そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,08 / Chapter 03 〉
時刻は六時間前に遡る。
地球にやってきたレインとピーコックは、東京都墨田区江東橋にいた。ここには特務部隊が隠れ家として使用している物件がある。昭和の終わりごろに建てられた古びた賃貸マンションなのだが、近隣にラブホテルが多いという立地も関係しているのか、まともな家庭は入居していない。大多数の住人が夜の仕事に就いていて、一見しただけではどこの出身か分からない外国人も多い。
そんなマンションの一室で、レインとピーコックは畳に腰を下ろし、カップ麺を啜っていた。
「……う~ん、いまいち。コバルトの奴、なんでこんなモンが大好物なんだか……」
ピーコックが食べているのは世界一の売り上げを誇る超有名・大人気カップ麺なのだが、地球の食品はあくまでも人間の味覚と嗅覚を基準に作られている。ネコ科フラウロス族の彼には、このカップ麺は塩味も香料もきつすぎる。もっとあっさりとした、素材本来の味と香りの食品でなければ『美味い』とは感じないのである。
そうかと思えば、卓袱台を挟んだ向かい側、海洋生物シーデビル族のレイン・クロフォードは、ピーコックとは別の意味で首を傾げている。
「そうですよね~? こんな薄味じゃ、味付けしてあるのかどうか分かりませんよ~」
こちらは常に海水を吸い込み続けるエラ呼吸対応種族である。海水より塩分濃度の低いモノは、何を食べても『味がない』と言う。
金ならある。近所には深夜営業の飲食店もある。こちらの人間に変装できるだけの装飾品も小道具も、一通り室内に揃っている。けれども残念なことに、二人には人間用の食事を『美味い』と感じる味覚がない。ピーコックは電気ポットから何度も何度もお湯を足しているし、レインは食卓塩をバッサバッサと追加投入している。こんな調子では、どこのレストランに行っても満足のいく食事は取れそうにない。
「ピーコックさん、もしかして猫用の缶詰買ってきたほうが良かったんじゃ……?」
「レインこそ、塩鱈とか塩鮭とか塩漬け数の子とか……そっちのもさ、ツナマヨサラダじゃなくて、塩漬けの生ワカメとか買ってきたほうが良かったんじゃないか?」
「だって、なんか、こっちの世界の標準的な食べ物買わないと怪しまれるかな~、って思いまして……コンビニじゃあ、ヌタウナギやオウムガイは売ってませんし……」
「俺も『猫用』って書いてある缶詰食べるの抵抗あるっていうか……いや、猫なんだけどね? 猫とネコ科人間は一応別物であって、その……」
「非常食も一応持ってますけど、どうします?」
「いや、それは手を付けないほうがいい。本当に食糧が手に入らない状況もあり得るし……」
「ですよね……でもやっぱり、人間用の加工品は口に合いませんね……」
「うん……次に地球来るときは、食糧持ち込んだほうがいいかもな?」
「ですね……」
それなりに地球人らしく振る舞う努力はしているのだが、決定的に何かを外している二人。そんな彼らの様子を興味津々に見つめているのは、インカの月神コニラヤ・ヴィラコチャである。彼は紛れもない地球出身者だが、なにしろ地球に住んでいたのは五百年以上も昔の話。それも日本から見たら地球の裏側、現在の国名で言えば南米大陸のボリビアからペルーあたりの神なのだ。日本との文化的な共通点はほぼなく、見るものすべてが新鮮に映るらしい。
「あのー……コニラヤさん? そんなにじっと見つめられると、食べづらいんですけど……」
「あ! ご、ごめん! なんか嬉しくって、つい……」
「嬉しい?」
「うん! レインと一緒に地球に戻れるなんて思わなかったから♪」
「でも、すぐに帰りますからね? 隊長を連れ戻すのが目的なんですから」
「大丈夫、それは分かってる。けど……一ついい?」
「はい?」
「こっちの世界には神や天使が大勢いる。それは気配で分かる。僕がそれを察知できるように、彼らも、僕らに気付いている。たぶん、ここでこうしている間にも、僕らに接触することを考えていると思う。だから気を付けて。白虎だけじゃなくて、他の神にも警戒して」
「警戒しろと言われても……私には分かりませんし?」
レインが目だけで問いかけると、ピーコックも大きく頷いている。
人間には神の気配が分からない。向こうが自分の存在を知らせるつもりで力を誇示しているならともかく、そうでない場合は姿も見えなければ声も聞こえないのだ。
「ヘビ子さん、なんか気配とか感じてる?」
ピーコックは箸を置き、自分の右手に問いかける。すると右手は真っ黒な蛇へと姿を変え、鎌首をもたげるようにコニラヤを見る。
「お前が今気にしているのは、高速道路の向こう側の気配だろう?」
マンションの南側を東西に走る首都高速七号小松川線。その向こう、江東区毛利二丁目にあるのは都立猿江恩賜公園だ。この公園はその名の通り、天皇から東京都に下賜された土地である。
この周辺は先の大戦でもっとも深刻な空襲被害を受けた土地の一つ。一夜にして奪われた命は下町エリアだけでも十万に及ぶと言われている。それだけの数の遺体に適切な埋葬場所があるはずもなく、猿江恩賜公園は戦没者の仮埋葬場所として使用された。そのせいか、今では明るく綺麗に整備されているにもかかわらず、どことなくひっそりとした、不思議な空気に包まれている。
決して悪いものではないのだが、かといって快適とも言い難いその気配。それを気にしてそわそわするコニラヤに、黒蛇バンデットヴァイパーは重要なことを教えてやる。
「あの霊は東京大空襲の犠牲者たちだ。彼らの気配は気にせずとも良い。魂そのものはきっちり浄化されている。本人たちの気の済むまで、好きに居させてやれ」
「ですけど、ちゃんと主の元に送り届けてあげたほうが……」
「いや、それは駄目だ。彼らは空襲の日に離れ離れになった家族を、あの場所で待ち続けているんだ。彼らの待つ家族が召されるべき日が来れば、そのときには一緒に天へと昇る。せっかく長い間待ち続けたのだ。あともう少しだけ、待たせてやってくれ」
「えーと……なんでそんなことが分かるんです?」
「さっき食べ物を買いに行ったとき、宇迦殿の使いに説明された」
「えっ? 使い……?」
「ん? 雑誌コーナーで漫画を立ち読みしていた、パーカー姿の男がいただろう? あれは宇迦殿の式神だぞ? 心の声で挨拶してきたが、お前には無かったのか?」
「なんにもありませんよ!? 僕、何も聞いてません!」
「そうか? ならば、ツクヨミと顔なじみの私にだけ挨拶をしたのかな……? 野見宿禰殿と杉山殿と榎稲荷殿にも話を通しておいてくださるとのことだったが……?」
「どなたです?」
「相撲の守護聖人と、鍼灸の守護聖人と、菊川・立川エリアの守護霊獣とのことだ。その他の神々にも、私たちが侵略目的でやってきたわけではないと触れ回ってくださるらしい」
「……え? あの、ちょっと待ってください? この近辺って、一体どのくらい神的存在が……?」
「江東、墨田、台東の三区だけで百を超えると話しておられた。分祀や合祀があるから、神社の数と神の数は一致しないそうなのだが……いや、助かった。この拠点が宇迦殿の勢力圏でなければ、もっと面倒な挨拶回りから始めねばならなかっただろう」
「こ……こんな狭いエリアに、百以上の神々が……?」
「その他にも仏教の神々がいるらしい。そちらは神道とは別口だから、そっちで話を通してくれと言われた。しかし、私は天使とならば話が出来るが、インド出身の神々とは話をしたことがない」
「それ言ったら僕だって、インカ周辺の小部族の守護精霊としか……」
「大和の神々のように、話の通じる相手なら良いのだが」
「いきなり戦闘開始は、困りますよね……」
天使と月神の会話に、レインとピーコックは顔を見合わせる。
「マフィアの勢力図並みにややこしいことになってそうですね?」
「挨拶回りすることも考えて、俺たちもスーツとか名刺とか用意しとく? 髪の毛七三分けで……」
「ジャパニーズ・サラリーマン・スタイルですね?」
「猫耳と触手ヘアって時点で、ちょっと違うかなって気もするけど……」
「郷に入っては郷に従え、って言いますし?」
「一応、こっちのTPOに合わせる方向で行こうか?」
そう言いながら立ち上がり、隣の部屋の襖を開ける。六畳の和室は大量のハンガーラックと衣装ケースで埋め尽くされている。ピーコックはその中からスーツやワイシャツなどを一通り取り出してくるのだが――。
「……何か、違う気がする?」
「日本のサラリーマンらしさに欠けますよね?」
とりあえず衣装を身につけた二人は、鏡の前で首を傾げる。
そもそもの問題として、猫耳と触手のことがある。先ほどコンビニに行った際はニット帽で隠したが、スーツにニット帽は被れない。
第二に、顔立ちとスタイルの問題がある。深夜二時、マンションからコンビニまでの百五十メートルで遭遇した人間は男女合わせて六人。レインとピーコックはその六人が一人の例外もなく見惚れてしまうほどの、『完璧すぎる美形』なのである。ごく普通の安物の衣服を身につけているだけなのに、いったいどこのファッションモデルが現れたのかと二度見する格好良さなのだ。
五頭身から六頭身、どんなにスタイルが良くてもせいぜい七頭身の日本人男性に、身長の半分以上が股下の八頭身スタイルは再現不可能である。そしてそれは逆もまた然り。この二人がいくら『普通の日本人ファッション』を目指しても、どうしても悪目立ちする結果になる。
二人は互いの格好を、目を細めて批評し合う。
「ピーコックさんは、目と耳さえ隠せば何とかなるような気もしますけど……そのスーツと合わせられるような帽子、どこかにありましたよね? 夏ですし、サングラスと帽子があっても、それなりに違和感なく決まるのでは?」
「サングラス必要かな?」
「今はいいんですけど、昼間は瞳孔が……」
「ああ、そっか。地球人は瞳孔縦長じゃないもんな。レインのほうはさ、その髪、どうせ隠しきれないわけじゃん? いっそ上のほうでぎゅっと結んで、ミュージシャンとかデザイナーみたいな雰囲気にしちゃえば?」
「じゃあ、シャツも色付きのほうがいいでしょうか?」
「ラフになりすぎない程度に、ミックスカラーのストライプとか? ピアスとか指輪もつけて、と……」
「靴はどうしましょう?」
「サイズ合うのあるかな? 俺のほうは普通の革靴でいいと思うけど、お前はもうちょっとおしゃれ系の……あ、これなんかどうだ? 履ける?」
「えーと……あ、いけます。確かにそれっぽいですね、この靴」
「だろ?」
そして完成したのが、柄物シャツにテーラードカラーのついたショートベスト、超細身のスキニーパンツにエナメルと合皮のストレッチショートブーツというコーディネートである。普通のサラリーマンではないが職種によってはビジネススタイルという、ギリギリの線をついている。
帽子、サングラス、ポケットチーフやネクタイなどを身につけて、二人はもう一度首を傾げる。
「……やっぱりなんか違うよな?」
「どこがいけないんでしょう……?」
本気で困惑している二人に、コニラヤが言う。
「男なのに、槍も弓も装備していないからじゃないかな? 締まりがなくておかしいんだと思う」
インカ基準の感想である。
それを聞いて、バンデットヴァイパーも問う。
「この国の男は、地位や所属を示す目的で武器や防具を身につけることはないのだな?」
古代エジプト、メソポタミア、イスラエル、ペルシャなどの文明を基準とした疑問である。
神と天使の感想と疑問に、レインとピーコックは納得する。
「そう言われてみると、剣がないから落ち着かないのかもしれませんね」
「これじゃあ小さめのナイフくらいしか隠せないもんな?」
「日本のファッションは不便です」
「だよなー」
根本的な感性がとことんズレたまま、二人はそうだそうだと頷き合い、その他の持ち物を用意してマンションを後にした。
それから六時間後、午前八時三十分。ベイカーを探して当てもなく歩き回っていた二人は、朝食をとるためにファーストフード店に入った。結局、昨晩から一睡もせずに動き続けている。眠気覚ましの魔法薬やエネルギードリンクを飲んでいても、さすがに疲労の色は隠せない。
そんな二人の前に、一羽の小鳥が舞い降りた。
二人がいるのはJR亀戸駅前の大手ハンバーガーショップの二階席。嵌め殺しの窓に面したカウンター席に、小鳥が侵入するような開放部はない。
「え? どこから……」
「今こいつ、窓すり抜けてこなかったか……?」
「ということは……」
「どこかのカミサマ……?」
見た目は普通の鳥である。東京ではまず見ない種の鳥ではあるが、日本国内に普通に生息するシマエナガという鳥だ。雀よりも小さく、翼に黒と茶の模様がある以外は全身が雪のように白い。
ピーコックが右手を出すと、小鳥は一瞬身を強張らせた後、恐る恐るといった様子で指先に触れた。その瞬間、小鳥は心底驚いたように全身の毛を膨らませ、テーブルの上で足を滑らせてすっ転ぶ。
「あ、おい、大丈夫か?」
助け起こしてやろうとすると、小鳥はその指から逃げるように身を伏せ、そのままブルブルと震えはじめた。
「だ、だだ、大天使様がこのような場所に降臨されるなんて……いったい、何事でございますか? 主からは、何も伺っておりませんが……?」
「あれ? お前、もしかして天使なの?」
周囲の客に聞かれないよう、ピーコックは身を屈めて小声で問う。
すると小鳥はチラリと顔を上げ、か細い声で名乗った。
「天使オプティエルと申します。この付近の信徒らを守護しております」
「あ、守護天使ってやつ? なんの天使? お前も道案内とか堕天とか、なんか固有能力持ってんだろ?」
「い、いえ! 滅相もない! 私にそのような力はございません! 私はただ、信徒らがどうしても心の迷路から抜け出せないとき、ほんの少しだけ、行く先を照らす光を与える程度で……」
「へー、すごいじゃん? 十分立派な能力だと思うけど……天使的には、違うの?」
最後の問いは自分の右手に向かって発したものである。人の目がある以上、サマエルは天使の姿では顕現できない。あくまでもピーコックの右手の形状を保ったまま、心の声で会話する。
(導きの光は、天使として最も基本的な能力だ。サハリエルはそれより一つ上の能力として、『道案内』の能力を与えられている)
「ってことは、この天使ちゃんより一つ上の位階?」
(そういうことになるな)
「じゃあ、この子は結構下のほうなんだ……? あのさ、サマエルちゃん? 落ち着いて聞いてる暇もなかったけど、カミサマたちの上下関係ってどうなってるの? サマエルちゃん、七大天使ともタメ語だったじゃない? 実はかなり上のほうだったり?」
(ふむ……そうだな……お前たちの国の階級で表現するなら、創造主が国王かな? 玄武やサラのような創世神が、王に次ぐ階級、つまりは公爵あたりだ。私とルシファーはその下の侯爵で、七大天使が伯爵くらいかな?)
「え? 七大天使って、天使長がいるんだよね? 天使長より上なの?」
(一応、そういうことになる。私は『神の毒』、ルシファーは『神の悪意』を司る。私たちはこの世の善悪を明確にするために用意された必要悪のようなものだ。私たちが心を試す対象は人だけではない。主によって創られた者ならば、神も天使も、すべてがその対象となる。神羅万象を試し、導き、裁くという点では、ハロエリスやイザナギも私たちと同等の存在であると言える)
「あれ? じゃあ、コニラヤは創世神っぽい能力も持ってるから、サマエルちゃんよりも位階は上?」
(そこは判断が難しい。コニラヤは後から能力を付加されて、創世神と普通の月神の特徴を両方併せ持つから……)
ここでコニラヤ本人が、レインの口を借りて遠慮がちに自己申告する。
「僕、たぶん、間を取ってサマエルさんと同じか、もうちょっと下くらいだと思いますけど……」
(下……だろうか? まあ、本人がそう言うなら、そうなのかもしれんが……)
「七大天使が伯爵なら、サマエルちゃんと仲の良かったっていうイオフィエルとツァドキエルは?」
(七大天使より下の、子爵くらいということになるかな?)
「じゃあ、サハリエルが男爵くらい?」
(いや、あの天使はそんなに高い位にはいない。せいぜい下層労働者だろう)
「そんなに低いの!?」
(オプティエルはその下だ)
「その下って……奴隷か、服役中の罪人レベル……?」
(あくまでも、上下関係を説明しやすいようにお前の国の階級に例えたまでだぞ? この天使は罪人でも奴隷でもないからな?)
「あ、うん。大丈夫、そこは勘違いしてない。大丈夫、大丈夫」
(オプティエル、顔を上げてくれ。私は『神の毒』を司る者ではあるが、今はこの男の守護天使でもある。人を守護する者という点では、お前と何ら変わらない。どうか、対等な者として接してほしい)
「い、いえ、そんな……とても……」
(頼むオプティエル。私たちは昨日まで異界にいた。こちらの世界が今どうなっているのか、何も分からないのだ。どうか私たちに、お前の力を貸してくれないか?)
「え、ええ。私がお役に立てるのでしたら、いくらでも……」
それから先は、完全にサマエル任せだった。ピーコックとレインはモーニングセットのパンケーキを頬張りながら、天使たちの会話に耳を傾けるのみである。
創世神である四神の一柱・白虎によって、大和の国の軍神タケミカヅチが乗っ取られた。力を使い果たしてブラックアウト状態のタケミカヅチと、代わりに意識の表層に現れた白虎。その二柱を体に宿したサイト・ベイカーが、こちらの世界のどこかに来ている。自分たちはベイカーを見つけ、元の世界に連れ戻す目的でここにいる。
かなり要約した不完全な説明ではあったが、大変なことになっているという点はしっかり伝わったらしい。オプティエルは窓の外を飛ぶ土鳩や雀を呼び止め、他の教区の天使たちにも協力を呼び掛けてくれた。これはサマエルにはできない芸当である。サマエルは位が高すぎるせいで、鳥や虫たちに『近付くことも畏れ多い存在』と思われている。小動物は気軽に近寄ってきてはくれないのだ。
レインの内側で、コニラヤがぼやく。
(やっぱりサマエルさんも、小鳥さんとは遊べないんだ……。僕も、コンドルとジャガーしか近寄ってくれなくて、ちょっと寂しかったんだよね。沼地ではワニまみれだし、海の中ではサメちゃんハーレム状態だし……)
陸海空の王者以外は、神に近付くことすらできないようだ。
レインはふと気になって尋ねてみた。
(あの、コニラヤさん? もしかして、そんな『格の高い神』が同じくらい『格の高い天使』と一緒にいたら、位の低いカミサマたちは、近付いてきてくれないのでは……)
(あー……うん。そうかもしれない……)
(どうせ歩き回るなら、近隣の神社を巡って日本のカミサマたちに『タケミカヅチさんが大変です』って触れ回ったほうが手っ取り早いとか、そんなことは……?)
(そう……かもしれないね?)
(コニラヤさん?)
(なに?)
(あなた、それでも神ですか? もっと、こう、人間に何か言われる前に自分のほうから役に立つアイディアをバーンと提示できないんですか!?)
(え、い、いや、だって、僕、日本のカミサマのこととかよく分からないし……)
(そんなの私だってわかりませんよ!)
(それにほら! 僕、そういう属性の神じゃないし!)
(言い訳無用です! この無能クラゲ!)
(うわぁ! そんな!)
コニラヤの信者はレイン一人。レインの信仰心が弱まればコニラヤの姿は簡単に崩れ、クラゲのような『半透明な何か』に変わってしまう。
(うわあぁぁぁ~ん! レイン! ひどいよぉ! しょうがないじゃないかぁ~! 僕、本当に今の地球がどうなっちゃってるのか分からないんだからぁ~っ!)
自分の中で泣き叫ぶクラゲを意識の隅に追いやって無視しつつ、レインはオプティエルをつついてみる。
「わ、モフモフ♡ さっき窓すり抜けたから幻影の類かと思ってたんですけど、天使って触れるんですね?」
「え!? え!? 触……られてる!? 人間に!? なぜでしょうっ!? 貴方は、一体……?」
「私、インカの月神コニラヤ・ヴィラコチャの器でレインと申します。はじめまして」
「インカですって!? あの文明はザラキエル様に『不適切』と判断されて、丸ごと処分されたと……」
「あ、天使業界ではそういうことになってるんですか? いえ、実はコニラヤさんだけは創造主に助けられて生き延びてたんですよ。ザラキエルさんとは、もう直接会ってちゃんと話付けてますから。他の天使さんたちにも、インカの神を襲撃しないように連絡してもらえます?」
「あ、はい、それは構わないのですけれど……インカの神が、なぜサマエル様と大和の神の捜索を……?」
「その辺の問題は話すと長いので、機会があったらお話します。今はとりあえず、異界で偶然知り合って仲良くなった、という理解でお願いします。きちんと話そうとすると、本当に、本ッ当に長ぁ~い話なので……」
「は、はあ。そうですか……?」
タケミカヅチやヘファイストス、麒麟、燭陰らが戦った『マガツヒ』という存在とその他の神々の関係を説明しようとすると、魔法の国ネーディルランドの歴史を建国以前から語ることになる。生憎だが、今はそんな時間も労力もない。
パンケーキを食べ終えた二人は人目を気にせず済むよう、店を出て歩きながら話すことにした。
ここに至るまでの六時間、レインとピーコックは錦糸町から両国、浅草橋、秋葉原、お茶の水、水道橋、飯田橋まで、JR総武線・中央線沿いにベイカーを捜し歩いた。なにしろ手掛かりは何もない。地球とネーディルランドとの行き来に使える時空間の特異点が東京二十三区東部であることだけは確かなのだが、ベイカーが皇居より東側のどこに出現したのか、出現後にどこに向かったのかは何一つ分からないのだ。とりあえず主要な鉄道路線に沿って移動し、それらしい気配や他の神からの情報が得られないかと思っていたのだが――。
「え? じゃあ、天使たちはサマエルちゃんが自分たちの監査に来たと思ってたの? あれだけ歩き回っても誰も接触して来てくれなかったのって、そのせいだったわけ?」
ピーコックが肩に乗せたシマエナガに確認すると、シマエナガはピンポン玉のような丸い体を目一杯使って頷き、肯定の意を示した。
「サマエル様は確かに禁を破られましたが、あれはヒトの進化を促すため、ルシファー様をお救いになるため、やむを得ず行ったことでございます。堕天された直後に主のもとに召し上げられたのも、そのままお戻りになられないのも、主が片時もお放しにならず、ずっと傍らに置かれているためであろうと……」
「そうなの?」
サマエルに確認すると、彼女は全員に聞こえるように心語を放つ。
(ああ、そうだ。私はバンデットヴァイパーとして生まれ変わるまで、主のもとで補佐官のようなことをしていた。私が異界に転生したことは、主の他には天使長殿のみがご存知だ)
「へー……じゃあ、なんで武器なんかになっちゃったの?」
(罪を償うためだ。事情はどうあれ、禁を犯したことには違いない。自ら望み、主に償いの場をお与えいただいた)
「あ、自己申告だったの? うわー、天使って本当に律儀……。まあいいや。オプティエルちゃんは、そんな『主のお気に入り』が急に現れて自分の担当エリアで立ち止まったから、自分が監査対象だと思って挨拶しに来てくれたんだ?」
「は、はい……あの、先ほどの店の少し先に亀戸教会がございまして。私の活動拠点はその教会です。私は教育や健康を司る天使ではないので、教会併設の幼稚園への加護が行き届いていないのではないかと不安に思っておりました。てっきり、そのことでいらして下さったのかと……」
(子供たちの健康状態に問題でもあるのか?)
「いえ、そのようなことはございません。ですが、家族の方がお迎えにいらした瞬間の笑顔を見ると、幼稚園が楽しくないのではと心配に……」
(それは仕方のないことだ。幼子にとっては、父母から注がれる愛情こそが至上の恵み。友達や教師では、家族以上の存在とはなりえない)
「愛情が至上の……? それは、主の光よりも上ということですか?」
(そうだ。幼子らに、まだ主の存在は理解できまい。その身に触れて温もりを分かち合える家族こそ、彼らにとっての絶対的な存在となりえる)
「では……やはり私では、力不足なのですね? もっと頑張って、主が見守ってくださっていることを分かってもらわないと……」
(良い心掛けだとは思うが、ただ幸福にするだけでは、子供たちは主の存在に気付くことも、理解することも無い。お前がいまするべきことは、さらなる加護を与えることではなく、彼らの心を信じて、成長を待つことだ)
「待つ……だけで、良いのでしょうか? 彼らはそれで、まっすぐ育っていけるのでしょうか?」
(おや? 守護天使が人を疑うのか? お前が人を信じないのに、人にはお前と、お前の頭上にある主の存在を信じろと? 主は、そんないびつな関係を望んでおられると思うか?)
「……っ!」
サマエルの言葉に、オプティエルはハッとしたように身を強張らせた。
不足しているのは天使としての能力ではなく、自分自身の、人に対する信頼と敬愛。
その事実に気付き、恥じ入るように目を伏せる。
「ありがとうございます、サマエル様。私は、とんでもない間違いを犯すところでした……!」
(分かってくれれば、それでよい。お前は今も、守護天使としての役割を立派にはたせている。ただし、初心は忘れるな。安心と慢心は天と地ほどの差があるものだぞ?)
「は、はい! そのお言葉、肝に銘じさせていただきます!」
興奮した様子で飛び跳ねるピンポン玉のような小鳥を眺め、ピーコックは考えた。サマエルが社長秘書の如く創造主の補佐官として働いていたのなら、ひょっとしなくとも、彼女の宿主である自分は非常に重要かつ厄介なポジションに置かれているのではなかろうかと。
おいおいやめてくれよ、こちとら超がつくほどの庶民階級出身オジサンだぜ。
そんなことを思いながら難しい顔になったピーコックに、サマエルが言う。
(どうした? 怖気づいたか? スケベ中年)
からかうような声音に、ピーコックもおどけてみせる。
「そういう挑発はベッドの中だけにしてくれるかなぁ?」
(してやろうか? 右手の形状のままで。蛇にも天使にもならんぞ)
「え、それ、どんな生殺しぃ~?」
がっくりと肩を落とすピーコックに、オプティエルが言う。
「たとえ宿主であっても、サマエル様に対し、不埒な真似は許しませんよ!」
「うっそ。このピンポン玉、妨害勢力かよ……」
「ピンポン玉ではありません! この姿はシマエナガです!」
「どう見てもピンポン玉じゃん……」
「違います!」
羽根を膨らませて怒っているせいで、余計に丸く、ピンポン玉のように見えてしまう。
そんなオプティエルの斜め後ろでは、レインが待機中だ。オプティエルがわずかでも隙を見せたら、容赦なく捕獲し、モフモフする構えである。
「あ、あの、レインさん!? さ、ささ、先ほどから、私を狙っておられるようですけれど……!?」
「気のせいですよ、気のせい、気のせい。デュフフフフ……」
「なんか怖いです!?」
そんな会話を交わしながら人間二人と二体の天使、一柱の月神は亀戸駅周辺を歩き回り、何気ない話の流れから、亀戸天神に行ってみようということになった。亀戸天神はこの近辺では一番大きな神社で、勉学の神、菅原道真公を祀っている。
「私共の表現では、学問の『守護聖人』ということになりましょう。日本古来の言葉では霊的な存在は善悪・神格の上下を問わず等しく『カミ』と呼び表していたようですので、お名前を伺っただけではこちらの位階との比較がしづらいのですが……」
オプティエルが観光ガイドのように説明してくれるおかげで、これから会いに行く相手のおおよその格が分かる。玄武や青龍のように途方もなく格上の存在ではなく、元は人間だったのだ。普通に挨拶して相談を持ち掛ければ、きちんと話を聞いてくれる相手のようだ。
しかし、残念なことに道真公は留守だった。
「相すみません。本日、道真公は福岡の太宰府天満宮におられます。明日、明後日は『夏の天神祭』が行われますので、この先数日は武蔵の国にはお越しになられません」
「そうでしたか。こちらこそすみません。何の連絡もなくお邪魔してしまいまして」
「いいえ。どうかお顔をお上げください。せっかくいらして下さったのに、満足なおもてなしも出来ず申し訳なく……」
「いえいえそんな。突然の来訪にもかかわらず、お姿をお見せいただけただけでもありがたいことです」
「それはこちらの言葉でございます。ようこそお越しくださいました。ご近所ではありますが、そちらの天使様方とはなかなかお会いする機会もございませんから。あの、宜しければ、これからも遊びにいらしていただけませんか? かねがね、お友達になれればと思っておりまして……」
「なんと嬉しいお言葉! 是非是非! 私も以前から、この素晴らしいお庭の管理をされている方とお話をしたいと思っておりました! 今年の藤は特に見事でしたもの!」
「ご覧くださったのですね!? ありがとうございます! 今までで一番の出来でした!」
「次は菊祭りですね?」
「はい! 今は氏子たちが、それは熱心に育てておりますよ! 私も、精一杯応援しております!」
「楽しみです! 他の天使たちも連れて来て構いませんか?」
「ぜひいらしてください! 茶席を設けさせていただきます!」
話が盛り上がっている鳥たちを眺め、ネコ科オジサンと海産物は何とも言えない表情になっている。
彼らの応対に当たったのは、亀戸天神の守護を任されている『鷽』だった。頭と翼が黒く、頬と喉元が桃色の鳥である。スズメよりひとまわり大きなその鳥は、地面に降りたオプティエルと向かい合い、互いにピョコピョコと飛び跳ねている。
天神社の霊獣と最下級の天使とは、どうやらほぼ同じ神格に当たるらしい。対等な友達が出来て嬉しくて仕方がないようで、見ているほうが恥ずかしくなってしまうほどのはしゃぎようを見せている。
「な……なんだろう、この絵面……。これが『萌え』ってヤツか? ニヤけざるを得ない……」
中年男の率直な感想に、レインも大きく頷く。
「私たち、実はラスボス級の神とばかり遭遇していたんですね……?」
「普通の天使ちゃんがこんなにファンシーな存在だったなんて……」
可愛げが無くて悪かったな、とでも言うように、サマエルはほんの一瞬だけバンデットヴァイパーの姿になり、超高速でピーコックの後頭部をどついた。
何事もなかったかのように右手に戻るサマエルに、ピーコックは一応文句を言う。
「あのね、サマエルちゃん? オジサン、もう歳だから。そんなにポカポカ殴ると、脳ミソの血管ブチブチ切れまくりだから。ね?」
(脳下垂体のあたりだけ機能不全を起こしてくれれば良いのだがな?)
「オジサンから生きる喜びを奪わないでくれる?」
(無趣味な人生は辛いものだぞ? もう少し別のストレス解消法を見つけろ)
「あれ? もしかして俺、心配されてる? サマエルちゃん優し~い♡」
(宿主を長生きさせねば、私も共倒れだからな。下半身が使い物にならなくなる五十代、六十代からの人生を心配してやっているのだ)
「あ、いや、使い物にならなくなる前に、可能な限り頻繁に使わせてもらいたい感じなんですが……?」
(断る)
「そこをなんとか」
(断固、拒否する)
大天使と中年男の犬も食わない会話に、愛くるしい小鳥さんの戯れ。間に挟まれたレインとコニラヤは、どうしたものかと脳内会議を繰り広げる。
(コニラヤさん? ここって、私たちもいちゃつく場面でしょうか?)
(いちゃ……いや、そうでもない気がするけど……)
(でも、何かしてないと居場所がありませんよ!)
(うん、それはそんな気がする。とりあえず、その辺の観光パンフでも読んでみるとか?)
(話すほうは翻訳魔法でなんとかなってますけど、私、日本語読めませんよ?)
(大丈夫だよ。せっかく『外人さん』なルックスなんだから、その辺の観光客に『コレハァ、ナァンデスカァ~?』とか胡散臭く聞いてみればいいんじゃないかな?)
(あ、いいですね、それ。やっと使えそうなアイディア出してくれましたね)
(へへ~ん、どんなもんだい! 崇拝してくれていいよ!)
(調子に乗らないで頂けます?)
(あ、はい、すみません……)
馬鹿ップルとピヨ天使・ピヨ霊獣たちがそれぞれの会話に夢中になっている間に、レインは境内にいた観光客風の老夫婦に話しかけてみた。『タケミカヅチ』はこちらの世界では有名な神だと聞いている。観光場所に神社を選ぶくらいなのだから、タケミカヅチという名前を出せば、ゆかりの地などを教えてもらえるのではなかろうか。そう考え、軽い気持ちで尋ねたのだが――。
「あらあら、ここじゃありませんよ! ここは道真公の天神さま! タケミカヅチさまをお祀りしているのは隣の香取神社のほうですよ。主神は経津主神さまですけど、相殿のほうにお祀りされています」
「ほら、このマップのこれです、これ。裏通りからも行けますが、表通りから行ったほうが、参道があって分かりやすいと思います」
「あ、そうでしたか! どうもありがとうございます」
「日本観光、楽しんでいってくださいね」
「はい♪」
親切な老夫婦に頭を下げて、レインとコニラヤは脳内会議を再開した。
(隣!? 隣ってどういうことなんです!? どうしてこんな超至近距離に神社が二つも!?)
(あ、本当に隣……って言うか何、この地図……)
観光客向けに江東区が作成したマップである。亀戸天神のような主要な神社はイラストで、それ以外のやや小さめの社寺は●印と番号で表しているのだが――。
(神社とお寺、こんなにあるんですか!?)
(この辺はそれほどでもないけど……西半分は、なんかすごいね……?)
彼らは知らない。寺の隣に寺があるような深川エリアでも、震災、戦災の都度数を減らし、これでも江戸時代よりは少なくなっているのだということを。
「ピーコックさん! すぐ隣の神社にタケミカヅチさんが祀られているそうです!」
「え? ホント? じゃ、行ってみようか」
「ああ! でしたら私がご案内いたします! 今月は祭礼が何もない月ですので、水波さまも退屈されているでしょうし」
と、鷽が申し出てくれた。
そんなわけで、ピーコックは両肩に一羽ずつ鳥を乗せた愛鳥家のような格好で歩くことになった。道行く人々の視線を無駄に集めつつ、小鳥を連れたイケメン外国人二人は四百メートル先の香取神社へと移動する。
日本式参拝ルールに則り、鳥居の前で一礼して境内に足を踏み入れて、二人は顔を見合わせた。
空気が違う。
亀戸天神も確かに神聖な場所であることが分かる雰囲気だったが、あちらは文人の守護神。どことなく和やかな天神社と違い、こちらはもっと凛とした空気に包まれている。
「ごめんくださいませ。天神社の鷽でございます。水波さま? いらっしゃいますか?」
鷽はそう言いながら飛んでいき、本殿のすぐ右わきの、なんとも地味な井戸の縁へと降りる。
「水波さま?」
井戸を覗き込むように声を掛けると、井戸の中から一羽の鳥が飛び出してきた。
深い青と鮮やかなオレンジのコントラストが美しいその鳥は、渓流の宝石とも謳われる野鳥界のアイドル、翡翠だった。
翡翠は鷽の前に降り立ち、鷽の後ろのレインを見て首を傾げる。
「おや、まあ、珍しいこともあったもんだね。あたしゃ長いことココにいるけど、外国のカミサマが直接訪ねてくるなんて初めてだよ?」
一目で『外国の神』と気付いてもらえたコニラヤは、レインの体から抜け出し、ニコニコしながら進み出る。
「はじめまして! インカの神、コニラヤ・ヴィラコチャと申します!」
翡翠もぺこりと頭を下げ、名乗る。
「あたしゃココの守護を任されてる水波ってぇモンだよ。コニラヤさんといったね? ようこそ来なすった。それで? 何の用だい? あたしゃ気が短いほうでね。説明は手短に頼むよ」
「はい! じつは今、タケミカヅチさんを探しているんです!」
「あれま、おタケさんを? なんだいアンタ。おタケさんにお気に入りの氏子でも寝取られたのかい?」
「え? 寝取るって……もしかしてあの人、常習犯ですか……?」
「まあ、人様の色恋沙汰をとやかく言いたかないけどね? おタケさんに取られたんなら諦めな。決闘なんか申し込まないほうが良いよ。おタケさん、この国の武術は一通り守護してるからね。めっぽう強いんだわ」
「は、はあ、そうですか……じゃなくて! 違うんですよ! 僕らがタケミカヅチさんを探しているのは、彼の体が乗っ取られているからなんです!」
「は? 乗っ取られている? 何にだい?」
「白虎です。今のタケミカヅチさんは力を使いすぎて、存在を維持できるギリギリの状態まで弱っています。そのせいで、自分が『魔剣』として取り込んだ白虎に体を乗っ取られてしまいました。今、こちらの世界のどこかをうろついているはずなんですけど……」
「そ、そんな……まさか、おタケさんが……おタケさんが……」
翡翠は驚きに目を見開き、体を震わせている。コニラヤが「大丈夫か」と声を掛けようとしたのだが、それより早く、彼女は翼を広げて飛び立っていた。
「いやあぁぁぁーっ! おタケさん! 待ってて! 今すぐあたしが助けに行くわぁぁぁーっ!」
「ええっ!? ちょ、水波さん!?」
助けに行くと言っても、肝心の居場所は分かるのだろうか。青空と同化するように消えた青い鳥を待つこと十五秒。水波は飛び出して行ったのと同じ勢いで舞い戻った。
「ちょっと! おタケさんどこよ!」
「だからそれを聞きに来たんですってば! 天使たちにも協力を求めましたが、彼らはタケミカヅチさんの顔を知りません! 大和の神々ならばご存知でしょう!?」
「そりゃそうさ! あたしらは顔どころか、おタケさんのキンタマの裏のホクロの位置まで知り尽くしてるんだからね! おタケさんとは何千年も前からそういう間柄さ!」
「いえ、あの、そこまで知らなくても……他の神々にも、タケミカヅチさんの捜索をお願いしていただけませんか? 見た目はタケミカヅチさんでも、意識は別人のはずですから。発見しても迂闊に接触しないように注意を促しつつ……」
「よし来た合点! みんなぁーっ! おタケさんが一大事だってさーっ! ちょいと協力しておくれよーっ!」
そう言いながら、水波はまたもやいなくなってしまった。取り残された一同は顔を見合わせ、亀戸天神の鷽に問う。
「え~と、あの、ウソピヨちゃん? ひょっとしてあの翡翠、相当そそっかしい性格してる……?」
ピーコックの問いに、鷽は困ったような顔で答えた。
「はい……こと、タケミカヅチさまに関する話題になりますと、大抵あのような状態に……」
「あれってタケぽんの愛人?」
「の、ような間柄であると把握しておりますが……」
「他に愛人何人いるの?」
「水波能女神さまの他と言いますと……数えるだけ野暮というものでございます」
「なるほど……」
器であるベイカー同様、中身のタケミカヅチもかなりのプレイボーイということだ。あまり深入りすると余計な揉め事に巻き込まれそうな気がして、ピーコックはこれ以上この話題について尋ねることはやめた。
「さて、と。どうする? ここで水波ちゃんを待つ? それとも、どっか移動する?」
ピーコックとしてはレインに聞いたつもりであったが、コニラヤが満面の笑みで北西の方角を指差している。そこにはコニラヤがずっと気にしていたもの、東京スカイツリーがある。
「……まさか、上りたいとか言わないよな……?」
夜中、線路沿いに歩き回っていた時から、コニラヤはチラチラとスカイツリーを見ていた。ピーコックはあえて気付かないふりをしていたのだが、ついに自己申告されてしまった。
「お前……観光旅行じゃないって分かってるか?」
「わ、分かってますけど……インカにはあんな高い建物なかったし……」
「天空都市とか言われるほどの町があったんだろ?」
「あれは山のてっぺんに住んでただけで、建物自体はだいたい平屋だったし!」
「標高で言ったら何倍?」
「高さじゃなくて景観の問題です! どの方角見ても木しか生えて無かったんですよ!」
「空から街を見てみよう的なことなら自力で飛べよ! 飛べるだろ!? 神なんだから!」
「だってそれじゃレインと思い出共有できないし! こういうのはみんなで行って盛り上がりたいし! ボッチじゃつまらないじゃないですか!」
「修学旅行の班行動かよ! ってゆーかやっぱりお前観光旅行のつもりでいるだろ!? レイン! こいつなんとかしろ!」
「はい!」
レインはアホな発言をした月神の首を両手で抑え、みぞおちに容赦なく膝蹴りを打ち込む。が、しかし。神なので、あまりダメージはない。コニラヤは反省の色もなく続けた。
「だってだって! せっかく面白そうなものいっぱいあるのに、タケミカヅチさんを探し回るだけでなんにもできないなんて……なんか、もったいない感じがしない? するでしょ!? ねえ、レイン!?」
「それは確かにそうですけど……」
「あ、おい、レイン? そこで同意しちゃうんだ?」
「え? いえ、だって、率直に言って、そろそろ飽きてきません?」
「うん、まあ、そうなんだけどね? それ言っちゃったら話にならないというか……」
「正直私も、このへんで何か旅の思い出的なハプニングが起こったりしないかなぁ、なんて思っているところでして……」
「え? シマエナガと鷽と翡翠が言葉喋ってる時点で、かなりハプニングだと思うけど……?」
「もう少しインパクトが欲しいんです」
「インパクト」
「血沸き肉躍るスペクタクル巨編的な……」
「スペクタクル」
「話の成り行き上仕方なく戦って地球救っちゃうような展開もいいですよね。『タコ型エイリアンvs魔海獣シーデビル~東京大決戦~』とか……」
「さてはお前、眠いだろ」
「はい、若干。陸上では消耗が早くて……」
「よし分かった! そういうお気の毒な後輩君には、情報部特製魔法薬『マジカル覚醒剤2000mg錠』をプレゼントだ! キマりすぎないように魔法でコーティングしただけのごく普通の覚醒剤なので、飲み過ぎは禁物だゾ☆ 三錠以上飲むとオーバードーズで死亡確定♪ それともアジトで飲んだカフェインカプセルのほうが良いかな!? あっちも一日に四錠以上飲むともれなく突然死できる凶悪ドラッグだけど、任務遂行のためにやむを得ず服用する場合もあるとかないとか……」
「あ、すみません、ごめんなさい。大丈夫です、自力で睡魔と戦います……」
「あっはっは~♪ そうかそうか。頑張れ若人よ~♪」
オプティエルはこの会話に震えていた。鷽とレインは知る由もないが、サマエルは『神の毒』と呼ばれる天使である。どのような存在も、彼女の前では嘘がつけない。つまり、ピーコックの言葉はすべて事実ということだ。
(サ、サマエル様は、そんな危険な薬品を携帯している人間の守護天使に……? サマエル様、一体、この人間は何者なのでしょうか……?)
オプティエルの視線を感じながら、サマエルは素知らぬ態度で無言を貫く。この男は国家にとって都合の悪い人間を秘密裏に三百人近く暗殺している情報部エースです、とは言えない。そんなどす黒い話は、穢れ無き守護天使には聞かせてはいけない話である。
そんなこんなで、レインとピーコックはスカイツリーに移動して情報を待つことにした。いつ戻るかもわからない翡翠を待つのも大変だろうからと、鷽とオプティエルが連絡役を引き受けてくれたのだ。
結果的にコニラヤの要望に応える格好になってしまったことに、コニラヤ以外の二人と一体は、微妙な表情をもって意思表明するのであった。