これも所謂ラッキースケベでしょうか
「俺はパンツが見たいんだ。なあ宮脇さん、聞いてるか?」
エレベーターの隣に乗っていた和泉係長のトンデモ発言に、私、宮脇凛は完全に固まってしまった。
そのままフリーズした私を取り残して、係長は喫煙室のある階でふらふらとエレベーターを降りていく。
係長の歩みに合わせて廊下の先まで順に、パッと点灯していくLEDの灯り。
それがエレベーターの分厚い扉に遮られて、ようやく我に返った。
え? え? なにあれ。
いつもは真面目が服を着て歩いていると言われる和泉弘樹さん。
彼のご乱心に、エレベーター内の女子社員は全員茫然自失だった。
そう、エレベーター内は私達二人だけじゃなかった。定員十五名のエレベーターには、残業して一緒に退社する私を含めた女子社員三人と、喫煙室に向かう和泉さんの四人が乗り合せていた。
「なになに、和泉君と凛ちゃんはそんな関係だったの!? なんで私に教えてくれないのよう」
一番最初にショックから立ち直って口を開いたのは、私の新人時代の教育担当で、今も師匠と崇める先輩橘美幸さん。彼女は和泉さんの同期だ。
「と言うより、和泉係長こちらをお構いなしに一人でしゃべってましたよね。あれは噂のドッペルゲンガーって奴じゃないですか。それか、仕事がきつくて生霊となって彷徨っているとことか」
このちょっとずれた意見は、私の同期で一番の仲良しの片岡悠里。彼女のマイブームは独特で、今は社内七不思議に凝っている。築三年の本社にはあんまりいわくをこじつける素材がないと、この前ぼやいてた。こじつけるんかい。
「うーん、でもどう見ても暑さと忙しさで壊れちゃってる感じでしたから。係長の名誉のために、今日のことは私たちの胸に秘めておきましょうよ」
名指しされちゃったことには触れずに、お茶を濁しておく。
「まあ、ただでさえ生産の増える夏にプラスして、長期休暇前のクッソ忙しい時期に、特急の海外向の治工具なんて入ったら、ああもなるわよね」
美幸さんが慈愛に満ちた聖母のような目をする。営業部でこの仕事を取ってきた張本人の、旦那さんの顔を思い浮かべているのかもしれない。小さな声で「お盆の帰省はあの人ひとりで行かせようかな」などと言ってるから確実だ。聖母の頬笑みの時の美幸さんは怒っている。後輩としての経験則です。
いや、お仕事を取るのは良い事なんだけどね。何処にだってキャパシティーってのがあるから。
「そうそう。昨日も白井課長が自販機に話しかけてる姿見ちゃいましたよ」
と、悠里も続ける。
製造部の課長は、新たな出会いを自販機に見出してしまったらしい。
「しかも製造部長が海外出張の時に限って、ですしね」
私も溜息まじりに話の最後を締めくくった。
私たちは全員生産本部に所属している。
うちの会社の生産本部は社長の社内改革とかで、製造部以外にも、企画部や業務部を内包している。私たちはその中で事務を担う業務部に所属。伝票や書類の発行、発注書や見積書を揃えたりと、どちらかというと営業事務に近い。生産畑からは離れた部署だ。
今まで製造部門との直接やり取りはあまりなく、営業や設計を通すことが多かった。
だから最初この方針を知った時は、首を傾げたものだ。
そんな中、一週間前にお得意先から頼みこまれて断れずに、営業が製造部にねじ込んできた仕事が、海外向け治工具の製作。
治工具は工作物や製品を作る時に、固定するための装置のこと。ただの鉄の受けだけのものもあるけれど、製造ライン用のセンサータッチパネル搭載機もある。一品一葉の物も多い。
製造部はこれのせいでてんやわんやの大騒ぎを繰り広げている。国内向けならまだしも、海外向けは使用説明書の作製だって手間だし。
しかも部長不在時に持ち込まれたせいで、課長以下旗振りがオーバーワーク気味。
製造部の課長は自販機とお友達になり心を通わせ、係長の和泉さんはパンツ発言。事情を知らない社員相手なら、立派なセクハラで大問題かもしれないが、現状を知っているだけに何も言えない。
あそこの部署、休日返上もいいところって状況になってる。
勿論みんな家に帰して終業時間を守らせてはいるけれど、ほら、役付きの人は残業関係ないし。心配でどうしても夜勤組の方にも顔を出しているみたい。
「ちょっと、お手伝い出来ないものですかね」
さっきの和泉さんは、目が死んでた。
いつも話す時に、真っ直ぐこちらを見てくれる和泉さんの目、好きなんだけどな。今日は微妙に視線がぼんやりしてた。
税関を通す期限の八月二日まであと少し。
大詰めの正念場だからこそ、ミスと怪我に気をつけなきゃいけない。少しでもそのリスクを減らしてあげたい。
「課長に相談してみるわ。どっちみちインボイス関係の手配はこっちで受け持たなきゃだし」
そう言ってくれた美幸さんの頼もしい笑みに、悠里も私も頷いた。
「ええと?」
普段いない製造部の部署に現れた私を見て、和泉さんは頭に疑問符をいっぱい浮かべている。
「と言う訳で、代用のきく部品の購入発注はこちらで全面的に手配することになりました。リスト化させて頂きますので、少しだけお時間くださいね」
リスト化とデータ品番検索は、こちらの本業なのだ。既成加工品に当てはまるかどうかの選定は、どうしても組付けをしていく和泉さんたちに見てもらわなければならないけれど、その前段階の絞り込みは任せて欲しい。営業さんからは度々見積り関係で頼まれてたから得意ですとも。
客先からも海外に提出する非該当証明(危険物に該当していないことを証明する書類)さえ添付すれば使用しても良いと、許可を取った。これは営業さんが。さすがにお客さんも今回の無茶はまずかったと思っているみたいで、協力的で助かった。
製造部が抱えている仕事はこれだけじゃない。夏期は猫の手も借りたいほど忙しいのが通年なのだ。
だから、ほんの少しだけでもお手伝いしたい。
社長が、会社の組織図の同じ生産本部内に業務も入れ込んだのは、こういうことを進めるため。今まで部署同士のライバル意識や仕事の違いで、スムーズには回って動いていなかった。
けれど今、かちりと歯車が合う予感に、私はちょっぴりわくわくしている。
忙しくて、目の下に疲れが滲み出てるような人を前に不謹慎かな。
でも、今までは立ち話や社内交流くらいでしか縁のない、和泉さんの側でお仕事出来るのが嬉しかったりする。
いつも真面目で部下思いの和泉さんは、私の密かな憧れだから。
こっちの気持ちのほうが甚だしく不謹慎なので、しっかり気を引き締めて笑いかける。
仕事中、仕事中。
「助かるよ、宮脇さん」
そう言って笑い返してくれて、丁寧に発注部品の選定に付き合ってくれた和泉さん。
私は危うく気持ちが溢れそうになって、少し困った。
うん、やっぱりあのパンツ発言は幻聴だったのかも知れないな!
八月二日、午後一時。
なんとか冶工具は間に合った。
色々とトラブルもあったけど、輸送業者に部品を荷姿にして手渡せた。書類も全てメール済み。税関通過の連絡と、荷の乗る便名も返信が来た。
今日は製造部には半休が言い渡されている。
ようやく出張から戻った部長から、課長や和泉さんにも帰宅命令が出た。
私はがっかりしたような、ほっとしたような気分で定時まで過ごした。
そもそも和泉さんのことだから、終業時間ぎりぎりまで完成にかかる筈がない。
短い間だったけれど、一緒にお仕事をさせてもらって実感した。
仕事にプライドを持ってて、頑固だけれどとっても素敵な人。
修羅場の中で育った不謹慎な私の恋心は、更に大きくなって苦しいくらい。
だからいつものように美幸さんと悠里と定時で上った時、残業続きでへろへろのはずの和泉さんを玄関外で見つけて、自然と走り寄った。
もういないと思っていたのに。
「どうしても宮脇さんに礼を言っておきたくて」
そう言って、和泉さんは照れたように笑ってくれた。
一度帰って仮眠を取って、再度会社に顔を出したらしい。
「お仕事ですもん、当然です。和泉さん、お疲れ様でした」
うう。気の利いた言葉が出てこない。仕事だからってちょっとそれはないでしょうよ!
にこにこしながらも、緊張でセルフツッコミをしてしまう。
「ああ、お疲れ。本当にありがとう。宮脇さんが担当で助かった。仕事の面もだが、君の顔を見ると疲れが吹っ飛ぶというか、あーその、上手く言えないんだが。……参った」
困ったように和泉さんの眉が八の字になってる。大きな男の人がしょんもりしながら頭を掻いている姿は、めちゃくちゃ可愛い。
これはもう、自惚れてもいいのだろうか。
お友達枠くらいには加えてもらえるかな。
真っ赤になっているのを自覚しながら、私も口を開こうとしたその時、一陣の風が吹いた。
今日のスカートは膝丈のフレア。
淡いピンクのお気に入り。
それが目の前にふんわりと踊った。
和泉さんがパンツを見たいって言ったのは、錯乱中でちょっとおかしくなってたから。
でも名指しで見たいって言われたら、意識しちゃうよね。
それまで私はブラジャーの可愛さに拘ったことはあっても、パンツに気を使って来たことは無かった。だって、大抵ブラとセットで買うし。そうすると先に選ぶのは、どうしたってブラの柄やら形やらだもの。
けれど、意識し始めてみるとパンツにも拘りどころは満載だった。
選ぶ楽しみは二倍になった。
仕事は私服だけど、私はいつもパンツルックだ。あ、ズボンの方ね。
けれどレースたっぷりのパンツだと、ラインが出て都合が悪い。
そうすると、スカートが多くなる。
素足で過ごせる勇気と冷房の寒さ耐性はないので、ストッキングは必須。
けれど、ストッキングのあのペッタリ感が嫌で、私は人生で初めて、ガーターストッキングの購入に踏み切った。
あの、腿で吊るやつです。
店員さんに乗せられたってのもある。けれど、ガーターとお揃いの下着は、最強に可愛いと気付けたのは収穫だった。
そんな感じで新たな扉を開いちゃった集大成として、今日はスカートにガーター装備なのです。
だって今日は八月二日――――パンツの日だし!
もちろん実際に見せるつもりなんて無かった。
なのに目の前には和泉さんがいますよ!?
「俺とつきあってくださいっ――ぶはっ!?」
舞い上がるスカート。
しかも奇跡みたいなタイミングで告白が入ってしまいました。
それからは大爆笑の嵐だった。
笑っていたのは目撃者の美幸さんと悠里。
私は恥ずかしくてスカートの裾を押さえて蹲っていた。
ガーターとお揃いパンツのコンボを見られたああああ!
でもちょっと、お気に入りにしておいて良かったとか思う私もいて、それが更に恥ずかしくなるという悪循環。
しばらく顔を上げられなかった。
けれど和泉さんも、鼻血を流しながらこれまた蹲っていたらしい。
見ていないので、美幸さんと悠里に後から聞いたのだけれど。
鼻血なんて、これまでの疲労が一気に出たのかな。
翌日、仕事終わりに和泉さんに捕まって、「責任を取らせて欲しい」と土下座しながら再度交際を申し込まれることになるんだけれど。
「パンツが見たい」発言は、仕事に疲れすぎて立って見る夢かと思って、つい本音が出たなんて真相は、結婚してからようやく教えてもらえました。
たぶん弘樹さんは、むっつりスケベってやつだと思う。
ぎりぎりセーフ。パンツの日。
お目汚し失礼しました。深く反省しております(満面の笑みで)
16.08.03 治具→治工具へ変更しました。