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第五十一話 曖昧な関係

引き続きレアルな回です。

 

 先に述べたが、女性の家は服飾屋を営んでいるらしい。自分のせいで服がずぶ濡れになってしまったのでその償いがしたい、と代わりの服を用意したいと言い出したのだ。


 最初は俺もレアルも渋ったのだが、必死な彼女の好意を無碍に出来ず、世話になることを承諾した。このままレアルと別れてしまうのも惜しいか、という気持ちがあったのも間違いではないしな。


「あ、自己紹介が遅くなりました。私の名前はラズ・ビティスと言います」

「…………ビティスだと? もしかして君は、『あの』ビティス服飾店の?」

「はい、たぶんあなたが言うビティス服飾店の跡取りです」


 女性の家名を聞いたレアルが目を丸くした。


 なんと、女性ーーラズの生家がドラクニルの中でもトップレベルにランクインするほどの超高級服飾屋であったことが発覚した。


「なに、そんなに有名な店なのか?」

「有名も何も、貴族はおろか皇家の者も注文を出すほどの店だぞ」

「…………マジか」


 警邏に連れて行かれた男はどれほどに恐れ知らずだったのだろう。未遂で終わって本当に良かったね、とか思いました。や、高級服飾店の娘にしては女性の姿はお洒落ではあるが煌びやかさは殆ど無いので、格好で判断するのは難しいかもしれなかったな。下手をすれば伝手をさかのぼり、有力な貴族から苛烈な処罰を受けていたかもしれない。


 女性ーーラズに案内されたのは、超高級服飾…………と呼ぶには少々質素な店だった。だが、両隣に立ち並ぶのは一目で分かるほどの高級品を扱う店だ。そして、表通りに見える形に店頭ガラスの側に飾られているマネキンが着た見本のドレスは、現実世界で見た高級なそれと大差ない美しさを持っていた。


 補足説明だが、この世界ではガラスや鏡は高級品だが、すこぶる珍しいとまでは届かない。何故なら、魔術の上位属性であり、物質そのものを自在に操る『元』属性の使い手なら片手間で作れるからだ。ただ、元属性魔術士は基本的に学者肌の者が多く、商売に殆ど興味を持たない。研究費用を稼ぐためにガラスや鏡を商人に売るのだが、それを本業にする者は少ない。よって、出回る数が需要に比べて少ないのだ。手鏡程度の小振りな類なら一般市民も手が伸びるが、ショウウィンドウに適するほどの巨大なガラスとなると、それを所有している時点で高級店の証明ともいえるのだ。


「ただいまぁー」


 質素ながらも気品が溢れるそれらに若干気後れするが、ラズは慣れた風に店の扉を開いた。そしてレアルも、普通にその後に続いた。最後に、俺も慌ててラズとレアルの後を追って店内に入る。


「あらラズ。お使いにしては遅かったわねぇ」

「あ、お母さん。ただいま」


 最初に反応したのは、入り口の側で飾られていた服をイジっていた落ち着いた雰囲気の中年女性だ。ラズの言葉から彼女が母親だと分かった。


「あらあら、後ろのお二人はどなた? お客さん…………にしては水が滴っているけれど」

「えっと、それなんだけどね・・・・」


 なんと答えればいいのかラズが迷っていると。


「くぅぉおおらラズッ! いつまで時間掛けてやがるッ! 子供のお使いじゃねぇんだぞ!」


 店の奥から響く怒鳴り声に、ラズも俺もビクリと肩を震わせた。ラズの母親とレアルはケロっとしていたが。え? レアルは分かるけどラズのお母さんもケロっとしているのが解せぬ。


 肩を怒らせながら店の奥から出てきたのは、小道具入れの袋をたくさん備えた服を着た小柄な男性だ。頭頂は俺の胸あたりまでしか無く、体の線も細い。だが、全身からにじみ出る風格が見た目にそぐわない年季を感じさせた。


「急いでるから使いに出してたってのに、これじゃぁ意味がねぇだろうがっ」

「ひぃううッッ。ご、ごごごごめんなさいッ!」


 もしかしたら己よりも身長が低いかもしれない相手にだが、ラズは怯えながら母親の背後に隠れてしまった。


「ほらほらアナタ。そう怒らないでくださいな。お客さんもいらしているみたいですしね」

「む、そうか。こりゃ失礼したな」


 小柄な男性は俺たちの存在を確認すると、怒気を引っ込めた。


「で、いったい当店にどのようなご用件で?」

「あ、それは私が説明します」


 と、母親の問いに答える娘。


 ラズは買い出しの途中に男達に絡まれたこと、危ういところで俺たちに助けられたこと、そして警邏の勘違いでずぶ濡れになってしまったことを説明した。


 腕を組んで一通りの説明を受けていた小柄な男性は、俺たちに顔を向けた。


「どうやら娘が世話になったみたいだな。礼を言わせてくれ。ありがとう」

「私からも。娘を助けていただき本当にありがとうございました」


 二人に頭を下げられ、俺は嬉しい反面むず痒い気持ちになってしまった。罵詈雑言は気にもならないが、逆に素直な感謝の念を向けられるのはやはり慣れない。


 小柄な男性はドワーフ族のようで、名をスミフ・ビティス。なんとラズの父親だとか。ドワーフ族は総じて小柄で幼い顔立ちの種族なので外見では年齢が判断しにくいのだが、スミフは大きな娘を持った立派な父親である。そして、彼の妻であるのがルーズ・ビティス。こちらは人族で、見た目相応の年齢だ。端から見ると身長差がかなりある組み合わせだが、夫婦仲は非常に良好だと感じられた。


 ドワーフ族の男と人族の女の間に生まれたのが、ハーフであるラズだ。ファイマ先生の授業では、現存する人型種族の間でなら、どのような種族も血を交えて生まれるらしい。ただし、出生率に関しては母胎の種族が大きな影響を与える。


「それでね、二人の服が乾くまでの間、お店の服を使って貰おうって思ったのよ。ねぇ、いいかなお父さん」

「いいだろう。二人が濡れ鼠になった原因の根っこはウチの娘だからな」


 娘の提案を快く受け入れたスミフだが、俺はまたも腰が引けた。


「ちょ、ここの店って高級服飾店でしょうよ。そんな服を着るのは流石に恐れ多いって言うか、身分不相応って言うか…………」

「娘の恩人に下手な服を着せたとあっちゃぁ、ビティス服飾店の沽券に関わる。もし着ている間に汚したり破いたりしても料金を請求するつもりは無いから気にすんな」


 小柄な体躯とは裏腹な豪快な笑い声と言葉。どうしたものか、とレアルに視線で問うが。


「ねぇレアルさん。どういう系統の服が好みかしら?」

「すまないが服飾の美的センスは皆無でな。自分に何が似合うのかすらわからん。そもそも、私のような者に服があるとも思えないが」

「若い子が何言ってるの! こんなに綺麗な顔してるのにもっと自分を磨かなきゃ! ほら着いて来て、私がしっかりとコーディネイトしてあげるから!」

「え? ちょ、ルーズ殿ッ? そんな腕をひっぱらずとも…………」

「あ、ちょっとお母さん待ってよ! 私も行くよ!」


 最初のほんわかした雰囲気は何処へやら。情熱か何かを纏ったルーズが力自慢のレアルを強引に引っ張り、店の奥へと引っ込んでしまった。ラズもそんな二人を追って行ってしまう。


「ウチのかあちゃんは女を着飾ることに関しては真剣だからな。ああした自分に無頓着な別嬪さんがいたら、世話を焼きたくて堪んなくなっちまうのさ」


 服屋の妻になるために生まれたような女だ、とスミフは惚気た。


 ああしてレアルが連れ去られた以上、黙って受け入れた方が無難か。よくよく店内に飾られている服の値札を見ると、やはり高いのだが貯蓄から払えない額ではない。一着や二着を購入してもちょっとした贅沢程度の出費に収まる。万が一に汚してしまっても買い取りが出来るな。


「で、どうするよあんちゃん」

「…………なるべくシンプルな服でお願いします」

「おうよ、任せておきな。立派な男前に仕立ててやるさ」


 俺はレアルが連れて行かれた方とは別の場所にスミフに案内される。現実世界の服飾屋でもある、仕切の置かれた更衣室のような一角だ。


 とりあえず、用意された脱衣用の籠に着ていた服をすべて放り込む。派手に水濡れだったので下着もだ。すっぽんぽんになったところで、スミフがタオルと新しい服を持ってきた。


 最初にしっかりとタオルで肌に残った水分をふき取り、それから新しい服に袖を通した。服をつかんだ時点で布の素材がスゴいと分かった。肌触りが全然違うのだ。まるで吸い付くような、という表現の方法があるが、指先から伝わる感触がまさにそれだ。それでいて必要以上に肌に干渉せず、ずっと触れていたいとさえ思えた。


 さすが高級服飾店。素材からしてスゴいな。


 ちなみに、俺が服を着替えている間、店の奥から声が響く。


「きゃぁぁ、レアルさん胸おっきぃぃッッ! 腰細いィィッッ!」

「しかも、全く垂れずに上向き。それでいて身体全体のバランスが素晴らしく整っているわね。同じ女として、羨ましいわぁ…………」

「あの二人とも、そんなに大声で言われるとさすがに私も恥ずかしいのだが…………」

「あらご免なさい。でも本当に素晴らしいわぁ。こんな素材に出会えたのは今まで数えるほどしかないわ」

「私なんて初めてだよ! っていうか、このおっぱいがうらやましすぎるッッッ」

「ひゃぅッ! ちょっ、どこをさわっているのだ!」

「…………うわぁぁ、これは柔らかさはヤバいわぁ。女の武器ってより、もはや凶器ってレベルにやばいわぁ」

「こらこら、同性だからといって、人様の胸を無遠慮に揉むのはマナー違反よ? でもそうね、アナタが自分の服に興味を持てなかったのも、その胸のサイズにあう物が少なかったのが理由の一つね」

「え、ええまぁ。確かに理由の一つではあります」

「でも安心してちょうだい。これでもちょっとは名の知れたビティス服飾店の店主を支える妻よ。少し待って頂戴、あなたに似合いそうな服を調整して無理なく着られるように仕立て直すから。ラズ、手伝いなさいッ!」

「了解です!」


 …………こっちの着替えは十分も掛からなかったのに、あちらはしばらく時間が掛かりそうだ。女性とは服一つ選ぶのにも多大な時間を消費する生き物である。


 レアルはともかく、服飾店母娘のヒートアップ具合がすごい。声がここまで届く勢いだから相当だろう。


「お、終わったかい。仮にも服屋だからそう変な服を選んだつもりはないが、着てみてどうだ」

「や、いい感じです。むしろ、着心地が良すぎて脱ぎたくなくなりそうですね、これ」

「はっはっは、嬉しいこと言うねあんちゃん」


 用意された服は、派手さは無いが小洒落た感じがあった。着心地も抜群に優れており、柔らかな羽毛に包まれているかのようだった。この後も、お洒落用に一着買って帰るのもありかも知れないな。


 俺が着替え終わってから、さらに二十分が経過した頃だ。


「お、そっちは終わったのか?」

「ええ、ばっちりよ。あら、そちらのお兄さんもいい感じに仕上がったわね。さすが我が夫」

「よせやい、照れるじゃねぇか」


 嫁さんに褒められて眦が垂れるスミフ。あんな良好な夫婦関係を築ける嫁さん、俺もゲットしたい。できれば年上で巨乳を希望する。


「ほらレアルさん、恥ずかしがらずに出来てくださいよ。カンナさんも待ってますってば」

「だ、だがこんな格好を…………」

「この上ないほど似合ってますから! ほら早くッ」


 どうやらレアルの方も着替え終わったようで店の奥に引っ張られたときと同じように、今度はラズに腕を引かれて姿を現した。


「「あッ…………」」


 俺とレアルは、互いの姿を確認すると同時に言葉を失った。


 そこにいたのは、身の丈ほどの巨剣を自在に操る鎧を纏った戦士ではなく、純白のワンピースを着た美しい一人の女性だった。


 下手な装飾にこだわらず、だからこそ着る本人の美しさを際だたせるその姿に、俺は見惚れていた。普段は鎧の奥に収まっている豊かな胸が服に覆われながらも露わになっているのに、性欲の欠片も抱けない。むしろ性的な目で見る方が失礼だとばかりに、純粋な美に見入っていた。


「ほぅ、さすがは我が嫁。見事だ」

「ふふふ、互いに見取れちゃって」


 服飾屋夫婦の言葉に俺たちは我に返った。


「ねぇどうですかカンナさん。レアルさんは素材が極上ですからね。下手に着飾るよりも元の綺麗さを強調する形でコーディネイトしてみました」

「…………どうだろうか?」


 ラズが(推定B)の胸を張り、逆にレアルは恐る恐ると言う風に聞いてきた。


「…………似合ってるよ。この上なくな」

「そ、そうか。この手の服を着たのは幼い頃以来でな。正直自信が無かったのだが、君がそういってくれて安心するよ。お世辞でもな」

「今のレアルは、どこをどう見ても正真正銘の美女だ。これが世辞なら世界の女の九割ぐらいは世辞じゃなきゃ褒められねぇよ」


 俺の本心からの賞賛に、レアルは頬を赤くした。たぶん、俺も同じく真っ赤になってるだろうな。俺も彼女も変な格好をしているわけでもないのに、気恥ずかしさに顔から火が吹き出しそうだった。



 

「預かった服は店の乾燥機で乾かしておくから、夕方くらいには乾いているだろう。その間にデートの続きでもしてきな」


 ビティス服飾店家族の妙に微笑ましい視線に後押しされ、俺とレアルは再び活気溢れる街に繰り出した。スミフが最後に付け加えた言葉は勘違いなのだが、それを訂正することはどうしてか躊躇われた。


 当初の予定通り、服飾店を出た俺たちはレアル勧めの喫茶店に向かう途中なのだが、これまでとは違い言葉数は非常に少なかった。レアルは慣れない格好に普段の威風堂々が顰み、俺はそんな彼女への対応に迷う。シリアスブレイカーの異名(美咲命名)を持つ俺にして、これほどまでの美女を伴って街を歩くのは初体験だからだ。


 ワンピース姿になり惜しみない美を自覚無く振りまくレアルに、道行く野郎共の視線が集まっているのを感じた。俺が先ほどした宣言通りに、レアルの美しさは男性はおろか女性でさえ視線で後追いしてしまうほど。


 ろくに言葉も交わせず、俺たちは目的の喫茶店に到着した。オープンテラスのある洒落た店だ。昼を少し過ぎた頃合いに、茶と会話を楽しむ客で賑わっていた。


「いらっしゃいませ。お二人様でよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。見ての通り二人だ」


 店の扉を開くと従業員が応対する。レアルは未だに自らの格好に慣れないのか、どもりながらも頷く。と、彼女の声を聞いた従業員の目が見開かれる。


「…………もしかして、レアル様ですか?」

「ん? そうだが…………やはりこの格好は変か」

「い、いえっ、そんなことは! 大変よく似合ってます! ただ、いつも鎧姿でしたので」  


 この従業員とは顔見知りらしい。普段にないレアルの格好に、従業員は少しだけ慌てるも直ぐに調子を取り戻し、席に案内してくれた。運良く空いていた表にある座席の一角に通され、そこに腰を下ろす。


「ご注文の方はいかがしましょうか」

「いつものを二つお願いする」

「かしこまりました」


 慣れた様子で頼むと、従業員は恭しく礼を残して場を後にする。


「勝手に頼んで良かったか?」

「こんなお洒落な店でメニュー見てもどんな味かさっぱりだからな。慣れたレアルが勧めるなら間違いはないだろうさ」


 程なく、香しい香りのお茶が従業員に運ばれてきた。湯気が立つお茶を口に含むと、まずは「美味い」という感想が頭の中に浮かんだ。なるほど、レアルのお勧めだけある。これはついつい足を運んでしまう味だ。


 お茶を飲んで一息付き、ようやくレアルは微笑を浮かべた。俺もつられて小さく笑う。ビティス服飾店を出てから互いにずっと緊張していたのだ。


「私達らしくないな、こういうのは」

「たまにはいいんでねぇの? 俺としちゃぁ着飾ったおまえさんを身近に見られて眼福だ」

「君にそう言ってもらえたなら、恥ずかしい思いをして着替えた甲斐があったよ。私としても男前になったカンナが見られて良かった」

「煽てても氷しかでねぇぞ」

「本心だ」


 冗談を交えた会話で、ようやく『らしい』空気が戻ってきた。


「で、最近の調子はどうだ。冒険者としての生活には慣れてきたか?」

「ぼちぼちだな。十分すぎる貯蓄があるから、ほかの新人に比べてかなり余裕があるのは間違いないけどな。そっちはどうなんだ。書類作業に一区切りがついたって言ってたが」

「元々、私が居なくても業務に支障が出ないように部下を指導していたからな。残っていたのは私の承認が本当に必要な書類だけだ。殆ど判子を押す作業のみだったよ。まぁ、それでもさすがに数ヶ月近くの量は半端ではなかったがな」


 終えた仕事の量を思い出し、レアルは遠い目をしながら茶を啜った。ご苦労様です。


「そういえば、先日は部下が失礼したな。この場で改めて謝罪する」

「…………ああ、ベクトって奴のことか」


 レアルに『絞る』宣言をされ、トボトボと彼女の後に付いていく、小さくなった背中がヤケに印象に残っている。


「や、そりゃ別にいいが」

「ベクトは私の代理を務められる優秀な奴なのだが、少々貴族主義に傾いていてな。常日頃から注意はしていたのだが。他の部下に聞いてみれば、私が居ない間に何件か問題を起こしていたらしい。幸いにも大きな事件には発展しなかったようだが」

「あの後こってり『訓練』したんだろ?」

「私が居ない間にもそっちの方面も弛んでいたようでな。念入りに訓練を付けてやったよ」


 俺とクロエに罵倒をくれた相手に同情してやる義理はないが、それでも少なからず哀れに思ってしまった。レアルのことだ、死んではいないだろうが八割ほどは殺されてるかも知れない。


 ーーーー冥福を祈る。


「…………死んでいないからな?」


 目を瞑って合掌すると、レアルが『失敬な』とばかりに言った。や、アナタの戦う姿を知っているとこうしたくなりますからね?


「…………そういえば、聞かないのだな」

「なにがさ」

「私がこの国でどういう立場にいるのかを」

「言えないんだろ? だったら聞く気もない」

「重ね重ねすまんな」


 さらに謝罪を述べるレアルに、俺は『気にしてない』と手を振って答えた。興味が無い、と言えば嘘になるが進んで問い質すつもりもない。レアルのような実直な人間が口に出来ないと言うのならば、相応の理由があってしかるべきだからだ。


 立場の違いは理解しているが、かといって俺とレアルのこの一ヶ月の関係に影響が出るはずがないのだ。背中を預け合い、命を懸けて戦った記憶は簡単には薄れない。


 けれども、俺の彼女に対する気持ちの変化はこの立場によって阻まれている。今はまだ蕾ほどの小さな思いは、けれどもそれ以上の開花を押し留めている。ベクトの言葉を全面的に肯定するのではないが、頷ける言葉もあった。一ヶ月という長くも短くも感じる期間をともに過ごしただけの相手だ。友人としての感情は抱けてもそれ以上を抱くにはちょいと時間が足りないはずだ。


(童貞を卒業したからって、ここら辺が立派な大人になれるとはかぎらねぇのな)


 女性の身体に耐性が出来たとしても、女性の存在そのものに耐性ができるわけではない。やはり、相応の経験が必要だ。俺は未だに思春期真っ盛りな悪ガキを抜け出せていない。


 これ以上、思考が変な方向に傾くのはよろしくないな。


 俺は話題転換に茶を飲んでから口を開いた。


「そーいや、せっかくレアルの休日だし、クロエも一緒に茶ができりゃぁ良かったんだがな」

「そうだな。まぁ、私と君が今日あえたのも偶然であるしな。そればかりはしょうがないさ。またの機会を待つしかないさ」


 と、普通に返したレアルだったが、少し間をおくと急に居心地悪そうな顔になった。


「や、どうした?」

「…………何でもない」


 否定を口にしつつも、彼女はあらぬ方向を見ながらまたも頬を赤く染めていた。その素振りで、彼女は俺とクロエが同じベッドで寝ていた場面を思い出したのだと想像が付いた。


 話題転換のつもりで出したクロエの名前が、逆に妙な方向に突き抜けてしまった。


 俺の顔を見て、己の胸の内を察せられたと判断したレアルは、小さく息を吐くと視線を合わせずに聞いてきた。


「…………もう一度確認するが、君とクロエはその…………恋人の関係ではないのだな?」

「違うよ。クロエも言ってただろう。アレは命の恩人に対する恩返しの一種だ。恋愛がどうこうって話じゃない」


 事実を口にしているが、どうしてか言い訳っぽくなってしまった。


「もしかして、『あの時』もか?」


 不明瞭な指摘だが、おそらく俺とクロエが初めて身体を重ねた時のことを指しているだと直ぐ分かった。


「…………見てたのか?」

「いや。ただあの晩、彼女が深夜に部屋を出ていくのだけは感じ取れただけだ。妙には思ったがキスカが後を追うように部屋を出ていったので、何かあれば彼女に任せればいいとそのまま寝入ってしまったが」


 その結果、キスカには浴場でのワンワンタイムがばっちり目撃されてしまった訳であるが。


「翌朝にはベッドの上で寝息を立てていたので今まで全く気にしていなかったがな。思い返せば、起き抜けの彼女は妙に体の調子が悪そうだった」

「そうかい」

「…………否定がないところを見ると、間違いなさそうだな」


 先ほどまでとはまた別の意味で気まずい空気が漂う。


「実際のところ、君はクロエのことをどう思っているのだ?」

「…………仲間だよ。付き合いこそまだ短いがな」

「そうか、仲間か…………」


 反芻するように口にするレアル。


 肉体関係を抜きにしても、侮辱されれば憤るぐらいには俺はクロエに仲間意識を持っている。決闘騒ぎやらで一緒に戦った仲だしな。だがレアルからしてみれば、クロエは知り合いではあるが『仲間』と言えるほどの関係は築けていなかったのかも知れないな。


 仲間と知り合いが、己の知らない間に肉体関係を結んでいたのだ。レアルの心中は決して穏やかではないだろう。声を荒立てる程ではないが、複雑な心境は想像に難くない。俺だって、もし有月の奴と美咲、あるいは彩菜が恋人になっていれば、祝福する気持ちがある一方で、付き合い方を考えざるを得ないだろう。正確には(爆発しろ)と念を送るには違いないが。というか、有月は今すぐにでも爆発してほしい。なんであんなヘタレなのにモテるんだろうか。イケメンだからか? 主人公補正か? 


「それにおまえは俺の事情を一番よく知ってるだろうさ。恋愛なんぞしたらいろいろと問題が起こっちまうよ」

「その問題があったな」


 レアルはユルフィリアの上層部を除けば俺が異世界の人間である事実を知る唯一の人間だ(人外ならもう一人いるが)。すなわち、いずれは元の世界に帰るつもりであり、この世界に別れを告げる。恋人という人としてもっとも強い繋がりを残せば、大きな心残りを作る。そう考えると、クロエとの関係が最も後腐れの無い繋がりだろう。もちろん、レアルやクロエとの別れは惜しくもあるが、長い人生にある幾多の別れの一つと思えば良い経験だと思える日も来るだろうさ。


「ところで、例の件はどうなってるよ。何か進展はあったか?」

「あ、ああ。これからようやく手を付け始めるところだ」


 未だに恋愛下手な俺はこの時、彼女の心中を五割は察せていたが、残りの五割はまるで見当外れだったとは知る由もなかった。


「何度も繰り返して悪いが、すぐにどうこうとはいかないと覚悟しておいてくれ。異世界の人間を召喚するなど、物語にこそ良く出てはくるが、実際には眉唾物だからな。過去の文献には実際に使用されたという記録は残っているが、どのような術式を使ったのかは殆ど記されていない」

「異世界召喚ってぇのは物語としてはポピュラーなのか? や、盛り上がるっちゃぁ盛り上がる展開の典型だが」

「数ある物語の大半は完全な想像の産物だが、逆に極少数は史実を元に作られた類もある。君が召喚されたユルフィリアにも、過去に実施された勇者召喚を元にしたおとぎ話が普及しているさ」

「たしか…………三百年前の魔神騒ぎで、だっけか?」


 なんでも、三百年前のユルフィリアは今を大きく越える水準の発展をしていたらしい。そして、その繁栄を快く思わない魔神が王国に襲いかかり、繁栄の基礎であった魔術の研究機関とその産物を殆ど破壊し尽くした。最終的には異世界から召喚された勇者によって魔神は封印され、王国に平和が訪れた。ファイマから、ユルフィリアの一般教養ということで簡単には教わっていたのだ。


 確かに、良くある勧善懲悪の分かりやすいおとぎ話だ。人の耳に聞きやすい、後味の良い終わり方に作り替えているだろう。


 しかし、このおとぎ話の中で、紛れもない事実がある。


 すなわち、勇者召喚の部分だ。


 レアルも以前に言っていたしファイマも認めている。この点は間違いなくユルフィリアの公式の記録にも残っており、なおかつ千年の時を過ごす氷の大精霊からの証言もある。


 それからしばらく、勇者召喚に関しての思うところを互いに擦り合わせたが、根っことなる情報の少ない現状だ。特に有意義な意見も出てこなかった。


 …………や、本当は俺とレアル、この場にいないクロエとの関係をこれ以上深く考えたくなかっただけなのだ。


 最後に、カップに残った最後のお茶を飲み干すが、最初の時ほどに美味しく感じられなかったのは、冷めたというだけが原因ではなかったのだろう。


 表面だけを取り繕ったような空気を抱いたまま俺たちはビティス服飾店に戻り、乾いた服に袖を通して別れた。ビティス親子の前ではどうにか普段通りの態度を取り繕ったが、店を出ていく間際にスミフに『青春だな』と冷やかされた。俺よりも人生経験豊富の彼は、俺とレアルの間に何かしらが起こったのだと想像したのだろう。よけいなお世話だ、と言い返すにはどうにも後ろめたい気持ちがあり、口を閉ざすしかなかった。


 こうして、久しい仲間との再会は小さな『痼り』を残して過ぎたのだった。


 

どうにかレアルのヒロイン度を上げようかと四苦八苦しています。いい感じに次に繋がる「モヤッ」とした空気が作れたかどうか・・・・・。


新たなブクマ登録と評価点を頂きありがとうございます。


引き続き感想文やブクマ登録。評価点を募集しております。

また、単純な質問やレヴューも大歓迎です。


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