第二百十一話 触らぬ神に祟りなしって言葉が出ると、だいたい触れることになる法則
当初の予想から外れ、俺たちはとうとう目的地──リクシル草が自生している地点にまでたどり着いてしまった。
『予想』というのは、ここまで来る間に暗殺者の襲撃があるとばかり思っていたのだが、一向に襲ってくる気配がない。結局、無事に目的地に到着してしまったのだ。
「……この場合、王様の依頼とかどうなるんだろ」
初日のこともあり、全く成果がなかったわけではない。しかし、これでは依頼内容としては不足しているように思えて仕方がない。これで『報酬』を渋られたらどうしようかと不安になってしまう。
それはさておき、『裏の依頼』にばかり気にかけてもいられない。表の依頼もしっかりこなさなければ。
「ものすごく今更な質問だけど、どうしてこんな森の奥にある薬草の場所が分かったんだ?」
「王は以前よりこの辺りに配下の者を派遣していたのですよ。リクシル草の備蓄が少なくなっていたこともあり、万が一に備えて採取が不可能でも所在だけは確認しておきたかったのでしょう」
エルフ兵と会話をしながら森の奥へと進んで行く。
──そして、さほど時間を要することなく目的の代物を発見することができた。
「ほい、採取完了」
見つけたリクシル草を、生えている付近の土壌ごと氷の中に閉じ込めて掘り出す。大きさにしてサッカーボールほどだな。あともう二つ氷付けのリクシル草を作った。
これを王城にまで持ち帰れば『依頼の半分』は完了したことになる。『残りの半分』は……こればかりは俺からどうにかできるはずもない。全ては暗殺者の出方次第だ。
しかし、現時点で折り返し地点。往路で成果がなかったとしても復路がまだ残っている。諦めるのはまだ早い。
襲撃を待ち望んでるというのもどうかと思うけどな。
それはそうとして、ここに来てから少し気になることがあった。
「なんかこの辺り、静かすぎねぇか?」
昨日までは煩いほどに聞こえていた生物の鳴き声が今日はとんと響いてこないのだ。魔獣の襲撃もパタリと止み、楽といえば楽なのだが逆に不気味に感じられた。
俺の言葉を聞いたエルフ兵が、顔つきを若干険しくした。
「……この地に封印されている魔獣の影響です」
「話には聞いてたけど……こんなに離れててもかよ」
リクシル草を採取するにあたり、この地域に関する情報は仕入れている。
俺たちが進んできたのは魔獣の活動が活発であり、生半可な実力の持ち主では数日と待たずに命を落とすほどの危険な地域。
だが、この地域で最も危険なのが、エルフ兵の言った『封印された魔獣』の存在だった。
「こっちから手を出さない限りは問題ないんだろ?」
「でなかったら、さすがに王もこの派遣を渋ったでしょうね。下手に刺激すれば、最悪の場合はエルダフォスにまで被害が及びますから」
その辺りの話は、王が説明係によこした文官にしつこいくらいに問い質した。暗殺者に関してだけでも厄介なのに、それ以上のリスクは極力減らしておきたかったのだ。
──そこで知ったのは『灰燼の災禍』という魔獣だ。
今よりも何代も前のエルダフォスに出現した魔獣だったらしい。それがなんの目的でエルダフォスに進行したかは不明。とにかく、魔獣が通った後には『灰燼』しか残らないほどに破壊し尽くされたことから『灰燼の災禍』という名前がついたそうだ。
「私も子供の頃に、母親から『悪さをすると『灰燼の災禍』がやってくる』とよく脅かされましたよ。おそらくエルダフォスに住む多くのものが似たようなものでしょう」
おどけるように言ったエルフ兵だったが、その声色には緊張が含まれていた。子供の頃に聞かされた存在が、今まさに目と鼻の先にまでせまっている。姿形は見えなくとも、恐れを抱くのは仕方がない。
実際のところ、『灰燼の災禍』はこちらから下手に手を出さない限りは問題ないのも、文官から聞き及んでいる。
とはいえ、触らぬ神に祟りなし。目的のリクシル草を手に入れた今、なるべく早くにこの場から離れるのが得策。
俺はその場から踵を返そうとしたそのとき。
──待って……。
俺の耳にそんな声が届いた。
「────精霊?」
基本的に、精霊はこちらからの呼び掛けには応えるが、逆に精霊側からこちらに訴えかけることはない。
けれども、それは間違いなく精霊の声だった。
理論的な根拠は欠片もなく、単なる直感。
けれども、精霊術を扱う俺にとっては何よりも信ずるに値する要素だった。
「……どうなさいましたか、白夜叉殿」
兵士が唐突に足を止めた俺に声をかけてくるが、俺はそれに構わず精霊に声に耳を傾ける。
俺に──何を伝えたいんだ?
焦燥感にも近い心境を抱きながらも、俺は精霊に問いかける。
そして返ってきたのは。
──来るよ。
「はい?」
何が来るんだよ、と言葉にする前に。
──天を引き裂くような咆哮が、辺りに響き渡った。
慌てて耳を塞いでも、まるで頭の中に直接届くかのようだ。声量も凄まじかったが、何よりも心臓を鷲掴みにされたような強烈な威圧感が押し寄せてくる。
「ぉぉぉぁぁぁぁ……、強烈すぎんだろこれ」
一種の精神攻撃と思えるような吠え声。姿が全く見えない遠くからの声だからまだしも、近くで聞いていたら鼓膜が破れるどころか、衝撃で心臓が止まるかもしれない。
『咆哮』が通り過ぎてから、俺はクラクラする頭を押えながら周囲を見渡す。
残念なことに、俺以外の面子は全員、意識を失っていた。彼らを情けないと貶しはしない。俺だってちょっとでも気を抜いていれば彼らと同じく気絶していたに違いなかったからだ。今だって少し視界が明滅している。
「くそっ、嫌な予感しかしねぇなおい」
俺の呟きを証明するかのように、ぞわりと背筋が泡立った。
森のさらなる奥から、凄まじい『殺気』が溢れ出した。
先ほどの咆哮を『心臓を鷲掴みにされる』という表現をしたのだが、この殺気は『心臓を握りつぶされる』という感じだ。
頭では、全力でこの場から逃げるべきだと。エルフ兵たちを叩き起こし、全力で逃げ出すべきだとわかっている。
なのに。
──行って(イッテ)。
「おい……冗談だろ」
精霊が示しているのは、この『殺気』の根源。
俺が今いる場所を考えれば、『先ほどの咆哮』とこの『殺気』の根源がなんであるかは想像に難くない。
つまり──精霊は『灰燼の災禍』の元に迎えと俺に語りかけているのだ。