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だから、もう、僕のために死なないで

 また、トラックに轢かれて死んだ。


 ゆっくりと、瞼を開ける。暗闇が晴れると目の前に横たわる彼女と色とりどりの花が見えた。それは、僕がもう見たくないと、何度願ったか分からない光景だった。彼女の葬式の光景だった。


 彼女の名前は三木みつき彩音あやね。僕の、最愛の人だ。


 彩音と僕は幼馴染で、ゆっくりと絆を育み、それが愛に変わった。結婚して、来月には式をあげる予定だった。

 神様、彩音、どうしてだ。

 僕は、彩音さえ幸せならそれでいい。もちろん幸せにするのは僕でありたいと願っているけれど、彩音が幸せになれるなら隣にいるのは僕じゃなくてもいいんだ。どうして、僕の願いを聞いてくれない。


「ケケ、あんたらは本当、似たもの夫婦だなァ」


 ボワンと、魔法のランプから出てくるアラジンのように、悪魔のような神様が現れる。こいつは、決まってこのタイミングで現れる。初めて会ったのも、僕が彩音の棺の前で今みたいにうなだれている時だった。


「まだ、夫婦じゃない」


「そうかい、まァ、どっちでもいいが」


 神様は、面倒そうに言った。

 それもそうだろう、似たようなやり取りを何度かした記憶がある。


「それで、まだやるのかい?」


「当然だ」


「ふーん、あんたらは本当にお互いを想ってんだなァ。妬けるよ」


 神様がくるんと人差し指で円を描く。僕の身体が、シャボン玉のような光の粒になって、空間に溶けていく。


「せいぜい頑張りなァ、ケケケ」


 神様が、消えゆく僕を見て楽しそうに笑う。

 やはり、こいつは神様ではなく悪魔かもしれない。

 それでも構わない、僕は彩音を助けなければならない。自分の命を犠牲にしても、諦めない。絶対に、助ける。







 視界が真っ白に染まって、次に目を開いた時には、そこはさっきまでいた葬儀場ではなかった。

 八王子駅前の、時計の下。彩音とデートの待ち合わせをしていた場所だった。僕は、左手の腕時計を確認する。10時35分、今から30分後に、彩音は車輪がバーストして暴走したトラックから僕を庇って死んでしまう。

 あの神様のおかげで、僕はこうして過去をやり直すチャンスを貰っている。だが、今まで数十回はチャレンジして、僕はまだ彩音を助けられていない。


「光一くん!」


 彩音が僕を呼ぶ声がした。この日、彩音は珍しく待ち合わせに遅れてきた。彩音は心配症だから、僕が怒ってないか心配だったのだそうだ。

 僕が笑って手を振ってやると、嬉しそうに駆け寄って来てくれる彩音の姿を見て、心底愛おしいと思う。


「遅れてごめんね」


「いいよ。5分しか遅れてないし」


 僕が手を差し出すと、彩音は右手の手袋を外してその手を振って見せる。

 ああ、何度見ても、彩音が可愛くて僕はどうにかなってしまいそうだ。

 わざと分からないふりをしていると、彩音は「もう!」と拗ねて、僕が差し出した左手の手袋を外して、自分の右手をそっと絡めた。


「えへへ」


 拗ねていたのに、僕と手をつないだとたんに笑顔になる。こういう彩音の素直で、コロコロかわる表情に僕はどうしようもなく惹かれていた。

 ……失いたくない。

 僕は、絡めた彩音の手を強く握りしめた。


「……光一くん?」


 心配症な彩音が、様子のおかしい僕を心配して顔を覗き込んでくる。僕は、少しかがんで彩音との身長差を埋めると、その瞳を見つめる。


「ごめん、彩音。少し今日の予定を変更してもいい?」


「……? うん、今日は適当にブラブラするつもりだったからいいけど」


「ありがとう」


 僕は、彩音の手を引いて走り出した。


「ちょ、光一くん!?」


 突然走り出した僕に驚いた彩音の声が聞こえる。


「心配しないで、訳はあとでゆっくり話すから、今は僕を信じてほしい」


「わ、わかった」


 それから、彩音は何も言わなかった。ただ、僕を信じてついてきてくれる。本当に、愛おしい人だ。守りたい。彩音を、死なせたくない。


 さて、今回はどこに逃げよう。過去数十回、彩音は必ず11時05分に死んでいる。それは、最初に僕を庇ってトラックで轢かれた時に、彩音が死んだ時間だ。

 何かの、強制力が働いているのだろう。時間だけは変わらない。

 死因も基本的にはトラックだが、死因は何度か変化している。電車に乗ってどこかに行こうとした時は電車に彩音が何者かに突き飛ばされて電車に轢かれた。駅の中に何もしないでいたら、突然、天井の一部が落下して彩音を直撃した。警官が発砲した拳銃の流れ弾に当たるなんていうのもあった。


 つまり、11時05分を僕ら2人が生きたまま過ぎれば彩音を助けられるはず。

 だが、これまで幾度も色々な場所に逃げて僕は失敗してきた。


 道路は、必ずといっていいほどトラックがきた。

 電車は、あの手この手で彩音が線路に突き落とされた。

 屋内は、何かが落下するか人に殺された。


「なら、今度は……」


 そのどれでもない、選択肢が必要だ。

 その答えとして、僕には一つ考えがあった。


「……光一くん、ここって光一くんの」


 そう、僕の勤めている会社のビルだ。

 僕はビルの中に入ると、エレベーターに入って最上階を連打した。時間は10時47分。まだ時間はある。このエレベーターが最上階に行くまでに何か起こることはない。

 エレベーターが上がっていく、2……3……、階を示す電光掲示板を睨み付ける。腕時計の針が一周して48分になった。早く……4……5……早く早く……6……7……また一周して49分……8……9……10階。ようやく最上階だ。


「きゃっ」


 エレベーターの扉が開いた途端、僕は彩音の手を引いて再び走り出した。

 上に向かう階段に向かう。階段を駆け上がり、鉄の扉をこじ開けて、このビルの屋上に飛び出した。


「はぁ……はぁ……」


 ここなら、トラックが来ることもない。

 ここなら、線路になんて落とされない。

 ここなら、物が落ちてくることもない。


 しかも、このビルの屋上は本来、封鎖されていて屋上につながる扉の鍵が壊れていることを知っているわずかな人間しか来ない。出入口はさっき僕らが通ってきたとこだけだから、殺人鬼が来るとしても十分に用心できる。

 屋上の真ん中を陣取って、彩音をギュッと抱きしめた。


「光一くん……?」


「大丈夫だから」


 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 みっともないくらい、僕の身体は震えていた。


「でも……」


「心配しないで」


 そんなこと言ったって、無理に決まってる。状況の不自然さは変わらないし、なにより、こんなにも僕は怯えてる。今回は大丈夫だと、いくら自分に言い聞かせても、数十回の失敗が、数十人の目の前で死んでいく彩音が、ちらついて離れない。

 時計の針は、まもなく11時を指す。

 僕の心と身体が、彩音を失う恐怖に蝕まれていく。


「心配、してないよ」


 そう言った彩音の手が、僕の背に回された。

 暖かい彩音の体温に包まれたように感じて、僕の身体の震えが弱まった。そんな僕に言い聞かせるみたいに、彩音が優しく語りかけてくる。


「あのね、私は光一くんのこと信じてるよ。だから、光一くんが大丈夫っていうなら私は大丈夫だって思える。だから、大丈夫だよ。光一くんが大丈夫って言うなら、大丈夫になる」


「……あや、ね」


 僕は、ますます彼女を抱きしめた。

 このまま、時間が止まればいいと思った。永遠に、彩音と抱き合っていられるなら、それ以外に何も望まない。だから神様、どうかこのまま、このまま彩音と一緒にいさせてください。




『それは、できない相談だねぇ!』




 悪魔の声が、聞こえた気がした。

 同時に、とてつもない爆発音がした。足元のコンクリートにみるみる亀裂が走っていくのが見える。


「……まさか」


 ビルが、崩れようとしているのか!?

 理解した途端、亀裂の入ったコンクリートの一部が下に落ちて、巨大な闇が僕らを……彩音を呑み込まんと口を開けた。








 身体を揺すられている。


「光一くん! 光一くん!!」


 愛しい人の声が、聞こえる。

 ゆっくり目を開けると、視界いっぱいに彩音の顔があった。ビルの崩壊に巻き込まれた僕らは、奇跡的に無事のようだ。僕は瓦礫の山の上に横たわっている。上の方には、崩れきっていない鉄筋コンクリートが今もパラパラと音を立てて少しずつ崩れていた。


「彩音……大丈夫か?」


「光一くんが、庇ってくれたから。ごめんね」


 申し訳なさそうに下を向く彩音につられて、自分の身体をみると、かなり酷い有様だった。傷と打撲だらけで、特に左足は折れているようだ。何か長い布が巻いてあって固定されている。

 これは、マフラー?


「あ、これね。光一くんと一緒に巻きたくて、編んでたの」


 彩音が恥ずかしそうに言った。

 その時、僕の中でなにかがつながる。


「……まさか、それで今日遅れて」


「うん、夜更かししちゃった」


「そんな……大変だっただろ、なのに、こんなことに使って……」


「こんなこと、じゃないよ。光一くんの為だもん。このマフラーだって本望だよ」


 数十回と、この30分をやり直してきた。

 なのに、僕は彩音が僕の為にマフラーを編んでくれていたことも、そのせいで待ち合わせに遅れたことも知らなかった。

 こんな形で、知ることになるなんて……。


「ごめん、彩音」


「いいんだよ」


「ごめん」


「いいって言ってるでしょ、気にしないで」


「でも……!」


 重ねて謝ろうとした僕の口を、彩音が自分のそれで塞いできた。柔らかい唇が、いたわるように僕の唇に触れて、僕が落ち着くのを待ってからゆっくり離れる。


「また編んだら、一緒に巻いてくれる?」


「そんなの……当たり前だろ」


「そっか……うれしい」


 頬を染めて、彩音がはにかむ。

 ああ、彩音を好きでよかった。彩音に好かれて、僕は幸せだ。


「だから、もう、死んじゃ、だめだぞ」


 僕は、精一杯の力を振り絞って、彩音を突き飛ばした。直後、落ちてきた鉄柱が僕の胸を貫く。


「……こういち……くん……?」


 胃の中から血がせり上がって、口から大量に飛び出した。

 真っ赤な、生命の象徴。こんなに、出るもんなのか。串刺しはさすがに初めてだから、よく分からないことばかりだ。


「いや…………いやぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」


 泣き叫ぶ、彩音の声が聞こえる。

 泣かないで、泣かないでよ彩音。


 彩音……愛してる。


 真っ赤に染まった視界と頭の中が真っ白になって、意識が消えていく。

 僕が、消えていく。命が、終わる。


 僕は、死んだ。











 ゆっくりと、瞼を開ける。暗闇が晴れると目の前に横たわる彼女と色とりどりの花が見えた。それは、僕がもう見たくないと、何度願ったか分からない光景だった。彼女の葬式の光景だった。


 彩音。僕の最愛の人。


「ケケ、あんたらは本当、似たもの夫婦だなァ」


 神様が、何度目かわからないお決まりの台詞を吐いた。


「まだ、夫婦じゃない」


 それに、お決まりの台詞を僕は返した。

 神様は、心底うんざりした様子でため息を吐いた。


「なァ、そろそろ諦めねェか。あんたらはどっちかが絶対に死ぬ運命なんだよ」


「なら、死ぬのは僕だ」


「そうかい、あんたの嫁も同じこと言ってたよ」


 神様がくるんと人差し指で円を描いた。僕の身体が、シャボン玉のような光の粒になって、空間に溶けていく。


「また、やるんだろ?」


「ありがとう」


「ケッ」


 悪態をついた神様を見ながら、僕はまた、過去に戻る。

 今度こそ、二人一緒に生き残れる道を見つけてみせるから。だから、もし無理でも、もうこんなことはしないでくれ。僕は、彩音さえ幸せならそれでいい。もちろん幸せにするのは僕でありたいと願っているけれど、彩音が幸せになれるなら隣にいるのは僕じゃなくてもいいんだ。


 彩音の幸せが、僕の幸せなんだ。


 だから、もう、僕のために死なないで――。

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[一言] 涙でした。 神様? 悪魔の間違いでは?
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