そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,08 / Chapter 02 〉
スマホの画面に表示された時刻を見て、私は思わず叫んでいた。
「うっそぉーっ! もうこんな時間っ!? アラーム鳴ってた!? 鳴ってないよねぇ!?」
手にしたスマホをベッドの上に放り出し、私は慌てて服を脱ぐ。
「あ! ヤバい! 制服ベランダ!」
ブラとショーツの上に薄っぺらなロンTを着て、窓を開けると――。
「愛花! あんたまたそんな恰好で!」
隣家に暮らす幼馴染、阿久津始鶴に怒鳴られる。私の家と始鶴の家は二十五センチしか離れていない。東京の建売住宅あるある話ではあるが、ウチのベランダから隣家の窓へは、その気になれば侵入し放題な構造なのだ。
窓辺で読書中だった始鶴は私の格好とベランダに吊るされた制服を見て、すぐに状況を察してくれた。
「もー……さっさと着替えて学校行きなさい! あと、寝ぐせ! 前髪スゴイことになってる!」
「え、嘘!?」
「そっちじゃなくて反対! そう、そこ!」
「あ、ホントだ! ありがと始鶴!」
「どうせ朝ご飯食べてる暇ないでしょ? 持っていきな!」
ポンと放られたチョコレートバーを受け取り、私はビシッと敬礼して見せる。
「感謝感激、アメアラレ!」
「いいから! もう八時五分!」
「うそぉ~んっ!」
寝起きの時間感覚は、随分と大雑把になっているらしい。眠い目をこすりながらも速やかに起き上がり、パジャマを脱ぎ、制服を取りにベランダに出るまで三分もかかっていないつもりだったのに――。
「じゃ、じゃあ始鶴! また後でね!」
「ん、学校でね」
互いに軽く手を振って、部屋に引っ込む。
私はダンス部の練習で午前中から、始鶴は図書委員の活動で午後から。夏休みの間はずっとこんな感じで、別々に登校することになる。一緒に通学している学期中は、始鶴を守護する勝利の女神、ニケが私をたたき起こしに来てくれるのだが――。
「もう! カリスト! なんで起こしてくれなかったの!?」
制服に着替えながら文句を言うと、私の前に私そっくりな『もう一人』が現れる。
「え? あ、もう朝? おっはよーう……」
寝ぐせでボサボサの頭、着崩れた寝間着、腫れぼったい瞼。誰がどう見ても、たった今、この瞬間まで眠っていた人間の様子である。
「ちょっと! 私より寝起き悪いってどういうこと!?」
それでも神かと罵ってやりたいところだが、正確にはカリストは神ではない。彼女は月の女神アルテミスに仕えていた美の精霊。神的存在には違いないのだけれど、人の心を奪うこと以外、特にこれといった能力はないのだ。
「あれ? もう八時過ぎてるじゃん? 愛花ぁ~、さっさと行かないと遅刻するよ~?」
「あんたにだけは言われたくないんだけど!?」
神や精霊に、通勤通学の苦労は分かるまい。私は可能な限り手早く身支度を整え、急いで家を飛び出した。
鞄を背負って自転車に跨り、通い慣れた道を突き進む。
ふと見た街路樹の緑が鮮やかで、妙に空気が綺麗だった。
「……?」
何かがおかしいのに、何がおかしいのか、その原因が分からない。曰く言い難い違和感を覚えていると、カリストが問いかけてくる。
(どうしたの?)
(いや……なんか、空気キレイだな~って思って……)
(昨日の雨のせいじゃない? すごかったよね! ああいうの、今はゲリラ豪雨っていうんだっけ? シャワーみたいで、なんか楽しいよね♪)
(あれのせいで制服水没したんですけどぉ~?)
雨に洗われたせいなのだろうか。確かにいつものような埃っぽさは無いのだが――。
「あれ?」
駅に近付いたところで、私は異変に気付いた。駅の前に人だかりができている。タクシー乗り場とバス乗り場には長蛇の列が。
「……最悪……」
電車が止まっている。今は夏休み中。学生の利用者は少ないものの、私のように部活があったり塾に通っている子は、いつも通りの時間に家を出ている。誰もがうんざりした様子でスマホの画面を眺めていた。
駐輪場に自転車を停め、駅の入り口に張り出された手書きの紙を見る。
「人身事故のため上下線とも運転見合わせ……って、なんで!? 事故があったほうだけ止めればいいんじゃないの!?」
なにか報道されているのではないかと、私はスマホを取り出した。
案の定、どこのニュースサイトもSNSから転載された一般人の写真で溢れかえっていた。それらによると、どうやら人身事故は一件ではないらしい。
(私にも見せて♪ ……って、なにこれ。同じ駅で二件連続……?)
下り線で飛び込み自殺があった十数分後、上り線でも『二件目の飛び込み』が発生したという。現場にいた人々がTwitterやFacebookに投降した目撃談によれば、二件目の自殺者は一件目の事故処理を誰よりも間近で、熱心に動画撮影していた野次馬の一人とのことだ。突然何かに取り憑かれたように駆け出し、ホーム上にいた人々を突き飛ばしながら上り快速に飛び込み――。
「……カリスト? これ、心霊写真なんかじゃないよね……?」
B級ニュースばかりを扱うまとめサイトに、現場で撮影された『黒い影』の写真が集められていた。複数の人間が同じ場所で同時にそれを撮影している。
ほぼ人間サイズのそれは、肉眼では見えなかったという。けれどもスマホのカメラを向けると、確かに何かが写る。静画にも動画にも、しっかりと『物質』として映り込んだ謎の影。その影と二件の自殺、先月発生した同駅での人身事故を結び付け、『死者の呪い』として盛り上がっているようなのだが――。
「……どうしよう。ニケじゃないと、闇堕ちとは戦えないし……」
カリストでは、闇堕ちを浄化するほどの光を放つことは出来ない。私たちに戦闘能力は無いのだ。
(一度帰ろう? 電車動いてないなら、どうせ学校行けないでしょ?)
(うん……そうだね。じゃあ、部長にLineして……)
アプリを開こうとした、そのときだった。
複数人の悲鳴と、とても大きな音がした。
振り向いた瞬間、駅前の交差点で爆発が起こった。それほど大きな爆発ではない。トラックが電柱に衝突して、切れた電線がショートしたのだろう。ぶつかったのは助手席側。運転手はエアバックと座席の隙間で必死にもがいていて、大怪我をしているようには見えない。魔法の国でジルチとかいう人たちの戦闘訓練を見せられた後だと、それほど深刻な状況ではないと判断できる。
しかし、ここは魔法の国でもなければ日常的に爆発が起こるような物騒な国でもない。目の前で発生した交通事故とそれに伴う電線からの発火。それだけで駅前ロータリーは大パニックになった。
電車の運転見合わせと代替輸送のバス待ちで、ただでさえ不安を募らせていたのだ。必死にスマホ画面を眺めているのも、心細さや苛立ちを誤魔化すため。そんな気持ちの人々で埋め尽くされた駅前ロータリーで、激しい閃光の後、火と黒煙が見えたらどうなるか。
運転手の救助に向かおうとする人、現場から少しでも遠ざかろうとする人、SNSに上げるための写真を撮ろうとする人、どうしてよいか分からず右往左往する人――大勢の人々の一貫性のない行動によって、あちこちで無用な小競り合いと負傷者が発生している。
「……カリスト、どうしよう。駐輪場まで戻れないかも……」
私がいるのは改札が閉鎖された駅の入り口横。電車が動いていない今、人が集まっているのは駅ではなくバス乗り場側なのだ。大混乱のバス乗り場を通り抜けて、交通事故が発生した交差点の向こう側の駐輪場まで移動できるものだろうか。
(ん~……難しそうだね……)
直線距離にして、わずか百メートル。今はその百メートルの移動ができない。
(とにかく、部長に連絡だけしたら?)
(うん、そうする……あれ?)
Lineを開くと、既に他の部員たちからの書き込みがあった。うちの高校は最寄り駅がこの路線しかない。本当に学校の近くに住んでいる徒歩と自転車通学の三人以外、部長を含めた全員が『遅れる』もしくは『諦める』と言っている。
その中でも、一つ下の後輩、桜子の書き込みと言ったら――。
〈目の前で二人も飛び込んだんですけど!?
マジで今日何なの!? 駅から一歩も動けませ~ん!
練習行けないよ~!〉
人でごった返した駅構内の写真も添付されている。それは他の部員が見ればただの状況報告だろう。しかし、その人ごみの中に知った顔を見つけ、私とカリストは同時に冷や汗をかいた。
(この白髪……サイト・ベイカー!?)
(追いかけてきたんだ!)
(どうしようカリスト! この人、たぶん、私たちのこと敵だと思ってるよね!?)
(桜子に聞いてみて! こんな目立つ奴、桜子が見てないはずが無いよ!)
(だよね!)
桜子はダンス部の仲間もドン引きするほどのヴィジュアル系バンドオタク。バンギャルと呼ばれる追っかけファンとは少し違う、『日本のⅤ系バンド史』を真剣に研究している変わり者なのだ。赤髪や青髪のバンドマンを見かけるたびに、「どこそこのバンドの誰某と同じ髪型だが、ギターの好みは○○というバンドの△△君リスペクトと思われ……」などと分析を始める恐ろしい子だ。あの子ならば、こんなに綺麗な顔立ちの性別不明の白髪外国人に注目しないはずが無い。
他の部員にやり取りを見られるわけにもいかないので、私は電話を使う。
「あ、もしもし? 桜子、今大丈夫? さっきの駅の写真だけどさ、なんか別の世界の人写っちゃってない!? 信じられないレベルのイケメンがいた気がするんだけど……」
「愛花先ぱぁ~い♡ おはようございます~♡ イケメンさんいましたよ~♡ ってゆーか、今一緒にいま~す♡」
「……は?」
「観光旅行中らしいんですけどぉ、電車止まっちゃって他の移動法がよく分からないそうなんで、ご案内中でぇ~っす♡」
「え……あ、案内って、どこまで……?」
「新宿の『Kicks』ってⅤ系音楽専門CDショップで~す♡ だから先輩! 私、今日の練習行けません! ごめんなさい! てゆーかぶっちゃけ、今日って練習中止ですよね?」
「あ、うん、たぶん中止になると思うけど……えーと、気を付けてね?」
「は~い♡ あ、バス来ちゃったんで、失礼しま~っす♡」
プツリと切られた電話の後で、私とカリストは呆然と立ち尽くした。
以前、桜子本人が言っていた。バンギャルたちはⅤ系バンドメンバー、略称『バンメン』たちのスッピン顔や普段の行動範囲を特定するために、それっぽい人がいたら片っ端から声を掛けている、と。いったいどういう行動力なんだと疑問に思っていたが、こういうことのようだ。
(……え? でもこれ、もう積極的とかそういう次元じゃないよね? 目の前で飛び込み自殺二件連続発生して、そこでイケメン外国人見つけたからって逆ナンする? しないよね? さすがにそこは自重するところでしょ……?)
(うっわ~、ヴィーナス級の『空気読めない系』……)
(あれ? カリスト? なんか、気配がコワイよ……?)
(あ、ごめんね愛花。ちょっと知り合いの『友達のカレシ略奪常習女』を思い出しちゃって……)
(え? ヴィーナスって、桜子みたいな人だったの?)
(桜子を百人合体させて、顔と体の男受けレベルを限界まで高めた感じ?)
(なにそれ最強じゃん……)
(いや、でも、美の女神でもないのにサイト・ベイカーの逆ナンに成功してる時点で、桜子のほうが潜在能力は高いかも? だってあの子、見た目は割と普通だよね? 初対面の人間の懐にトークだけで入り込むって、すごい技術だと思うけど……)
敵う気がしない。もしもこの先彼氏ができたとしても、桜子にだけは絶対に紹介しないと心に決めた。
しかし、桜子のファインプレーのおかげでサイト・ベイカーの現在地が分かった。私はスマホの地図アプリでCDショップ『Kicks』を検索する。
営業時間、十一時から二十三時。現在の時刻は午前八時四十五分。桜子たちがバスで新宿に向かったなら、道が混んでいるとしてもまだ店は開いていない時間だ。あの子のことだから、店が開くまでの時間潰しと称してカフェに入って、SNSのIDなどを根掘り葉掘り聞き出してくるに違いない。
(あれ? そういえばサイト・ベイカーって、お金持ってるの? 私と違って、こっちにはそもそも存在しない人だよね? 身分証無いでしょ? PASMOとかSuicaとか、持ってないんじゃない? どうやってバス乗るの?)
(あ、それは全部持ってるはずだよ? 前に酔わせて聞き出してみたんだけど、こっちの世界で拠点として使えるように、あちこちに協力者名義のマンションや戸建て住宅があって、そこに隠してあるんだって)
(協力者?)
(政治家とか、会社社長とからしいよ? 邪魔者を消す代わりに隠れ家を用意しろって、契約を持ちかけるんだって。なんたって、ほら、特務部隊ってみんな攻撃魔法使えるでしょ? 電撃や衝撃波で殺されたら、こっちの警察じゃ捜査のしようもないし……)
(完全犯罪じゃん。てゆーかそれ、本気で怖いんですけど……)
そういう話なら、こちらでの活動には何ら制限が無いことになる。交通系ICカードもクレカもスマホも、何もかも持っているのだろう。当たり前のように地球の人間に成りすまして、ごく普通の観光客として振る舞っているのなら――。
「……ひょっとして……?」
私はインスタグラムやFacebookなどのSNSを片っ端から検索した。サイト・ベイカーという名前は、こちらの世界でも十分に通用する普通の名前なのだ。元から地球に存在しない人間なのだから、わざわざ偽名を使う必要はない。もしかしたら本名のままアカウントを作成しているのではないかと思ったのだが――。
「……デートなう……?」
アカウントを特定するどころの話ではない。サイト・ベイカーは、桜子のほっぺたにキスしている瞬間の自撮り画像をTwitterにアップしていた。
都バスの二人掛け座席で、後ろの席のハゲたオジサンの迷惑そうな顔までしっかり写り込んでいる。悲しいかな、国際交流経験に乏しい日本人はこのような場面に遭遇しても「迷惑です!」という一言が出てこない。「ま、まあ、外人さんは文化が違うからね~」などと自分の心に言い訳をして、大目に見てあげた素振りで気持ちを落ち着かせるものなのだ。
だが、この写真は『ウェーイwww』という迷惑な大学生ノリで投稿されたものではない。桜子を抱き寄せた左手でさりげなく指差しているのは、彼女が抱えているスポーツバッグである。
世界的に有名なスポーツ用品メーカー、ナイキ。ブランド名の由来は、ギリシャ神話の勝利の女神ニケ。
何も知らない人間が見ればよくある自撮りポーズで、特定の人間に向けては立派な『果たし状』となる写真である。
(……どうしようカリスト。これ、確実に……)
(ニケを探してるんだ……って、あれ? ちょっと待って? このアカウント、プロフィールってどうなってるの? この写真のためだけに開設したなら、フォローもフォロワーもゼロだよね?)
(えーと……?)
プロフィールを開くと、フォローもフォロワーも百程度。リア友同士で繋がるためのアカウントとして開設したなら普通の数だし、開設したのも二年前で、投稿内容もごく普通の旅行の写真ばかり。誰も疑問を抱くことはない『普通のアカウント』である。国籍も居住地も年齢も書かず、『旅行と音楽が好きな大学生』というザックリとした自己紹介しかない。相手によってその場でいくらでも異なるプロフィールを捏造できる、便利な表現である。
(……前からあるなら、深読みしすぎないほうが良いのかも……?)
(待って。愛花、駄目、油断しないで。あいつ、何気なくとんでもないトラップ仕込むタイプだから)
(ん~……でも、変なところなんてないし……?)
私はサイト・ベイカーのツイートを眺めていて気付いた。どんなくだらない短文ツイートにも、必ず一つは『いいね』がついている。フォロワーの中に、律儀に毎回『読みました』という反応を返す人がいるのだろうか。
何気なく『いいね』のハートをつけたアカウントを見た瞬間、背筋が凍った。
〈逃げられると思っているのか?〉
自己紹介文はそれだけだった。
フォロワー数ゼロ、フォロー数イチ。サイト・ベイカーのアカウントのみをフォローしたこのアカウントのアイコンは、王立騎士団のエンブレムである。
サイト・ベイカーの正体を知らなければ、粘着質なストーカーにつきまとわれているのではないかと心配になるようなこの自己紹介文。これこそが、サイト・ベイカーからの決定的なメッセージだ。
(……どうしようカリスト。私、今、とんでもないことに気づいちゃったんだけど……)
(なに?)
(さっき電話したとき、この人、桜子の隣にいたんだよね? だったら、たぶん見られてる……)
自分の過去ツイートを表示し、カリストに示す。そこには私と桜子の二人で撮った練習中の写真が添付されていて――。
(桜子のスマホ、アドレス帳に友達の顔写真も登録されてるの。私からの着信だと、画面にこの写真が出てたはず……)
自分の体内に宿った神的存在が蒼褪める瞬間がハッキリと体感できた。
もう一度、サイト・ベイカーのツイートを開く。
彼の腕の中にしっかりと納まっている桜子。彼女は今頃きっと、「これがさっきの電話の子で~」などと、何の悪気もなく私のプロフィールを洗いざらい喋らされているだろう。
どうしたらいいのだろう。
私もカリストも、頭の中が真っ白になっていた。まさか、こんなに早く追ってくるなんて。それもこんなに短時間でこちらの情報を掴まれるなんて。
呆然と立ち尽くす私の手の中で、スマホが振動した。
〈@SiteBakerさんがあなたをフォローしました〉
生まれてはじめて、恐怖のあまり貧血を起こした。
膝から崩れ落ちた私は、薄暗くなった視界の中で必死に電話を掛けた。そして相手が出ると同時に、泣きながら話し始める。
「逃げて始鶴……桜子は、始鶴の連絡先も写真も、何も持ってないはずだから……逃げて……今すぐ逃げて……」
けれど、やはり相手のほうが一枚も二枚も上手だった。始鶴は溜息交じりにこう言った。
「手遅れ。さっき私のアカウントがフォローされた。ダイレクトメッセージで『今夜会おう』って……」
「え……?」
「私、あんたのアカウントと相互でしょ? そこから辿ったんじゃないかな? 桜子ちゃんって、一個下のあの子だよね? 情報源が桜子ちゃんってどういうことなの? Twitterの写真見る限り、無理矢理何かされてるようには見えないけど……あの子、捕まったの?」
「う、ううん。違う。桜子のほうから声掛けたみたいで……一緒に新宿行くって……」
「じゃあ偶然なんじゃない? いくらなんでも、私たちを追ってきてほんの数時間で友達まで特定できるとは思えないし……そんなことが出来るなら、真っ先に私たちのところに来るでしょう? 人質取って脅迫なんかしなくたって、私たち、最初から戦闘力ゼロなんだから」
「え……あ、そう言われてみれば、そうだけど……」
「それに逃げるって言ったってさ、こっちは普通の高校生だよ? もうあっちの世界に行っても、かくまってくれる人もいないし。もうこの際、直接会って、ちゃんと話さないとダメだと思う。だから私、行くね。愛花は来なくていいよ。愛花とカリストがいると、いざというときに、ニケが本気出せないし……」
「う、うん……」
「それじゃ、またね。私、これから夏期講習あるから」
「あ、そ、そうだよね、ごめん……」
「教えてくれてありがと」
始鶴は優しい声で礼を言い、そのまま電話を切る。
通話を終えたスマホ画面に視線を落としたまま、私は泣いた。
状況から取り残されたような、胸にぽっかりと開いた虚無の穴。私は貧血を起こすほど怖かったのに、始鶴はあっさりと『直接会う』という選択をした。それに、サイト・ベイカーも私ではなく、始鶴のほうにだけメッセージを送っている。
「……どうして……?」
どうしていつもこうなのだろう。
美の精霊カリストと同じ顔の私。どんな人にも、一目見て『かわいいね』と優しくしてもらえる。でも、それだけなのだ。大切な話も重要な情報も、秘密の相談も特別なお知らせも、私でなくて始鶴のほうに行く。私はいつも、何かが決定してから結果だけを知らされるほうで――。
「どうしてみんな、私には何も言ってくれないの……?」
小さくてかわいいみんなの妹。私は、下級生にまでそんな扱いを受けている。違う、そうじゃないと、心の中では反論できるのに――。
「……どうして私、みんなの前では何も言えないの……?」
もう一度Twitterを開くと、桜子の後ろで迷惑そうな顔をしているオジサンと目が合った。
言いたいことが言えなくて、でもどう言えばいいのかもわからなくて、なんだかモヤモヤとするこの気持ち。私は今、きっと、このオジサンと同じような目をしているのだろう。
「……カリストも、同じ気持ち?」
自分にだけ聞こえるような小さな声。そんな声に、心の中のもう一人が頷いた。
言葉はない。泣いているような、諦めきっているような、悲しい気持ちが伝わってくる。
始鶴もニケも、心底優しい。優しいからこそ、私もカリストも悲しくなる。あんなに優しい人たちに「来なくていいよ」なんて言わせるほど、足手まといだと分かっているから――。
「私たち……本当に、どうしたらいいんだろうね……」
駅前広場で蹲るようにしゃがんだまま、泣きべそをかいた。
電車が止まって、駅前の交差点では交通事故が起きていて、現場周辺は相変わらず野次馬だらけで――不謹慎だけれど、こんな状況で良かったと思った。みんな自分や目の前の状況に手いっぱいで、他人の事なんて目に入っていない。少しくらい泣いたって、今なら、それほど変な子とは思われなくて済む。
「……もう、よく分かんないよ……」
泣く以外に出来る事がない。それだけのことしか理解できなくて、余計に悲しかった。