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そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,08 / Chapter 13 〉

 七月二十四日、木曜日。早朝、四時三十分。

 スマホのアラームで目覚めた僕は、画面の表示時刻を見て首を傾げた。

「……え? なんで僕、こんな早い時間に目覚ましなんか……?」

 いつもは六時半に起きて、菓子パンを頬張りつつ適当に身支度をして、七時を少し過ぎたあたりで家を出る。今は夏休みで授業が無い分、その通常タイムラインからさらに三十分遅れた行動で良いのだ。こんな早朝に目覚ましをセットした理由が、何一つ思い浮かばない。

「え~? 僕、なんか操作ミスった……?」

 首を傾げながらアラームを止めると、ホーム画面が表示された。するとそこには、カレンダーアプリのスケジュール通知がある。

「……? なんか、予定とかあったっけ……?」

 通知メッセージを開くと、身に覚えのない文面が入力されていた。

「……『Twitterでサイト・ベイカーを検索する! 超・重要!』……?」

 なんのことだか少しも分からない。けれども、これは間違いなく自分のスマホに保存されているメッセージだ。クラウド上に保存された文面ならばサーバーの不具合か何かで他人の書き込んだメッセージが表示される可能性もあるかもしれないが、自分の端末内のデータである以上、これは自分が入力したもので間違いなさそうだ。

 僕はアプリを開き、問題の人物を検索する。

「……え~と、サイト・ベイカーって……あ、このアカウントか。あれ? 僕、昨日この人の動画もリツイートしてたんだ……?」

 人並みに音楽は聴くが、どうやらこの動画は公式MVではないようだ。元ツイートの説明によれば、これは偶然居合わせたバンドマンたちが勢いだけで始めたセッションらしい。僕にとっては知らない人、知らない曲なので、『感動した』とか『最高!』というコメントを寄せている人たちの気持ちはいまいちわからない。ただ普通に『うまい人たちだなぁ』という程度の感想だ。

「……でも、確かにすごいな。この人、ツーバス叩きながら歌ってる……?」

 いったいどんな肺活量があればそんなことが可能なのだろうか。驚きに目を見張り、なおも動画を再生していると――。

「……あ……あれ? いや、この人……サイト・ベイカー……って! あっ! あああぁぁぁーっ! お、思い出した! そうだ! 僕、昨日……っ!」

 思い出すと同時に、スマホに着信があった。

「あ、はい! もしもし⁉」

 相手も確かめずに通話に出ると、スピーカーからひどく慌てた親友の声が響く。

「二階堂! 思い出したか⁉ 俺、マジでド忘れしてたんだけど! なんなんだよ、これ! なんで昨日の記憶がぶっ飛んでたんだ⁉」

 声の主は坂口である。だが、なんでと聞かれても、そんなことは僕にも分からない。

「何がどうなってるのか全然分からないけど、予言書の通りだよ! 僕たち、本当に動画を見ただけで『思い出した』んだよ!」

「なあ、この動画、もう一度拡散させてみようぜ⁉ どういうことだかホンッッッ……トに分からねえけど、昨日の記憶が飛んでるのが俺たちだけじゃないなら、もう一度バズるんじゃねえか⁉」

「いや、むしろ、昨日以上でしょ? 思い出した瞬間に『どういうこと⁉』って!」

「だよな⁉ じゃ、また後で!」

「うん! とにかく今は、拡散させまくろう!」

 僕は通話を切り、Twitterに、インスタに、Lineに――とにかく、自分が登録しているすべてのSNSに動画のリンクを貼って、友達にメッセージを送りまくった。昨日一緒にアラームをセットした三河島君も、僕らが電話をしている間にすでに投稿を始めていたらしい。

 さすがは夏休みというべきか、こんな時間でも寝ずにスマホをいじっている連中はいくらでもいたようだ。学校の友達や中学時代の友達、ネットで知り合ったゲーム仲間たちは、次々にこの動画を拡散させてくれた。

 僕はこの時点ではまったく気付いていなかったのだが、クラスの誰かが何気なく書き込んだ言葉がいつの間にかハッシュタグになり、そのタグのインパクトのおかげで海外メディアの目にも触れ、動画は世界中に拡散されていった。


 #集団記憶喪失


 僕にはこの現象の原因も、この動画に映っている人たちのことも、何も知らない。それでも、これだけは確信していた。

 僕らは今、『世界の何か』を動かした。

 何が動いたかは、やっぱり僕には分からない。おそらく、それを知ることが出来るのは――。

「シオン⁉ ねえ、ちょっと! アンタ、もう起きてる⁉」

 騒々しいノックの音とともに、母さんのバカでかい声が聞こえてくる。ハッとして時計を見れば、時刻は午前六時。夢中になってスマホを操作しているうちに、あっという間に一時間半が経過していた。

「起きてるけど、何⁉」

「おばあちゃんから電話! アンタに、どうしても話したいことがあるんだって!」

「え? おばあちゃんから⁉ なんで⁉」

「それがよく分からないんだけどね、ついさっき、急にお兄さんのことを思い出したとか言ってるのよ!」

「お兄さんって……ええぇぇぇーっ⁉ ニカイドウカイジのコトぉっ⁉」

 消えた記憶が蘇る。それも今日、ついさっき、唐突に。そんな不思議な現象がカイジの『予言書』に書かれたあの人物、『サイト・ベイカー』の動画をきっかけに発生したのだとしたら――。

「……ちょ……嘘……これ、マジ? 本当に……『何か』が動いて……?」

「ちょっとシオン! 早く電話出てあげなさいよ!」 

「あ、はい、今行く!」

 ロフトベッドの梯子を慌てて下りて、電話のあるリビングまで駆けてゆく。ベッドの上で僕が手にしていたものは紛れもなく『電話』であるというのに、どうしておばあちゃんはスマホより家電話を優先してしまうのだろうか。

 祖母のからの電話に出た僕は、まだ、何も分かっていなかった。

 この時点で、僕は既に『事態の中心』にいたのだということを。




 午前七時半。私は部活の後輩、桜子からのメッセージで、ある動画を目にした。

〈先輩! なんかみんな変なんです! 昨日あれだけ大騒ぎしてたバンギャさんたち、サイトさんのこと覚えてないっていうんですよ⁉ 先輩は、ちゃんと覚えてますよね⁉〉

 覚えていない。私は何も覚えていなかった。私は桜子からのメッセージに添付された動画で、やっとその人を思い出したのだ。

 その瞬間、私は気付いた。

 私はもう、事態の中心にはいないのだと。

 いや、事態の中心どころではない。私が生きるこの世界の『何か』から、私という存在そのものが除外されてしまったような――言葉では言い尽くせない、圧倒的な虚無感に襲われた。私は今もここに居て、確かに世界の一部であるはずなのに――。

「……ねえ、カリスト? どこにいるの? ねえ……お願い。答えてよ。私……どうして昨日のこと忘れてたの? ねえ、カリスト……カリストってば……っ!」

 どれだけ呼び掛けても、カリストからの答えはない。

 そう、昨日私は、自分の口で告げたのだ。私のことは、もう守らなくていいと――。

「……答えてよ、カリスト。私は……あなたにとって、何だったの……?」

 どんなに探しても、カリストはもういない。彼女の気配を感じないばかりか、彼女が自分と一緒にいた、その記憶すらもあやふやになっている。私にはもう、神的存在を感じることは出来なくなっていたのだ。

「……どう……しよう……」

 自分が『神の器』でなくなったと自覚して、急に怖くなった。私は生まれた瞬間からずっとカリストと一緒にいた。嫌なことがあった日も、つらいことがあった日も、カリストが一緒に泣いて、悩んで、乗り越えてくれた。たった一人で生きたことなど一度も無かったと、今、はじめて気付いたのだ。

「……やだよぅ……一人ぼっちなんて、やだよ、カリストぉ……」

 私は泣いた。他にどうすれば良いのかもわからない。そして涙を流すうちに、心が楽になっていくのが分かった。涙と一緒に、カリストと過ごした記憶が何もかも、別の記憶に挿げ代わっていくのだ。

 泣けば泣いただけ、私は大切な思い出を失う。それが分かっていても、私は涙を止められない。大切な物を失くしてしまうことが悲しくて、余計に涙が溢れてきて――。

「……あれ? なんで私、泣いて……?」

 ふと気づいた瞬間、私は涙を流しながら立ち尽くしていた。

 手元にはスマホ。スマホの画面には、昨日見た動画。動画に映っているその人は、まるで女の子のような、とても綺麗な顔をした男の人で――。

「……あ、そっか。えっと、確か私、この人とDMして……?」

 昨日やり取りしたメッセージを確認しようとしたが、どうやら自分で消してしまったらしい。削除されていない始鶴や桜子とのやり取り、サイト・ベイカー本人のツイートを見て、自分の気持ちを整理する。

「……一目惚れ……って、ことなのかな……? やだな。私、馬鹿じゃん。一目惚れして、DMまでしたくせに、後輩に負けちゃったわけ? それもなんか、応援とかしちゃってるし? ……馬鹿じゃん。ホント……」

 自分が泣いているのは、本当にそんな理由だったろうか。けれども、いくら考えてもそれ以外の可能性が思い浮かばない。

 何とも言えない違和感と喪失感。ぽっかりと抜け落ちた心の空白を埋めたくて、私は始鶴に電話を掛ける。

「……あ、始鶴? あのさ、えっと、なんというか……昨日のことなんだけど……」

「愛花は昨日のアレ、どのくらい覚えてる?」

「それが全然なんだよぉ~。なんか変だよね、昨日あんなに盛り上がってた動画なのにさぁ。ダンス部の後輩からラインくるまで、全然覚えて無くて~」

「……そう。本当に、変な話よね。集団記憶喪失なんて」

「そうだよね! やっぱり昨日、すっごく暑かったせいかな? 暑すぎて、実はみんな軽く熱中症にかかってたとか、そういうことだと思うんだけど!」

「かもしれないわね。ところで愛花? 今日はダンス部、練習無いの? 大会前は毎日あるって言ってなかった?」

「え? ……って! あああぁぁぁーっ⁉ 大変! ヤバい! 遅刻ぅ~っ⁉」

「さっさと支度して練習行きな」

「う、うん! ごめん! 私から電話したのに……」

「気にしないで。愛花がどっか抜けてるのはいつもの事でしょ」

「あ、ひどい! そんな本当のこと言わないで!」

「じゃ、またね」

「うん、また!」

 電話を切って、私は大急ぎで家を出る。

 始鶴の声を聞いたら、気分が楽になった。桜子に会ったらぎこちなくなってしまうかも、なんて考えていたのが酷く馬鹿馬鹿しく思える。

「うん! やっぱり、後輩の恋は全力で応援してあげなきゃね! 外国の人みたいだし、きっと遠距離恋愛になっちゃうだろうけど……頑張れ桜子! 負けるな桜子! きっと最後はハッピーエンドさ! ね! そうだよね、カ……」

 私は何かを言いかけたまま、斜め後ろを振り返っていた。もちろん、誰もいない。というより、人気のない土手道を自転車で走りながら、誰に向かって話しかけようというのだろう。家から駅までの道は、始鶴と一緒に登校するとき以外、いつも一人だったはずなのに――。

「……私、ホントにヤバいかも……?」

 頭痛や吐き気は感じていないが、やはり昨日の暑さのせいで、軽い熱中症になっているのかもしれない。今日はいつもより多めにスポーツドリンクを買おう。そう心に決め、私は学校へと急いだ。




 愛花との通話を終えた始鶴は、声を立てずに、静かに笑った。

 神の姿を見て、神の声を聞いて、同じ思い出を共有した幼馴染。その幼馴染との『せかいのおわり』を、まさかこんなところで迎えることになろうとは。

 愛花とは、もう同じ景色を見ることは出来ない。同じ体験もできないだろうし、同じ目的のために手を取り合うことも無くなる。二人が『神の器』として歩んだ世界は、今日、この瞬間に消滅したのだ。

 それでも始鶴は、少しも寂しさを感じていなかった。

 今の自分にはやるべきことがある。守るべきものがあり、目指すべきエンディングがある。創造主は自分とアチャラ・ナータに『役割』を与えたが、わざわざ命令されずとも、自分はそれを成し遂げてやるつもりである。

 古い世界は終わりを迎え、新たな世界が始まった。始鶴は確かにそれを感じているのだが、ただ一つ、納得いかないことがあった。

「……ねえ、不動明王さん? あなた、本当に私の守護者になるつもり? あなたに救いを求めている人は、世の中にいくらでもいるんじゃないかしら?」

 始鶴の問いに、アチャラ・ナータは首を横に振る。

「其方はニケ殿の忘れ形見。我は其方を守ると決めた。なぁに、何の心配もいらぬさ。我が抜けた穴は、仏神のみならず、大和の神々や天使たちも協力して埋めてくださるということであるし……」

「あ、ごめん、そうじゃないの。私はそういう意味で言ったんじゃなくてね?」

「うん? では、どういう……?」

「ぶっちゃけて本音を言うわ。私、女の子が好きなの。むさくるしい男は嫌い。ギリギリ許せるボーダーラインはヴィジュアル系の女形メンバーか、男の娘かオネエ系よ。正直、あなたみたいなマッチョって生理的に無理。どうせならもっと可愛い天使ちゃんが良かった。ねえ、今からでもチェンジできないの? 創造主のところにいっぱいいたじゃない? 男の子か女の子か分からない可愛い顔の天使ちゃんたち」

「え、い、いや、そ、そう申されても……」

「バッキバキに割れた男の腹筋なんて見てても楽しくない! 私が好きなのは女の子の柔らかいおっぱいとキャワワなお臍とセクシーなビキニラインなのよ! 股間に余計なモノがくっついてるオスなんて求めてないの!」

「その、あの……始鶴殿⁉ や、やはり女人は、女人ではなく男子を愛するのが、人としての本来あるべき姿であるとおも…」

「あるべき姿⁉ そんなの知らないわよ! あなたも女の子のおっぱい好きでしょ⁉ ってゆーか、ニケが好きなんでしょ⁉ だったらこの『好き』って気持ちに歯止めが掛けられないことくらい、理解できないの⁉」

「!」

 たしかに、誰かに恋して、もっと近くに居たいと思う気持ちに歯止めは掛けられない。だからこそアチャラ・ナータは創造主に懇願し、始鶴の守護者になることを許してもらったのだ。

 本来果たすべき『役割』を変更してもらっておいて、他人にとやかく言える立場だろうか。ここで始鶴の性癖について言及することは、自分ばかりを棚上げする卑怯者のすることではなかろうか。そう思い、アチャラ・ナータは真剣な顔で問う。

「で、では……その、女形とやらのように女装をすれば、始鶴殿の傍にいても……?」

「いいわけないでしょ⁉ やめて! 女装マッチョに二十四時間密着されるってどんな拷問⁉」

「し、しかし……我は、其方を守りたいのだ。ニケ殿が大切に思っていた其方を、ニケ殿と同じように……」

「お気持ちだけで結構です」

「それは困る……」

「私のほうがもっと困るの!」

「だが、我はもう其方の守護者として創造主にも認められてしまったのだ。いまさら元の仏像に戻ることも出来ぬのだが……」

「元の仏像?」

「然様。我ら仏神は仏像や曼荼羅を憑代とする。だから、できれば始鶴殿がお持ちの人形か何かを憑代として使わせていただきたいのだが……」

「そう言われても、人形なんてひな人形くらいしか持ってないし……あ、スマホケースに変なマスコットならついてるけど、こういうのでもいいの?」

 始鶴が見せたのは、手帳型のケースに付属しているストラップだった。本当は要らないのだが、外すのも面倒でなんとなくつけたまま使用していたものだ。

「おお! それならば、いつでも始鶴殿と一緒に居られるでござるな! では!」

 言うが早いか、アチャラ・ナータはさっさとマスコットの中に入ってしまった。消しゴムをモチーフにした『ケッシー君』というキャラクターは、まるで小学生の落書きのような顔をしている。どこをどう見ても、神の憑代にふさわしいとは思えない造形なのだが――。

「うむ! なかなかの居心地にござる!」

 アチャラ・ナータにとって、見た目は問題でないらしい。頭から直接生えた棒のような手足をばたつかせ、動作を確認している。

(……んー……はじめから可動式のフィギュアと思えば、勝手に動いてても気にならないかな……?)

 むさくるしい姿でウロウロされるより、高さ四センチ、幅二センチのケッシー君でいてくれたほうが始鶴にとってはありがたい。

「……じゃあ、まあ、いいわ。今日からよろしくね、ケッシー君」

「こちらこそ、よろしくお頼み申す!」

 声が野太いのだけは気に入らないが、無理にゆるキャラっぽい声を作られても気持ちが悪い。始鶴は大負けに負けて、現状で妥協した。




 何かが終わって、何かが始まる。

 誰かが夢を諦めて、誰かが新たな夢を見る。

 そんなありふれた世界の片隅で、一人の男が目を覚ました。

「……ん……」

 ゆっくりと開いた瞼の向こう側には、ずらりと居並ぶ仲間たちの顔。どの顔も安堵と歓喜に満たされているのだが、一人だけ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている男がいて――。

「……鼻水垂れてるぞ、ゴヤ?」

「たぁいちょおおおぉぉぉ~う!」

 ガバッと抱き着く隊員と、ベッドの両脇から顔面を舐めに来る大型犬とオオカミ。ハイタッチを交わす同期二名、ホッとした顔でへなへなと座り込む海洋種族、喜びのあまり踊り出す陽気な南方系、心電図や脳波計のモニターを見て冷静に頷く天才少年。

 それぞれの個性的な反応に、彼は苦笑交じりにこう言った。

「ただいま。ありがとう。皆のおかげで、戻ることが出来た」

「ホントのホントに隊長ッスよね⁉ タケぽんさんじゃないッスよね⁉」

「ああ。正真正銘、ホントにホントの俺だぞ? 信じられないなら何か質問してみろ」

「好きなアイドルは⁉」

「『ときめき秘密結社らぶキュン♡かんぱにぃ』のTバック社長クロノア様」

「好きな映画は⁉」

「ゾンビクエスト3~ゾンビと愉快な宇宙人~」

「うどんのトッピングは⁉」

「シメジと雉肉とレモンとバター」

「好きな言葉は⁉」

「焼肉定食」

「うちの隊のモットーは⁉」

「出前迅速」

「休日は主に何を⁉」

「セックス」

「間違いねえッス! この残念感、まぎれもなく隊長ッス! つーかいつも言ってるんスけど、うどんにレモンは邪道ッスからね!」

「何を言う! パイナップルと生ハムをトッピングするよりはまともだろう⁉」

「ピーナッツバターうどんから先のメニューは全部邪道ッスよ! どれも変わりませんって!」

「綾田うどんの邪道メニューは『全部乗せアポカリプティックうどん』だけだぞ⁉ あれだけは本当にマズかった! あれはいかん!」

「ええっ⁉ オーダーした人、はじめて見たッスよ⁉」

「えっ⁉ 注文……しないのか⁉」

「どう見てもメニュー表の後ろ半分は冗談じゃないッスか!」

「そうなのか⁉ とすると……もしかして俺は、ダイナミックに空気を読み間違えたか⁉」

「はい、けっこうわりと爆発的に! 隊長、絶対店の人と常連さんから『珍メニューの人』ってあだ名付けられてるッスよ?」

「うぅ~む……それも悪くないと薄っすら思う自分が嫌いじゃない……」

「そんな隊長が大好きな自分が若干嫌いでモヤる感じッスね……」

「それは実に青春だな」

「青春スか?」

「思春期から二十代までは、何があってもだいたい『青春だ!』と言っておけば当てはまるものだ。深く考えるな。『うわぁ、俺今、青春してるなぁっ!』と思って適当に流しておけば、案外気楽に生きられる」

「そうなんスか? でもなんか、隊長が言うと、特に根拠も無くそんな気がしてくるッスね……?」

「だろう? 『それっぽさ』なら、いくらでも醸し出す自信があるぞ」

「さすがは隊長ッスね! やべえッス!」

 ゴヤとベイカーの、いつも通り残念な会話である。ニュアンスだけで成立しているこの二人の関係に、理屈と根拠は不要なのだ。

「ところで、今、何月何日だ? 俺はどのくらい眠っていた?」

「あ、普通に翌日の昼休みッスよ? 七月二十四日、木曜日、正午チョイ過ぎッス」

「え? 本当に? それしか経っていないのか?」

「はい。つーか、そんな何日も眠ってたみたいな感覚なんスか?」

「いや、なんと言うか……俺は、不思議な夢……の、ようなものを見ていて……」

「ようなもの?」

「ああ……俺は……」

 ベイカーは一瞬、遠くを見るような目をした後、軽く頭を振って体を起こした。そして改めて医務室の中を見回し、この場に見当たらない顔ぶれについて尋ねた。

 ゴヤはなおもベイカーの顔を舐め続ける黒犬たちを取り押さえながら、その問いに答える。

「副隊長とアレちんは隊長室でお仕事中ッス! 昼休憩一時間遅らすって言ってたッスよ」

「マルコは?」

「エリックさんをクエンティン子爵のところに連れて行ってるんス。デニスに馬車出してもらって」

「うん……? エリック先輩を……なぜだ?」

 この問いにはロドニーが答えた。

「エリック先輩がモンスターと癒着したままだからです。引っぺがせる肉片は全部取り除いたんですけど、鎖骨のあたりにくっついたモンスターの肉がどうしても取れなくて。無理に剥がすと皮ごと持ってかれそうだったんで、マルコの兄貴を頼ることになりました」

「ああ、なるほど。確かにジェフロワなら、分離も可能だな? カレンがモンスターと融合したときも、綺麗に治してくれたし……」

「隊長、あのときのモンスターと今回隊長が作り出したものは、そっくり同じだったんですよね? マルコが言うには、違いなんて一つも見つけられなかったそうなんですけど……」

「……つまるところ、俺以前にも『神』と無理心中した大馬鹿者がいて、そちらはいまだに亜空間に閉じ込められたまま、ということなのだろうな……」

「隊長、お願いします。もう一度、俺にあの件を調べさせてください。あれがただの『異界の魔獣』でなかった以上、ジェフロワの母親のところに召喚符を売りに来た男っていうのも、おそらく普通のウィザードじゃありません。情報部に通常の闇ルートを探らせてるだけじゃ、絶対に見つからないと思います」

「……そうだな。では、ロドニーとトニーに、クエンティン子爵領での魔獣出現騒動の再捜査を命じる。『神』の存在を知る今なら、これまで見過ごしていたものにも気づけるはずだ。頼んだぞ、二人とも」

「了解!」

「わんっ!」

「わんっ!」

「わんっ!」

 やはりトニーは、犬の姿のときは犬語で返事をしてしまうらしい。

 大きなオオカミと大型犬三頭が医務室を出て行ったあと、ベイカーは残った隊員たちからこれまでに起こっていたことを報告される。

 集団記憶喪失と、その後に発生したDJやダンサーらによる路上パフォーマンス。市民と治安維持部隊は姿の見えない『謎のテロリスト』もしくは『凶悪なウィザード』に警戒し、貴族らは王子とベイカーの『新規事業計画』とやらに胸を膨らませてせっせとプレゼン資料を作成していて――。

「……眠っている間に、何やら色々と大変なことに……」

「この前は地球でラーメン食ってる間に英雄になってたんスよね?」

「ああ……世の中、何が起こるか分からんな。しかしレイクシティに大型モールなんて……採算は取れるだろうか……? あそこはどちらかと言えば低所得者向けの宅地造成計画なのだが……」

「マルちゃんが言い出したんスよ。今なら自分のネームバリューで、住宅地のグレードそのものを一つか二つは押し上げられるはずだって。はじめに自分たちが家の二~三軒でも買ってみせれば、会社社長クラスの連中がこぞって買い漁るはずだ、とかなんとか……」

「まあ、確かに。王子とその取り巻きのセカンドハウスがあると触れ回れば、お近づきになりたい金持ちがバンバン家を買ってくれるだろうからな……」

 ということは、俺は使う予定もない家をまた買うことになるのか。これ以上セカンドハウスを増やしても、連れ込む恋人がいなければ何の意味も無いのだが――そんな不謹慎すぎる感想を抱いたベイカーに、そっと寄り添う女がいる。

 重力を感じさせないふわりとした動作で、ベッドの上で体を起こしているその背中に覆い被さり――。

「どうせ買うなら、黒大理石の家にしましょう? 天蓋付きの大きな寝台を置いて……ね?」

 甘くささやかれたその言葉で、この場の誰もが理解した。


 ひそかにベイカーを狙っていたのは、ニケだけではなかったようだ。


 運命の女神フォルトゥーナに続き、もう一人、静電気の精霊サマナスが顕現する。

「こんなオバサンなんかにサイトはあげないんだから! ね、サイト? 僕と遊んでくれるよね?」

「誰がオバサンですって?」

「フォルトゥーナに決まってるじゃん」

「何の役にも立たない精霊如きが、よくもそんな口を利けるわね?」

「そっちこそ! 運命の女神なんて言ったって、サイトのこと、ちっとも守れてないじゃないか!」

「これまではニケが邪魔だったからよ!」

「だったら僕にはオバサンたち二人とも超邪魔だったんだけど⁉ うっざいから消えちゃってよ!」

「そうですね、消えてください」

「ぶっ……⁉」

 突然横合いから繰り出された拳に、サマナスの顔面は甚大な損害を被った。鼻血を垂れ流しながら、加害者であるポール・イースターに抗議する。

「何するんだよ! 人間の癖に精霊を殴るなんて……」

「殴られるようなヘボ精霊が悪いんですよ。というか、そこ、さっさと退いてもらえません? ベイカー隊長は僕のなんで!」

「はあっ? 何勝手に所有者宣言しちゃってるワケ⁉」

「勝手じゃありませんよ? 三歳のころに結婚を申し込みました。『法的にOKなら結婚してやるぞ』との返答をもらっています」

「ナニソレ! 三歳⁉ 馬鹿じゃない⁉ 子供の冗談に付き合ってあげただけでしょ?」

「これまでは僕自身もそう考えていました。ですが、隊長にタケミカヅチさんが憑いていたなら話は別です。あのときも、僕が本気で結婚を申し込んでいるところを目撃していたはずですから。タケミカヅチさん! 僕の本気の求婚を隊長がOKした現場に、あなたは立ち会っていましたよね⁉ 神が立ち会ったなら、あの婚約は成立しているでしょう⁉」

 急に話の矛先を向けられたタケミカヅチは、医務室の隅の丸椅子の上にちょこんと体育座りしていた。彼は何とも気まずい顔で、絞り出すように真実を告げる。

「『法的にOKなら』という条件付きで婚約が成立している。ただし、あくまでも婚約だ。まだ結婚はしていないし、ネーディルランド国籍である限り法的に許されることは無いため、完全に宙に浮いた『婚姻の宣誓』となっている。しかし、婚約者として『花嫁になる予定の人物』に貞操を守る要求をすることは出来なくもない……」

「花嫁? は? 何言ってんの? サイトがタチでしょ?」

「あ、そこは解釈違いですね。僕、第一印象から『いつか嫁にする』と決めていましたから」

「何それ絶対あり得ないし! 第一印象って、はじめて会ったのいつだよ⁉」

「僕の記憶に残っている一番古い思い出は一歳二ヶ月ですけど?」

「天性のガチ勢⁉ ウッソ、マジキモい!」

「『人間の癖に』なんて口走るほど人間を見下しているのに、その人間に抱かれたがっているド変態精霊よりは百万倍くらいまともだと思いますけど?」

「どこがまとも⁉ 種として明らかに格下の相手にグッチャグチャのドロッドロにされたいっていう被虐願望のほうが一般的でしょ⁉」

「いえ、絶対に届かない高嶺の花をどうにかして自分のいる場所まで引きずり降ろして滅茶苦茶に凌辱したいと考える支配願望のほうが、男性心理としては一般的だと思います」

「ありえない!」

「そっちこそ!」

「ねえサイト! こんなドチビより、僕のほうが良いよね⁉」

「隊長! 何の役にも立たない変態精霊なんかどっかに捨てて来てください! こんなやつ、隊長にふさわしくありません!」

 と、決断を迫られても、ベイカーに答えるだけの気力は残されていない。タケミカヅチ同様、体育座りでこの世の終わりのような顔をしている。

 黒髪に紫メッシュのパンクロック系美少年と金髪とんがり耳の超美形エルフの、大変な口論である。どちらを選んでも地獄だし、どちらも選ばなかったら手と手を取り合ってWアンチストーカーになる危険性を内包している。そしてなにより大前提として、ベイカーの性癖は完全なノーマルだ。法的にギリギリなラインで彼氏持ちの女に手を出すくらいで、それ以外の『危険な火遊び』に手を出す気はない。特に未成年の男子にはまったく興味が無いのだが――。

「だからね、サイト? 素直に私を選べば、何の問題も無いでしょう?」

 耳にかかるフォルトゥーナの吐息に、闇堕ち状態のニケに抑え込まれたときと同種の危機感を覚える。どう考えても、ハッピーエンドとは程遠い泥沼恋愛に陥りそうだ。

「サイト! 誰を選ぶの⁉」

「僕を裏切ったりしませんよね⁉」

「こんな子供より、大人の女のほうが好きでしょう? ね?」

 背後から首に腕を絡めてくる運命の女神。足元でガンの飛ばし合いを演じている静電気の精霊とエルフの天才少年。三人の壮絶なベイカー争奪戦に、医務室に残った隊員らは揃って溜息を吐いた。そして性犯罪者を見るような視線をベイカーに向けている。

 違う。違うんだ。ヤバいのは俺じゃない。ポールとサマナスのほうだ。俺に少年性愛趣味はない。あと、ニケと仲の良いフリをしていたのに実は虎視眈々と機を窺っていたフォルトゥーナもかなりヤバい。いくら俺が遊び人でも、さすがに昨日の今日で乗り換えるほど倫理観がぶっ飛んでいるわけではないぞ。俺はまだこの三人の誰にも手を出していないんだから、頼むから、そんな目で俺を見ないでくれ!

 しかし、そんな心の声が届くのは常時接続状態にある神、タケミカヅチのみである。他の神にも人間にも、自分の気持ちは言葉にしなければ通じない。

 いたたまれなくなったベイカーは、心の声でタケミカヅチに助けを求めた。

(助けろ、バカミカヅチ!)

(誰がバカミカヅチだ! 我は『器』の色恋沙汰には干渉しない!)

(色恋沙汰というか、正直、命の危機に直面していると思うのだが⁉)

(知るか! おい、ミカ! ヒハヤ! 面倒だから逃げるぞ!)

(オッケータケぽん! じゃ、頑張ってね、サイト!)

(さらばなりー☆)

(ちょ、おい、待て! こら! 消えるな! このクソ軍神どもーっ!)

 心の悲鳴は誰に届くことなく、虚しく宙に消えてゆく。神と違い、人間は空気のように消えていなくなることは出来ないのだ。この後ベイカーが仲間たちからの誤解を解くまでに三日を要すのだが、それはまた別の話である。

 そんなこんなで、結局、ベイカーは大切な話をしそこなってしまった。

 ベイカーが見ていた夢、それはニカイドウカイジと彼を守護していた天使の、奇妙な旅の思い出だった。

 彼らはいくつもの世界といくつもの時間を渡り歩いていた。それは過去の事件現場や、これから起こる未来の災害発生地、並行世界と呼ばれる分岐した運命の先の世界であった。

 ニカイドウカイジとその天使は歴史を改変し、進むべき方向を修正し、世界をより良い方向に導こうとしているようだった。

 けれどもある時、天使が堕ちた。

 自分の肩に負わされた役割の重さに耐えきれず、心が押し潰されてしまったのだ。

 いくら人を救っても、救いきれなかった人間の命は無残に失われていく。どれだけ歴史を書き換えても、戦争も飢饉も疫病の流行も、結局は回避できない。確かに救われる人数は増えているが、万人を救うことは出来ないのだ。無力感に苛まれた天使は、心の闇に呑まれ、そして――。




 どことも知れぬ、ツギハギの世界。そこは運命、歴史、現実など、あらゆる言葉で表現される『実在する世界』から取りこぼされた、『可能性の残骸』の世界だった。

 創建当時の姿を保つ江戸城の中で、カイジは弱り切った天使を看病していた。布団に寝かせた天使の体からは、いくら拭いても煤汚れのような黒いものが湧き出してくる。手拭いで何度も拭われた肌は、赤く爛れてひどく痛々しい。

「……もう真っ黒になっちゃったな……桶の水を変えてくる」

 そう言って立ち上がろうとするカイジを、天使が呼び止める。

「待って。カイジ、聞いて」

「ん? 何、サハリエル」

「君はここに居てはいけない。これは病気とか、そういうものではないんだ。僕は堕天使になりつつある。この闇は、人間には猛毒なんだよ。早く、僕から離れてくれ……」

「……君を置いてこの世界を出たら、どうせ君、出入り口を塞ぐ気だろう?」

「当たり前だよ。僕は君を殺したくない」

「だったら僕も同じだよ。僕は君を見殺しにしたくない」

「その気持ちは受け取っておこう。でも、君は人間だ。君に、僕を救うことは出来ない」

「絶対に?」

「ああ、絶対にだ」

「嘘つき」

「え?」

「大嘘つき。君、前に言っていただろう? 天使は嘘を吐くと翼の光が弱まると」

「……教えるんじゃなかったな」

「サハリエル、教えてくれ。どうすれば君を救える?」

「祈ってくれ」

「祈る?」

「ああ。堕天使は心清らかな人間の祈りで天に導かれ、主の御力で、新たな存在に作り直してもらえるんだ。君が祈ってくれれば、きっと、天への道が開かれるはずだ」

「……作り直されるということは、生まれ変わるという意味かい? 君は、君としての記憶を失うのかい?」

「おそらくは、そうなるだろうね」

「そんなのは嫌だ。君を君のまま、元通りにする方法は?」

「ないよ。本当に無いんだ。これは嘘じゃない。……僕の羽の光、弱まったかな?」

 カイジはゆっくり首を振る。

 救う方法が無いなんて、聞きたくなかった。けれど、生まれ変わることで彼女がこの苦しみから解放されるのならば、祈るしかなかった。

 両手を組み合わせ、静かに祈る。すると天から一条の光が差し込み、横たわるサハリエルを包み込んでいくのだが――。

「……ごめん。やっぱり僕は、そんなのは嫌だよ……」

 光に包まれたサハリエルの体を抱き寄せ、きつく抱きしめながら、カイジは天に向かって叫ぶ。

「主よ! お願いします! サハリエルから、僕の思い出を消さないでください! 彼女が僕を忘れたら、僕にはもう、こんな世界で生きる理由が残りません!」

 そして光は二人を包み込み、ツギハギの世界のすべてが白い光に満たされて――。




 ベイカーが見た夢は、そこで終わっていた。

 断片的で、けれども二人が世界を危機から救い続けていたことだけは分かる夢。それは世界で一番賞賛されるべきヒーローの、誰も知らない物語だった。

 自分たちがいるのは、彼と彼女が消滅したその後の世界なのだ。

(でも……だとしたら、なぜ二人は……?)

 隊員たちがオフィスに戻った後、検査のために医務室に残されたベイカーは、一人ぼんやりと考えていた。

 記憶をなくして、新たな天使として生まれ変わったサハリエル。

 体を失くして、正体不明の存在となってしまった二階堂階二。

 彼らの存在こそが全ての鍵なのに、その鍵を差し込むべき鍵穴が無い。この鍵を用いて解決すべき事象そのものが、今現在、この世界には存在しないのだ。

(……なんだろう、この違和感は。俺は……いや、俺たちは……?)

 何か大切なことを忘れている気がする。

 それは思い出せないだけで、本当は誰でも知っている、とても重大な出来事だった気がするのだが――。

(……ひょっとして……この世界は……)

 心に思い浮かべた言葉に、思わず自嘲する。何を馬鹿な妄想を膨らませているのだと、考えかけたその可能性を全力で否定しようとする。

 しかし、うまくいかない。どうしても考えてしまう。

 この世界は、いつから誤作動を起こしていたのだろう。イザナギとイザナミが不完全なヒノカグツチを産み落としたときだろうか。親子の発した闇からマガツヒが生まれたときからだろうか。それともそのマガツヒが進化し、異界に渡って朱雀を闇に堕としたときからだろうか。

 いや、地球でハロエリスやイシュタル、アスタルテやバアル、ミスラ神らが諍いを始めたころかもしれないし、ザラキエルが後先考えずにルシファーを堕天させてしまった時かもしれない。

 それとも、どうにも収拾がつかなくなった地上に創造主自らが『器』を用意し、イエス・キリストとして降臨せざるを得なかったあの頃だろうか。

(……いや、違うな。世界が本当に狂いだしたタイミングは、そんなに古い話ではなくて……)


 歴史の流れを正すべき者たちが、世界のためではなく、自分たちのために歴史を書き換えはじめたら――?


(そう……そうだ。役割を終えれば、天使は新たな役割を負うためにリセットされる。二階堂とサハリエルが『恋人同士』として愛しあっていたなら、創造主から与えられた役割を完璧に終わらせるわけにはいかなかったはずで……)

 与えられたミッションを完遂しないこと。それが二人の関係を長く保つ唯一の手段だとすれば、サハリエルが徐々に弱り、緩やかに堕ちていったことも納得できる。

 彼らが中途半端に書き換えた歴史と、そのせいで失われた可能性。また、新たに生じてしまった不完全な未来の可能性。それらの集大成が今現在の、この混沌とした世界なのだとしたら――。

(いつの時代にも『闇』は存在するはずなのに、それがマガツヒになる場合とならない場合があるのは……もしや……)

 二階堂とサハリエルによる『歴史改変』の余波。整合性の取れなくなった『いびつな歴史』のしわ寄せが、不具合を修正する役目を負うオオカミナオシに一極集中した結果なのではないか。親友が化け物に変わってしまう原因がもしそうなのであれば、自分がやるべきことは一つしかない。

「……サハリエルを使って過去に渡って、不具合の原因となった『未完遂ミッション』をやりなおせば……?」

 そんな独り言を溢すベイカーを、いつの間にか戻っていたタケミカヅチが笑っている。

(……おい、笑うな。俺だって、とんでもなくバカみたいな考えだと思っているのに……)

(いや、すまん。記憶は勝手に読ませてもらった。お前、随分面白い夢を見たな? まさか、二階堂とサハリエルがバディだったとは……)

(あれはただの夢か? それとも、二階堂からのメッセージか? 俺にはいまいち区別がつかないのだが……)

(メッセージで間違いなかろう。奴は今も何一つ諦めていない。忌々しいことに、我らを使って歴史を本来の道筋に戻し、元のサハリエルを取り戻すつもりでいるぞ)

(クソが。俺たちを手駒扱いとはな……。しかし、取り戻すということは、やはり記憶の復元は可能なのだな?)

(ああ。アルテミスから説明されただろう? 神のデータは、創造主がバックアップを取っていると)

(あ! そうだ! それについてだが、おい、バカミカヅチ! なぜ俺にまで隠していたのだ⁉ 俺は神を剣に変えるところまでしか知らなかったぞ! どの神も完璧に復元できるなんて聞いていない!)

(言ったらお前、自分好みの天使と女神を片っ端から捕まえて囲うだろ? ヤルとき以外は剣に変えて封印しておけるんだし……)

(馬鹿者! 誰がそんな破廉恥な真似をするか! ちゃんと口説いて、都合の合うときだけほどほどに付き合う適度な距離間のセフレになるに決まっているだろう! 監禁も無理強いも俺の趣味ではない!)

(ふむ……セックスフレンドなる関係は破廉恥ではない、と……?)

(妾を囲うことは女性の尊厳を無視した行為だが、セフレは互いに自由意思だ。イマドキの貴族は男女平等に、自由で開放的な恋愛を楽しむものだぞ)

(うぅ~む……理屈としては合っているように聞こえてしまうのが怖いな……)

 タケミカヅチが言いたいのは不特定多数との性的関係は倫理的に如何なものか、ということなのだが、ベイカーが問題点として捉えるポイントは相手の合意の有無のみである。お前なんか性病に感染して痛い目を見てしまえと思いつつ、タケミカヅチは話を戻す。

(さて、どうする? 歴史を書き換えると言っても、並大抵の労力でかなうこととは思えんぞ? 失敗すれば、未来は今以上に滅茶苦茶なことになりかねんし……というか、現状、リスクのほうが大きかろう。反対する神もかなり大勢いると思うが……?)

(それがどうした? 心強い味方と敵の敵、利用できる敵がいれば、どんな不利な状況でも覆せるものだろう? 全てはやり方次第だ。ショッピングモールの新規出店と大して変わらんさ)

(何をする気だ?)

(俺の見た夢をそっくりコピーして、接触可能な神と天使全員にばらまいてくれ。天使はかなりの数が反対もしくは判断保留組に回るだろうが、大和の神と仏神の大多数は協力してくれると思うのだが?)

(ふむ……そうだな。大和だけで一千万ファミリーを突破しているし、他の神族を全て敵に回しても押し切れるか……? うちのクソ親父には怒られそうだが……まあいい、やってみよう。なあ、フォルトゥーナ? お前はもちろん、我らの味方になってくれるだろう?)

 タケミカヅチは医務室の隅でくつろぐフォルトゥーナに、ベイカーの記憶をコピーしてやる。すると彼女はその内容をチェックするなり、獲物を見つけた女豹の目で笑った。

「味方ですって? 何を言っているのかしら? 私は運命の女神よ? 歴史はあまたの運命が複雑に絡みあって創りあげられた芸術作品のようなものなの。その歴史を、私を無視して勝手に書き換えたですって? もうその時点で、サハリエルと二階堂は私の敵よ。私はあなたたちの敵の敵! それ以上でも以下でもないわ!」

 言い切ると同時に、フォルトゥーナは運命の歯車を可視化させる。

 女神の背後に展開される数千、数万、数億の歯車。彼女は二人の心語の会話を聞きながら、既に己の能力を使い始めていたらしい。

「さあ、タケミカヅチ? すぐにでも始めましょう? まずはこの世界にいるすべての神に、私が同時に『記憶』を届けてあげる」

「怖い女だなぁ? だが、嫌いじゃない」

「あら、ごめんなさい? 私、どうせ同じ顔なら若いほうが良いかも?」

「うぬ……残念。フォルトゥーナは年下好きか……」

 大和の軍神と運命の女神、軍神の器は、三者三様に笑みを浮かべる。




 革命戦士ニカイドウカイジ。たった一人で世界に挑んだ男の戦いは、この日、この瞬間から、地球、異界、その他すべての並行世界を巻き込んだ『歴史の大改革』へと変貌を遂げた。


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