものである限りは決して否定しない。本人が何らかの目的意識をもってそれに臨むのであれば、たとえ友達であっても、それを止める権利など持たない。愛花はそう信じて行動している。

 そう、愛花はこれまでただの一度も、誰かの夢を阻むために何かをしたことはないのだが――。

「……瀬田川さん、かぁ……なんであの人、私の名前なんか出したんだろう……?」

 不思議で仕方が無かった。

 それは二年前の、ちょうど今頃のことである。夏休みに入って間もないころ、当時同じクラスだった瀬田川美麻という女子生徒が学校に放火した。夜中に敷地内に忍び込み、教室のガラスを割ってカーテンに火をつけたのだ。

 警報装置が正常に作動し、駆けつけた警備員らによって瀬田川は取り押さえられた。

 カーテンは難燃性素材、教室の壁は不燃性の石膏ボード。火の手は広がることなく、教室の壁と天井にわずかな焦げ跡をつける程度にとどまった。

 被害が最小で抑えられたのは良いとして、問題は放火した動機である。警察で取り調べを受けた瀬田川は、『クラスメイトに復讐したかった』と供述したらしい。そしてその『クラスメイト』の中に、愛花や始鶴、鬼怒川らの名前もあったのだ。当然、警察は犯行の動機を『いじめ加害者への復讐』と認識して捜査を開始したのだが――。

「ん~……イジメるって、どうやればイジメられるんだろうね? 瀬田川さん、入学式から一か月後にはもう不登校だったじゃん。正直、もう顔も思い出せないし……ねぇ?」

 自分の隣でゴロゴロしている美の精霊、カリストに話しかける。

 生まれた瞬間から愛花を守護し続けているカリストは、愛花そっくりな顔で溜息を吐いて見せた。

「私が覚えている限り、愛花とその子が会話したのって入学式から三日後の委員決めのときに一回だけだよ? 『瀬田川さんが環境委員やりたいなら、私別の委員にするね!』って言って、譲ってあげたんじゃん? なんでそれで愛花が恨まれるのかなぁ~?」

「警察では、『みんなから仲間外れにされた』って言ってたみたいだけど……」

 愛花は当時のことを思い出す。クラスメイトらの自宅に警察官がやってきて、瀬田川の供述の裏付けを始めたのだが――。

「あの子の親がスマホもパソコンも禁止なんて独自ルール作ってたせいで、LineもTwitterもID交換できなかっただけじゃん。電話も家電話だし」

「紀元前生まれの私ですら、現代っ子にスマホは必需品ってことくらい分かるんですけどぉ~?」

「だよね? それにあの子の親、家の電話にも変なルール作ってたじゃん? ほら、前に始鶴が連絡網回そうとしたら、『夜八時以降に掛けてくるなんて非常識だ!』なんて怒鳴られたって言ってて。それ以前に何度も掛けてたのに、出なかったのはあっちだって……」

「あー、言ってたね! で、結局連絡伝わらなくて、あの子だけジャージ持ってきてなかったんだよね?」

「そう。一人だけ制服のまま見学。あれだって、何人も『ジャージ貸してあげる』って言ってたんだよ? なのに瀬田川さん、自分で『いいです』とか断ってて……」

 入学から二週間ほど経ったころ、何かのスケジュール調整で午前中が丸々空いてしまうことがあった。そのときにクラス対抗ドッジボール大会が行われたのだが、どうやらその日が不登校のきっかけだったらしい。運動部の生徒が『自分は部活のユニフォームでやるから』とジャージを貸そうとしても、瀬田川はその申し出を頑なに断っていた。

「本人が自分の意思で断って、そのまま学校来なくなっちゃったんじゃ、仲良くしようがないじゃん……」

「だよねぇ~?」

 結局警察がいくら調べても、出てくるのはクラスメイトらが瀬田川に親切にしていた事実と、親の異常な束縛だけだった。それでも親は学校と他の生徒らを訴えようとしていたようだが、何しろいじめの事実が無かったのだから、証拠などあるはずもない。その後、瀬田川本人は精神的な治療を目的とする施設に入れられたと聞いている。親がどうしているかは、誰も知らない。

「……瀬田川さん、あの後何してたんだろうね。施設、出てたんだ……」

「出ても……またあの親のところに戻されたんじゃ……」

「うん……。なんにも自由にさせてもらえないなんて、つらかったんだろうね……死にたくなるほど……」

「そう……だね……」

 ふっと気配を変えたカリストに、愛花は違和感を覚えた。

「カリスト? どうかしたの?」

「……え? あ! ううん! なんでもない! ただちょっと、何とかしてあげられなかったのかな、って……」

「うん、そうだよね。何とか、してあげたかったよね……」

 うまくごまかしたカリストは、再びスマホの画面に視線を落とす愛花に心の中で謝った。

(ごめんね愛花。多分私は、その子の親と同じ……ううん。多分、もっとひどくて……本当に最悪なことに加担しちゃったんだよ……)

 愛花には言えない。自分とニケが、異界で何をしていたか。この純粋な心の少女に、カリストは何も告げられなかった。

 カリスト本人に悪意が無かったとはいえ、彼女の行為はフォルトゥーナやルキナらを傷付ける結果となった。カリストとニケにしてみれば、あれは戦闘能力のない女神らを安全なアルテミス神殿に匿い、その代わりとして力を提供してもらう『対等な取引』のつもりだった。そのために用意した亜空間を、まさかヘファイストスがあんなことに利用していたとは。

 ヘファイストスの人格を信用し、管理を委託したのは自分たちである。当然、責を負うべき立場にある。それは分かっているのだが――。

(このままじゃ、愛花と始鶴を巻き込むことになる……でも、今は器から出るわけにもいかないし……)

 愛花とカリストはまったく同じ顔。ヘファイストスはタケミカヅチを自由にできない腹いせに、まだ幼かったサイト・ベイカーをいたぶって愉しんでいた。それと同じように、カリストの代わりに愛花を攻撃する者が出てくるかもしれない。

(駄目……愛花は、私が守らなきゃ……愛花にだけは、絶対に手出しさせない!)

 決意を固めるカリストの傍らで、愛花はスマホ画面の向こうの後輩とメッセージをやり取りしている。


〈先輩! 奇跡発生! ショップにフライヤー持ってきたタコヤキングメンバーと遭遇!〉

〈それマジ⁉ メンバーって誰⁉〉

〈ベースの伴馬場さんです! なんか意気投合して、イベントスペースでセッション始めてるし!〉

〈セッションって? あの外人さんと?〉

〈サイトさんガチでドラマーでした! ツーバスやばい! 鬼かよ! バンドやれよ!〉

〈動画撮ってないの⁉〉

〈ショップのHPかTwitter見てください! 今スタッフさんが三人がかりで撮ってるんで、十分もしないうちにアップされますよ! この店、だいたいいつもそうなんで!〉


 そう言われて、愛花は慌ててショップの公式Twitterを見た。すると、既にスタッフの一人がスマホ動画をアップしていた。


〈タコヤキングの伴馬場さんと、日本を観光中のアメリカ人(?)のベイカーさん! 店内で意気投合して、その場のノリでセッションスタート! 上手い! 何だこの観光客! 本当に素人か⁉ 実はどっかのバンドマンだろ、おい!w〉


 この店は地下にあり、店内でインストアイベントやミニライブも行えるようになっている。フライヤーやCDを手持ち納品しに来たアーティストがその場でちょっとした演奏を行うことも珍しくないらしく、ショップのツイートには毎回のように動画が添付されていた。

 ステージではサイト・ベイカーがドラムを叩き、ベースの伴馬場と二人でhideの『DICE』を演奏している――はずなのだが。

 テンションが上がりに上がっている二人は、本来のBPMより少々上げ気味に演奏している。速弾きでもピック捌きが全く乱れない伴馬場も驚異的なプレイヤーであるが、それ以上に恐ろしいのはサイト・ベイカーである。かなりアレンジを加えた高速ツーバスプレイ中に、当たり前のように歌ってみせている。マイク無しの生音でも、彼の声は鮮明に聞き取れる。つまりそれだけ発声が良く、声量もあるということだ。

「……バンドやれよ!」

 思わず、桜子と同じ感想を述べてしまう。

 パッと耳につくフレーズを演奏するギターやキーボードが無いにもかかわらず、何の苦もなく一曲終わるまで聞いていられるのだ。音楽に詳しくない愛花にも、それが非常に高度な技術であることは理解できた。

「ねえ、カリスト? サイト・ベイカーって、間違いなく魔法の国の人だよね?」

「うん。中身のタケミカヅチはともかく、サイト・ベイカー本人はネーディルランド人だよ」

「なんで日本の曲歌えるの? ドラムも完璧に覚えてるみたいだし……?」

「あ、それはね、特務部隊の宿舎に地球のCDとかレコードとか、色々持ち込まれてるからだよ」

「え? そうなの?」

「うん。普通に音楽聞いたり、アイドルの写真集見たりしてるよ? 日本語出来る人が翻訳した漫画も、海賊版みたいな感じで出回ってるし……」

「えーっ! かなり意外なんだけどーっ! だって、ほら! ジルチって人たちのほうは、なんかいかにも魔法の国って感じのところに住んでたじゃん⁉ ヨーロッパのお城みたいな、石でできた感じの!」

「あ、旧本部はね。新本部のほうはガラス張りのオフィスビルだよ? エレベーターもあるし」

「そうなの⁉ あれ? じゃあひょっとして、王立騎士団って、ファンタジー映画とかによく出てくるようないかにも騎士って感じの人たちじゃなくて……」

「どっちかって言うと、警察の特殊部隊みたいな感じ? ほら、この間テレビでやってた、テロリストと戦う映画のあれみたいな……」

「え~……なんだろう。色々と予想外すぎて、ちょっと理解が追い付かない……」

「あはは。だろうねー。私も久しぶりに向こう行って、すっごくびっくりしたんだよ? 百年前にはあんなの無かったし。魔法の国も、ここ半世紀で急激に近代化してるんだってさ」

「それ、なんかちょっと残念なんだけどぉ~? ……あっ! 誰からだろう!」

 手の中のスマホが小さく振動し、愛花宛てのメッセージがあることを告げる。愛花は慌てて通知を確認して、そのままフリーズした。

「……ウソ……」

「どうしたの?」

「……これ……」

「……マジ?」

 サイト・ベイカー本人からだった。愛花のTwitterアカウント宛てに、ダイレクトメッセージを送ってきたのだ。

 恐る恐るメッセージを確認して、愛花とカリストはきょとんとする。

「……は? どういうこと? なにそれ? 意味分かんない……」

「ちょっとカリスト⁉ 精霊でしょ⁉ 私より理解力ないってヤバくない⁉」

「や、じゃなくて、違くってさあ! ……意味は分かるんだけど、なんでそうなっちゃうの、って……」

「ああ……うん。それは思った」

「私、たぶん、状況的にサイトのこと『裏切った』ような感じだと思うんだけど……嘘でしょ? 私たちを追ってきたわけじゃないの……?」

「でも、何か怪しい気がしない?」

「そう……なのかな? けど、もしかして、本当に気にしてないとか……?」

「なにそれ。さっきはカリストのほうが油断しないでとか言ってたくせに」

「だって……いくら何でも、このメッセージってさぁ……?」

 二人は何度も、同じ文面を読み直す。


〈こんにちは! 器のほうにははじめまして、サイト・ベイカーです!

 諸事情で、来る気も無いのに地球に連れてこられてしまいました!

 何をするのも自由なのですが、向こうの世界に帰ることが出来ません!

 こちらから騎士団の仲間に接触することも禁止されている状態です!

 仕方がないので、全力で遊びまわることにしました!

 暇つぶしに演奏動画を撮られてみたので、よかったら見てください!


 なお、俺本人はニケとカリストのことはまったく恨んでいません。

 他の女神たちやタケミカヅチがどう考えているかは知りませんが、今意識があるのは俺だけなので、どうぞご安心ください。〉


 ここまで胡散臭い『ご安心ください』には、そうそう出会えるものではない。愛花とカリストはああだこうだとあれこれ話し合いながら、ごく短い文章を返した。


〈信じられるか、馬鹿!〉


 それに対しての返信は、非常にふざけたものだった。


〈ですよねーっ!


 でも、恨んでいないのだけは本当です。

 これからは会うことも無くなるでしょうけれど、カリストを可愛い妹のように思っていることは変わっていません。

 どうかこの先、こちらの世界で幸せになってください。

 もう二度と、あんな殺伐とした戦いに巻き込まれませんように。

 お二人のご多幸をお祈りしております。


 な~んてね! テヘペロ☆〉


 最後の☆マークひとつで、胡散臭さが倍増した。

「何がテヘペロ⁉ もうそんな言葉使ってる女子高生なんかいないし! 馬鹿じゃないの! もういいよ! 放っておこう! どうせ後でニケと始鶴に会うんでしょ⁉ 話はあの二人に任せて、私たちはこの先ノータッチ! それでいいよね、愛花!」

「う、うん……そうだね……?」

 カリストの反応を見て、愛花は思った。サイト・ベイカーは、カリストの性格を完全に把握している。カリストはけっこう天然で、あちこち抜けていて、奔放そうに見えて慎重――というよりも臆病で、それでいて愛花の前では『頼れるお姉ちゃん』になりたがる。そんなカリストを激昂させて自分を嫌うように仕向ける方法は簡単だ。

 少し不安にさせた後、「ドッキリでした~♪」とでも言ってからかってやればいい。

(あれ? もしかして、先に始鶴にだけメッセージ送ったのって、こうするため? この人、私とカリストを遠ざけようとしてる……?)

 そんなにニケと始鶴に会いたいのか。自分たちは、その場にいたら邪魔なのか。そう考えると、胸の奥がチクリと傷んだ。


 また、自分だけが置いてきぼりにされている。

 また、自分の知らないどこかで何かが決まり、結論だけを聞かされるのだ。

 そんなのは嫌だ、ちゃんと自分もその場に立ち会って、自分の意見を言いたい。

 そう主張したいし、その場に行きたいのに――。


(……始鶴は、来なくていいって言ってたし……)

 いつでも人の輪の中心にいる太陽のような少女、月城愛花。スクールカースト最上位の、学園のアイドル。周囲の人間はいつだって、彼女を気遣って優しく接している。面倒な話や深刻な話は愛花の耳には入れまいと、身を盾にして防いでくれるのだ。しかし、だからこそ愛花が感じる疎外感は大きい。彼女は『学園の女王様』ではなく、『みんなの可愛いお姫様』なのだ。自分の意見を言うことはおろか、意見をやり取りする場にすら上げられない。問題が発生していたことすら、最後まで知らされない立場なのである。


 愛花ちゃんを不安にさせたら悪いから。


 みんなのそんな気遣いが分かるから、愛花のほうも、自分の意見を強く押し出すことが出来ない。

(……いつも、こんなのばっかり……。始鶴はこの人と会って、何を話すつもりなんだろう……?)

 親友の顔を思い浮かべて、愛花は不安になった。

(なんか……始鶴が、遠くに行っちゃう気がする……)

 何の根拠も無いのに、なぜかそんな考えに囚われた。

 スマホの画面の向こうからは、今も大勢の友達が、たくさんのメッセージを送ってきてくれている。でも、愛花の気持ちはちっとも晴れない。

(この人は……始鶴と話したいのかな。それとも、用があるのはニケだけなのかな。『神の器』って……私と始鶴って、この人にとってどのくらい価値があるんだろう……)

 美の精霊カリストではなく、『月城愛花』というひとりの人間は、果たして彼に必要とされているのだろうか。

 愛花にとって、それは生まれてはじめて抱いた疑問だった。

(……なんでこんなに、つらい気持ちになるんだろう……?)

 常にたくさんの愛情を注がれてきた愛花には分からない。

 自分は必要とされているのか。

 その疑問と不安は、世間一般、ごく普通の人間たちにとって『たいへんよくある悩みである』ということが。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ